第15回 イラク戦争に対する中国の対応(2003年4月14日)


●胡錦濤はなぜ出てこない

今回のイラクでの戦争に対し、中国は3月20日の開戦以降、(1)関係国の軍事行動の即時停止、(2)国連の枠組み内での政治解決という基本原則を繰り返しているだけであり、それ以上の目新しい見解は示していない。

2001年9月のいわゆる「9・11事件」は、中国にとって「対岸の火事」だったが、中国からの分離独立を謀る一部のウイグル族の弾圧が絡んでいたため、一部直接的な影響があった。それに比べ、今回のイラクの問題は、中国にとって「9・11」事件以上に直接的な影響はない、遠い国の話だと言える。

開戦前までは、国連安保理でのイラク非難の決議採択をめぐり外交的な駆け引きが行われていたために、中国も、ロシア、イギリス、フランスと共に、決議採択反対に積極的だった。しかし、いったん開戦してしまえば、中国は直接関わりたくないので、遠くでその戦争の成り行きを見守ってきた。それが、基本原則を繰り返すだけという対応に表れていた。そして、胡錦濤自らも各国首脳と連絡を取り合う必要もなかった。露、英、仏にしても、開戦前には国連安保理での採決の票読みをしなければならなかったので、中国は重要な1票だったが、開戦後は中国は彼らにとって役に立つ国ではないので、接触していないのではないか。そのため、中国との首脳接触の必要性がないので、胡錦濤は開戦後外交の表舞台には出てきていない。ただ、外交部門が関係国と関係をつないでおけばいいと考えているのではないだろうか。李肇星が、開戦後もイギリス外相(3月31日)、ロシア外相(3月23日、4月8日)と接触していることがそのことを表している。

この時、江沢民の存在も気になるが、3月18日に終了した全人代で国家元首である国家主席の地位を胡錦濤に譲り渡したことで、外交決定権も譲り渡したよう思われる。共産党どうしのつきあいからマイン・ベトナム共産党書記長が中国共産党の新指導者胡錦濤にあいさつに北京に来た(4月8日)際、江沢民は表敬目的で会見したり、フランスのジスカールデスタン元大統領と会った(4月3日)にすぎない。フランスの元大統領とはいえ、イラク戦争に関する重要な話し合いが行われたとは思われない。

●中国の関心

イラク戦争で中国が注視しているのは、(1)米国中心の秩序が強化される事への不満、(2)イラク後の北朝鮮への不安、(3)イラクでの石油権益、戦後復興への関与、の3つだろう。しかし、これらに順番をつけるのは難しく、全部大事である。

米中両国が直接対峙するわけではないイラク戦争で、中国は対米関係を必要以上に悪化させたくないと考えている。そのため、露、英、仏の三カ国が米国を直接的にけん制してくれるのなら、中国当局は積極的に反米姿勢を押し出す必要はない。確かに、中国は開戦後、『人民日報』などメディアに署名論文を通じて直接的な米国批判を行っている。しかし、中国政府自身がこれまで直接的に米国を非難したことはない。

4月に入ってからは、「中国は開戦後どの国よりも早く人道援助を行った」と宣伝をして、その存在感、戦後復興への関心を示しているように思われる。

イラク戦争が終盤に差し掛かってから、李肇星が韓国外相(4月10日)やパウエル米国国務長官(4月11日)と連絡を取り合っている。それは、イラク問題への対応と明らかに異なっている。その背景には、米国はイラクの後は北朝鮮だと見ていると中国が危機感を持っているからだ。しかし米国は今はイラクにかかりっきりであり、北朝鮮どころではないことを中国はよく理解している。米国の眼が完全に北朝鮮に向くまでにはまだ時間がある。中国は、何とか米朝直接交渉に持ち込みたい。そのためには、中国は積極的に水面下で動いているのではないかと思われる。