とりかえっこ 続・新宇宙の女王誕生秘話



女王が交代してから、宇宙は平穏無事だ。冬の嵐のような状況が一気にめでたい春といったムードになった。
…とは言え、そんな周囲のムードには関係なく悩んでいる人物が一人。その人物とは他でもない、第256代女王その人である。いつもにっこり笑顔の女王陛下が実は心中忸怩たるものを抱えているなんて誰も知らなかったのだが、でも真実を知れば誰でも女王に同情したに違いない。
現女王は、誰の目にも「アンジェリーク・リモージュ」の姿に見えているのだが、実は彼(女)は「元・光の守護聖ジュリアス」なのだ。ただ単に立場を入れ替えられただけ、意識はジュリアスだし、体もジュリアス、もちろん正真正銘の男性である。それなのに女王。
そんな無茶がまかり通るのも、宇宙の意志のせいだった。女王試験当時に、宇宙の意志によって光の守護聖ジュリアスと女王候補アンジェリーク・リモージュの立場の入れ替えが行われたのだ。当人たちには何の断りもなく、いい加減に適当に。その結果、周囲には光の守護聖ジュリアスに見えるアンジェリーク(意識はジュリアス、体はアンジェリークのまま)と、周囲には女王候補アンジェリークに見えるジュリアスといういい加減な状態のままに女王試験は終わり、ジュリアスが女王に即位してしまった。

幼い頃から「宇宙に奉仕し、他者に尽くす」ために生きてきたジュリアスは、立場を入れ替えられてもとりあえず全力でそれまでの生き方を貫いた。
女王候補になれば女王試験に真剣に取り組み、やむを得ず女王に即位してからはこれまた宇宙のために一生懸命。女王が仏頂面では皆の志気にも関わるであろうという判断の下、にっこり笑顔を振りまいちゃったり、涙ぐましい努力ぶりなのである。そうした陛下の努力を反映して、新宇宙は順調に発展を続けていた。そんなこんなで宇宙の意志も安心、うつらうつら居眠りしてたりする。でもあまりにも平穏すぎて、何だかちょっぴり退屈になってきた。
宇宙の意志さんは人じゃないけどそれなりの意識がある。女王交代時に介入して、何となく面白かったので、最近ヒマを持て余している彼だか彼女だかよくわかんない「人でなし」は、また少し遊んでみることにした。
女王として頑張っている元・光の守護聖ジュリアスを、本来の位置である光の守護聖に戻してみる。そしたら女王の座が空いてしまうので、光の守護聖をしていたアンジェリーク・リモージュをそこに据えてみた。

宇宙の意志がその気になった次の朝、聖地ではちょっとした異変が起こっていた。宮殿の奥、女王の居室からは悲鳴。
「きゃあああああああっっ!! 何これ!? ここ、どこっ!?
私、何でこんなところにいるのぉ!?」

女王候補当時に光の守護聖と入れ替えられたときには、光の守護聖(=ジュリアス)としての意識を与えられていた彼女、今回は光の守護聖だった部分の記憶がすっぽり抜け落ちている。つまりアンジェリークにはここ数ヶ月の記憶がなく、女王候補気分のままなのだ。宇宙の意志は相変わらずいい加減だ。

光の守護聖の館ではジュリアスが目をぱちくり。こちらは光の守護聖→女王候補→女王→光の守護聖という変遷の歴史をしっかりと覚えているので、最初の驚きが去ったあとは歓喜を味わった。
「私は…ようやく戻ってきたのか…。慣れれば女王の生活もなかなかに充実していて楽しかったが、やはり自分の館はよいものだ。」
感激してちょっぴり目を潤ませたりしているジュリアス。
「もう女王のドレスを着用しなくてもよいのはありがたい。あれは窮屈でたまらぬ。」
着慣れた光の守護聖の正装は裾こそ長いもののゆったりしたデザインである。上半身ぴっちりの女王のドレスのせいで肩はこるし頭痛もするし、すっかりドレスに辟易していた彼は、喜々としてニューデザインとなった光の守護聖の正装に身を包んだ。そうして喜び勇んで出仕した彼を待ち受けていたのは、女王周辺の大混乱である。


ロザリアが青い顔をしてジュリアスの執務室を訪れた。
「ジュリアス、陛下が大変なのです。」
心当たりがないでもない、と言うか、ありすぎのジュリアス、ぎくぅっ。でも沈着冷静を装うのは得意中の得意、そんな内心の「ぎくぅっ」なんかおくびにも出さない。
「落ち着くのだロザリア。…して、何が起こった。」
「陛下が…突然記憶喪失になられて…女王候補のアンジェリークに戻ってしまわれて」
「陛下はどうなさっておられる?」
「女官長が付き添っていろいろとご説明申し上げているけれど、何も覚えがないと…」
「陛下のサクリアには異常はないのか。」
自らの身にはなつかしい光のサクリアが宿っているのを感じる。とすればアンジェリークは…。
「ええそれは。王立研究院で調べていますが、特に変化はないようです。」
「ならば、とりあえずはこの宇宙は安泰と言うことだな。あとは陛下に現状を理解していただけば何も問題はない。陛下の記憶が戻るかどうかはともかく。…当分の間、私もそなたと共に陛下の補佐役を兼任させてもらうが、それでよいか?」
記憶など戻るわけがない。おそらくアンジェリークは何も知らぬのであろうからな。
という本心は隠してなされたジュリアスの提案に、ロザリアは安堵した様子で頷いた。自分一人で対処するのは大変すぎる事態だが、守護聖歴20年、大ベテランの光の守護聖が手伝ってくれるなら百人力である。


今回の入れ替えに伴う混乱は主にアンジェリークの記憶の欠如によるものだったが、その後しばらくジュリアスが女王の補佐を務めてどうやら収まった。アンジェリークの「記憶」は戻らなかったが、ジュリアスの適切なアドバイスによって何とか女王らしくなり、宇宙の秩序は保たれたのだった。そして新宇宙は相変わらずぽかぽか春なムードである。となると、またぞろ宇宙の意志さんが退屈してちょっかいを出したくなってくる頃だ。宇宙の意志にも悪い癖がついたものだ。
さあて…。と、宇宙の意志は考えるともなく考える。今度はこれとこれ。

翌朝。
暗い一室で、その部屋の主が目を覚ました。周囲の暗さに首を傾げる。まだ朝ではないのか? いつも定時に目覚める私がこのように暗いうちから目を覚ますとは…。体調がすぐれないのだろうか。そういえば体が妙にだるい。
身を起こして時計を確かめようとしたその時。さらり、と落ちかかる黒髪を無意識にかき上げ、驚愕した。
黒髪!?
おそるおそる髪を手に取ってみる。艶やかな黒髪はクラヴィスのものだった。手も自分の手ではない。周囲を見回す。いつもの寝室ではない。
ベッドを出て、鏡を探す。寝室には見あたらないので次の間へ行ってみた。そこに姿見を見つけてその前に立つ。すでに気づいてはいたが、自分の目で全身を確かめてみてがっくり。
「…またか」
光の守護聖ジュリアスは、闇の守護聖クラヴィスになっていた。

光の館では元・闇の守護聖クラヴィスが光の守護聖になった自分の姿をためつすがめつし、光の守護聖らしくない笑い方で「フッ」と笑っていた。


* * * * *


その朝、闇の館は大混乱。主がいつになく早く起きてきたかと思うと、いつもはほとんど見向きもしない朝食をしっかりとって、シェフに感激の涙を流させた。食事をしながら聖地新聞はないのかと側仕えに尋ねて驚愕させ、闇の館に新聞などないと知るや「まったくあれは…」と周囲には意味不明なことを呟くと、明日から聖地新聞を購読するゆえ契約をしておくようにと執事に伝え、てきぱきと支度して出仕に及んだ。クラヴィスが意気揚々と出かけていった後に、例によってリュミエールが迎えに来たのだが、執事に「クラヴィス様はすでにお出かけになりました」と言われてびっくり仰天、あわてて後を追う羽目になった。
「クラヴィス様…あなたにいったい何が起こったというのですか…」
リュミエールは心配のあまり馬車の中で真っ青になって両手をもみ絞りつつ独り言。そんなに早く目が覚めてしまうなんて、その上しっかりと朝食を召し上がってさっさとお支度を済ませて私を待たずに出仕なさるなんて…。クラヴィス様はきっとどこかお悪いに違いありません、と妙な確信をしているリュミエールである。やや早めとは言え普通の時間に起きて、普通に出仕していっただけだというのにこんなに他人に心配させるクラヴィス様って、相当にダメ人間である。大人のくせに毎日なかよしのお迎えがなければ通えないなんて、小学生にも劣るんじゃなかろうか。が、この日はちゃんと大人らしく振る舞っただけだというのに、これほど心配するリュミエールも異常なまでに過保護だって気もするので、彼もまたクラヴィスといい勝負。ダメ人間と心配性の世話好きはまさに割れ鍋に綴じ蓋、似合いのコンビと言えなくもない。

闇の館の方はこんな具合だったが、光の館でも少々混乱を来していた。闇の館とは逆で、遅めに起きてきた主、動作がいつものメリハリのきいたものではなくて、どことなくゆったり、食も細くて皿の上をつつき回すばかりではかどらない。食事が終わったんだか終わってないんだかわからなくて、そばに控える給仕の者も困っている。どうやら食べ終えたようだと思っても、一向に立ち上がる気配はなく、もちろん出仕の支度にも取りかからない。聖地新聞を差し出してもいらぬと押しやられる。館の者たちは、普段とはあまりにも様子の違う主に「ひょっとしてどこか具合でも悪くていらっしゃるのだろうか」とおろおろしていた。

その朝の定例会議は、闇の守護聖が一番に来ており、そして光の守護聖が不在という異例の幕開けとなった。
クラヴィス(実はジュリアス)はいらいらしつつ「ジュリアスはまだか」と幾度となくオスカーに尋ね続け、オスカーもジュリアスの不在にいらいらしている上、相性の悪い闇の守護聖にぴったりマークされて居心地が悪い。さらに、リュミエールが悲しそうな目で自分とクラヴィスをじっと見ているのでますます居心地が悪い。針のむしろだ。自分たちより少し遅れてやってきたリュミエールを見ながら、クラヴィス様は何で今日はリュミエールをそばに侍らしてないんだ、何で俺につきまとうんだああああっ!?と叫びたかったが、「ジュリアスはどうしたのだ!」とクラヴィスに尋ねられれば「俺にもわかりかねます」と丁寧に返事をするしかないのだった。
ジュリアス以外の守護聖がそろったところでクラヴィスは「あれのことはもうよい。定例会議を始める」と場を取り仕切っててきぱき会議を始める始末で、その日の伝達事項やらあれこれをまくし立てるクラヴィスを一同は呆気にとられて眺めていた。クラヴィス以外の誰の発言もないまま、会議は無事に(?)終わったのだった。

その頃光の館では、のんびりと食事を終え、側仕えの手で正装に着替えさせられたくせにいつまでも館でだらだらしているジュリアス(実はクラヴィス)に、執事が遠慮がちに「ジュリアス様、お体の具合でもお悪いのですか?」と尋ねては「大事ない」とそっけなく返され、「そろそろ出仕なさいませんと」とおそるおそる促しては「まだよい」といなされ、困り切っていた。クラヴィスはそんな執事の困り顔を表面的には無表情に、その実とても楽しんでいたのだが、あまり困らせるのもさすがに気の毒になって、「では…そろそろ行くとするか」と重い腰を上げた。

普段の出仕時刻からおおかた3時間あまりもたった頃になって、ようやく光の守護聖が宮殿にその姿を現した。最敬礼する衛兵たちを黙殺してすたすたと回廊を抜け、執務室へと向かうその姿はいつも通りの彼、と見えなくもないけど、そう言えば普段は敬礼に対して軽く頷き返してくれる光の守護聖様が今日はどうなさったのだろうと衛兵に不審を抱かせた。さらに、中身は闇の守護聖である彼は、迷うことなく闇の執務室に入って、その明るさに一瞬身を引いた。
闇の執務室で見慣れた闇はどこにもない。隅から隅までぴかぴかに明るく照らし出された部屋は、まるで光の執務室だった。全てのカーテンが開かれた闇の執務室は、実はものすごく陽光が入る造りになっていたのだ。奥の執務机には闇の守護聖がいる。が、それだけではなくて、机には書類がうずたかく積まれており、それを手際よく処理していく闇の守護聖+困惑顔で補佐をする炎の守護聖+悲しそうに寂しそうに二人を見つめる水の守護聖+何だか妙な火花を散らす三つどもえの守護聖たちをぽかんと眺めている事務官という、わけのわからない情景が繰り広げられているのだった。

さて、そんなところに飛び込んできた光の守護聖(実はクラヴィス)に一同の目は集中した。闇の守護聖はばっと立ち上がると、いきなりの大爆発。
「クラ……ジュリアス!! 今まで何をしていた。遅いではないか! もう定例会議も終えた!」
「…それはすまなかった…フッ…。」
ジュリアスらしからぬ冷笑。クラヴィスは怒りのあまりか声も出ず、ただ握りしめた拳をふるふると震わせているばかり。
リュミエールはおろおろしながら交互に二人を見、オスカーは「クラヴィス様、そこまでおっしゃらずとも」とあわてて制止にかかる。
見た目ジュリアスなクラヴィスは、「私は少しこれと話がある、皆は席を外してもらいたい」と光の守護聖然として言い、ジュリアス以外の人間を外に出してしまった。光あふれる明るい闇の執務室に筆頭守護聖の二人が残った。

二人きりになってからの闇の守護聖の第一声は、光の守護聖の姿をしたクラヴィスへの確認だった。
「そなた、クラヴィスだな?」
「…そうだ。」
「そなたは今光の守護聖なのだから、もう少し真面目に働いてもらわねばいろいろと差し障りがあるではないか。」
「だが…今のところ宇宙は安定している。馬車馬のように働く必要もないと考えるが…どうだ?」
確かにクラヴィスの言う通りではあった。だからといって、ジュリアスとしては「はいそうですね」と頷くわけには行かない。
「それはそうかも知れぬ。が、書類がそう減るわけでもないのが大きな組織というものだ。それにだな、光の守護聖の性格が急に変わってしまっては、周囲も混乱するではないか。」
「それを言うのなら、お前こそ闇の守護聖らしくない行動は慎むのだな。」
「…う。」
痛いところをつかれたジュリアス、言葉につまる。彼は朝から闇の守護聖らしくないことばかりをしていることに今さらながら気づいたのだ。
「いっそお前と私が入れ替わっていることを公表してはどうだ?」
その方がよほど楽だ、とクラヴィスは言う。ジュリアスだってそれを思わないではなかった。だが冷静に考えてみれば、二人の人間の人格が入れ替わるなんてとんでもない異変である。そんなことを公表して、実験動物よろしく王立研究院であれこれ調べられたりする事態になるのもうっとうしいので、なるべくなら隠しておきたかったのだ。根拠はないが時間がたてば今回の異変も自然に収まるだろうという見通しもあった。何しろ似たような事態を経験したばかりだ。
「この事態が周囲に知れると、私たちは王立研究院のモルモット扱いとなるやも知れぬぞ。それでも良いのか? 私としてはこのまま様子を見るのが望ましいと思うのだが。」
クラヴィスに示された選択肢はふたつ。すなわち。

選択肢1:首座として勤勉に働く。
選択肢2:実験動物として研究員に取り囲まれ、観察され、データを取られ、プライバシーが一切なくなる。

職務怠慢で面倒が嫌い、人付き合いが苦手で静寂を好むクラヴィスには究極の選択だった。
「…ううううぅぅぅぅぅぅううううぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜む…」
ジュリアスの姿のクラヴィスは眉宇を寄せて唸りながら悩んでいる。迷っている。考え込んでいる。頭を抱えている。ジュリアスはそれを見て、こんな事態にも関わらず楽しくなった。自分の姿で悩んでいるという部分はいささか不満だったが、とにかく困っているのはクラヴィスなのだ。

困っている。クラヴィスが。
私がクラヴィスを唸らせている! 今までこの男に幾度となく苦汁をなめさせられたこの私が!
ふっふっふっふっふっふ…。

そんなことを思いつつ悠然と腕組みをしてクラヴィスの答えを待ちながら、およそジュリアスには似つかわしくない、「闇の守護聖クラヴィス」にふさわしい人の悪い笑みを浮かべているのだった。


最終的にはクラヴィスの数分間にわたる「う〜〜〜〜〜む」の後に下された決断により、人格交代は公表せず現状維持、元に戻るのを待つ方向で二人の意見は一致した。
「二人で決めたことだ、そなたにも協力してもらうからな。」←妙にうれしそう
「…まったく、難儀なことだ…」←心底嫌そう
「まずその後ろ向きな思考回路から直せ。それでは私らしくない!」
「…フッ…それを言うのならば、お前とて同じこと…。早く私らしくなることだな…。」
「…ふむ、それもそうだ。…では…お前は自分の執務室に戻れ。…これを持って、な。」
書類の山をよっこらしょと持ち上げながらにやりと笑った顔はいかにも人が悪そうで、クラヴィス然としている。さすが有能な首座様、あっという間にクラヴィスらしさを獲得したものである。ジュリアスは書類をクラヴィスの手に押しつけると、扉を開いて退室を促した。その仕草が優雅なのも憎たらしさ倍増って感じで、クラヴィスはいつになく怒りを感じた。もう少しでジュリアスを怒鳴りつけるところだったが、そこでジュリアスちっくに怒りを発散させるのも業腹に思えて、書類の重みによろけつつ、闇の執務室からおとなしく追い出されたのだった。部屋の外で待っていたオスカーやリュミエールがそれぞれの敬愛する筆頭守護聖に駆け寄る。事務官も青くなって首座に駆け寄り、書類の山を丁重に受け取ると、光の執務室へと運んでいった。

守護聖二人は光の執務室へ向かう事務官の後を追う。オスカーは執務室に入りながらジュリアスに尋ねた。
「ジュリアス様、クラヴィス様との話っていったい何だったんです?」
「…別に…たいしたことではない。お前…いや、そなたが気にかけるようなことではないのだ。」
二人称はそなたそなたそなた、と心の中で繰り返しながら、クラヴィスはできるだけジュリアスっぽく答えた。口調が尊大なところはクラヴィス、ジュリアスともに同じなので、その点ではあまり苦労はない。「フッ」と笑ったり、てんてんを多用するのを控えれば何とかなるか、と気を取り直しながら光の執務室に入る。
それにしても、と机に積み上げられた書類の山を見てげんなり。あれを毎日処理せねばならぬのか。
早いところ元に戻りたいものだ…。
思わず洩れるため息をオスカーに聞きとがめられ、「やはりクラヴィス様と何か?」と心配されたが、「何でもない」で押し通した。

一方、リュミエールとジュリアスの二人は。
「…クラヴィス様、窓の帳はこのままでよろしいのですか?」
いっぱいに開け放たれた窓をどうしようかと尋ねるリュミエールに、そのままにしておいてくれと言いかけ、ジュリアスは口ごもった。ジュリアスの好みとしては明るい方がいい。暗くて陰鬱な部屋に一日いたらカビが生えそうだからごめん被りたい。だが今の私はクラヴィスクラヴィスクラヴィス…と心の中で繰り返しながら、
「そうだな、閉めてもらおうか…。」
と答えた。言いながらきびきびと歩いて執務机に直行しそうになり、はたと思いついてぴたりと歩みを止める。突然の停止に、背後を小走りに追ってきていたリュミエールがどすんとぶつかって、「申し訳ございませんクラヴィス様」と平謝り。ジュリアスは、いや急に立ち止まった私の方が悪かった、とかなんとか呟いた。
書類は「首座殿」が何とかしてくれる。ここ闇の執務室の机の上には今は水晶球があるだけで、そこに座ってみたところで彼がするべきことは見あたらないのだ。これからどうしたらいいのかわからず、リュミエールに確認を取ることにした。
「私は…日頃この時間は何をしている? もしや…その長椅子に…?」
「そうですね。いつもでしたらそちらの長椅子に横になっておいでです。私のハープを所望なさったり…」
ご自分が普段何をしていらっしゃるかもおわかりにならないなんて…今日のクラヴィス様はどう考えてもおかしいようですね。これはやはりどこか具合が悪くていらっしゃるのでしょうか…。もしかして、あまりに怠惰が過ぎてボケが始まっているとか…ああ何ということでしょう、クラヴィス様、しっかりなさってください。…いえ、あなたには私がついております、思う存分ぼけてください。このリュミエール、いつまでもあなたのお世話をさせていただきますっ!
そこまで先走って考えなくても、と思うが、リュミエールは真剣なようだ。そんなことを思いながらもクラヴィスの質問には律儀に答えを返す。そしてその答えにジュリアスは頭を抱えた。
長椅子で寝そべる…そうではないかと思ったが、やはりそうであったか。
では私はその真似をせねばならぬということだな。
仕事中毒のジュリアスには、何もしない長い時間など拷問以外の何物でもない。だらけた様子で長椅子に寝そべっているなんて、もっての外だ。けれどもクラヴィスらしくない振る舞いをして今の状態がばれて、挙げ句王立研究院のモルモットになるのはジュリアスとしても避けたいところだったので、フッと諦めのため息を洩らすと目的地を長椅子に変更して、「ではリュミエール、お前の演奏を聴かせてくれ…」と力なく言ったのだった。ジュリアス様、闇の守護聖ぶりがなかなか板についていらっしゃる。


* * * * *


連日光の執務室にこもって、際限なく押し寄せる書類の処理に追われてぐったりのクラヴィス、館に戻れば疲れて夜はぐっすり眠り、自然と朝は早く目が覚める。朝食もしっかり食べて出仕するというジュリアス的習慣に染まりつつあるので、激務にも何とか耐えられている模様。
普段のクラヴィスのペースで動いていると、ジュリアスのところに回ってくる大量の書類の処理は不可能であったために自然とそういうペースの生活になってしまう。ジュリアスであるということはこういうことなのか、と否応なしに実感させられる毎日だ。
クラヴィスは仕事を片づける能力がないわけではなく、単にやるのが面倒だからやらなかった、そうしたらジュリアスが全部ひっかぶってくれたからそれに甘えていた、というだけなので、回された仕事ができないということはない。いやいやながらもやっている。
そう、彼はその生活が嫌だった。元に戻れれば、金輪際聖地が嫌いだなんて言うまい、いやそれどころか、自分は闇の守護聖としての生活を懐かしんでやまない、以前通りの静かな生活が取り戻せれば私にとってそれに勝る喜びはないとまで思った。「モルモットにされる」などと脅されてジュリアスのふりをすることを承知したが、こんなことなら王立研究院にカンヅメにされるほうがまだしも楽だったかもしれない、と心中では弱音を吐きながら、それでもクラヴィスは、彼らしくもなくがんばっていた。いつの日にか自分の体に戻れることを夢見て。生活習慣が改まると、人間性も変わるものらしい。

そしてジュリアスはと言えば。
今は自分の管轄下にあるクラヴィスの体を検分したところ、申し分なく健康な成年男子である。こんなにいい体をしているくせに、なぜあれはあのように怠惰に過ごせるのだと不思議で仕方がない。とにかく暇だ。暇で暇でしょうがない。どこまでも怠惰でメリハリのない闇の守護聖の生活に慣れることができない彼は、出仕が遅くても早退しても何してもかまわない闇の守護聖の立場を使って、ある計画を実行に移すことにした。何しろ暇を持て余している。何をするのもジュリアスの思いのままだ。
覚悟するがよい。この私がそなたの性根を叩き直してやる。少なくともそなたの体は今は私の好きにできるのだからな。
またもや人の悪い笑みを浮かべているジュリアスなのだった。

そんなこんなで、闇の守護聖の私生活は一変した。怠惰な性根を叩き直すには体育会系の鍛錬が有効であろうというジュリアスの判断により、闇の館の一室にひそかにジムを設けてマシンエクササイズや腕立て伏せ、腹筋運動、なわとびなどに精を出し始めたのである。朝は暗い内に起き出して人気のないところを選んで早朝ランニングにいそしみ、館に戻りシャワーを浴びてさっぱりしたところで聖地新聞を読みながらたっぷりの朝食。リュミエールの迎えが来ると、おもむろに闇の守護聖の正装に着替えてけだるげに「…待たせたな」と姿を現す。闇の執務室では、リュミエールのハープを聞きながらランニングやエクササイズに疲れた体を休めることに専念し、それに飽きたらさっさと闇の館に戻ってまたエクササイズ、という生活を続けていた。対外的には、闇の守護聖は以前通りというわけだ。その実彼の体は規則正しい健康的な生活、三度三度のきちんとした食事に強制的に馴染まされていった。

双方が何となく落ち着かなかったのは最初のうちだけで、しばらくするとクラヴィスもジュリアスもそれぞれの生活に慣れてしまった。
んで。
宇宙の意志さんは、またつまらなくなった。二人の状態が安定してきて何の波風もなく、ぽかぽか春の陽気のような状態が続いて、いい加減な宇宙の意志は二人を入れ替えたことはそのまま忘れてしまいそうだったのだが、あるとき「ふぅん…たいしたことは起こらないな」と考えるともなく考えて、何となく二人を元に戻しておくことにしたのだった。

その翌朝。光の守護聖は歓喜を味わっていた。
「私は…ようやく戻ってきたのか…。しばらくならばランニングやエクササイズに明け暮れる生活も悪くはないが、やはり自分の館はよいものだ」
これでバリバリ仕事ができる、と朝からはりきっているジュリアスである。

一方闇の館では元・光の守護聖クラヴィスが闇の守護聖に戻った自分の姿をためつすがめつし、「フッ」と笑っていた…が、彼はのんびりとそのまま笑っているわけにはいかなかった。
どういうわけだか知らないけど、自然に体が動いててきぱきとジャージに着替えると、その朝のランニングに飛び出していったのだ。
なぜだ。なぜ私はランディのように聖地を走っているのだ。
半泣きでクラヴィスは黙々と走り続けた。いい加減走り疲れた頃ようやく館に戻り、シャワーを浴びると山ほどの朝食が運ばれてきて、執事がうやうやしく聖地新聞を手渡す。目をぱちくりしながら新聞を読み、山のような朝食を平らげて、食べ過ぎて苦しいから少し休もうと思っているにも関わらず、今まで闇の館にそんなものがあるなんて知らなかったジム(ジュリアスが用意させたんだから、クラヴィスが知らなかったのも当たり前)に赴いてエクササイズを始める始末である。
朝食を済ませたばかりなのだ、いきなり運動を始めるなど言語道断。
消化に悪いではないか!←自分の健康に気を配る闇さまって、どこか変
だいたい、こんなことをしてはまた汗をかく。先ほどのシャワーは何だったのだ!?
湯を使うのはこの後にすればよいのに!!
自分を叱りつけるが、すっかり習慣になっていることを体は忠実に再現している。それはリュミエールが訪れる直前まで続けられた。
やっと解放される…。リュミエールよ、お前は私の救い主だ…。
結局もう一度シャワーで軽く汗を流してから側仕えに手伝わせて着替えを済ませ、身支度が整った頃にタイミング良くリュミエール登場。世にも情けない顔をして現れたクラヴィスにリュミエールは持ち前の心配性を爆発させた。何しろクラヴィスがそんなにわかりやすい表情をしていたことなんて、ついぞ見たことがないのだ。
「クラヴィス様、いかがなさいました?」と駆け寄るリュミエールに、クラヴィスは力なく「少々疲れたようだ…」と答えた。
「いったい何があったのです?」
どうやらジュリアスにしてやられたらしい。
私の知らないところで妙な習慣をたっぷりと仕込んでくれたものだ…。
「…フッ…」
いささかヤケ気味にクラヴィスは笑った。
光の守護聖として山ほどの書類に埋もれながら夢見ていた自分本来の生活。ようやく自分の体に戻れて元通りの生活ができると思っていたのに、ジュリアスの鉄の意志によって習慣づけられたことは容易には抜けそうにない。
いつになったら私は私本来の私らしい生活が送れるのだ!?

光の守護聖ジュリアス、その頃にはとうに出仕して、光の執務室でクラヴィスの執務ぶりをつぶさに調べていた。
「やはり、あれはやればできるのではないか。このところの生活でせっかく身についた執務の習慣をふいにすることもなかろう。」にや。
その日からというもの、闇の守護聖のところに回される書類は格段に増えた。きっちりと食事と睡眠をとり、ランニングやエクササイズをこなし、さらに大量の書類に埋もれる、規則正しく健康的で勤勉な生活からクラヴィスが抜け出せる日は永遠に来ないのかもしれない。