Pure -ピュア-
その5
ディアは紙袋を持ってルヴァを訪ねた。そこにはリュミエールがいて、二人は談笑していた。
リュミエールもいたなんて…。でもリュミエールならば口も固いし、一緒に相談に乗ってもらいましょう。
それにしてもどんな風に話を進めたらいいかしら? 困ったわ。
で、口から出たのは少々ピントのずれた挨拶である。
「こんにちは。今日は良いお天気ですね。」
「はあ? ディア、何を言ってるんですか。飛空都市はいつだって良いお天気じゃありませんかー。どうかしちゃったんですかー? …良いお煎茶とおせんべいが手に入りましてね。リュミエールと楽しんでいたところなんですよ。あなたもご一緒にいかがでしょう?」
「ディア様、緑茶はとても体に良いのですよ。ルヴァ様もああおっしゃっていますし、ぜひご一緒に。」
「ありがとうございます。けれども私はつい今しがたお茶を頂いてきたばかりですから、お話だけ…。」
「せっかく来てくださったのに、何のおもてなしもしないのは私の気が済まないんですよー。…ちょっと待っててくださいね。今あなたの分も用意しますから。」
ルヴァが席を立った後姿を見ながら、ディアはため息を洩らした。
どう話を切り出そうかしらね…。
例のかわいい紙袋をティーテーブルに置く。リュミエールはそれに目を留めて言った。
「ディア様、それは? 何か大切なものが入っているのでしょうか?」
戻ってきたルヴァも、ディアのための湯呑みをテーブルに置きながら言った。
「おや、それは何ですか。…かわいらしい袋ですねー。開けてみてもかまいませんか?」
話のきっかけがつかめずにいたディアは頷く。憂い顔の補佐官はたいそう美しく、ルヴァは思わず知らず頬を赤らめた。
「じゃ、見せてもらいますね。」
と、袋から例の物を取り出した。広げてみて、ルヴァもリュミエールも目を見張った。目の前の楚々とした美女の持参する品としては、あまりにも異常である。二人は同時に言った。
「…これは…?」
「実は、それは……ジュリアスのものなのですよ。」
「え?」
リュミエールは口に手を当てた。驚きに目がまん丸に見開かれている。
「ええええ〜っ!? ジュリアスのですって?
……ディア、あなたとジュリアスはそんな関係だったんですかー? 下着を洗濯してあげるほどに親しい仲とは…。いやー驚きました、ちっとも知りませんでしたよ。」
傍らでリュミエールもこくこくと頷いている。ディアはあわてて否定した。
「いいえ、私とジュリアスは別に恋仲とかそういうわけではないんです。ジュリアスの恋人はオスカーですよ。」
「ええええええ〜っ!!!? オスカーですかぁ!? それ、本当ですか? ……うーん、あのジュリアスとオスカーがねぇ…。いやはや、これは驚きました〜。世の中まだまだ不可解なことはたくさんあるんですねー、うんうん。私もさらに精進が必要ということでしょうかね。」
いくら地の守護聖が知恵を司ると言っても、個人的な恋愛についてまで造詣を深める必要はないと思うが、本人はいたって真面目である。それに件の二人は固い信頼関係で結ばれてはいるが、恋愛関係にはないのだった。誤解ウィルスはどんどん増殖して犠牲者を増やして行く。新たな犠牲者はルヴァとリュミエールである。リュミエールは感想を述べることもできずにただただ呆れて聞いているばかりである。
オスカーはジュリアス様のことをたいそう尊敬してはいましたが、いつのまにそれが恋愛感情に変わっていたのでしょうか…。
あの人ならば恋をしたらそれは情熱的に迫ったかもしれませんね。
でもジュリアス様がその気持ちを受け入れたとは…ちょっと信じられません…。
信じられないなら信じなきゃいいのに。
ディアはロザリアから聞いた話を二人に伝え、これからどうしたらいいでしょう? と首をかしげた。
「ロザリアが言うんですの。
『わたくしかアンジェリークか、どちらかが女王となって守護聖様達とともにこの宇宙を導いて行かなくてはならないのです。ところが肝心の守護聖様がこのような真似をなさるのでは、わたくし、とてもうまくやって行けそうにないと、そう思いますわ! アンジェリークもひどく泣いていました。』って。
ロザリアの言うことはちょっと大げさかもしれませんけど、未来の女王がそういう気持ちでいることは、宇宙に悪影響を及ぼさないとも限りませんし…。」
「なるほど、そうかもしれませんねぇ。…では、早急に対策を練らなくてはいけません。当事者であるジュリアスとオスカーにはとりあえずのところ伏せたまま、他の守護聖を集めてもらえませんか? どこか目立たない場所で相談しましょう。」
あーあ、ついにジュリアス様の○リーフが発端となって宇宙の存続に関わる大問題についての会議が開かれることになっちゃった。
そして月の曜日。
聖殿の一室に、ジュリアスとオスカーを除いた守護聖全員とディアが集まっていた。さてこれから例の大問題を論じ合う会議の始まりだ。
この会議を召集したルヴァが、懐からおもむろにかわいい紙袋を取り出す。何の為の集まりか聞かされていない一同はそこから何が飛び出すのか、興味津々である。
「えーっとですね、今日ここに皆さんに集まっていただいたのは、ほかでもありません、この中に入っているものが宇宙の秩序に重大な影響を及ぼすかもしれないってことでですねー、そのー」
「だああああっ!! いちいち能書きがなげーんだよ、てめーはよ。もっとポイントしぼって話してくんねーか?」
「ルヴァ様に失礼だぞ、ゼフェル」
「だーってよぉ、せっかく定例会議が終わったかと思ったらまたこれだぜ。いい加減アタマにくらぁ。さっさと済ませろって言って、何がワリーんだ!?」
「ちょっとちょっとお子様たちぃ、そこで言い争ってちゃますます遅れるよ。静かにしてルヴァの話を聞きなってば。」
ゼフェルは不満そうに黙った。
「じゃ、も一回いいですかー? なるべく手短に言いますからね。この中に入ってるもののせいでわかったことなんですが、実は…
ジュリアスとオスカーが恋仲でしてねー。」
あまりにも手短過ぎる。ルヴァの爆弾発言にあたりは騒然とした。
「うそだろーーーーっ!! ジュリアスとオスカーがって…おっさん、からかうにもほどがあるってもんだぜ!!」
「恋仲…って…あの、ジュリアス様とオスカー様は男同士なのに、そんなことってあるんですか? ぼく、そんなの考えてみたこともなかったけど。」
純真な少年は衝撃を受けたようだ。
「ああマルセル、そんなにびっくりしないで。私も昨日ディア様から聞かされたときには驚きましたけど、世間では例のないことではないのですよ。」
「そうそう、リュミエールの言う通りですよ。別に誰と誰が愛し合おうが、それは当人たちの自由ですからねー。本来ならばこのような場で論じ合うべきことではないのです。けれども女王候補を巻き込んで、少々ややこしい事態になってきましたのでねぇ。皆さんと知恵を出し合って善処したい、とまあ、そういうことなんですよー。」
「でもルヴァ様、一体どうしてお二人が恋人同士だってわかったんですか? 俺、そっちにちょっと興味があるんですけど。」
「…その袋の中の物…関係があるようだったが。中身は何だ?」
じゃじゃーん!
とうとうジュリアス様の○リーフが全員の目の前でご開陳される時がやってきたのだ。合掌。
「これがですねー、ひょんなことで昨日女王候補の手元に届きましてね。そのときにオスカーがジュリアスのだと得意そうに言ったらしいんです。(<脚色してどうするっ!)
こんなものを肌身離さず持ち歩くとは、恋仲である何よりの証拠ですよねー。(<そうか? そうなのか?)」
「…ん? …これは…ランディ、昨日のあれではないのか?」
「見せてください、クラヴィス様。……ははっ、そうみたいですね。」
「私は…お前に託したはずだが…? なぜそれが女王候補の手に渡ったのだろう?」
しまった!
途中経過はわからないが、ブツはジュリアス様の手元に届かず、どういうわけか女王候補のところへ行ってしまったらしい。筆頭守護聖の依頼をないがしろにしたことがこれでバレてしまって、冷や汗をかくランディである。
「いやー…はははっ、あのあとゼフェルと会って、そのあとオスカー様と会って…オスカー様にお渡しするように頼んだんです。」
「えっ? 今、何と言いました?」
ルヴァの追及を受けてお子様トリオが白状し、それでようやく全てはつながったのだった。
「いやー、良かったです。全て誤解だったんですねー。それではディア、女王候補たちにことの真相を教えてあげてくださいますか? これで宇宙の危機は回避されたわけですね。(もともと宇宙は危機に瀕しているし、今回の件は宇宙の危機とは全然関係ない。)
本当に、皆さんに集まっていただいた甲斐があったというものですよー。
それでですねー、誠に申し訳ないことながら、全ての原因を作ったのはクラヴィス、あなただということがこれではっきりしたわけですからこれの処理はあなたにお願いしたいなーって思ってるんですけどね。」
「…仕方あるまい。」
クラヴィスは薄く笑うとジュリアス様の○リーフ在中のかわいい紙袋を受け取り、しゃんしゃんと手打ちでめでたく会議を終えようとしたが、もうひと波乱が一同を待ちうけていた。
その日、ジュリアスは朝から首をひねっていた。
朝の定例会議後、皆どこへ行ってしまったのだ?
さきほどリュミエールに依頼する書類を渡しに行ったとき、リュミエールは不在。
ルヴァに確かめたいことがあってルヴァの執務室を訪れても不在。
不審に思って他の者たちの部屋も訪れてみたが、オスカー以外誰もいない…。
その疑問にアタマを悩ませている首座の守護聖の下へ、オスカーがやってきた。
「失礼します、ジュリアス様! …お気づきですか? 執務室に誰もいないんですよ。」
「うむ。私もそれを訝っていたところなのだ。そなたも何も知らぬのだな?」
「気になりますんで、ちょっと他の連中を探してきます。」
「そうか。頼んだぞ。事情がわかり次第報告するように。」
オスカーは皆が小さな会議室に集まっているのを見つけ出してジュリアスにそれを報告すると、二人はそろってその部屋を急襲した。ノックもせずにオスカーがいきなり部屋の扉を引き開けると、その部屋にジュリアスの怒号が響いた。
「そなたたち! 首座の私に告げることなく、いったい何の為に集まっているのだ!?
どのような会議なのか即刻私に報告せよ!!」
小さな会議室がびりびり震えるほどの大音声である。さあ解散、と弾んだ気分になりかかっていた守護聖達は一名を除いてすくみ上がった。会議を召集した責任者であるルヴァは脂汗を流している。
「えー、そのですねージュリアス、別に大したことでは…。」
「定例会議を嫌がる者達が(ここでジュリアスはクラヴィスをちろりと見た)このように自主的に集まっているとなれば、何か重要な懸案事項があってのことと思うぞ。大したことではないなどと言われても見過ごすわけには行かぬ。」
ただ一人平然としていた闇の守護聖が穏やかに声をかけた。
「…ジュリアス…そのように大きな声で言わずとも聞こえる…。これには、ちょっとしたわけがあってな…お前は知らぬほうがよかろうと思えたので、目立たぬようにわざわざ聖殿の端の部屋に集まったのだ。その我々の配慮を無にするとは…お前と言い、お前の腹心の者と言い、何もかも己の手で取り仕切ろうなどと思わぬほうがよい…。」
「だが! 私は首座なのだぞ。全てを把握しておくべき立場なのだ。」
「そのようにことを荒立てては、自分が後悔することになるやも知れぬ。…それでも…全てを知りたい…と、言うか?」
「当然だ!」
「ではこちらへ来い。」
クラヴィスはジュリアスにかわいい紙袋を手渡した。
「中を見るがよい。」
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ジュリアスはわけもわからず中をのぞき込む。それだけではわけのわからなさが増幅されるばかりだった。
中身を取り出してみる。広げてみる。そして。
ぴきん。
その場に凍りついた。
「…フッ…警告はしたのだぞ。それでも見たいと言ったのは…お前だ。」
反応がない。
ジュリアス様は突っ立って目を開いたまま失神していたのだった。
その6
執務室奥の私室でジュリアスは気がついた。傍らにはオスカーが付き添っていて、気遣わしげにジュリアスの顔をのぞきこんだ。
「大丈夫ですか、ジュリアス様?」
会議室での一幕を思い出した光の守護聖はまた意識が彼方へ飛んで行きかけたが、必死でそれを引き戻してオスカーに尋ねる。
「…先ほどの…あれは一体どういうことだ?」
ジュリアス様…俺の口からはとても申し上げられませんッ…。
オスカーはうなだれた。なにしろ騒ぎを大きくした元凶とも言える立場である。彼が間違えて女王候補にアレを手渡したりしなければ、ここまでの騒ぎにならなかったのは確実だ。あまりにも申し訳なくてジュリアスに真相を話すことができないオスカーは、クラヴィスの言葉を伝えるのみにとどめた。
「クラヴィス様からのご伝言があります。闇の執務室へおいでただきたい、とのことです。」
せっかちなジュリアスはさっそく隣室を訪れた。
「クラヴィス! 先ほどのあれはどういうことだ? ここへ来いというのはそのことに関してなのであろう? 説明を聞きたい。」
「先ほど? ……気がつかぬか? もう宵闇が迫っている。お前は一日目覚めなかったのだ。あれは朝のことだ。」
そしてクラヴィスは詳細を語った。ジュリアスがあの部屋に乱入するまでの間に明らかになった事実を事細かに述べて行く。自分の○リーフがたらい回しにされる様を聞いて、ジュリアスが赤くなったり青くなったりするのをどこか嬉しそうに眺めながら。(クラヴィス様ったら、いぢわる〜)
まずクラヴィスが手にしたソレをランディに押しつけたくだりで、誇り高いジュリアス様は怒りに歯噛みし、女王候補がそれで涙をぬぐったと聞いてプライドの塊のジュリアス様は失神寸前となり、オスカーと自分が恋仲だと誤解されたと知って潔癖の権化のジュリアス様は激怒のあまり目がくらみかけ、まだ意識を保っていられるのが不思議なくらいだ。
額の青筋がぴきぴきぴき…。それでもどうにか平静を装ってジュリアスはクラヴィスに尋ねた。
「ひとつ訊きたい。…私の下着のことだが…結局どうなったのだ?」
くく、とクラヴィスが笑う。
「お前に返してやろうかと思ったのだが、土埃にまみれて見る影もなかったのでな…私が洗濯してみた…。何しろ、お前とは長年の付き合いだ。」
そのようなことをよくもまあ白々しく言えたものだ!!
ならばなぜ最初に手にしたときに私に渡さなかった!?
ぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷちっ。
ジュリアスの堪忍袋の緒はちぎれる寸前である。緒を形成する筋肉繊維の一部は確実に切れてしまった。
「それでっ!!」
「しかし元の純白には戻らなかった…」
「だからっ!! それをどうしたのかと問うているのだっっっっっっ!!!!!!!!!」
「…お前がそのようなものを着用するとも思えなかったので、私がもらうことにした。」
ぶちん。<堪忍袋の緒が切れた音
「!!!!!!!!!!!!!」
ジュリアスは顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている。堪忍袋の緒は完全にぶち切れてしまったが、彼の想像をはるかに超えた恐ろしいことをクラヴィスがいつも通りのしれっとした顔で言うものだから、パニックのあまり頭が働かなくなっている。何か適切な罵り言葉をクラヴィスに投げつけたいのに、言語中枢が麻痺して口もきけない状態だ。そのジュリアスを面白そうに見やって、なおもクラヴィスは続けた。
「館の者に黒く染めさせればよいと思ってな…。お前の下着は私のものと色違いではあるが…同じ品だったのだ。フッ…サイズも同じだ…。純白ではなくなっていたというだけで破れていたわけではない。黒く染めれば…『J』の縫い取りも目立たぬゆえ何も不都合はない。気遣いには及ばぬ。安心するがよい。」
何をどう安心せよと言うのだろうか。ジュリアスは卒倒せんばかりである。(さっきから何度も失神しかかってるけど)
やっとこさ言語機能が回復してきたジュリアスは叫んだ。
「そ…そそそそそそそそそそそそそそなたがっ! 私の下着を…!!」
「…そのようなこと……するわけがなかろう? 少し考えてみればわかりきったこと。…フッ…冗談に決まっているではないか…。」
………………………じょう…だん………? 今、この者は「冗談」と言ったか?
これのどこがっ!!!!!!!
「ク…クラヴィスぅ〜〜〜〜〜〜。笑えぬ冗談はよさぬかっ!!」
大音声で一喝、その後はぜいぜいと息を切らしている。これ以上からかうと窒息しかねないと思い、クラヴィスはようやく笑いを収めた。
「…実は今ここに…持っている。」
懐から取り出したのはまぶしいほどに真っ白な○リーフであった。
「デリケートな衣類も大丈夫な漂白剤を使用したら、この通り純白だ。私が手ずから洗濯してやったのだぞ。陰干しにしていたらなかなか乾かなかったのでな…低温でアイロンもかけた。…これは冗談ではなく、真実だ。少しは…感謝してもらいたいものだな。」
(それにしてもクラヴィス様、意外に家事もおできになるのね。)
堪えきれずにくくくく、とまたも笑い出すクラヴィス。ジュリアスは、感謝だなんてとんでもない!! と言わんばかりに幼なじみをキッとにらみつけると、純白の○リーフをひっつかみ、腹立たしげに闇の執務室をあとにした。むろん、○リーフを懐にしっかりとしまいこんでからではあったが。
足音はどかどか、扉を閉める音もばたんとうるさい。日頃の彼に似ない、品のない態度だ。よほど腹に据えかねたようだ。
あれの純粋無垢さには限度がないと見える。羞恥心が異様に強すぎるのは困ったことだ。この年になって、○リーフはおろか下着という言葉すらフォントサイズ極小でしか言えぬとは。あのままではさぞ生きにくかろうな…。早死にせぬように気をつけてやらねば。
とんでもない冗談で首座の守護聖を心臓麻痺寸前にまで追い込んでおきながら、そんなことなどなかったように嘆息する闇の守護聖であった。
さてさて、光の館の者たちはその日ジュリアスから激しく糾弾されたとかされなかったとか。
しかしいかにジュリアスが激昂して問いただそうとも、この大騒動の原因であるその○リーフがなぜ風に舞っていたのかは依然として謎のままであった。
そして誇り高いジュリアス様が、同僚の手によって洗濯、漂白およびアイロンがけされた純白の○リーフをその後着用したかどうかは、誰も知らない。