104回 20119月の『人民日報』(201238日)

 

20110902】習近平がまた歴史学習を提唱

 習近平が中央党校2011年秋季学期開校式に出席し、講話を行った。記事には「指導幹部は歴史を学習しなければならない」というリードが掲げられており、習近平は歴史学習の重要性を語った。

 

習近平にとって重要な活動である中央党校の春と夏の開校式の講話では、いつも歴史学習の重要性を語るのだが、これがどういう意味を持つのか、いつも考えてしまう。共産党の歴史の重要性を語ることで、共産党への忠誠を表明し、広く支持を得ようとしているのか。「歴史には、国家、社会、民族、個人の成功と失敗、振興と衰退、安寧と危険、正義と邪悪、栄光と屈辱、義と利、高潔と卑しさなどに及ぶ多くの経験と教訓が含まれている」と語るように、本当に共産党の歴史を学習することが重要だと思っているのか。それとも、歴史を学習することはあらゆる共産党員が肯定することなので、歴史の重要性を語っておけば、自分が傷つかないからなのか。

 

鄭剣「決して過去の功績簿にあぐらをかいてはいけない」と題する文章が掲載されている。題名で飛びついたのだが、内容は以下の通り。

「過去の成績や功績は、前進し続ける上での悩みや束縛に常になりやすい。成功すると怠慢になり、功績によっておごり高ぶり、これまでの成果がむだになってしまい、失敗して滅亡に向かう、といったことはよく見かけることで珍しくもない」

なぜあぐらをかいてはいけないのか、3点挙げる。

(1)「人民の利益を謀ることがわれわれ(党)の“天職”だから」=絶えず新たな要求が提出され、新たな情況が出現するので、常に変化に対応しなければならない

(2)「遠大な奮闘目標だから」=中華民族の偉大な復興は依然任務は重く、道はまだまだ遠いので、立ち止まれない

(3)「多くの突出した矛盾と問題に直面しているから」=科学的発展を制約する体制メカニズム障害を避けることができないので、常に対応しなければならない

 

だから何なのだろう。どうするのか。この文章ではよく分からない。しかし、なんとなくその答えが、「だから『走基層・転作風・改文風』(末端に行き、作風を転換させ、文風を改める)キャンペーン」ということのように思える。この文章が言いたいことは、「変化についていけ」ということだ。

「末端での変化を党幹部にキチンと理解させるために、中央はマスコミを末端に行かせ、彼らに末端の現状を紹介する記事を書かせ、広く末端の変化を紹介させる。党幹部には、末端での変化、問題点を読み取らせ、その解決方法を考えさせる、というのがこのキャンペーンの意図でもある」。とある中国人がキャンペーンをこう解説してくれた。その解説に沿えば、鄭の文章はこのキャンペーンと関連するものだ。このキャンペーンに対する私の見方とはちょっと違うのだが、この解釈も一理あり、参考になる。

 

20110904】温家宝が中央官庁を視察

温家宝が国土資源部を視察した。これを伝えた記事のリードは「資源の持続可能な利用で、経済社会の持続可能な発展を促進しよう」というもの。

 

中央指導者が中央官庁を視察するケースは極めてまれだ。最近、いくつかの炭鉱事故が続けて発生しているので、監督強化の指示を直接伝えるためだったのだろうか。そうだとすれば、温家宝が多発する炭鉱事故を極めて重視したということだろう。

 

20110905-1】格差が深刻でも「先富論」を支持

 中国社会科学院主催の「共同富裕と中国の特色を持つ社会主義の道理論シンポジウム」が開かれ、その議論が紹介されている。ケ小平が提唱した「共同富裕」がテーマになっていることと、重慶で開催されたことで注目した。

 ※共同富裕に対する学者たちの認識

―先に豊かになる者がいて、後からみんなが豊かになるということで、みんなが一緒にはなれない

―みんなが豊かになるには差別的な点もあるべきだ

―効率主義、発展至上主義に反対し、公平至上主義、平均主義にも反対しなければならない

―科学的発展観を貫徹し、経済建設を中心とすることを堅持すると同時に、積極的に社会管理を強化、創新し、民生を保障、改善することが共同富裕実現の条件

※共同富裕はなぜ重要か

―「パイ」を大きくし、生産力を解放、発展させることを含むだけでなく、「パイ」をうまく分配し、収入分配問題をうまく解決することも含まれる。この2つの任務を立派に完成させることは、党と政権が永遠に変わることになく、党の長期執政を保障することに対し、重要な意義を有する。

※どうやって共同富裕を実現するか

(1)公有制を主とし、さまざまな所有制経済の共同発展という基本的な経済制度を堅持、完備する

(2)国有企業改革を深化させ、国有資産の管理と運用を立派に行う

(3)国民収入の第1段階での分配と、再分配を改善する

(4)収入分配秩序を制度化し、先富論の長期的な効果のあるメカニズムを構築する

(5)都市と農村の経済社会発展の一体化の新局面の形成を加速させる

 

現在の経済格差問題をどう認識し、どう解決するかを議論するシンポジウムだったようだ。私は、経済格差の元凶がケ小平の「先富論」だと思うのだが、参加した学者が先富論を容認していることを伝えていることがおもしろい。また「パイ」論争の片方の当事者である重慶で開催されたわけだが、薄煕来が重視する「パイ」の分配と、ライバル汪洋が重視する「パイ」の拡張の双方が重要との見解を伝えた点もおもしろい。

経済格差問題が一党支配の存続を危ぶむ深刻な問題との認識が示されているが、解決のために発展と分配のどちらを重視するかということについての論争が続いていることを示している。しかし、双方大事というからには、そうした論争自体に疑問を呈しているということもいえる。

なお、共同富裕を実現する方法については新鮮味がない。中央の方針の追認だ。

 

20110905-2】国際シンポジウム開催の意義

 上海の新聞『東方早報』に、83031日に国家海洋局海洋発展研究所主催の「南シナ海協力と発展国際シンポジウム(研討会)」が開催された記事が掲載されている。新華社の報道の抜粋だ。これは中国の政府機関主催の南シナ海問題に関する初の国際シンポジウムだという。シンポジウムには、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナム、米国、イギリス、カナダ、ドイツ、台湾から専門家らが参加した。

記事は「南シナ海問題で、国際世論の不利な局面打開するため、中国はようやく学術『公共関連』活動を開始した」とその意義を伝えた。南シナ海問題では、国際的に中国が不利な情勢にあるという認識が示されていることがおもしろい。

記事は、ベトナムが200911月と20114月に開いた南シナ海問題関連の国際シンポを、「南シナ海問題を『国際化』させ、ベトナムに南シナ海の『主権』があることの法的根拠を模索しようと試みた」と評した。そして、中国の専門家の「中国は適時南シナ海問題に関するシンポジウムを開催し、国際世論の支持を獲得すべきだ」との声を掲載している。

 

中国で開催される国際シンポジウムの意義はさまざまだが、このシンポジウムについては、政策に直結し、国際世論を自国に有利に導くために開催されていることが明らかにされており、中国の政策過程におけるシンポジウムの意義を考える上で非常に興味深い。

 

20110906】第18回党大会に向けた人事工作が活発化

 習近平が世界銀行総裁と会見し、中国のマクロ経済運営と国際金融情勢について発言した。

 

話した内容は目新しいものではなく、中国当局の基本的な考え方と変わらない。しかし、習近平が経済関係者と会見し、そして経済問題について語るのは珍しい気がする。

 

中央組織部が第17回党大会(2007年)以来の庁局クラスの幹部23.4万の公開競争選抜についてのデータを公表した。幹部人事工作改革の進展状況を宣伝する目的。

仲祖文、すなわち中央組織部による「競争幹部選抜工作」に関する文章の連載がスタートした。第1回目は「『孝徳』が全プロセスを覆う」と題する文章が掲載された。

 

昨日5日にも仲祖文の「人人皆可成才」と題する文章が掲載されている。いずれも内容はたいしたものではない。しかし中央組織部が幹部選抜について連続して文章やデータを掲載していることは、第18回党大会に向けた人事が上や下で活発に進められていることを示している。

 

季建業「群衆利益の保護を核心問題としてしっかりつかもう」と題する魅力的なタイトルの文章も掲載されている。作者が南京市党委員会書記だったので読んでみたが、南京市の改革の宣伝で期待はずれ。

 

20110907】機能していない政務微博(ミニブログ)

 国務院新聞弁公室が「中国の平和的発展」白書を公表した。(1)始まり、(2)総体目標、(3)対外方針政策、(4)歴史的必然的選択、(5)世界的意義、の5つのパートで構成される。中国が覇権を求めることなく、平和的発展を目指していることをアピールするための文書だ。

 

「政務微博は『粉絹』崇拝を戒める」と題する「政務微博(ミニブログ)」についてのまとまった記事が掲載されている。「粉絹(フェンスー)」は「フォロワー」の意味。

多くの地方や部門が、微博を開設し、市民との対話を重視する動きが活発化している。しかし、微博の「形式化、空心化(中身が空っぽ)、名利化(名誉と利益)を軽視できない」と指摘する。

「『政務微博』が政務の名をもって、ネット発言ネット言葉に目がいくだけではなく、もし「フォロワー」を増やし、微博の影響を高め「政治業績」を創造するのでは、本末転倒で、枝葉と根本の関係を混同することになる。

記事には次の3つの小見出しがついている。(1)党・政府機関は新たな世論の場から逃げることはできない、(2)「フォロワー」は唯一の評価基準ではない、(3)専門的な管理維持は発展の保証である。

 

党・政府部門が市民との対話をアピールするために、安易に流行の微博を開設することはいかがなものか、とこれまでも指摘してきたが、やっぱりなあという感じだ。

一党支配体制下でのブログは、反体制活動に利用される危険性をはらんでいるが、ここではそういうことではない。各機関は微博を開設しても、それを使い切れていない。または世論が思わぬ方向に展開して対応しきれないということだ。これはいつも指摘することだが、党や政府、公務員の統治能力の低さの表れである。

これから微博の党・政府部門の利用をどうしていくつもりだろうか。管理強化で解決することだとは思わない。私は、下級レベルの党・政府機関での政務微博は閉鎖した方がいいと思う。そういう管理を強化すべきだろう。

 

20110909】メディア統制・言論統制強化の流れ

 李長春が、8568日に北京市で調査研究を行った。記事には「首都の模範作用を十分発揮し、文化の大発展大繁栄を積極的に推進しよう」のリードがある。

「北京は全国の政治の中心、文化の中心、国際交流の中心であり、文化の改革、発展の推進面で重要な使命を負っている」と強調した。また、民間ネット監督団体「ママ評審団」を視察し、「ネット文明の風を大きく振興し、広範に文明的ネット創建活動を展開し、業種の自律、社会の監督を強化し、健全で向上的なネット文化環境を積極的に構築しなければならない」と強調した。

同じ1面に、「中国文学、ピークに向かって邁進する」と題する記者の取材記事が掲載されている。これは「社会主義文化の大発展大繁栄が基層群衆にもたらす実利」の連載の第1回。連載にあたり、「末端に行き、作風を転換し、文風を改める」キャンペーンの一環であり、「文化の根源はどこにあるのか、文化の根源は基層にあり、私たちの身の回りにある」という。

 

宣伝担当の李長春の北京市の宣伝関連の視察だが、タイミング的に政治的な意味がある。1つは『人民日報』は報じていないが、最近北京の地方紙『京華時報』と『新京報』が北京市党委宣伝部直接管理となった。これをめぐってはさまざまな憶測を読んでいるが、7.23高速鉄道事故で中央宣伝部を無視し、行きすぎた報道を行ったことをきっかけに、それまでの報道姿勢も含めた懲罰的措置と見るのが自然だろう。それを指示したのは当然、宣伝担当の李長春、中央宣伝部である。李長春はこの措置を説明し、その意図を周知徹底するために視察したのだろう。メディア統制が厳しくなっていることは間違いない。メディア強化は中央のお膝元である北京こそが重要だということだ。

李長春が民間ネット監督団体を視察したことも注目だ。最近管理強化に大きく転換した微博対策を象徴している。ここでは「ネット文明」を強調している。この「文明」という言葉がくせ者だ。記事のリードにある「(社会主義)文化の大発展大繁栄」とも関連しており、共産党の一党支配と矛盾しない文化ということだ。ネットについてもそうした「文明」を求めており、ネットにおける言論統制をさらに強化するということだろう。

「中国文学・・・」が1面に掲載され、「社会主義文化の大発展大繁栄」の連載の第1回に文学が取り上げられた。この記事の内容は必ずしも最近の文学事情を批判するものではない。しかし、李長春の視察記事と同じ1面に掲載されたことは、文学も言論統制強化と無縁でない。つまり統制対象であることを示しているように思われる。この記事は文学が末端に根付いたものでなければならないことを強調している。

しかし、文学というのは書き手の自由な表現であって、その題材が末端に根付こうが、他のものに根付こうが、大きなお世話である。政治権力が介入することではない。この「大きなお世話」がまさに言論統制だ。その意味で、最終面に、郭国昌「群衆の需要が文化創新の出発点である」と題する文章が掲載されている。1面の記事とは正反対の内容であり、バランスをとったのか、それとも『人民日報』のせめてもの抵抗か。

 

私が注目している「末端に行き、作風を転換し、文風を改める」キャンペーンの目的について、中国のマスコミに精通する中国人研究者と最近議論した。現在の党や政府の幹部は、群体性事件が多発し、社会的に不安定な状況にある末端の事情を全く知らない。その原因の1つに、メディアが末端の状況をキチンと伝えていないからだ。だから、メディアに集中的に末端を取材させ、それを記事にさせることで、党や政府の幹部、さらには一般の人々に広く末端の事情を伝え、末端の問題を理解し、その解決方法を考えさせることが目的だという。

彼らの説明は一理ある。しかし私の見方とは異なる。私が、7.23鉄道事故報道でピークに達した一部メディアの自由すぎる報道姿勢に対する中央宣伝部による懲罰的行為、つまり末端に行って頭を冷やしてこいということだと考えたことは先のエントリーで紹介した。キャンペーンが出たタイミングと、現在のメディア統制強化の状況を見ると、私の見方も一理あると思うのだが。

 

20110910】メディア統制キャンペーンに張り切る李長春

李長春が最近「走基層、転作風、改文風」キャンペーンに重要指示を行ったという記事が掲載されている。李長春が指示したことは次の通り。

(1)党と国家の工作の大局をしっかりと中心とし、新聞工作が人民に奉仕するという主旨要求をさらに立派に履行し、大きな力で改革、創新し、鏡を基層にさらに正確に合わせ、紙面と画面を群衆にとどめ、群衆が考えることを考え、群衆が急いでいることを急ぎ、党の主張の体現と人民の声の反映を統一し、正確な導くべき方向の堅持と社会情勢や民意の理解を統一し、積極的な宣伝を主とすることと世論による監督を強化、改善することを統一し、新聞メディアが党と人民とを結びつける作用をしっかり発揮しなければならない。

(2)広範な新聞工作者が使命感、光栄感、社会的責任感を強化し、虚心をもって群衆に学び、新時期の新聞工作者の良好なイメージを樹立、維持するよう導くことに力を入れなければならない。

(3)しっかりと文風を改善し、群衆の感情に近づく事例をさらに反映させ、群衆の生き生きとして活気がある言葉をさらに活用し、群衆が歓迎する形式をさらに採用し、真実信用、素朴自然、生き生きとした、簡にして要を得ているということを実行し、新聞宣伝の吸引力と感染力をさらに増強しなければならない。

(4)新聞工作者が基層に深く入り込み、群衆に深く入り込むのに有利な体制メカニズムを構築し、改善し、『走基層、転作風、改文風』活動のさらなる制度化、規範化、常態化を推進しなければならない。

 

宣伝担当の李長春が張り切って展開している新聞メディア人に対する「走基層、転作風、改文風」(末端に行き、作風を転換し、文風を改める)キャンペーン。メディアに対するキャンペーンだけに、日常的に目にしているテレビや新聞が多く取り上げているので、何となく盛り上がっているような印象を持ってしまう。しかし、他の中央政治局常務委員は誰もついてきていない。劉雲山中央政治局委員兼中央宣伝部長だけがサポートするという地味なキャンペーンだ。ましてや、微博にはまって、テレビや新聞といった伝統的なメディアを見ない人たちは、キャンペーンの存在すら知らないだろう。しかしそれはそれでいいのだろう。キャンペーンの対象は一般の人ではなく、あくまでも伝統的なメディア関係者だから。

李長春の指示から、あらためて確認できることは、伝統的なメディア人に対し報道姿勢を改めることを求めるキャンペーンだということだ。キャンペーン名を逆から考えればいい。(1)「末端へ行って取材をしろ」:それではこれまでは末端に行かないで、どこに行って取材していたのか、(2)「新しい作風に転換しろ」:これまでのダメな作風とは何だったのか、(3)「文風を改めろ」:これまでのダメな文風はどんなものだったのか。

確かに、このキャンペーンが始まってから末端事情を伝える記事が突如として増えた。しかし、こんな記事だったら今までも目にしてきた。決して新しい方向性の記事ではない。ただ毎日集中的に掲載されているという点が違うだけ。

このやり方は文革のやり方と似ている。とすると、キャンペーンの意図は、今日の李長春の指示に見られるような額面通りのものとは思えない。また一部のメディアを批判するためにメディア全体にキャンペーンを仕掛けているというだけではなく、まだ明らかになっていないもっと別の批判対象があるのではないか。黒幕が他にいるのではないか。単純なキャンペーンではないという深読みをする今日この頃。

 

20110913】朱鎔基『実録』の紹介は改革慎重派批判のメッセージ

6面すべてにわたり、衛民「中国の改革と発展の歴程を記録した著作 『朱鎔基講話実録』を学習しよう」と題する文章が掲載されている。先日刊行された『朱鎔基講話実録』4巻本の内容を抜粋して紹介した文章だ。この『実録』には、19914月の副総理就任から20033月の総理引退までの重要講話が収められている。ここでは、主な講話を23項目に分けてその内容が紹介されている。

 そのうち、最後の項目にある20031月の国務院常務会議で5年の総理の任期を回顧する講話に注目した。その中で朱鎔基は「われわれは歴史の古い道を歩んではならない。これが、私が同志たちに残す言葉である。この問題で間違いをしでかさず、その他の問題でうまくやれば、全国的な問題にはならないし、収拾のつかない問題にはならない」と述べている。

 

昨日12日、北京の王府井書店に行った。入り口近くに『実録』の特設コーナーが設置され、たくさんの人が手に取っていた。また奥の方では、朱鎔基自身が最近参加したイベントのビデオが流れていたが、たくさんの人が立ち止まって朱鎔基の話を聞いていた。人々のあいだでの朱鎔基の人気の高さを垣間見た。

さて、その賛否は別として、副総理、総理在任中、朱鎔基が数々の経済改革を行ったことは周知の通りである。それらについての朱鎔基の当時の発言が収められており、貴重な一次資料であることは間違いない。しかし、国務院総理経験者とはいえ、最高指導者の江沢民ではないのだから、『人民日報』が1ページすべてを使って内容を紹介していることには違和感がある。そこには、何らかのメッセージが込められていると考えるべきだろう。それが、最後の項目で取り上げられた講話について紹介した抜粋部分だろう。

「古い道を歩むな」という朱鎔基の発言を紹介していることは、朱鎔基の名を借りて、後戻りすることなく、改革を進めなければならないというメッセージを発している。誰に対してか。もちろん国民全体に対するものだろうが、朱鎔基が特に「同志たち」に残した言葉なので、改革を進めることに抵抗する「同志」に対するメッセージをこの文章が発していると解釈したくなる。

改革推進派の経済学者呉敬lの発言も掲載されている。「過去には中国の製造業は後発者だったので、保護政策を採ってきた。今は政策環境が大きく変化しており、こうした措置は適時変更されるべきだ。例えば為替政策と輸出還付税政策。もし政策が適時変更されなければ、企業のレベルアップは圧力に欠け、付加価値の低い、粗放的なままの加工業がさらに続く」。

一経済学者のこうした警告めいた発言が掲載されるのは珍しい。これも構造改革を進めろというメッセージである。朱鎔基の本の紹介と同じ日に掲載されたことは極めて政治的だ。

 

省・自治区・直轄市ごとの全国保障性住宅の1-8月の建設着工情況が発表され、全国平均は86%。このうち5つの省で100%を達成している。最下位は広東省で66%。ちなみに重慶は84%。

 

20110914】微博は「チャンス」か「挑戦」か

 「微博」に対する有識者の見解が2本掲載されている。連日のように「微博」が取り上げられているということは、それだけ当局が意識している証拠だろう。それではどう意識しているのか。

(1)町(元紅旗出版社副総編輯)

―「『心態』(意識)と『語態』(表現の仕方)が重要」

―「情報化社会では、党は新興メディアをうまく運用し、ネット民、ネット上の社会団体といっしょに疎通の枠組みを打ち立て、ネット社会に対する計画と管理を強化し、ネット空間を利用して、普通の群衆との交流をうまく行うこと、このことが党・政府幹部の求められている心態である」

―「ネット環境における『語態』の改善は、群衆に近づき、親しみ感を高め、距離感を縮める試みである」

―「『微博時代』の到来は、幹部と群衆の関係発展にとって挑戦をもたらした。・・・新時期の幹部と群衆の関係発展にとってチャンスをもたらした」

(2)高新民(中央党校党建部教授)

―「微博の党と群衆、幹部と群衆の関係に対する影響は「諸刃の剣」である」

―「微博などのネットルートは、それ自身各種民意を整合することはできない、党委員会、政府が整合を進める必要がある。このことは上層部が群衆の利益を代表する上で有利な条件である」

―「(新たなメディア形式は、伝統的な疎通方式への挑戦であり、新たな疎通メカニズムの完成に助力した」

―「『微博時代』では平等で互いに影響しあう新たな疎通メカニズムが形成された。それは監督にとって便利なものであり、現実の監督体制に存在するスムーズではない関節を際立たせた。・・・健全な民主的な監督制度の枠組みがあってこそ、ネットによる監督は最大限の利益を上げ弊害を取り除くことができる」

―「新たなメディアを政治過程の重要な元素とし、高度に重視し、適当な制度化により、その政治的効能を体現することができる」

 

高新民は、ネット世論について『人民日報』に時々コメントを発表している。当局が手放しで支持していた「微博」に対し、8月以降厳しく当たるようになってから、高新民がどのようにコメントするかも気になったので見た。

両者とも、「微博」の台頭を、「チャンス」であると評価しつつも、既存の国家と社会の関係に対する「挑戦」であるとも見ている。当局がどう対応するかが重要だと強調しているが、それは「チャンス」よりも「挑戦」への対応という方が強い。

高新民の興味深い指摘は、ネットは一方的に発言する無責任な存在であり、それを「整合」するのは当局の役割。その部分で、国家が社会よりも高い位置にあり、ネット時代でも国家が重要な役割を果たすべきだと、当局の存在価値を見出している。

しかし、それは簡単なことではないだろう。ネットをどう活かすか、またどうコントロールするかは、まさに党、政府の能力次第。そこが問われるわけで、両者ともその点を指摘している。

 

20110915】温家宝がまた政治体制改革を語る

昨日14日、第5回夏季ダボス・フォーラムが大連で開幕したが、温家宝が開幕式、関連の企業家座談会に出席し、記者の質問に答えた。その中で、政治体制改革について答えているので取り上げる。

開幕式の挨拶で、次のように発言した。

―「経済体制改革と政治体制改革を引き続き推進し、経済社会発展のために巨大な動力を注入しなければならない」

―「法治国家を堅持し、制度上権力の過剰な集中と(それを)制約できない情況を変え、人民の民主的権利と合法的権益を保障し、社会の公平正義を維持する」

これについて質問を受け、次のように詳細に答えた。

―「政治体制改革については、ここ数年何度も話したが、ひとまとめにすれば、比較的全面的だと思う」

政治体制改革に対する5つの見方

(1)法治国家を堅持する:党が政府に取って代わること、権力の絶対化と権力の過剰な集中という現象を変える必要がある。そのためには、党と国家の指導制度を改革しなければならない。この任務はケ小平先生が30年前に提起したことであるが、私は今日特に緊迫していると思う。

(2)社会的公正正義を推進する:収入分配の不公平と格差が拡大しすぎている現象を変えなければならない。そのための方策は次の2つ。@中低所得者の収入の引き上げを速め、高収入階層の収入を調整する、A社会保障制度を構築、完備する。

(3)司法の公正を保証する:検察機関と司法機関が有するべき独立性を維持する。

(4)人民の民主的権利を保障する:最も主要な権利は、選挙権、知る権利、監督権、参加権である。いくつかの地方が真剣に経験を総括した基礎の上に、村レベルの選挙を郷レベルの選挙の試点に推進する。私が言いたいことは、民主という問題を拡大する上で、まず党内から始め、党内から次第に党外に拡大するということ。

(5)断固腐敗に反対する。

―「この5項目の中で、最も重要で、最も難しく、重点に置くべきは、秩序をもって社会主義民主を拡大し、しっかりと社会的公平正義を推進し、反腐敗闘争を堅持することであると思う」

 

本人も語っているように、他の指導者に比べ、温家宝はここ数年よく政治体制改革について語っている。そのたびに内外に波紋を呼んできたわけだが、今回もかなり詳しく自らの見解を述べている。夏季ダボス・フォーラムという海外の注目が予想される会議ということで、海外の関心も高い政治体制改革について語ったのだろうか。そこらあたりが温家宝の「計算高さ」とも言えるし、「軽さ」とも言える。

5項目はオーソドックスだが、語った内容にはいくつか興味深いものがある。
 (1)については、ケ小平を持ち出して、「権力の絶対化と権力の過剰な集中」を批判した。確かに中国の政治体制の根本的な問題点だ。ケ小平は、毛沢東、4人組を批判するため、彼らの失敗を教訓とするために、これを提起した。温家宝は誰を念頭にしているのだろうか。個人ではないはずなので、共産党全体ということなのだろうか。

昨年20119月の発言もそうだが、温家宝はケ小平を持ち出すのが好きだ。30年前のケ小平の「党と国家の指導制度改革について」の演説がいまだに共産党の政治改革の教科書であるという声をよく聞く。しかし30年前の情況と今では異なるわけで、今もケ小平に頼らなければならない情況は、ケ小平の偉大さでもあるが、現在の共産党や知識人に政治改革の案がないことを露呈しているに過ぎない。その意味で、温家宝がケ小平を持ち出すことは、いくらか安易すぎ、この辺りに温家宝の「軽さ」を感じる。

(2)は普通。

(3)も目新しくないが、「独立性」と言及するのは新鮮。

(4)では、「村レベルの選挙を郷レベルの選挙の試点に推進する」と述べたことは注目できるのではないか。これは郷長、鎮長の直接選挙を意図した発言であるはずなので、ハイレベルの指導者がみずから言及したのは大胆。この発言は論議を呼びそうだ。

(5)も普通。

 

20110917】「社会治安」から「社会管理」へ

 周永康が中央社会管理総合治理(ガバナンス)委員会第1回全体会議で講話した。

「中央社会治安総合治理委員会」が「中央社会管理総合治理委員会」に改名されたのを受け、開かれた第1回全体会議だ。

新たな委員会は、社会管理工作を協調、指導する重要職能が付与され、指導力を充実させ、構成員、単位を増加し、工作機構を強化する。

社会管理システムの構築が主要任務となるが、「社会管理」ということに対し、具体的にどのような点を想定しているのか。8点挙げている。

(1)いかに党の指導、政府の責任、社会協同、公衆の参加の社会管理の構造を完備するか

(2)いかに末端の基礎を突き固め、絶対多数の矛盾と問題を適時末端で発見し、末端で解決するか

(3)いかに群衆の利益要求の表出チャネルを開通し、党と政府が主導する群衆権益維持メカニズムを完備するか

(4)いかの都市と農村の応急サービス管理システムを完備し、突発性の事件や事故の処置水準を高めるか

(5)いかに健全な情報ネットワークサービス管理システムを構築し、情報ネットワークの健全な秩序ある安全な発展を実現するか

(6)いかに群衆に対する教育指導を強化し、良好な社会心理を育成するか

(7)いかに健全な社会信頼制度を構築し、誠実で信用を重んじる社会環境を構築するか

(8)いかに民生の保障と改善を重点とする社会建設を推進し、根本的に社会管理を改善するか

 

私の理解では、社会の治安関係を主管する党の最も重要な機関は「中央政法委員会」だが、その下にあって社会治安維持を取り仕切る機関が「中央社会治安総合治理委員会」だ。10年以上前に喬石が中央政法委員会書記だったころにはすでに存在していた。記憶があやふやだが、1989年の六四天安門事件後にできたような気がする。その機関が「中央社会管理総合治理委員会」と改名され、職責を拡大した。それなりに重要な決定である。

「治安」を「管理」に変えた意図は何か。2つあるのではないか。1つは「治安」はハードな感じなので、少しソフトな「管理」にしてイメチェンをした。もう1つは、現在のホットイシューである「社会管理」に合わせた。

しかし、「社会管理」というのが何を意味するのかは分かりにくい。そこで、この委員会に何が期待されているかということを通じて、「社会管理」を理解しようと思い、8項目を見てみた。どれもまさに現在のホットイシューで、こんな難題にどうやってこの委員会が対応していくのだろうか。その対応8項目だが新鮮味に欠けるので割愛した。この改名が所詮イメチェンにすぎないのではないかとあらためて思った。

今回この改名から分かったことは、胡錦濤が今年2月に提唱した「社会管理」が、末端重視とか、社会重視といっても、その本質は「社会治安」に過ぎないという点で、社会をいかに統制するかが共産党にとって重要課題だということだ。

 

20110920-1】辛亥革命への評価

 中国人民大学教授の李文海「辛亥革命百年の歴史的思考」という文章が掲載された。主な内容は以下のとおり。

―「辛亥革命の発生は偶然ではない。『西側思想の影響』が起こした『騒動と不安』によるのではなく、少数の『極端な感情』、あるいは『革命の熱狂』が先導した『幼稚さと病的な熱狂』でもない。社会の矛盾運動の産物であり、深い歴史的な根源と社会的な根源にある」

 ―「辛亥革命は思想上の大解放をもたらし、社会経済の発展のための重要条件を作り出し、中華民族の共同体の構築に積極的に貢献し、中国共産党の結成のための条件を準備した」

 ―「辛亥革命の精神的遺産は主に、中華振興、志を掲げ屈することなく、頑強に奮闘する愛国的な感情、死生を度外視した献身的な精神、民生の苦難、立志に関心を寄せ、人々の福祉を図る高尚な品徳、時代の潮流に順応し、世界を見渡す大きな心を表現した」

 

 辛亥革命100周年まで1カ月を切り、関連の文章が掲載された。歴史評価は客観的であるべきだという言い方もされるが、やはりこの文章は現在が色濃く反映される。西側思想の影響を否定し、辛亥革命を中国共産党結成の条件の準備だと言い、中華民族の共同体であるとか、中華振興のアイデンティティの出発点であるという位置づけにするのは、共産党の一党支配の正当化の観点から評価していることを示している。

 

20110920-2】タクシー運転手のストライキは大きな事件か

 92日に浙江省楽清市で発生したタクシー運転手のストライキ事件を特集している。非常に簡単に説明するとタクシー運転手というのは、営業権を取得するために行政から認可された大きなタクシー会社に雇われており、毎月高額の上納金を納めている。そのタクシー会社は寡占状態にあり、上納金も高額で、タクシー運転手の負担も大きく、弱い立場にある。そのため、高額の上納金への不満から運転手はストライキを起こした。特集は、タクシー管理体制の改革の必要性を展開している。

 

 大手企業にだけ経営を許可する行政の問題、運転手を「搾取」する企業の問題といろいろな要素が含まれているが、運転手がストライキを起こしたことで注目された。北京の新聞では、『京華時報』や『新京報』が発生当時にすでに報道されていたので、事件のことは知っていた。2週間以上も経ってようやく『人民日報』が取り上げて、遅すぎの感がある。しかも事件について説明がない。これでは事件の一部始終は全く分からない。

 それにしても、この事件は本来大きく取り上げられるべきことなのだろうか。単なる一社会事件ではないか。行政と企業の癒着の問題は単なる経済行政の問題ではないか。こうした事件が報道されるたびに、どうしてこんなに大きく報道されるのだろうと思ってしまう。

それもこれも、中国の場合、行政と企業の癒着の問題、さらにストライキに見られる弱者の権利表出の問題が一党支配の問題と密接に関わっているからで、政治問題化されてしまう。しかし、中国のマスコミはそれをわかっていながらも、誰も一党支配の問題としては扱わない。扱いが極めて中途半端だ。

他方、この程度の事件なのに1ページも使って特集を組むということは、共産党がストライキに神経質になっている、危機感を持っていることを表している。しかし、ストレートなメッセージではない。こうした報道スタンスには、イライラ感が募る。

 

20110921】親子孝行も人事評価項目になる「一票否決」

 「『一票否決』を乱用しないでください」との記者のレポートが掲載されている。「一票否決」とは、幹部の人事評価で、いくつか設定されている評価対象項目のうち1つでもダメだと、人事評価全体がダメとされる制度。「一票否決」の項目が多すぎて、乱用されていることが問題となっており、いくつかの地方では修正もされているが、保障型住宅建設、食品安全、不動産価格の抑制など新たな評価対象項目が設定され、過多乱用問題は一向に解決されない。記者は、「省エネ排出削減、食品安全、企業誘致から、孝道の遵守、教師の徳の遵守、体育活動、環境衛生に至るまで、あらゆることが「一票否決」になりうる」と警告する。

 具体的に「一票否決」の項目が多すぎる乱用されている問題はどのようなものか。

 例えば、河北省魏県では、幹部昇進で、徳や孝という「関所」が設置され、両親孝行、夫婦関係、子どもの教育などが評価対象になり、徳や考の証明材料を準備しなければならない。その結果、上級への報告を偽造したり、検査のための報告や資料の準備に時間を取られるなどの問題が浮上している。

 Pu陽市では、19941999年の郷鎮の財政収入は年平均21.6%増えているにもかかわらず、78の郷鎮では2200万元以上の幹部や教師の給与未払いになっているという、財政収入の虚偽報告がなされている。

 今回、江西省では、今後項目を新設しないこと、項目を削減することを決定した。中央が示す(1)人口・計画出産、(2)社会治安総合ガバナンス、(3)環境保護、(4)省エネ・排出削減の4項目とし、独自に設定していた青少年健康体質を(1)に、信訪工作、安全生産、森林防火を(2)に併合し、それ以外は一律廃止する。

 

 以前から「一票否決」の幹部評価は問題だと指摘してきたが、この記者レポートもその問題点を指摘している。県レベルになると独自に展開するが、中央が想定したことを逸脱した項目設定がされ、結局虚偽報告が横行したり、本来の業務がおろそかになることが明らかにされている。ここにも県レベルの党や政府の能力の低さが表れており、何を見て中央が導入したのか分からないが、「一票否決」などという制度を安易に導入したことに問題がある。この制度はまったく県レベル以下の幹部の能力向上にはつながらない。いつもながら制度整備を強調するのはいいが、運用の問題と、そもそも中国の政治体制に適した制度なのかの十分な検討のない安易な制度導入は、現場を混乱に陥れ、コストを増やすだけである。「一票否決」制度もそんな制度の1つといえる。

 

 周人傑「企業の困難を取り除くことで『民間融資依存症』を改善することができる」と題する文章も掲載されている。金融引き締め政策により、銀行からの借り入れが難しく、高利の民間融資に頼らざるを得ない中小企業の現状を紹介する。浙江省の中小企業など最近特に取り上げられている。こちらの方が、「一票否決」よりもはるかに中央が真剣に取り組まなければならない重要な問題だ。

 

20110922】1ページ使って『中国抗日戦争史』を紹介

 921日に米国政府が総額58.52億jの台湾向け武器売却を決定したことで、米国非難に関する記事が中心。張志軍外交部副部長が駐中国米国大使と緊急会見し、対台湾武器売却発表に強烈な抗議を表明。外交部のコメント。鐘声「中国の核心的利益に簡単に損害を与えることはできない」と題する非難論評など。中国にとっては、台湾問題は「核心的利益」であるだけに、一応米国批判を展開している。しかし、米国も抑制的な売却と見られ、最近の傾向からは米国批判は一過性のものとなるだろう。

 

 今日大きく1ページを使って特集が組まれたのは、『中国抗日戦争史』という本について。「9.18事変」と呼ばれる柳条湖事件(1931918日に勃発)から80周年を記念して刊行された。特集ではこの本の「編集過程と特徴」という文章と、本の総論部分の抜粋が掲載された。文章では、この本の特徴として以下の7点を挙げている。

 (1)14年間(19319月から19459月)の抗日戦争の全体性に着眼し、9.18事変を中国抗日戦争のスタートと位置づけ

 (2)中国が最も早い反ファシズム戦争を開始した国家であるという地位と役割を強調

 (3)全民族の抗日戦争という主張を突出させ、国共両党の抗日戦争における地位と役割を客観的に反映

 (4)日本の中国侵略の歴史的根源と日本軍のファシズム的暴行を深く暴露

 (5)中国の抗日戦争の起点、世界反ファシズム戦争における地位と役割、国共両党の抗日戦争の路線と戦略方針の違い、東京裁判の欠陥とそれが生み出した深刻な問題点について新たな探求を行う

 (6)抗日戦争勝利が、アヘン戦争以来の反侵略闘争史上、最初の完全勝利である

 (7)軍事的内容と、多角的、全面的な記述

 

 こんな本を1ページ使って取り上げることは、依然として抗日戦争が共産党の一党支配の正当性と切っても切れない関係にあるものでことを示しており、歴史問題は今後も末永く日中関係に影を落としていくことになる。私たちはこのことを肝に銘じておかなければならない。そんなに甘いものではないのである。そうした中にも、いくつか興味深い共産党の意図をこの文章に読み取ることができる。

 (1)については、私がこの時期の歴史に疎いため、中国で目新しい解釈かどうかはよく分からないが、柳条湖事件が中国人民抗日戦争のスタートだという主張は、日本がこの戦争を始めたのだということの再確認と言える。

 (2)については、この抗日戦争を世界的な反ファシズム戦争の先駆けと位置づけることで、この時から中国は世界の中心としての役割を果たしていたと言いたいのだろう。

 (3)については、抗日戦争を通じた国共両党の関係を再確認し、一部国民党の役割を再評価し、現在の台湾関係に配慮している。

 (4)から(7)については、共産党の歴史観に反しない範囲内で、客観的な分析を行おうとしたことがうかがわれる。

 

20110923】文化でしか語れない中国の人権議論

 1ページにわたって、人権が特集され、4人の識者の文章が掲載された。なぜ今「人権」なのか、よく分からないが、「人権」という言葉につられ、その内容を比べてみた。

(1)羅豪才(中国人権研究会会長)「文化は異なっても、同じように人の尊厳を尊重すべきである」

―「中華伝統文化に含まれる近代的人権思想資源は、空いっぱいの星、枚挙にいとまがないようにたくさんで、これらは西側の『人権』概念を起源とし、新たな解釈の観点と論証の根拠を提供し、『人権』の中身を豊かにし、『人権』概念の多様性を文化土壌の重要な成分とした」

―「多元的文化は、価値観の多様な選択を意味し、多様な価値観は人権観の多元化を決定し、人々の人権に対する観念上の違いと実現手段の違いをもたらす。これは客観的な事実である」

(2)王晨(国務院新聞弁公室主任)「中国の特色を持つ社会主義人権発展の道を進めよう」

―「中国は依然として発展途上国であり、発展の中でバランスと協調に欠ける問題が依然存在する。例えば、経済成長の資源環境制約の強化、収入分配格差の拡大、都市と農村の発展の協調の欠如、質の高い教育、医療資源の総量の不足、分布の不均衡、一部都市の不動産価格の高すぎる上昇、違法な土地収用などが引き起こす社会矛盾が多く、食品安全問題が比較的突出している。自然、歴史、文化、経済社会発展の水準と制約を受け、中国の人権事業の発展は多くの挑戦に直面し、公民が人権を十分享受するという崇高な目標の責任は重大で前途は遠い」

(3)国連経済社会部戦略計画局長「文化は人類の尊厳、アイデンティティに対しカギとなる役割を果たす」

―「文化の独特性は時に作為的に、あらゆる人権や文化の多様性を否認し、普遍的な人権という概念の理由に挑戦する。これはどちらかを選択するというものではなく、動態的で、たえず発展する概念であるべきだ」

(4)湛中楽(北京大学法学院教授)「人類の尊厳と各種人権を十分に維持しよう」

 

総じて文化と人権の関係について論じ、人権の尊重という点では一致している。しかし、少しずつ見解が異なる。こうした異なる見解を並べていることが興味深い。

(1)は、中華伝統文化が、西側の人権概念を起源としているという点と中国独特の人権を生み出しているという点を主張する。特殊性は中華伝統文化にあって、ここでは「社会主義人権」という言い方はしない。

(2)は中国の人権は西側と異なり、「生存権」を満たすことにあるという改革・開放以降の公式見解に沿っている。そのため、文化要素よりも、現在中国が抱える諸問題を解決することが人権を保障することであるという点を主張する。

(3)は、文化は普遍的人権を否定するものではないという主張。

(1)の羅は学者なので、できるだけ理論的な記述、ここでは中華伝統文化で論じることに徹し、政治的な言及を避けている。(2)の王は当局者なので、当局の公式見解に沿っている。両者に言えることは、中国の人権問題が、共産党の一党支配に起因している点を全く素通りしている点だ。人権を文化の次元で語るのは、一党支配の問題をクリアして初めて意味を持つものであり、中国における人権議論の限界は常にここにある。今回もそれを越えることはできていない。その点、(3)は外国人の見解で、掲載にはかなり編集が入っているものと思われるが、文化が普遍的人権を否定するものではないということで、それでは何が否定する要素かという点を暗示しようという点までは、何とかガンバッテ残そうとしたように思えた。(1)も中華伝統文化で論じることに徹することで、暗示的に政治問題を示そうとしているのだろうか。しかし、残念だがそうは読み切れない。

 

20110924】習近平と張徳江の地方視察

習近平が2223日に天津を調査研究した。都市と農村の発展、社会管理、党建設工作を中心の視察を行った。特に興味を引かれる発言はしていない。

中小企業の経営難関連で、張徳江副総理が広東省を視察し、王兆国中央政治局委員(全国中華工会主席)が会議で中小企業の発展を支持し、職工の権益を維持すると発言したことが報じられている。

 

20110926】「一票否決」は単なる行政手段

 921日に続き、「一票否決」について、取り上げられている。そのタイトルは「政策が出たときの情勢と背景にすでに重大な変化が発生しており、いくつかの『一票否決』は退出すべきだ」というもの。国家行政学院法学部の楊偉東教授の見解を中心に展開されている。いくつか興味深い指摘がある

 (1)どのような項目を「一票否決」に適用させるかを決めることは難しい。しかし、企業誘致や小中学生の体育活動状況などは適さない。

 (2)「一票否決」は、行政手段であって、法律手段に取って代わることはできない。法律があって手段を使うことはできるが、行政手段はよくないし使うべきでない。政策文書(文件)が法律に優越し、「一票否決」を主な手段とすることは、本末転倒である。

 (3)「一票否決」は便宜的なものであって、長期的に存在する必要があるかどうかは検討すべきだ。

 

 気がつかなかったが、確かに「一票否決」は法律で決まった制度ではなく、政策文書で提起されている行政手段にすぎない。これだけ問題があるのだから、法律にはならない。そんなものに振り回されるのはどうかとも思うが、それが中国らしいやり方だ。「一票否決」を支持する地方幹部の見解も紹介されているが、楊教授の指摘は至極まっとうだと思う。

 

このほか、92223日に開かれたフィリピン主催の南シナ海問題に関するASEAN海事法律専門家会議についても比較的大きく取り上げられている。

 

20110927-1】文化に一党支配を正当化させる

 党中央政治局会議が開かれ、6中全会が101518日に開かれることが決定した。また6中全会で採択される政策文書「文化体制改革を深化させ、社会主義文化の大発展大繁栄を推進させることについての若干の重大問題に関する決定」の案が審議された。会議の説明で関心をもったのは以下の部分。

 ―「文化がますます民族の凝集力と想像力の重要な源泉となり、総合国力競争の重要な要素になり、経済社会発展の重要な後ろ盾となっており、精神文化生活を豊かにすることがますますわが国人民の熱烈な願望となっている」

―「党の文化工作に対する指導を強化、改善することが、文化改革発展を推進する根本的保証である」

 

過去に党大会前の中央委員会全体会議でどのような政策文書が採択されたか。

2006年:「社会主義和諧社会建設の若干の重大問題に関する決定」

2001年:「党の作風建設を強化、改善に関する決議」

1996年:「社会主義精神文明建設の若干の重要問題に関する決議」

この傾向から見れば、先例に沿ったものといえる。

他方、昨今メディア規制が強まっていること、さらに共産党の正統性を文化に求めようとしている動きも見られ、どのような内容になるかには注目しなければならない。

 

20110927-2】ロシアの権力たらい回しを評価

馮玉軍「政治の転換は『多元的な方程式』である」と題する文章が掲載されている。これは、先にプーチンの大統領選出馬宣言を受けたロシア政治に対する論評だ。プーチンとメドベージェフの権力たすき掛けの情況をどう見ているか。

「メドベージェフ大統領・プーチン首相体制」から「プーチン大統領・メドベージェフ首相体制」への転換は、ロシアの憲政制度の枠組みの下で完成されたものであり、『ストロングマン統治』というロシア政治文化の伝統に回帰したもので、昨今のロシア社会の政治的不確定性の憂慮を終結させた。客観的に、このようなやり方は、エリート階層と社会の分裂のリスクを減少させ、安定維持、発展促進、大国の地位の振興の沿った路線を引き続き前進させることを確保する」

1990年代初頭のロシアの政治エリートは西側の価値観(政治では三権分立を経て、高度な集権から民主制度への発展)を積極的に取り入れ輝かしい未来を描いたが、現実の予想とはかけ離れ、制度矛盾が少なくなく、権力の危機が頻発した。

「プーチン後は、少数支配を打破し、中央と地方の関係を再構築するなどの手段を通じて、垂直的権力システムを強化し、『民主抑制』をとり、政局混乱の局面を収束させた」

「文化伝統はその国の政治体制の遺伝子である。その国の発展に適合する新たな体制を模索するには、外科手術的な方法で文化伝承の遺伝子を完全に切り落とすことはできず、時代の潮流に順応し、新たな文化遺伝子を絶えず壮大に成長させなければならない」

「国家の政治転換は、『多元的な方程式』であり、憲政の原則、歴史的伝統、政治文化、現実の利益分配、具体的な人事配置などの多くの要素の影響を受けるもので、唯一の答えはない」

 

たすき掛けで権力を回しているロシア政治の状況を私は決して正常だとは思わない。しかし、馮の文章はこれを高く評価している。大多数の国民の支持を背景にしたプーチンの強力なリーダーシップを、中国共産党が羨望のまなざしで見ているようにすら思われる。だから馮の文章は単なるロシア政治に対する評論ではない。中国共産党が一党支配を維持していく上で、ロシアの政治状況から学ぶことは多いのだろう。

6中全会とも関連するが、このロシアの政治状況を、「ロシア政治文化の伝統」ととらえ、正当化している点は興味深く、中国共産党が文化に一党支配の正統性を見いだそうとしていることと重なる。しかし、一党支配の正統性を文化に帰結させることは、中国共産党のご都合主義にすぎないと思うのだ。

 

もう1つ興味深い記事があった。全国検察機関テレビ電話会議が開かれ、人民代表大会代表連絡工作の強化、改善について指示があった。検察機関が人民代表大会代表の活動に協力しようという指示だ。

検察機関が議員活動に協力するのは、理想的ではなく、あってはいけないことだと思うのだが、中国の政治体制だから、検察と議員の癒着を強めようということが指示されたということだ。

 

20110928】自らを棚に上げた日米の「冷戦思考」批判

 鐘声「合作の知恵をもって、アジアの安全の新たな形を構築しよう」という文章が掲載されている。「今年は『サンフランシスコ条約』調印から60周年である」という書き出しで始まっており、私自身日本人として全く注意していなかったので、目がいってしまった。

 私にとって、たぶん多くの日本人にとっても、サンフランシスコ条約については、日本が連合国各国と平和条約を結び、連合国による占領が終わったという認識だろう。しかし、鐘声の文章は「西側のメディアによると、この後形成された米国主導のアジア同盟システムにほとんど大きな変化がない」として、サンフランシスコ条約がアジアでの冷戦を固定化した役割について言及しており、そこには日本という言葉すら一度も出てこない。この認識はおそらく目新しいものではないと思うが、中国がサンフランシスコ平和条約をこのように見ているのかということが分かり興味深く感じた。そこで、この文章から、中国の現在のアジア観が読み取れないかと思い、読んでみた。

 ―「各国は普遍的に中国の発展の配当を得ており、いかなる国も中国の経済発展の快速車に乗る切符を手放したくはない」
 ―「アジアは有効で、あらゆる国家に安全保障を提供することのできる新たなメカニズムを模索しているが、アジアの国々の融合は事実上すでに新たなメカニズムの基礎を構築している。アジアは既に冷戦を脱出している。中国を『別の集団』に切断するのは、中国の発展を望まない、あえて正視したくない人の考えである」

―「この状況は冷戦中も強固だったが、冷戦後も中国の台頭により継続されている。アジアには依然として冷静思考が成長する土壌があり、3つの危険を警告しなければならない。

(1)一部の強国(米国のこと―佐々木注)が、中国の台頭と歴史的要因を口実に影響を企み、軍事上アジアとの連係を強化し、このような連係の矛先を正確に中国に合わせている。

(2)一部の西側のマスコミは、実際にすでに解決した問題を工夫を凝らして大げさに言い、離間するように挑発し、中国と一部の国との争議を大げさに言って地域全体の衝突にしている

(3)一部の国(日本のこと―佐々木注)は米国の軍事力の助けを借りて、中国をけん制し均衡をとろうとし、手足を広げ、やりたい放題ふるまっている。

―「中国は未来のアジアの安全情勢の中で重要な地位を占める必要がある。しかしもともと誰かの力を押しのけようとは思っていなし、派閥を作り、中国を中心として一線を引いて別の国を脅迫することもあり得ない」

 

タイトルにはアジアの「合作」を掲げながらも、その内容は自分勝手で、上から目線だなあという印象だ。なぜ周辺国が「中国を『別の集団』に切断する」のか。その点に言及することはない。その点に中国こそ未だに冷戦思考に固執しているという中国のアジア観を読み取ることができる。だからこそ、日本も、アジアは1つなどという理想論を掲げることなく、妥協することなく、冷静に中国に対応していくことが必要だ。

『人民日報』では、「鐘声」というペンネームの外交問題、国際問題に関する文章が2日に1回ぐらいのペースで掲載されている。中国のスタンスを知る上ではなかなか興味深い評論だと、最近は注目するようにしている。しかし、何年も前から「鐘声」というペンネームの文章は掲載されているので、以前は私の関心が低く、素通りしていただけのようだが。

 

20110929】社会管理を周知徹底する会議

 周永康が全国加強和創新社会管理工作テレビ電話会議で講話をおこなった。916日に開かれた中央社会管理総合治理委員会第1回全体会議の内容を関係部門に周知徹底するために開かれたものと思われる。社会の調和的安定に影響を与える突出した問題に対処する社会管理とは何か。6点を挙げる。

 (1)流動人口に対するサービス管理の強化

 (2)刑期満了により釈放された人を教育する人員や社区矯正人員などの特殊な人々に対する管理、教育、支援工作の強化

 (3)非公有制経済組織、社会組織に対するサービス管理の強化

 (4)情報ネットワーク総合管理システムの構築の強化と情報ネットワークの健全で秩序ある発展の促進

 (5)違法犯罪活動に対する取り締まり、予防、抑制の能力、突発性事件に対する応急処置能力の向上

 (6)社会矛盾に対する解決能力の向上と群衆の合法的権益の保障

 

 テレビ電話会議を開くほどであり、関連評論員文章も掲載されており、胡錦濤政権にとって社会管理の問題が今最も重要なイシューだということは間違いないだろう。そう思って、いつも社会管理関連の報道はチェックするのだが、「社会管理」というのが、何を意味するのかを理解するのは難しい。何が難しいかと言えば、額面どおり末端で起きている社会不安の原因となるさまざまな問題への対応ということだけなのか。それとも、まったく明示的ではない共産党の一党支配を守るための統制なのか。もちろん、前者から後者を読みとらなければならないのだろう。しかし、言うのは簡単なのだが、明示的でないことをそう言い切るには論理的な説明や証拠を有する。なので、それを探すために、つまらない関連報道を読んでいる。

 この6項目も、いつもの報道で列挙される項目とさほど変わらないが、どうしてこんな項目を挙げるのか。(1)は安定的ではない流動人口に対し、彼らの権利を保護しなければすぐに騒ぐことと、犯罪率が高いことへの警戒、(2)再犯への警戒、(3)より多くの就業を担っている非公有制企業と末端で実際に管理している社会組織に対する注視、(4)ネットによる当局に不利な世論誘導への警戒、(5)犯罪と突発性事件への対応の不満が反当局活動に転化することへの警戒、(6)社会矛盾を解決できないこと、群衆の合法的権益が守られないことへの不満が反当局価値道に転化されることへの警戒。こんな風に読み取ると、いくらか社会管理と一党支配体制の安定とを関連づけられるのか。

 まあ、報道内容だけ見れば、人々の要求に応えていきましょうというような「群衆」に媚びている感じなのだが、そんな生やさしい会議ではなく、報道されていない部分でかなり厳しい対応、まさに統制という意味での「管理」が指示されていることが伺われる。

 

20110930】「天宮1号」打ち上げにトップ9の指導者が集結

 1面を大きく飾ったのが、昨夜29日夜の無人宇宙ステーション「天宮1号」の打ち上げ成功の話題。関連特集を含め、多くのページを割いている。

 驚いたのは、胡錦濤をはじめ党中央政治局常務委員全員が打ち上げを見るために北京のコントロールセンターに集まったことだ(温家宝は打ち上げ現場入り)。国家にとっての一大イベントであることを示している。国威発揚のためか、最近の事故頻発により揺らぐ自主開発技術への信頼を回復するためか。