16回 胡錦濤もやっぱり権力者だった(2003年5月17日)


 中国と言えば日本では
SARS一色だが、中国当局はSARSの国内経済への影響を懸念し、SARS対策と経済建設の「2本足路線」にシフトしてきている。メーデー連休の明けた5月7日の国務院常務会議で、SARSの経済への影響について研究が行われ、「SARS対策をしっかりつかみ、経済建設もしっかりつかむ」という政策を打ち出した。とはいえ、国内がSARSで大混乱に陥っている状況に変わりはない。

 SARSは突発的な事件であり、それ自体が中国の政治動向、政治構造を大きく変えるような出来事ではない。しかし、昨年11月の第16回党大会以降の政治動向を見ると、胡錦濤の動きは当初予測していたよりも早く、積極的だ。そのことは何を意味するのだろうか。


胡錦濤の動向

16回党大会で総書記に就任してからの胡錦濤の目立った動きを振り返ってみよう。

1214日に開かれた「憲法公布・施行20周年記念大会」で重要講話を行い、「全国各民族人民、全ての国家機関、武装勢力、各政党、各社会団体、各企業事業組織は、憲法を根本的な活動基準とし、憲法の尊厳を維持し、憲法の施行を保証する職責を負わなければならない」として憲法重視の姿勢を打ち出した。

 ★200212月5、6日には河北省西柏坡を訪れた。西柏坡は、建国前の1948年3月に国民党との内戦に勝利し、統一国家樹立に向けて毛沢東が新たな段階の基本政策を提起した会議が開かれた共産党にとって歴史的に重要な地である。党の指導者がこのような共産党にとって歴史的に重要な場所に足を運ぶことは党の伝統を守る決意を党内外に示す象徴的な行動でよくあることである。この後、2003年1月9日から曾慶紅がやはり革命の地である延安と井崗山を訪れたのもその理由は同じことである。

この西柏坡で胡錦濤が強調したことは、毛沢東がこの会議で提起した「両個務必(2つの絶対)」、すなわち同志たちに@謙虚で、慎重な、おごらず、あせらない作風を保持させなければならない、A刻苦奮闘の作風を保持させなければならない、であった。胡錦濤は「2つの絶対」を掲げることで、自らの政務への取り組みの姿勢を党内外に示したのである。

2003年1月に、総書記就任後最初の地方視察で内モンゴル自治区を訪れた。内陸地区や農村など経済発展の遅れた地域を重視する弱者救済政策を展開している。温家宝総理も地方視察では、200211月に貴州省、2003年1月に山西省と遼寧省といった内陸地区を視察した。

弱者救済の傾向は具体的な政策にも表れている。200212月9、10日の経済工作会議は2003年の経済方針として内需拡大のための積極財政の実施を挙げたが、投入の重点として農村や西部地区が含まれた。

また同じ20021212日に開かれた中央政治局常務委員会会議では貧困問題が議題とされ、胡錦濤による「生活困難な人々を助け、実際の問題を解決することが、党と国家の当然負うべき重要な責務である」との認識が示された。

温家宝総理も2003年3月の就任記者会見で、自らが農村出身であることに言及し、また自身の公約である四大改革の最初に農村改革を挙げ(他の3つの改革は企業、金融、政府機構)、胡錦濤支持を示した。

 ★2003年3月28日の中央政治局会議で、工作に対し指導意義がある内容、大衆が関心を持つ内容を多く報道するという「実際に近づき、大衆に近づき、生活に近づく」という報道の原則を提示し、報道改革に乗り出している。中央政治局や中央政治局常務委員会といったハイレベルの会議の内容が報道されるようになった。また、2月末に起きた北京大学と清華大学での食堂爆破事件や炭鉱事故といった社会的関心の高い事件も報道されるようになった。


●隠された江沢民批判を理解しよう

 第16回党大会で江沢民が中央軍事委員会主席を留任し、また腹心を党中央中枢に多数送り込んだ状況から、江沢民から胡錦濤への権力移譲は限定的であり、胡錦濤が独自の政策を打ち出すには、今しばらく時間がかかるだろうというのが私の見方だった。しかし、胡錦濤の動向を振りかえてみると、なかなか積極的に活動をしている。なぜ、そのように見えるかといえば、上に挙げた主な動きが江沢民時代の政策をことごとく否定しているように思われているからだ。

 憲法重視の姿勢については、江沢民時代も「社会主義法制建設」とか「依法治国(法による国家統治)」を掲げてきた。しかし、賈慶林や曾慶紅の人事のような恣意的な人事が行われ、また党や政府の幹部の汚職がなくならない、むしろ悪化している状況は、法治よりも人治が優先されてきた結果であった。そのため、胡錦濤は最高法規である憲法重視を掲げることで、江沢民時代との差別化を図り、より高度な次元で法治国家建設を目指す決意を示した。

 西柏坡視察で、胡錦濤が「2つの絶対」を掲げたことは、江沢民政権が、謙虚でなく、慎重でなく、おごった、せっかちな政治運営を行っていたこと、そして刻苦奮闘していなかったことを批判しているように思える。また、数ある革命の地の中で西柏坡を選んだのか。胡錦濤時代が江沢民時代とは異なる新たな段階に突入したこと、大げさに言えば江沢民時代との決別の意思を党内に伝える意味もあったのではないだろうか。

弱者救済については、江沢民時代も第9次五カ年計画(19962000年)で中西部開発に重点を置き、また1999年には西部大開発を提起し、沿海部と内陸部の経済格差の縮小を図ろうと考えた。しかし、実際には沿岸部と内陸部、都市と農村の経済格差は縮小していない。むしろ、1990年代の上海の急成長に代表されるように、先に富んだ者・地域が貧しい者・地域の発展を導くというトウ小平が唱えたいわゆる「先富論」を継承してきたのである。そして第16回党大会では、国有企業に代わり、現在の経済発展を支えている民営企業のオーナーを「社会主義事業の建設者」と讃え、共産党への入党をも認めた。国有企業改革も、大型国有企業を強力な企業集団に再編し、国際競争力を高めることに重点が置かれた。これら一連の政策は強者優遇だったと言える。胡錦濤の弱者救済は江沢民時代の強者優遇の裏返しである。


●前任者を否定することで権威確立にのりだした胡錦濤

なぜ胡錦濤は江沢民批判に打って出たのか。それは権力者の性である。つまり、限定的な権力移譲だったとは言え、いったん最高指導者の地位である総書記に就いた胡錦濤が、なんとか江沢民の影響力を排除して、真の最高指導者になりたいと思うのはごく自然のことだった。

それには「権威」が必要である。つまり「胡錦濤にだったら最高指導者を任せてもいい」と回りに思わせるようなメンタルな支持である。胡錦濤は「エリート中のエリート」であり、総書記、国家主席という地位を得ているが、最高指導者としての権威が欠如している。前任者江沢民もそうだった。1989年6月にいわゆる「六四天安門事件」の影響で一地方である上海市党委員会書記から突然総書記に就任するという当時「ヘリコプター人事」であったため、権威に欠けており、その後の13年間はまさに権威確立に明け暮れたのである。それではどうしたら「権威」を手に入れることができるのか。簡単なことで、実績を残すしかない。

一般的に言えることは、新任者が権威を確立する早道は前任者の政策を否定することである。すでに挙げた胡錦濤の動きは、中国が抱える問題への対応策ではあるが、江沢民を批判することで自らの権威を確立しようとしていると解釈できるのである。


SARSへの初期対応の遅れの原因

 4月以降中国におけるSARS問題への対応がクローズアップされている。これについての私なりの見方を整理しておきたい。

 まず、SARS問題は、中国にとって、そして胡錦濤にとって突発的な事件にすぎないことを確認しておこう。

 次に、なぜ初期対応がまずかったか。これは総じて政治システムの問題である。1つは地方で起こった問題が中央にスムーズに報告されないシステムである。広東省の衛生部門(衛生庁)は早い段階でSARS問題を把握していた。しかし、それを直接中央の衛生部に伝えるシステムになっておらず、広東省党委員会に報告が上げられたようだ。たぶんこれを受けてだろう、2月中に広東省党委員会の幹部が数回広東省内の医療施設を視察している。しかし、この結果について広東省党委員会から党中央への報告が行われてなかった。そのため、党中央は4月に入るまでSARS問題の深刻さについて認識できなかった。

政治システムのもう1つの問題は、縦割りシステムである。これは、軍の医療情報を衛生部が掌握できないシステムになっていることに見られる。

もう1つの問題は、地方指導者の「政績」(政治的業績)主義である。つまり、自分の地方で問題が起こった時、それが発覚すると自分の出世にマイナスになるので、隠蔽しておきたいのである。そして、中国の国土の広さの影響で、北京にとって広東での出来事は、「遠いところの話」なので、関心が薄かったのである。

●北京市長解任ショック

 こうした理由で、党中央、国務院は現状把握が遅れ、初期対応が遅くなってしまったのだろう。しかし、このことは現在の政治システムでは、十分あり得る話で、ある意味やむを得ない。むしろ、注目したいのは、いったん現状を把握してからの党中央、国務院の対応は素早かったということだ。

 党中央が状況動くきっかけになったのは、4月6日のILO職員のSARSによる死亡だろう。この「外圧」を受けて、情報収集に動き出した。4月14日には胡錦濤が広東省を視察した。最高指導者がまだ被害が拡大していた時期にSARS発生源と見られる地に乗り込んでいったことは、SARS被害への対応に動き出した党中央の並々ならぬ決意を、当地の幹部、住民だけではなく、他の地方の幹部たちにも感じさせるに十分だった。

 そして、4月20日の張文康衛生部長と孟学農北京市長の事実上の解任が発表された。この人事は、胡錦濤が広東省視察から戻ってきた直後の4月17日に開かれた中央政治局常務委員会で決定した。張文康衛生部長の解任は4月3日に内外記者に対し安全宣言をやってしまったことにも見られるように、全国のSARSの被害状況を十分把握できず、誤った認識を発表してしまったことに対する引責である。この時、衛生部長を呉儀副総理が兼務し、事実上のトップである衛生部党グループ書記で、衛生部副部長に高強が就くことも決定された。高強は国務院副秘書長で、それ以前は財政部で働いていたことから、衛生部とは縁もゆかりもない人物だ。つまり、党中央は衛生部の現体制ではこの危機を乗り越えることはできないと判断して、呉儀と高強という衛生部外の人物を要職に就け、ショック療法で危機を乗り切ろうと考えたのだ。

 孟学農北京市長の解任については、一義的には北京市の危機的状況を把握できず、対応が遅れたことへの引責である。そして、もう1つの意味は中央がSARS対策を本格化させるにあたり、各地方の指導者に対し「もしうまく対処しなければ、北京市長のように解任されるぞ」という見せしめであった。各地方の指導者は、SARS患者の情報については、隠すことに専念したが、北京市長解任以後は公開した方がいいらしいと判断して、公開するようになったのである。これは先ほど問題にした地方指導者の「政積」主義によるもので、地方指導者の行動パターンには何の変化もないのである。どうすることが自分の出世、保身のために有利か、その触覚は極めて敏感である。

 それにしても、孟学農北京市長の解任は心情的には気の毒だ。初期対応の遅れの責任は広東省にあって、広東省長が解任されないのは正直解せない。そこには政治的背景があるのかもしれないし、また北京という首都の重要性が反映されているのかもしれない。江沢民派の張文康解任の交換条件で胡錦濤派の孟学農が解任されたという見方については、可能性はあるが事実かどうかは分からない。さて、この時地方の党委員会書記が解任されることはまずあり得ない。なぜならば、SARS拡大の不手際は行政の責任なので党委員会の管轄範囲ではないからだ。特に地方では党委員会書記が行政の実権を握っているのだが、行政と党務の線引きという建前によって、書記はその身分が守られているのである。香港紙などではSARS拡大の張本人と叩かれている張徳江広東省党委書記はまさに命拾いだ。

 政治システムの問題だけでなく、中国の衛生管理状況自体極めて遅れていることが今回多くの医療関係者によって再確認された。SARS拡大は怒るべき起きているのである。そのため、そう簡単に収束するわけではなく、まだ被害者数が目立って減らないのはしようがないことである。しかし、4月16日以降、胡錦濤と温家宝、そして呉儀を中心にと党中央、国務院が迅速に対応しており、また「北京市長解任ショック」で地方指導者が本気で対策に乗り出した。国際支援も進められており、時間が立てば収束に向かうだろう。その点では楽観視している。


SARS関連の情報公開も旧態依然

SARSに関する情報公開が進んでいるのは伝えられている通りだ。4月16日以降衛生部が毎日被害状況を発表するようになった。またSARSに関連する報道は増えた。いまや中国のメディアはSARS一色である。中央指導者のSARS関連活動は逐一伝えられる。また、関連の医療活動、コミュニティー活動も数多く報道されている

その中で私自身驚いたことは、視察先での胡錦濤や温家宝の発言がナマ声で伝えられている点だ。これまではよほどのことがなければ最高指導者のナマ声がメディアに流れることはなかった。通常、映像だけ流れて発言内容はアナウンサーが読み上げる。ナマ声の効果は絶大だ。人々の指導者への親近感、信頼感を高め、イメージアップにつながる。

胡錦濤が情報改革を掲げていることはすでに述べたが、情報改革と関連してSARS関連の情報公開が進んでいると評価するのは早計である。SARSは突発的な事件であって、被害状況の公開は実際にはWHOや諸外国からの「外圧」によるものである。そして、現在増えているSARS関連報道のほとんどは、いかに党や政府がSARS対策に取り組んでいるかということをアピールするための「宣伝」にすぎない。

SARSに関する情報公開で最も必要なことは、中国政府が発表する被害状況を公開するだけではなく、WHOが発表する被害状況を中国国内に公開することである。4月3日の衛生部の安全宣言が誤認だと分かったのはWHOの判断があったからである。つまり、中国政府の発表の真偽の基準は現在のところWHOの情報にある。だからこそ、WHO情報の公開は必要なのである。残念ながら中国当局は、都合のいい、つまり中国政府の取り組みを評価するWHOの見解だけを公開している。例えば、北京市の状況に対し、北京市政府は5月10日「ピークを過ぎた」としたが、WHOは同日「感染が沈静化したと結論づけるには時期尚早」とした。この評価の違いこそが大事なのである。各地で消毒液が散布されている映像や、SARS治療中に亡くなった医師や看護婦の遺族をたたえる讃える映像を必要以上に出す必要はない。これでは旧態依然の報道である。報道改革に本質的な変化はまだ見られない。


●焦る胡錦濤、根強い江沢民支持

 確かに胡錦濤は貧困対策、憲法擁護、報道改革などの方針を提起してきた。これらは人々の支持を得ている。またSARSへの対応についても人々の支持を得ているように思われる。胡錦濤自身もその支持を実感しているからこそ、江沢民批判を展開できるのである。しかし、人々の支持は胡錦濤に対する「絶対的な支持」ではなく、江沢民と比べた「相対的な支持」にすぎない。SARSについても4月16日までは党中央は何一つ対策をとってなかった。しかし、その責任を衛生部長と北京市長に負わせたからこそ、今の胡錦濤はどんな対策をとってもプラスに評価される。

胡錦濤にとって今後大切なことは、掲げた方針を実行に移し、本当に江沢民を批判できるような成果を収めることである。全国人民代表大会が3月に終わったばかりで、さらにSARS騒ぎのため、胡錦濤の真価はこれから問われる。

胡錦濤が勘違いをして、人々の支持だけをよりどころに政権運営を行っていくとすれば、大変危険だ。なぜならばこれは小泉首相のやり方と何ら変わりがないからだ。世論は熱しやすく冷めやすい、実に浮気なものだ。成果が出なければ、人々はすぐに離れていく。まして、中国に世論などあるのかと言われれば疑わしく、アテにならない。それを分かっているからこそ、胡錦濤は江沢民批判を展開することで、焦ったように実績作りに邁進しているのかもしれない。

 その上でカベになるのは、実は江沢民だろう。中国での一連のSARS騒動を見て、江沢民の影響力はやっぱり健在だなあ、そして軍隊というのは本当に特殊な組織だなあと再確認している。

 軍の病院がSARS患者に関するデータを公表しなかったり、WHOの視察を拒むことは、ある意味正常である。軍隊が秘密主義であることはごく普通のことであり、そうでなければ軍隊としての役割を果たすことはできない。たとえSARSという人命に関わる大事件であっても、軍が被害者数を公表しないのは当然であり、本来責められることではない。その軍隊が、衛生部に多少でも協力するようになり、4月28日以降全軍挙げて軍医務人員を選抜し、北京のSARS対策を支援することになったのも、軍のトップである中央軍事委主席の江沢民の指示があったからである。それぐらい軍は江沢民を信頼しているということだ。これこそまさに「権威」なのである。逆に胡錦濤は信頼されていないということでもある。胡錦濤に批判されようとも、中央軍事委主席である限り、つまり軍隊の支持がある限り、江沢民の影響力は保持される。