クラヴィス様の秘密の楽しみ



あまり知られていないことだが、闇の守護聖の趣味は読書だ。
専門的な知識を深めたいとか何かについて研究したいとかいった明確な目的はない。純粋な楽しみ(と言うか暇つぶし)のための読書である。

サクリアを送る以外はあまりすることのない彼は、しょっちゅう王立図書館に出向いては読書にふけっていた。王立図書館には全宇宙の書物が集められていると言っても過言ではない。そして、一般の図書館にはない摩訶不思議な書物の宝庫でもある。怪しげではあるが貴重なそれらの書物は、たとえ守護聖といえども図書館の外へ持ち出すことはできない。書庫の一隅のスペースでの閲覧が許されているだけなのである。
クラヴィスが読みたいと思うのはたいがいそのテの持ち出し禁止の書物で、図書館内で読むしかないために、しばしば執務室を留守にしてはジュリアスに「執務時間内であるというのに、一体どこへ行っていたのだ、職務怠慢だ」と注意されていた。しかし立場としては対等と言える光の守護聖ジュリアスから叱責を受けたって悪しざまに言われたって、痛くもかゆくもない。ジュリアスに限らず、他の誰に言われたって同じことだ。なにしろクラヴィスとしては、自分が最低限しなければならないことは済ませているつもりだったからだ。時間給で働いているわけでもなし。いいじゃん別に、というのがクラヴィスの考え方だ。
だって考えてもみてほしい。仕事大好き人間のジュリアスと違って、書類仕事はとことんしたくないクラヴィスである。長年にわたる画策の結果、そんな彼の元に回ってくる書類は少ない。その気になればすぐに処理できる量でしかない。そうしたら、それを済ませた後の時間は? いくらクラヴィスだって、一日中することもなく暗い執務室で水晶球だけを相手に生きてはいられない。それよりは余った時間で趣味に生きるほうがずっと楽しい。
というわけで、執務室を抜け出しては王立図書館へ通うのが習慣となっている。すっかり顔なじみの図書館の職員たちに「私がここに来ていることは内密に」と頼んでおいて、他の守護聖たちにはナイショで楽しくのびのびと有意義な時間をすごしていた。

その日彼が手に取ったのは、古代の魔術書のレプリカであった。虫食いだらけであった元の本の装丁を再現したもので、書かれている内容よりは装丁重視、本文中の虫食い部分は適当な言葉でつなげれられている。読むためというよりは古代文字の美しさや装丁の豪華さを観賞するための美術品に近い。「ナントカをカントカすればコノヨウになるものと思われる」というような表現が延々と続く、普通の神経の持ち主にはとても読むに耐えない、というよりは、まずもって表記されている文字自体が古代文字で普通の人間には読めない代物だ。そんなものを、なぜクラヴィスは読むことができるのか。
実はクラヴィス、古代の言葉を含む各種言語や文字には詳しい。だてに長年王立図書館に入り浸っていたわけではない。周囲には怠惰で通っている彼だが、頭が悪いわけではなくしかも自分がやりたいことについては案外こつこつと真面目に取り組む質だ。彼が興味を持つ分野では言語に関する知識が不可欠だったので、ありあまる時間を使ってまずさまざまな言語の習得から始めて、今ではそちら方面に関してはルヴァをしのぐほどの知識がある。その気さえあれば論文を書いて学者として名を成すこともできよう。が、彼にはそんなつもりはない。あくまでも本人にとっては単なる趣味の領域で、彼以外はルヴァくらいしか手に取らないような古文書の類を片っ端から読み漁ってきた。 ところがその日手に取った見た目に美しい本は、上記の通り記述が穴だらけで内容がない。ざっと斜め読みしてみて「これはつまらぬな…何もわからぬ…」と返そうと思い始めた。が、そのときたまたま目にとまった「じょらんぱ 非常に強力な呪文。これを2回唱えながら何かを動かすと、なんとかがどうにかなるらしい。」という一文に目が釘付けになった。
何かを動かすとなんとかどうにかなるらしい、という究極のあいまいさは、じょらんぱという短い一語の力強い響きとの相乗効果からか、クラヴィスの心に眠っていた探究心を呼び覚ましたのだった。
何が起こるのか試してみたい…。

通常ならば、ただ魔術書に書いてあるとおりのことをしたところで何かが起こるとは考えにくい。しかも肝心の部分が穴だらけで何が必要なのかすらわからない、はっきりしているのは呪文とその回数だけ、そんないい加減なことで魔術が使えるとはとても思えないが、あいにくクラヴィスは普通の人間ではなかった。占い師であった母が特に色濃く持っていたものか、何らかの神秘的な能力を受け継いでいる。そしてここは不思議なことが起こってもちっとも不思議ではない場所、聖地である。そんな場所でそんな男が好奇心にまかせて、件の非常に強力な呪文を唱えながらそのとき手にしていたペンを振ってみたら。あろうことか、閲覧コーナーの椅子ががたがたと音を立てて一斉に倒れたのだった。
ほう、これはなかなかおもしろい…。

その日の午後、守護聖たちの身には不可思議な事態が続発した。
地の守護聖の執務服は風もないのにすそがめくれ上がって、ルヴァはらくだの股引もあらわに「あ〜れ〜」と悲鳴を上げた。
オスカーの真紅の髪は急激にぞわぞわと伸びて床まで届くほどの長髪になった。しかも切っても切ってもすぐその長さまで伸びてしまう。まるで大量出血でもしているかのようで、不気味なことこの上ない。
オリヴィエはボンという音&白煙とともに筋骨隆々としたマッチョな男に変わって「ちょっと何なのこれ!」と大騒ぎ。じゃらじゃらのアクセサリー類や、ひらひらの衣装がまったく似合わない体つきになって、真っ青だ(化粧しているから、顔色が変わったのは目につかないけど)。
リュミエールはとある惑星の言語であるナニワ語でしかしゃべれなくなり「何か御用ですか、クラヴィス様」と言おうとして「何か用なん? クラヴィスはん」と言ってしまい、「何やこれ!? 何でこんなしゃべり方してんねん! ああっしゃべり方元に戻されへん。そんなあほなー!」と悲痛な声で叫んだ。
マルセルはオスカーのような殺し文句を連発して女官たちに次々にデートの誘いをかけては相手を困惑させ、ゼフェルはお菓子作りに目覚めて宮殿の厨房に飛び込むと「どけどけーいっ」と料理人たちを押しのけて小麦粉をふるいにかけ始め、ランディはどこからか調達してきたギターを抱えてストリートミュージシャンの真似事を始める始末。ギターをじゃかじゃかとかき鳴らしながら、ランディは朗々たる歌声を回廊に響かせた。
宮殿が時ならぬ大騒ぎに包まれて、首座であるジュリアスが何事かと様子を見るために執務室を出たところへ、クラヴィスが近づいてきた。
「じょらんぱじょらんぱ」
言いながら、ペンを動かす。これで他の守護聖たちには異変が起こったのだが、ジュリアスには一見したところ何の変化も現れなかった。おかしい、とクラヴィスは首をかしげる。もう一度試してみたが目立った効果なし。それどころか常と変わらぬ調子で一喝された。
「何をわけのわからぬことを言っている!」
「いや少し試してみたくてな…」
「何をだ。」
「単なる呪文なのだが。」
「どういうことか、説明せよ。」
とジュリアスに言われて、守護聖たちにじょらんぱを試してみたことを白状させられ、騒動の元はそなたかと嘆息された。
「ところで、異変の起こった者たちはどうなるのだ?」
「…わからぬ。」
「なに!? わからぬだと!?」
「ああ。わからぬから確かめたかったのだ…」
一瞬、ジュリアス絶句。
「何が起こるかもわからずに、危険な呪文を使ったと申すのか!」
「お前は危険と決めつけているが、必ずしも危険とは限るまい。現に今のところさして危険はないようだ、そのように怒ることもなかろうに。」
「守護聖の身に危害が及んでからでは遅いではないか!!」
と当然危惧されることを言われてもしれっとしているクラヴィスにジュリアスが激怒して、ここでもまたひとしきり大騒動が起こった。

守護聖たちの異変は一晩たったら元に戻って、公式にはクラヴィスには特にお咎めなしということになった。むろん、首座のジュリアスから厳しく叱責されはした。しかし。もう同じことは繰り返すなと厳しく言われて、わかったと答えながらその実、「同じこと」をしなければよいのだと心の中で屁理屈をこねるのがクラヴィスである。
今回は「何かを動かすと」の何かにはペンを使ったが、次にはペンではないものを動かすことにしよう、そうしたらそれは「同じこと」ではないからな。しかしジュリアスめ、さすがに光の性を持つ者だけのことはある。他の守護聖には効いた魔術だというのに、自覚もなしにそれをはね返すか。なかなかに手ごわい…。
ペンはジュリアスには効かなかったようでもあるし、コウモリの羽とか、トカゲのしっぽとか、蚊の目玉とか、別のもっと効果の高そうなものを探すのもまた楽しかろう、と首座の訓辞は適当に聞き流しながらクラヴィスは新たな計画に胸を躍らせていた。




他人への迷惑どころか危険をも顧みない、頭のねじがどっかゆるんでるっぽいクラヴィス様でした〜。
そしてリュミエール様、チャーリーさんのよう。私、大阪人なのに、エセ大阪弁のようなものしか書けないのはどーしてかしら(笑)。

それから重要事項をひとつ。
この話に出てくる呪文「じょらんぱ」とその定義は、私のお気に入りサイト 翻訳困難 の管理人様から使用許可をいただいて使っているものです。