第2回 中国共産党が「共産党」でなくなる日(2002年6月6日)

 

●江沢民の中央党校講話の意義

5月31日、江沢民総書記が中央党校で講話をおこなった(以下「五三一講話」)。私はこの講話を待っていた。1997年5月、やはり江沢民は中央党校で講話をおこなった。その講話は、その年9月に開かれた中国共産党にとって5年に1度の重要な会議である第15回党大会における政治報告を先取りしたものだったからだ。今年は、第16回党大会が開かれる年だ。中央党校での講話に江沢民はどんなメッセージを載せてくれたのだろうか。

しかし、とんでもないことを言うのではないかという大きな期待をしていたわけではない。昨年7月1日の中国共産党成立80周年記念式典で江沢民はすでに、私有企業家の中国共産党への入党を認めるという画期的な方針を明らかにしていたからだ。ここでの講話(以下「七一講話」)がすでに第16回党大会の政治報告を先取りしているのではないかとさえ感じられたほどだった。実際に五三一講話は、私の予想通り新しい内容が含まれたものではなかった。七一講話の内容を超えるものではなかった。

 

●五三一講話のポイント

連載の最初なので、あまり堅い話はすまいと思っていたが、これから数回にわたり第16回党大会に向かって、中国政治がどのように動いているのかを説明していく上での第1歩として、以下に五三一講話を少し理屈っぽく説明をすることをお許しいただきたい。

五三一講話のポイントを挙げると、1つは「共産党が時代と共に進んでいくことがカギ」であり、その結果「マルクス主義理論の発展は新たな境界を開拓した」とある点だ。マルクス主義理論は時代と共に変化することを認めている。

2つめは、中国は「西側政治制度モデルを決して模倣しない」とした点だ。複数政党制などの政治制度の変更は行わない、マルクス主義理論が変化しても、中国共産党による一党支配体制を堅持することを表明している。

3つめは、「わが党は一貫して中国の(肉体)労働者階級の前衛隊である、と同時に中国人民と中華民族の前衛隊である」とした点だ。共産党の共産党たるゆえんは、労働者階級の利益を代表する点にあり、それ故に共産党は階級政党なのである。しかし、「中国人民と中華民族の前衛隊」と言ってしまった瞬間、中国共産党は共産党ではなくなってしまったと言ったに等しい。中国共産党は中国人民と中華民族という一部の階級ではなく、幅広い階級の利益を代表するというように党の性格を180度転換させることを宣言したのである。

4つめは、「党が政権を握った後の最大の危険は大衆から離れることである」とした点だ。これはまさに現在の中国共産党が置かれた立場を表現しており、人心を得ていないという危機感を露わにしたものである。それ故に、中国共産党は党の性格を転換することを余儀なくされたのである。

中国共産党は、一党支配という政治制度を維持しながら、「階級政党」から「国民政党」への脱皮を明確にしたと言っていいであろう。これは画期的な方針転換といえる。第16回党大会の政治報告に盛り込むにふさわしい江沢民独自の新しい理論といえる。中国共産党が大きな変化の時期を迎えていることは理解してもらえるだろう。

 

●「七一講話」を超えられなかった「五三一講話」

しかし、ここで私が気になったのは、上記4項目は五三一講話で初めて提示されたものなのだろうか。2と3については、これまでにも再三出てきているフレーズであり、決して新しいものではない。1については、人民日報のサイト上で検索をかけたところ、これまでにも出てきているフレーズであった。私が一番気がかりだったのは、3番目だ。その内容から4つの中で最も重要な項目である。これについては、七一講話で初めて出てきたフレーズであることが分かった。ということから、七一講話は事実上第16回党大会の政治報告を先取りしたものであることがあらためて確認されたのである。

ということになると、五三一講話の意義をあらためて考えてみなければならない。そのカギは五三一講話をおこなったのが省部級幹部進修班卒業式の場であったという点だ。省部級幹部というのは、北京市や四川省といった省・自治区・直轄市の首長や党委員会書記など、また財政部とか国家発展計画委員会といった中央省庁(部・委員会)の部長や主任などのトップクラスの幹部である。彼らを前にして、外遊中の李瑞環を除く、李鵬、朱鎔基、胡錦涛、尉健行、李嵐清という中国共産党の最高指導者の面々が勢揃いした中でおこなわれた講話である。第16回党大会を目前に控え(今年の秋開催予定)地方幹部や中央省庁の幹部がこの内容を自分の機関に持ち帰って、そこで幹部たちに学習させることで思想の統一を図らせるという点が最も意義のあることである。また、この講話に対し、7月末から予定されている恒例の北戴河会議で、彼らからコメントをもらいたいという意図があるかもしれない。

次回以降、七一講話がいかに重要な講話だったか、その背景にはいったい何があったのか、またその出発点である「三つの代表」思想とは何か、説明していきたい。