17.男において(05.4/3UP)

高橋幸宏さんの歌に「男において」という曲がある。男らしく生きれない男の歌。

この歌で歌われている内容がボクが以前から感じてた事に通じるテーマで、丁度イイ機会なので、ここのコーナーにまとめてみました。

これを読んでいる皆さんは「男」か「女」のどちらかだと思うんですけど、その事に納得してますか?
自分が所属する「性」を楽しんでますか?「男で良かった」「女で良かった」と満足してますか?

多分ヒトそれぞれでしょう。「男はつらいよ」「女だってイロイロ苦しいのよ」みたいなヒトもいれば、逆もいるでしょう。
ボクの場合は・・・現在(いま)は「男でイイ」と思ってますが・・昔は「男である事」がイヤな時期もあったな。
丁度30代になった頃かな?

あ、云っておきますが、別に「女性になりたい」とか「女性みたいなカッコをしたい」とか、そういのじゃないです。
性不一致障害?・・・って云うのとも多分違う、と思います。そういった願望は別に自分には無い。ただ「男」がイヤだという、それだけ。

何となく子供の頃から、「男は質実剛健であるべき」「女は男に黙って従うべき」ってムードの中で育ってました。
親も学校の先生も友人もどこか「男なんだから」「女の子なんだから」って言う事が多かったような気がします。
それを見て何処か「男らしさ」「女らしさ」に対する固定観念を持って育った気がします。

ボクはどちらかというと家で本を読んだり、漫画を描いたり・・外で遊ぶというタイプじゃなかったな。
クラスの中でガキ大将とかには絶対ならないタイプ。今じゃ大人しい男の子なんて珍しくもないだろうけど。
小学校や中学校でもかなり浮いてた存在だった気がします。
何かいつも「大人しいねェ。もっと元気に外で遊んだら?」みたいに言われたな。
そういう大人の言葉を聞くたび、自分は一寸「普通じゃない」のかな?って感じを持ってました。
子供の頃、エレクトーンを習ってたけど「女の子みたい」って云われるのがイヤで周囲に隠してたし。
何の根拠もない思い込みだけど、逆に子供のときの思い込みだからこそ、大人になっても引きずってた気がします。

高校・・大学通じてその「浮いた感じ」を拭えなくて・・周囲の示す「男らしさ」に自分をはめ込もうとしてました。
イヤ、会社に入っても同じだな。常に周囲の同性の荒っぽさや男らしさを真似よう、真似ようとしていた気がする。
その会社の中は割と荒っぽいムードが満ちてたし、自然と周囲にそういう男らしさを押し付けるムードがあったと思う。
「男はこうあるべき」「女はこうでなくちゃ」みたいな一つの枠に押し込めよう、それが普通みたいな世界がある訳です。
その中で生きていると「自分らしさ」を主張するなんて出来なかったし、そもそもそんな発想さえ無かった。

そうは言っても何処か歪みがあったと思う。周囲の語る「車」や「女の子をナンパした」とかの話にはついていけないし。
そもそも興味も湧かなかった。「競争心」だの「出世」だのも興味無い。どこか周囲の同性と話すテーマも噛み合わない。
結局、男らしさを演じてた積もりなのに、周囲はそうは取ってもらってなかった様な・・。
むしろ、「男ならシャキっとせんかい!」「ハッキリせんかい!」とよく怒られてた。
母親や妹からも「○○(本名)の趣味って一寸女の子ぽいかも。男の人でお茶碗や布地に興味あるって珍しくない?」って云われたり。
これは結構焦りました。「自分は普通の男」じゃないんだ。それじゃダメだ。周囲に合わせなくちゃ。溶け込まなくちゃ。
もう子供の頃の様な「浮いた」感じを味わうのはゴメンだ。ヒトと同じ様にしなくちゃ。

今、考えると本当に馬鹿みたい、笑っちゃうな。でも当時は必死だったんだな。
ボクが感じたり、周囲が言った「男らしさ」はあくまで一つの見方に過ぎないのに。そんなの気にすることなかったのに。
母親た妹が言ってくれたボクの趣味は自分の個性だったのに。それをダメだと思い込んでた。

でも、こんなムリ続く訳が無い。30代になって・・・初めて「ムリしてないか?俺って」と初めて思いました。
別に自分は「質実剛健でたくましい男」になりたい訳じゃない。豪快な性格でも無い。
何か表面的な男らしさを目指して、本当の自分の性格を全然分かってなかった。

そのとき、初めて周囲の同性を冷静に見るようになりました。
それまで「他人が全て正しい」「自分は間違ってる」と思い込んでました。
じゃあ本当に他の「男」はそんなに真似したい様な人たちなのか?
勿論素晴らしい人たちもいたけど・・正直嫌な面もかなり目につきました。みんなそんな立派な訳じゃない。
部下を苛めて楽しんだり、責任を押し付けあったり、すぐ激昂してヒステリー起こしたり・・。
何これ?こんな人たちを俺は目指してたの?真似てたの?ってガッカリして、今度は周囲の同性を否定してたな。
(今思うと随分極端で、一方的に他人のことを決め付けてますが^^;当時はそう思ったんです)

きっと自分にもそんな同性と同じ嫌な部分、汚い部分があるんだな、そう思うと、とても自分の中の「男」がイヤになりました。
・・かといって「女性」がイイっていう訳じゃない。異性にも恐怖感がある。
「男」でも「女」でも「中間」でも無い。どっちにも行きたくない、行けない中途半端な存在。
同性を認められないし、異性に怯えてる妙な存在・・・それが自分でした。

今の会社に移って、しばらくしてもその違和感はズーッとありました。
新しい会社でも、特に親しい同性や異性の友人を作る事は無く、ただ仕事に一生懸命で、休日は独りで過ごして。
他人との「交流」も無いから「自分が何者か?」なんて事も分からずに。

でも、少しづつ、素の自分を認められる様になった気がする。と云うか開き直ったのかも。(^^;
自分は自分なんだし、別にムリに「男らしく」も「女っぽく」無くてもイイ。中途半端ならそれも自分って。
丁度自分が掲示板やHPを持ち始めた頃、インターネットを通じて色んなヒトと出逢い話し出した頃でした。

おそらく嫁と付き合う様になって初めて自分が「男」って事を分かったり意識し出したんじゃないかな?
異性と向き合って自分の中にそれまで無かった色んな感情が湧き上がって、それで「あー自分は男なんだ」って気付いた。
それは・・決してイヤな感じじゃなかった。「男」も悪くないもんだなって思えるようになった。
(一緒に暮らしてみると、嫁の方がヨッポド「男らしい」性格ですが(+^_^+))

何となく「男らしさ」「女らしさ」をテーマにつらつら書きましたが、考えてみれば社会の中で一般的な「−らしさ」なんて
極めて不明確ないい加減なモノ。そんなのを気にして自分を殺す事は無い。世間の決めたルールにムリに自分を合わせる事は無いと思う。
それは「男らしさ」「女らしさ」だけでなくて「年齢」もそう。「もう○歳なんだから」「イイ大人なんだから」なんてよく云われます。
でも、そういう「形」に囚われて本来の自分を否定する事は悲しい気がする。

勿論、会社や学校、一歩家を出ればそういう「形」に自分を合わせざるを得ないケースもあるでしょう。
そこで自己主張しても摩擦が起きるかも知れない。相手に適当に合わせるか自己を主張して相手に認めさせるかはそれぞれの自由。
ボクの場合は、会社では相変わらず「男らしさ」を演じてる部分もあります。でも嫁や友人の前では全く違う。
使い分けた方が楽だからそうするだけ。表で素の自分を出そうとは思わない。
「自分に戻れる場所」で自分を素直に出せれば、それでイイ。

40歳近くになってようやく自分の中の「男」を肯定出来る様になったのも何だかナァって気もするが。(^_^;
まあ、イイじゃん。「男」って奴をもう否定しなくてもいいんだから。楽しめる様になったんだから、ね☆


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