とりかえっこ番外 -異変-



ある朝急にクラヴィスの姿となって闇の館で目覚めたジュリアスは、主の行動の急激な変化に驚く館の者たちを後に宮殿へと出かけた。朝早くからいらいらとクラヴィス(推定外見ジュリアス)を待ち続けたが、クラヴィスがそんなに早く出仕してくるはずがない。そうこうするうちに定例会議の開始時刻となった。仕方なく、クラヴィスを待つことは諦めて、いつも通りに(出席者にとっては全然いつも通りじゃないけど)自分が仕切って朝の会議を終えた。

ジュリアス様、目先の仕事で頭がいっぱいになっていて、自分の外見がクラヴィスであることなんかすっかり忘れていたのだ。ちゃっちゃとその場を取り仕切るクラヴィスに呆然としていた一同は、会議中ほとんど声を出すこともなくただただクラヴィス(と誰の目にも見えるジュリアス)を凝視しているばかりだった。紛糾することが予想されるような事案もなかったために誰の発言もなかったことにさして不審の念も抱かず、ジュリアスは会議後は執務室へと向かった。自分の、つまり光の執務室の扉に手をかけたところで、背後からリュミエールの声がした。
「クラヴィス様、そちらはジュリアス様の執務室です。」
私はジュリアスだ、何を言っていると一瞬むっとしかけたジュリアスだったが、そう言えば私の姿はクラヴィスになっていたのだったとようやく思い出して、「そうであったな…」と隣の扉に目的地変更。背後には相変わらずリュミエール。
「そなた…いやお前は…何のために私についてくる!」
「何か御用がおありかと思いまして…」
いつもそうしているではありませんか、という非難を瞳にこめてクラヴィス(とリュミエールが信じている人物)を見たが、あいにく相手はクラヴィスではない。
「お前に頼むようなことは何もない。ところで、オスカーはどうした?」
用はないと切り捨てられたばかりか、意外な人物の名が闇の守護聖の口から出て、リュミエールは打ちのめされたような表情になった。

やはり今日のクラヴィス様はどこかおかしいようです…。この私よりもオスカーなぞをお選びになるとは…。
クラヴィス様、あなたはすっかり変わってしまわれたのですね…。

その通りである。
「オスカーの居場所など私には見当もつきませんが、そうですね…自分の執務室に戻ったのでは?」
「…そうか…そうであろうな。では後で呼びにやるとしよう。お前も自分の仕事に戻るが良い。」
「……はい……」
リュミエールは落胆を胸にその場を立ち去った。

そしてジュリアスは扉を開けて闇の執務室へと足を踏み入れる。わかっていたことだが、暗い。
このような暗い場所で執務ができるか!
むかっ腹を立てたジュリアスは、部屋中のカーテンを開け放って回った。
「やはり、遮光カーテンを使用しているのだな。だからこの部屋は夜のように真っ暗なのだ。光を入れれば気持ちの良い執務室だというのに、もったいない。」
大きな窓からさんさんと差し込む陽光に目を細めると、机に向かおうとして、気がついた。床の上にたくさんの白いふわふわした塊がある。ネオロマンス界の住人であるジュリアスはいまだかつてそんなものを見たことがなかったのだが、しばらくそのふわふわを観察して「そうか。これが『綿ぼこり』というものか」と納得した。
いつも閉めっぱなしのカーテンを開いたために、その下にわだかまっていた埃がわらわらと湧き出してその存在を明らかにしたものと思われた。自分の執務室では見たことのない現象を目にして、ジュリアスの眉間には深い縦じわが刻まれた。「…まさか」とつぶやきながら白い指をぴっと立てて窓の桟に滑らせると、白かった指先が黒くなった。ここにも埃がたまっている。
ぴきぴきぴきぴきぴき。
当然、縦じわに加えて青筋の出現である。

宮殿の清掃スタッフの怠慢だな。後で厳重注意だ。
このような不潔な部屋にこもって執務をしたら、きっと病に倒れるに違いない!

と確信したジュリアスは、とりあえず自力できれいにすることにした。人を呼んで掃除させるまでの時間を待つことのできないせっかちさんなんだから、もう。
というわけで、どこからかスチャッと取り出した飾りひもで長い黒髪を束ね、部屋のすみっこにある掃除用具入れから雑巾を取り出し、控えの間の小さな流しで濡らして絞った。守護聖の執務室になんで学校の教室のような掃除用具入れが、なんていうツッコミ却下。あんな場所の掃除は普通モップだろう、なんていうツッコミも同じく却下。主星の大貴族出身、守護聖として宮殿に勤続20年を誇るジュリアス様(外見クラヴィス)のやんごとなき白き繊指につかまれた雑巾は、感激にその身を震わせた(嘘)。誇り高き首座(外見クラヴィス)はそのひざを折って床につけると、手にした雑巾で床をぬぐい始めたのであった。

いったん仕事に取りかかれば、それがどんな仕事であれ没頭し、完璧を目指す男・ジュリアス。慣れない拭き掃除だが、誇りまみれ、もとい、埃まみれの床がぴかぴかに磨き上げられていく様が楽しくなって、何度も雑巾を絞りなおしてはせっせせっせと拭き続けていた。
そのときノックの音がして、「クラヴィス様、俺に御用とのことですが」と言いながらオスカーが入ってきて、目の前の光景に言葉を失った。内装自体が暗い色であるせいで光の執務室には多少劣る印象だが、それでもめいっぱい明るい闇の執務室というものには誰しも驚くだろう。しかし無論のこと、オスカーをさらに驚かせたのは、床にはいつくばって雑巾がけをする闇の守護聖なのであった。
「……見たな、オスカー」
顔を上げたクラヴィスにそう言われて、オスカーはらしくもなく震えた。だって、乱れてぱらりと顔にかかった黒髪が悪役顔を強調して怖かったし。それ以上に今のクラヴィスの謎の行動が怖かったから。額に汗して働く闇の守護聖なんて、あり得ない。

何か俺、とんでもなく間の悪いときに来たんじゃないのか。見たなんて正直に言ったら呪い殺されるかもしれん。
…もしかしてリュミエールの罠か?
クラヴィス様に俺を呪い殺させる気でここに来させたとか…!?

ここは否定しておくに限ると思ったオスカー、何も見ていないという意思をこめてふるふると首を振ると、「あの…リュミエールがわざわざ呼びに来たので、お急ぎかと思いましてっ!」必死の言い訳をする。
「まあ、よい。…このことは他言無用だ。」
立ち上がって、執務服についた埃をぱたぱたと払いながら、ジュリアスはオスカーに視線を移した。やや青ざめて硬い表情で、もしかしたら震えてる?みたいな、ジュリアスの見たことのないオスカーがそこにいた。ちょっと楽しくなったジュリアス、もう少しオスカーをからかうことにした。器が変わると中身も多少の影響を受けるものらしい。
「お前は今…ここで何を見た?」
びっくぅ〜〜〜ん!←オスカー
「いいえっ何もっ! 俺は何も見ておりません!!」
「ならばよい。」
流し目で見られて、オスカーさらに硬直。
「では……執務を手伝ってもらうとするか。」
「執務…ですか…」
この方に執務の補佐を頼まれるなんて……悪夢だ……。←白目むいて棒立ちオスカー

その後、敬愛する闇の守護聖が相性の悪いオスカーと二人で何をしているのかと気にしたリュミエールが現れ、事務官が書類を持って現れ、めっちゃんこ明るくて床までぴかぴかに磨き上げられた闇の執務室には三つ巴の守護聖プラスアルファ(=事務官)がひしめいて、異様な空気が流れていた。
クラヴィス(外見ジュリアス)がこの場に到着するまで残り68分。
がんばれオスカー。
がんばれリュミエール。
そして、一応。がんばれ事務官(?)。