第3回 党大会の人事の行方―江沢民と胡錦涛(2002年7月9日)

 

 今年秋の中国共産党第16回全国代表大会、いわゆる「第16回党大会」での人事に現在、大きな関心が注がれている。「江沢民は、@党総書記、A国家主席、B党中央軍事委員会主席の地位のうち、どれを手放すのだろうか」、「それを引き継ぐ新しいリーダーは誰なのだろうか」。これらに対する予想はさまざまである。江沢民は3つとも辞めるという人もいれば、国家主席だけ辞めるなど。後継者としては、胡錦涛をあげる人もいれば、曾慶紅をあげる人もいる。予想は「百家争鳴」である。私自身も、次のように予想している。

「江沢民は党中央軍事委員会主席だけ残留し、党総書記と国家主席は胡錦涛に譲るだろう」

今回は、第16回党大会での人事について、今考えていることを話してみたい。

 

江沢民の去就は権力欲の有無がカギ

第16回党大会での江沢民の去就については、3つのシナリオが考えられる。ちなみに、党大会の人事では、国家主席については扱わない。これは来年3月の全国人民代表大会で決まることである。さて、3つのシナリオは、

(1)「党中央軍事委主席も党総書記も辞めない」:この場合、来年3月の全国人民代表大会の場で国家主席を辞める。

(2)「党中央軍事委主席も党総書記も辞める」:この場合は、国家主席の再選もないだろう。つまり、江沢民は事実上、政界から引退するということである。

(3)「党総書記は辞めて、軍事委主席だけ残留する」:この場合、国家主席は辞める。

私は、この3つのシナリオのうち、3番目ではないかと思っている。なぜそう考えるのか。

江沢民は前回1997年の第15回党大会以降、次期第16回党大会後の「江沢民以後」の指導層に影響力を確保するための権威作りに腐心してきたように思われる。「三つの重視(三講)」教育運動、「西部大開発」、そして「三つの代表」といった政治キャンペーンを展開してきたのはまさに江沢民の権威確立の過程であった。そして、昨年7月1日の中国共産党創設80周年記念大会において、「三つの代表」は「江沢民同志の重要思想」としての地位を確立したのである。こうした綿密な計画に沿って権威の確立を進めてきた江沢民が、第16回党大会以降の政界引退など考えられない。

第15回党大会当時の江沢民のライバルと見られた喬石は、党大会で全ての地位を失い、引退した。その後影響力を行使したという話は聞かない。地位の裏付けがないものに権力はないのである。

そう考えると、トウ小平は偉大である。1989年11月に最後の座である党中央軍事委員会の地位を降りてからも死ぬまで影響力を保持した。これについて、中国問題専門家である高橋博氏は、トウ小平の権力の源泉は1987年11月の中共第13期中央委員会第1回会議で授与されたトウ小平への「重大な問題処理の際の特殊な権限」であるという。1989年6月に天安門事件直前の趙紫陽とゴルバチョフとの会談で趙紫陽がバラしたという「重大な問題処理はケ小平同志が決定する」という秘密事項のことである。トウ小平にはこの権限があった故に、党中央軍事委員会の地位を降りても影響力を保持することができたと高橋氏は言う。

しかし、江沢民にはトウ小平が持っていたような権限はない。だからこそ影響力を維持するためには地位が必要なのである。それでは、なぜ党総書記ではなく、党中央軍事委主席に残留するのか。第1に、中国共産党は軍隊から生まれた党であり、軍を掌握することが中国共産党における権力にとって最も重要だからである。軍の重要性ゆえにトウ小平も党中央軍事委主席の地位を最後まで手放さなかったのである。第2に、トウ小平のやり方を模倣して、影響力の保持を図ろうとする単純な理由も考えられる。第3に、人民解放軍自体は江沢民が主席であることを希望しているのではないかと思われるからだ。中国共産党のハイレベルの政策決定の場で現在軍の利益を代表しているのは江沢民である。軍出身でない江沢民が軍の信頼を得るには長い時間を要したはずだ。もし中央軍事委主席が胡錦涛に替わったならば、胡錦涛と軍の信頼関係樹立はまた一から始めなければならない。軍にとっては、勝手の分かった江沢民が中央軍事委主席でいてくれる方がコストを考えると「安上がり」である。軍指導者が最近「三つの代表」に指示を与え、「江主席の指示」に服従することを繰り返し述べていることは、江沢民続投をほのめかしているのかもしれない。

第16回党大会の人事を考えるカギは、江沢民が権力欲、すなわちポスト江沢民時代においても自らの影響力を保持したいかどうかという点にある。保持したければ、党中央軍事委主席の地位に残留するだろうし、保持したくない、もしくは保持しないことを願うグループに押し切られたら、江沢民は全ての地位を手放すだろう。

 

●胡錦涛に大きな期待は禁物

 江沢民が、自分の後を任せようと考えているのは胡錦涛だろう。胡錦涛は1987年の第13回党大会で49才という若さで党の最高指導層トップ7である中央政治局常務委員の仲間入りをした。このことからも将来の最高指導者候補と言えるのだろう。しかし、実際に将来の最高指導者として自他共に意識し始めたのは、1997年の第15回党大会以降だろう。それ以降、胡錦涛は江沢民から最高指導者としての帝王学を伝授され始めたと言えるだろう。

 ポストとしては、1999年春の全人代で国家副主席についた。これまで中国社会主義青年団中央書記や地方の党委員会書記、党中央書記処といった党系統の要職についてきたが、それだけでは広い視野と広い支持は得られないためである。さらに1999年秋の党中央委員会第4回全体会議では中央軍事委員会副主席に就いた。

 1999年5月のNATO軍によるユーゴスラビアの中国大使館誤爆事件では、落ち着いた対応をとるようテレビを通じて人民に語りかけた。本来江沢民がやるべき仕事を、江沢民に代わって胡錦涛が行った。この時、胡錦涛への帝王学伝授が確実に進められていること、すなわち江沢民の次は胡錦涛であることを私は確信した。

 2001年10月のロシア・フランス・スペイン・ドイツなど5カ国訪問は欧州主要国へのまさにお披露目訪問であった。また2002年5月の米国訪問も同様である。とりわけ米国訪問で、胡錦涛が控えめであったことは彼自身次期指導者としてミスを犯さないように慎重に振る舞ったからであり、その中にあって台湾問題で「一つの中国」の原則を繰り返し強調したことは、アメリカに対し原則は堅持するという強い姿勢を中国人民にアピールする必要があったからであり、後継者としてシナリオ通りの振る舞いであった。

 胡錦涛が最高指導者に就いた場合、中華人民共和国建国史上初の「なるべくしてなった」最高指導者ということになる。毛沢東、トウ小平のナンバー2と言われ、後継者と目された劉少奇、林彪、胡耀邦、趙紫陽らはみな失脚した。また江沢民もトウ小平の後継者と目されて今の地位に登りつめたわけではない。政治的区切りを迎えるとき、とりわけ新しい指導者が登場するとき、私たちは往々にして過大な期待を持つものである。しかし、私は胡錦涛に大きな期待をかけてはならないと思っている。

胡錦涛にとって、江沢民は自分を後継者に据えて、帝王学を植え付けてくれた人として、最高指導者に就けてくれた人として最大限の敬意を払っているだろう。それ故に、江沢民から全ての地位を奪い取ろうといった野心が胡錦涛にあるとは考えられない。彼は江沢民に、もしくは党の決定に従うのみである。

 また、胡錦涛は現在の政治システムの中で後継者として認知され、最高指導者としてのステップを着実に歩んでいるのである。また胡錦涛は過去のナンバー2が経てきたような政治闘争を勝ち抜いて、現在に至ったという話も聞かない。彼にとって現在の政治システムが最も有益なのである。胡錦涛が最高指導者になれば、自らの支持を拡大するために政治改革を行うかもしれない。しかし、以上のような経緯から、現在の政治システム、すなわち中国共産党による一党支配体制を壊すような改革を進めるとはとうてい考えられない。胡錦涛が行う政治改革は、現在の政治システムの枠内での改革に限定されると考えるのが自然ではないか。