第28回 中国の電気通信と政府規制―「携帯電話vs.PHS」利用者獲得競争激化(2003年11月9日)

 

 今回は、今日行われましたアジア政経学会全国大会で私が行った報告のために準備しました発言稿を掲載します。

 アジア政経学会全国大会のプログラムは下記のサイトをご覧ください。

  http://www.jaas.or.jp/pages/convention/taikai-a.htm 

 

●はじめに

 今日は、中国の電気通信の発展とそれに政府がどのように関わってきたかということを報告したいと思います。

 ここでいう電気通信というのは、日本のNTTや米国のAT&Tが行っているような電気通信事業のことを指します。

 報告の順番は、まず中国の電気通信の現状を紹介します。

 次に、事業体が、1社独占から6社競争の状況に発展してきた経緯を、政府、特に電気通信の主管部門である郵電部、情報産業部の役割が次第に小さくなっていくことと関係づけながら説明します。

 3番目に、最近の中国の電気通信のホットイシューとなっております事業者間での移動体通信市場における利用者獲得競争について、情報産業部の役割と関係づけながら説明します。

 最後に、中国の電気通信の今後の発展について説明します。

 

●中国の電気通信の現状

最初に、中国の電気通信の現状について、簡単に紹介しておきます。

 電気通信は大きく3つの業種に分けることができます。1つは市内通話、長距離通話、国際通話を含めた「固定電話」、2つめは「携帯電話」、3つめはインターネットなど「データ通信」です。

 電気通信が中国のGDP全体に占める割合は、2002年で2.7%、固定資産投資では5%程度に過ぎません。

 それでも中国の電気通信に対する国内外の関心が高い理由は、第1に13億という市場の潜在力があるから、第2に通信設備製造業への波及効果があるからです。

 中国の電気通信の発展具合を加入者数を見ると、2003年6月末の時点で、固定電話が2億3761万人、携帯電話が2億3447万台、インターネット利用者数は5306万人です。2002年の固定電話の普及率は19.4%、携帯電話普及率は18.3%に過ぎませんが、加入者数の伸びは対前年同期比で固定電話が19.6%、携帯電話が12.9%ですから、今後の加入者数の増加に対する期待は大きいです。


 

●電気通信事業体の変遷

 次に電気通信の事業体の変遷を簡単に説明しておきます。

 中国の電気通信は、建国以来、主管部門である郵電部の傘下にある事業体としての「電信総局」による独占が続きました。

 しかし、1994年に「中国聯通」が設立され、初めて新規参入が実現しました。

 また、1995年には電信総局が法人化され「中国電信」と名前を変えました。

 2000年に「中国電信」が業種別に4分割され、結果的に4社体制になりました。

(注)上から下への矢印がうまく描けておりません


 その後さらに2社の新規参入が実現し、
2002年に大幅な業界再編が行われました。

 その結果、現在6社体制が成立しました。



 

(注)上から下への矢印がうまく描けておりません


●中国聯通の新規参入(1994年)

次に、現在の6社体制に至るまでに政府はどのように関わってきたかを少し細かく見ていくことにします。

 「電信総局」の下で、長く独占状況にありましたが、市場経済化の推進が決定された直後の1994年に、李鵬首相ら最高指導者の支持を受け、中国聯通が初めて新規参入を実現しました。

 中国聯通は、電子工業部や鉄道部、電力工業部といった郵電部以外の中央省庁によって設立されたため、その後の中国電信と中国聯通の競争は、中央省庁間の代理戦争の様相を呈しました。

 郵電部は中国聯通の固定電話業務ライセンスを長く認めませんでした。また中国電信は中国聯通の携帯電話に対し、中国電信の携帯電話との相互接続を拒むなどしました。

 こうして郵電部と中国電信は独占維持に力を注いだため、競争状況は生まれませんでした。

 

●政府と企業の分離

 中国政府の国有企業改革の重点は「政府と企業の分離」にあります。

 つまり、企業の人事や事業計画に介入する「審判」と「プレーヤー」を兼務する主管部門を、業界のマクロ管理という「審判」の仕事に専念させ、企業を市場における純粋な「プレーヤー」に育て、政府から独立させ、競争を活発化させ、市場経済体制を整備しようというものです。

 そのために、1990年代後半から電気通信でも「政府と企業の分離」のための制度化が進められました。

 1998年に郵電部を改組し、情報産業部を新たに設立し、主管部門を「審判」に特化させる枠組みを作りました。

 また2001年のWTO加盟により、新規参入の自由化や相互接続などの競争条件を確保するための措置を規定することなどが義務づけられ、それを具体化したのが2001年に制定された「電信条例」でした。

 

●中国電信の業種別分割と新規参入(20002001年)

 競争を活発化させるため、朱鎔基首相らの支持を得て、あらゆる業種を抱える「中国電信」は、2000年に業種別に4社に分割されました。そして、電子工業部が情報産業部に吸収されたことから、「中国聯通」も情報産業部の主管の下に入りました。

 この結果、情報産業部が主管すべき企業は4社になりました。

 固定電話については、相変わらず中国電信の独占が続きました。

 しかし、携帯電話については、中国移動と中国聯通の間で本格的な競争が始まったのです。 情報産業部はこれまでのように1つの企業だけ肩入れするということができなくなりました。

 こうして、情報産業部はこれまでのような直接的に企業に対し影響力を行使することが現実的に難しい状況になっていったのです。

 さらに、情報産業部以外の中央官庁によって、「中国網通」と「中国鉄通」が新規参入し、「プレーヤー」はさらに拡大したのです。

 

●中国電信の分割

 さらなる競争を進めるために、固定電話の独占状況の打破が残された課題となりました。

 2002年に中国電信と中国網通の再編が決定され、固定電話会社が2社になりました。

 1つは、中国電信を南北で2つに分け、南部21省の子会社の資産と中国電信という商標を引き継いだ新しい「中国電信」です。

 もう1つは、北部10省の子会社の資産と中国網通の資産を引き継いだ新しい「中国網通」です。

 

●業種別シェア

 以上のような経緯を経て、現在の6社体制になりました。そのうち主要企業は4社です。

 業務収入のシェアを見ると それまで常にトップだった「中国電信」が第2位に転落し、新たに「中国移動」がトップに躍り出ました。このことだけでも独占打破がかなり進んできたことを示しています。

 この主要4社の業種別シェアを見ると、分裂した固定電話のシェアの3分の2を占めているのが「中国電信」です。携帯電話も3分の2のシェアを「中国移動」が占めています。しかし、第2位の企業も3分の1を占めています。

2002
中国電信
中国網通
中国移動
中国聯通
業務収入(全体)
33
16
38
12
固定電話
62
36

 

 

携帯電話

 

 

67
33



こうした数字からも、中国の電気通信は、6社体制になって、競争がかなり進んできたことがおわかりいただけると思います。

 

●「携帯電話 vs.PHS」

先ほどの業務別シェアで分かるように、電気通信はすべての企業があらゆる業種に参入できるという完全な競争状況にはまだありません。これは、情報産業部の業種ライセンスの認可権限がいまだに強いことを表しています。

 しかし、実際には移動体通信市場で主要4社は直接対決しています。

 携帯電話業務を実施する中国移動と中国聯通の2社、そしてPHS業務を実施する中国電信と中国網通の2社、これら4社が広い意味での移動体通信市場において利用者獲得競争を繰り広げています。

 これに対し、主管部門である情報産業部は全く統制できない状況になっています。

 この状況について詳しく説明したいと思います。

 

●固定電話会社のPHS参入

 加入者の伸びが年々低減し、通話料の安いIP電話の普及により業務収入が低下していることから、固定電話業務の成長に限界が見え始めています。

 そのため、中国電信と中国網通は、現在中国移動と中国聯通にのみ与えられている成長業種である携帯電話業務のライセンスを手に入れたいのですが、情報産業部は新規参入を認めていません。

 情報産業部が認可しない理由には、携帯電話市場は中国移動と中国聯通の利用者でほぼ一巡して、今後の大きな利用者増加は見込めないため、新規参入は過当競争を引き起こすという判断があるからです。

 そのため、中国電信と中国網通が目をつけたのがPHSだったのです。

 PHSは、固定電話の交換ネットワークを利用する地域限定型の移動体通信システムです。しかし、情報産業部はPHSを「固定電話の延長」としており、移動体通信とは認めていません。

 そのため、携帯電話業務のライセンスのない中国電信と中国網通でも参入が可能なわけです。

 情報産業部は、PHSを第3世代携帯電話へのつなぎと位置づけ、 1999年から中国電信と中国網通の参入を認めました。

 しかし、認められたのは中小都市だけで、大都市での事業展開は禁止しました。

 他方、中国電信と中国網通は北京市や上海市、広東省といった経済発展の進んだ大都市での事業展開を望み、申請をしてきましたが、情報産業部は認めませんでした。

 そのため、中国電信は2002年に入り、情報産業部の許可を得ないまま、北京市の郊外地区に大量の資金を投入しPHS設備を設置してきました。そうすることで、情報産業部から強引に事業許可を引き出し、さらに北京市中心部での事業も認めさせ、2003年5月からサービスを開始したのです。

 情報産業部も最後には「企業の経営に政府は口を出さない」として、許可せざるを得なかったのです。

 こうして4月に広東省広州市でも事業が許可され、PHSは事実上完全解禁となったのです。

 

●PHSの人気の理由

 PHSの加入者数は、2002年末では1000万程度に過ぎませんでした。しかし、北京市や広東省広州市でサービスを開始し、2003年5月末には1500万人に増え、2003年末までの加入者数は上方修正され2400万に達する見通しです。これは携帯電話の加入者の1割に相当します。

 これだけの急激な利用者増加の背景には、通話料金の安さがあります。

 規定により、携帯電話は、電話を「かける方」と「受ける方」の両方が通話料金を払う「双方向課金システム」です。しかし、PHSは「かける方」だけ料金を払えばいい「単方向課金システム」です。

 しかもPHSの料金は固定電話の料金と同じであるため、携帯電話よりもはるかに安い料金になっています。

 

課金
システム
基本料金
1分あたりの
通話料金
PHS
単方向
25元
0.22元*3分
0.11元
携帯電話
双方向
50元
0.4 元

(注)PHSの通話料金は最初の3分が0.22元で、その後は1分あたり0.11元ということ

 そのため、通話料金の負担が軽くすむPHSへの加入者が急激に増えています。

 

●企業活動と政府規制の限界

 この携帯電話とPHSの争いから、生き残りをかける企業の活動に対し、政府の規制、統制が弱まってきていることが分かります。

 1つは、新規参入に対する許認可権です

 電信条例や情報産業部の通達などによりPHSの大都市での事業展開は禁止されているにもかかわらず、中国電信と中国網通は無断で大都市周辺部で設備建設を行い既成事実を作ることで、情報産業部は経営許可を迫られ、認めざるを得なかったのです。

 そこには、あいまいな概念である中小都市での事業を認めてしまったという戦術のミスがありますが、それは地方における管理能力の低さでもあります。

 第2に、価格設定権です。

 政府の規定により、携帯電話については、双方向課金です。しかし、単方向課金で料金の安いPHSの普及に危機感を抱いた中国移動と中国聯通は、規定の隙間をぬって、一定料金を払うと一定時間は現行料金よりもかなり安い料金で利用できるサービスを行うことで、事実上「単方向課金」を実施しています。

 第3に、電気通信の発展戦略の違いです。

 情報産業部は、次世代携帯電話の発展と、ブロードバンドの発展による固定電話業務の回復の見通しをもっています。そのため、PHSの普及に消極的なのですが、企業は目先の経営悪化をいかに好転させるかに戦略の重点を置いています。ここでは、政府の戦略は企業の勢いを止めることはできないのです。

 

●電気通信の今後の発展

最後に電気通信の今後の発展について触れておきたいと思います。

 ここ数年のうちに、情報産業部は、主要4社に対し、固定電話、携帯電話、データ通信のすべての業務ライセンスを与えると見られています。

 さらに、WTO加盟による通信市場の開放プロセスが完了する2008年ごろまでには外資系企業が積極的に参入してくると思われます。その結果、参入企業がさらに拡大し、競争が激しくなることになります。その主戦場は第3世代携帯電話とブロードバンドの2つに絞られると思われます。

 第3世代携帯電話については、「cdma2000」と「W-CDMA」の2つの世界標準がありますが、中国だけはさらに独自の標準として「TD-SCDMA」の開発を進めています。主要4社は2つの世界標準のうちのどちらかを採用する意向を示しています。しかし、情報産業部は中国独自の標準開発に国の威信をかけており、第3世代携帯電話のライセンス認可は、TD-SCDMAの開発結果待ちの状況にあるという政治的な要素が絡んでおり、政府と企業の間に大きな認識の違いが見られます。

 ブロードバンドについては、中国電信と中国網通では、利用者が急激に増え、また業務収入におけるシェアも高まっており、回線やADSL局用設備を設置するための投資をすでに積極的に行っています。

 また携帯電話による業務収入の半分近くがショートメールの送受信によるものであることから、モバイル・インターネットの潜在的な利用者は多く、中国移動と中国聯通のブロードバンドへの期待は大きいです。

 政府主管部門である情報産業部の役割は、これまで個々の企業に対する統制力を通じて発揮されてきました。それは独占・寡占状況が存在している場合は有効でしたが、競争が進む中で、企業を介さないマクロ管理の方法を見つけ出さなければ、その存続の意義が問われることになるでしょう。現在、政府内で第三者を集結した電気通信の主管部門の設立が議論されているのも、「情報産業部不要論」の一端と言えるでしょう。

 

 以上で、報告を終わりにします。