12.ウソ(03.11/22UP)

またしばらく空いてしまった。最近特に書くようなテーマもなかったし。
最近TBSでやっている「恋文」というドラマを見ている。っていっても必ずしも毎回チャンと見てないけど。
幸福な家族。だけど夫はいきなり家を出る。理由は昔の恋人が病気で入院し彼女と一緒にいるため。
彼女のため夫(渡部篤郎)は独身のフリして彼女(和久井映見)の恋人になってあげる。
妻(水野美紀)は夫の非常識ぶりに呆れながらも夫の従姉妹のフリをして彼女を色々励ましてあげる。
でも実は彼女は彼が結婚していることを見抜いてた。そして妻が従姉妹のフリをしていることを。
そのことを妻に打ち明け・・二人はそこで共犯となって夫にバレテないフリをする。
でも夫はそのことを知って・・だけど・・今までどおり「独身」のフリを続ける。

何かこれ見てて「ウソつく」・・って結構ステキな事じゃないかと思った。
イヤ、勿論ウソは良くない。人を陥れたり、仕事で誤魔化したり、詐欺とか・・そういうのは勿論イケナイよ。
でも例えば重病の人に「大したことないよ」と言ったり・・無理だと思っても「大丈夫だよ」と言ったり・・
そういう「ウソ」は・・別にイイと思う。
イヤ他人に対してだけじゃなくって・・自分に対してもウソをついたり誤魔化したりする事って結構あると思う。
納得してなくても「これでイイんだ」と思ったり、腹立っても顔は笑ってたり・・大丈夫じゃないけど「大丈夫だ」と
思おうとしたり

それってイイことじゃないかな?無理してるかも知れない。ガマンしてるのかも知れない。
でも・・そうやって自分を必死に殺したり隠したりしてガンバルってステキじゃないだろうか?
まして「恋文」みたいに優しいウソ・・相手を想ってのウソ、相手を幸福にするためのウソ・・はホントのことより価値
がある気がする。
ホントのことだけじゃ・・やってられないってことイッパイあるような気がする。
ホントは正しいかも知れない。でも・・そんな現実・現実で果たして「幸福」なのかな?
現実をしっかり見据え立ち向かうこと。自分のホントの感情に従うことは大切だし、価値あるけど・・ウソに逃げ込むこと
あってもイイじゃん。人間そんなに強くはない。
それがウソと、現実逃避と分かっていて・・でもだからこそウソを楽しんで力を得たい・慰められるってあると思う。絶対。
多分ボクはだからこそ本を読んだり、オンガクを聴いたり絵を見たりするんだと思う。
イヤ別に自分の「現実」に不満がある訳でも逃避したい訳でもないが(過去はそういう気持ちがあった)。

当然いつかウソはばれる。現実に立ち向かわなくちゃいけないときが来る。
自分の気持ちを抑えていちゃあ、いつか破綻するだろう。
でもとりあえず目の前の現実を何とかやっていく、そのためホンの少しの間、逃げ場所を求める、ウソを楽しむ、
そんな、そんな時間があってもイイと思う。
全部が「ホント」「現実」だなんてツマンナイ。「ウソ」を楽しむ、受け入れるそんな遊びや余裕を持ちたいなと思う。


13.ガンバルナ(04.2/11UP)

ボクは会社で、部下や同僚に仕事頼むとき、使わないようにしている言葉がある。
あるいは、プライベートな友人が何か相談して来たとき、悩んでるとき、絶対言わないと決めている言葉がある。

それは何か・・というと・・・「ガンバレ!」って言葉だ。

一見励ましのように聞こえて、此れほど抽象的な言葉もないだろう。
「頑張る」・・って一体何を、どうしろって言うんだ?
言われた方は正直何をどうすればイイのか分かんないんじゃないだろうか?
仕事を頼むなら、具体的な内容を話して、指示すればイイ。「ガンバレ」なんて精神論は要らない。
相談に乗ってあげるなら、自分の意見なり想いをチャンと伝えるべきだろう。「ガンバレ」じゃ、あまりに・・抽象的だ。

「ガンバレ」。。ってさ。励ましのようでこんな無責任なコトバは無いと思う。

勿論「ガンバレ」が励ましになったり勇気付になるってことはあるだろう。
特に前向きになってる時、「ガンバル」「ガンバレ」は自分で言っても相手に言っても「エネルギー」になると思う。
いや、相手が困っているとき、悩んでるときでも、普通人が「ガンバレ」って言うのは相手を想っての事だろう。
こんな風に考えるのはボクがひねくれているのかも知れない。
だけど、ボクは疑ってしまうのだ。どうしても。「ガンバル」って言葉の力を。

悩んでる相手、立ち止まっている相手に「ガンバレ」って言ってどうするんだって気がする。
もう十分がんばって、疲れて動けなくなってるんだよ。
ガンバレないから、動けないから、どうしたらイイかワカンナイから、人に相談したりするんじゃないか?

「ガンバレ」とか「気にするな」とか「考えすぎ」って・・・励ましているようで実は何も励ましになっていない・・と思う。
例え相手が家族であれ、妻であれ、どんなに親しい友人であれ、相手が抱えているイタミはボクにはワカンナイ。
自分の事じゃないから。ボクは「貴方」じゃないから。
そのイタミの重さを何となく感じても実感は出来ない。「わかる」なんて言ったらそれはウソだ。悲しくても、それが事実なんだ。

だとしたら、相手のイタミもワカンナイのに簡単に「ガンバレ」とか「気楽に」・・とかは言いたくない。
それは却って相手を追い込むだけじゃないだろうか?善意の様でとても残酷な行為のような気がしてならない。

むしろ・・・
ボクに言えることがあるとしたら・・・、逆だ。「頑張らなくてイイ」って言いたい。
動けないなら動かなくてイイし、泣きたいなら泣けばイイ。落ち込んだってイイんだ。
悩むなら徹底的に悩めばイイ。
当たり前だ。人間なんだから。大人だったら生きていれば色々あるさ。毎日晴れなんてある訳ない。

だから、無理に泣くのガマンしたり、悩む自分を嫌悪したり・・そんな事を気にしなくてイイ。感情を抑える事は無い。
思い切り泣いて叫んでわめいて、じっとして・・自分の中にエネルギーが戻ってくるのを待てばイイ。
息を潜めてイタミが通り過ぎるのを待てばイイ。ただ待てばイイ。

ボクも昔はそうだった。辛いとき、どうしてイイか分からず、眠れず、人と話すことも億劫だった。
時間が過ぎるのをただ、待ってた。消極的かも知れないが、そうしか出来なかった。
ただ、眠り好きなオンガクを聴き、本を読み、時間が過ぎるのをジッと待ってた。
幸いにも、その後色んな状況が良くなり・・何とか抜けることが出来たけど。
あのとき無理して頑張ったり、自分のキモチを抑えてたら・・・きっとこわれていただろう。

だからボクは言わない。「ガンバレ」って。
ボクには、助ける事は出来ない。
力になれるかワカンナイ。
ならば。。。せめて
「ガンバレ」とは言わないこと。それだけだ。それだけがボクに出来ることだ。

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