世はすべてこともなし



6. 首座、パパ役に徹する

年少組の一人が担当だったその日は、結局また少年たち三人が仲良くクラヴィスの相手をしてやっていた。元気な少年たちにたっぷりと遊んでもらった後の昼下がり、クラヴィスはゼフェルに抱かれて寝入っていた。
「クラヴィス様って小さいときはずいぶんと元気な子だったんだな」
ランディが寝顔を見ながらポツリと洩らした。マルセルが大きく伸びをしながらそれに答える。
「すっごくかわいいし、何だか信じられないよねー。こないだぼくがだっこしたときなんてね、肩にのってたチュピと何かお話ししてたみたいだったよ」
「え? しゃべってたのか?」
「ううん。そうじゃなくって、心で語り合ってる感じ」
「そういや、こいつんとこの庭って、なんか知んねーけどしょっちゅー動物があつまってるもんな」
「こんなに小さくてもやっぱりクラヴィス様はクラヴィス様なんだ」
ランディは感に堪えたように言った。
「しゃべらねーとこも全然かわってねーし」
ゼフェルはくすっと笑って腕の中の幼児を起こさないように気をつけながら顔をのぞきこみ、声を落として言った。
「けどよー、でけー時はぜんぜんンなこと思わなかったんだけどよ。なんつーか、今のこいつってほっとけねーよな」

クラヴィスが元に戻らないまま数日が過ぎていた。闇の守護聖が担当していた仕事を割り振ったときに明らかになったことだが、ジュリアスの言葉を鵜呑みにして「怠慢でろくに仕事もできない奴」だとオスカーからも思われていたクラヴィスの仕事内容は、こういう事態になってよく見てみれば簡単に他人が引き継げるようなものは少なかった。なんだかんだ言っても長いこと守護聖を務めてきただけのことはあるとオスカーは内心感心し、認識を改めたものだ。年少者たちに任せられるものはほとんどなく、多くは上の者たちで担当することになった。さらにその半分近くはジュリアスが引き継がざるを得なかったのである。
光の執務室に書類を渡しに行って首座の顔を見たオスカーは、明らかに疲労の色が濃いジュリアスを気遣った。
「ジュリアス様、お疲れのご様子ですね。クラヴィス様が抜けるとやはり執務のご負担が大きいのですか」
「あ、いや。今は宇宙が安定しているからな。飛び入りの緊急案件などはほとんどないゆえ、執務の面での負担はさほどでもない。ただ、あれの寝相が悪いのでよく眠れないのだ」
手渡された書類に目を落としながら答えていたジュリアスは、「は?」と返されて顔を上げ、オスカーの顔を見た。よけいなことを口にしたと思ったが遅い。
「どういうことです、ジュリアス様」
「日中は皆に遊んでもらえるから良いらしいのだが……夜になると人恋しいのか、クラヴィスがどうしても私から離れようとせぬ。仕方がないので付き添っている」
「ジュリアス様が……毎晩ですか!?」
「案ずることはない。無論私も眠っている。だが、そばで動かれると気になるのでな」

というわけで。闇の守護聖幼児化対策会議第二回を開くことになった。題して、「闇の守護聖添い寝ローテーション作成会議」。ジュリアスの話を聞いたオスカーがその日のうちに強引に召集したものだ。今のままではジュリアス様のほうが倒れてしまいますからと説得を受け、また実際に疲れていたこともあり、首座はオスカーの采配に任せたのである。
どこからその話を聞きつけたものか、会議の席に女王陛下までが補佐官を伴ってやってきた。
「だって、昼間は私も仕事があるからってクラヴィスとあんまり遊べないじゃない。ジュリアスが厳しいんだもの。夜の係になれば、いっぱい遊べるかなーとか思って♪」
能天気な発言をする女王を補佐官は肘で小突いているが、「何よ、いいじゃないの。クラヴィスがこうなったのも私のせいらしいんだし、その責任を取るってことで、どう?」とどこ吹く風の女王陛下。やっぱりこの方は最強だ。
しかし残念ながら、いかに最強の女王陛下とはいえ彼女の願いは叶わなかった。「寝ている間にクラヴィスが大人に戻ったときに問題である」という当然至極の理由から女王と補佐官は添い寝係候補から外されることになった。「問題って何が問題なのよ」と、問題点をまったく認識していない女王は「仲間はずれにしないで〜」というアピールを続けようとしたのだが、「だからわたくしがお止めしましたのに。皆様の判断は良識ある大人として妥当なものです、陛下」と補佐官に意見され、「何がいけないのか本当におわかりにならないのでしたら、わたくしが後ほど理由をご説明いたしますから」ときっぱりと言われて、しおしおと退室していった。ロザリアが本気の目で怒っていたので、さしもの能天気女王も「どうもこれは相当にマズイらしい」と不本意ながらようやく納得したのである。

突然の女王の乱入に大分時間を取られたが、この役目は男性陣である守護聖回り持ちということで女王からも不承不承ながらの同意を取り付け、補佐官に押し出されるようにして至高の存在が出て行った後ようやく、皆は苦笑いをしながら本題に入ることができたのだった。突拍子もないことを言い出したりしでかしたりする女王だが、守護聖たちからは絶大なる敬愛を受けている。彼女の意向をないがしろにするのは忍びなかったが、こればかりは全員一致で「危険だ」と思わざるを得なかったのである。
肝心の議題のほうは、オスカーの素案通りで問題ないとすんなり了承された。ここ数日ずっと添い寝をしていたジュリアスはローテーションの最後にまわすことにして、ランディ、リュミエール、オスカー、以下皆様ご存知の順番どおりで、一夜ずつ闇の館に泊り込む、ということになった。

お子様クラヴィスは夜8時には就寝なので、それまでには闇の館へお願いしますと言われてほぼ時間通りに到着したランディは、幼児の大泣きする声に出迎えられた。
「クラヴィス、俺が一緒に寝てあげるから、泣きやみなよ」と泣いている子どもを抱き上げるが、クラヴィスは火がついたように泣きじゃくるばかりだった。しまいにはそっくり返ってランディの腕から落ちそうになるほどだ。
「困ったなー、これじゃクラヴィス様寝るどころじゃないよなあ」
俺、小さな子の扱いはわりと慣れてるんだけどなあ。自信なくすなあ……。
けれどもこれはランディのやり方が悪いせいではなかった。闇の館の侍女長が交代してなだめても、一向に収まる気配なし。侍女長は思い余ってクラヴィスの居室の毛足の長い絨毯の上に子どもを下ろした。無理に抱いていると本当に落としかねなかったからだ。
「クラヴィス様、毎晩こんなだったんですか?」
「いえ、ジュリアス様がいらしてくださっていて、このようにひどくお泣きになることはなかったのですが……」
床にひっくり返って泣いているクラヴィスをゆっくりとあやすように背中をたたいてやっても、さすっても、子守唄を歌っても、泣き止まない。ついには緊急連絡網でこの事態の連絡を受けた守護聖全員が闇の館に駆けつけることになった。

夜の9時を過ぎた頃集まった守護聖8人が雁首そろえて、床に転がってしゃくり上げているクラヴィスを取り囲む。長い時間大騒ぎをして疲れたのか一時よりはだいぶ静まってきていたが、へたな刺激を与えるとまた大泣きになるかもしれないと全員がお互いを探るように見た。誰がこの子どもに声をかけるのか。守護聖の中で一番の年長であるルヴァが、皆からの無言の圧力を受けてやさし〜く尋ねてみた。
「クラヴィス、泣かないで聞いてくださいね。あなたは夜一人でいるのはいやなんですよね。寝るときに、私たちのうちの誰と一緒なのがいいか、教えてくれませんか〜?」
すんすんと鼻をすすりながら起き上がったクラヴィスは、自分を取り囲んでいる人たちを見上げて視線を巡らせた。順々に視線を移していき、ジュリアスを見つけると白い服をつかんだ。
「……私か」
疲れた声でジュリアスは言った。全員が気の毒そうに首座を見る。
「眠らないのでは仕方あるまい。私が残るゆえ、皆は引き取ってよい」
言葉の意味がよくわからないのか、クラヴィスは服をつかんだまま不安そうに見上げていた。ジュリアスはそんな幼児を優しい目で見ると「おいで」と声をかけて抱き上げ、奥の寝室へと向かった。抱き上げられたクラヴィスは、決して離すものかという勢いでぎゅっとジュリアスにしがみついている。守護聖全員、とても不思議なものを見たような気がして、何となく場に沈黙が落ちた。
閉ざされた寝室の扉を見ながら「ここでこーしてても仕方ないし、帰ろっか」とオリヴィエが言ったのを皮切りに、「ええ、そうですね」とリュミエールが答え、「何かちょーし狂うよなー、ジュリアスのあんな顔見せられたら」とゼフェルが呆然とつぶやいたのに対して年少の二人がうんとうなずき、オスカーはジュリアスの去っていった方をなおも心配げに見やり、ルヴァが「なんだかんだ言っても、光と闇は対なんですねー、うんうん」としめて、解散となった。

その頃クラヴィスの寝室では、ジュリアスがせっせとクラヴィスの顔を拭いてやっていた。
守護聖が勢ぞろいした中から自分を見つけた時のクラヴィスの、ぱあああっと陽が射したような笑顔が忘れられない。あんな顔で見上げられたら降参するしかなかった。抱き上げてみて、思わず「何という顔をしているのだ」と呟いた。それは先の笑顔に対してではなく、涙やら何やらでひどい有様になった顔を間近に見ての言葉だった。
そして今ジュリアスはがびがびになったクラヴィスの顔を温かい濡れタオルできれいにしようとしているのだが、嫌がって顔を背けるのでなかなかすっきり拭ききれない。ついに、逃げ出そうとする幼児を抱えこんで動かないよう頭を押さえて、「汚れたままではかゆくなるのだぞ」と侍女長からの受け売りを言ってきかせながら、がしがしと拭いてしまった。
タオルを置いてから改めてクラヴィスの顔を点検してきれいになったのを確認したが、同時に頬が真っ赤になっていることに気がついて、
「すまぬ、力を込めすぎたか」
と指先で頬をそっと撫でてやっているうちに、ジュリアスの存在にようやく安心したのか大泣きして疲れきっていたクラヴィスは眠りに落ちた。

せっかくオスカーの肝いりで組まれた添い寝ローテーションだったが、こうしたわけでご破算になった。結局、幼児化初日に女王陛下が冗談で言った言葉はそのまま実現して、首座はこの日以降も連夜「クラヴィスのパパ」役を務め続けていた。


7. 守護聖であるということ

闇のサクリアが不足している星域や惑星があるとの報告が王立研究院から上がってきたのは、クラヴィスが幼児になってから約二週間後のことだった。データを確認しながらジュリアスは眉をしかめた。

そういう星域が出てくる頃かとは思っていたが。
サクリアはクラヴィスの体に満ちている。いかに幼くともあれが守護聖であることは動かしがたい事実だ。クラヴィス以外に闇のサクリアを送れる者はいない。問題は、今のあれがサクリアをうまく制御できるかどうかだな。
王立研究院も今のクラヴィスの状態を知らぬわけではない。それでも言ってよこしたということは、放置できぬレベルに近づきつつあるということだ。私が手助けをしてでもサクリアは送らねばなるまい。
幼いクラヴィスに多少の無理を強いることになっても、あれには果たすべき責務がある。守護聖であるということはそういうことだ。

その日の夕刻、ジュリアスはクラヴィスを連れて研究院に赴いた。まっすぐ奥の間へと進む。守護聖がサクリアを送る場所は、数段上がった台座のようになっている。ジュリアスはクラヴィスと共に上がって、静かに言い聞かせた。
「そなたの中に満ちる力を感じることができるか。その力をほしがっている者たちがいるから、送ってやってほしいのだ」
台座の中心に立ったクラヴィスは、それ以上の指図を必要とすることなく、以前していた通りの仕草でサクリアを操り、必要とされている星域に送っていた。
「もう少し抑えよ。……そこまでだ、多すぎる!」
ジュリアスの制止の声と同時にサクリアの流れは止まり、そしてクラヴィスがその場に崩れ落ちるように倒れこんだ。
「クラヴィス!」
抱き上げると蒼白な顔に玉の汗が浮いていた。額に手を当ててみる。クラヴィスは発熱していた。かなり熱が高い。
小さな体にはやはり負担が大きすぎたか。
よくやった、クラヴィス。今宵はゆっくりと休むがよい。

クラヴィスを抱いて奥の間から出ると、間違いはないと思うが念のため闇のサクリアを送った星域を注意してモニターしておくようにと研究員に指示を与え、馬車で闇の館までクラヴィスを連れて戻った。クラヴィスはおそらく今夜いっぱいは熱が下がらずに眠り続けるだろうと思われた。ほとんど意識がない状態のクラヴィスは、ジュリアスがいなくても気づくことはあるまい。連夜の子守で疲れていたジュリアスの理性は、こんな日くらいは自分もゆっくり休むべきだと訴える。館の者たちにクラヴィスを託して光の館に帰ったところで誰も非難はすまい。
今のクラヴィスの状態には覚えがあった。自分もクラヴィスも守護聖になりたての頃にはこういうことが何度もあって、たいがいは一晩眠れば落ち着くことも経験上知っている。だが、今のクラヴィスはあの頃よりもさらに幼い。熱で苦しそうなクラヴィスを見ているととても一人残して帰る気にはなれなかった。そんなことをつらつらと考えていて、以前にクラヴィスに言われた言葉を思い出した。
「損な性分だな…」
そなたの言うとおりなのかもしれぬ。自分では損だとも得だとも思わぬが、それも一つの見方だろう。
だが一つ確実なのは、今そなたを置いて帰ったところで、結局私は様子が気になってよく眠れないに違いない。ならばそなたについていてやった方がよいと、そうは思わぬか?
無表情に「別に…」などとうそぶくクラヴィスを脳裏に描きながら、ジュリアスはその夜もクラヴィスのそばについている旨を執事に伝えたのだった。

クラヴィスはずっと熱が下がらず、うとうとと眠っていた。熟睡はできないようで、たびたび目を覚ましてはぐずり始めるので、その都度ジュリアスが背中をさすってやったり、低い声であやしてやったりしていた。
ジュリアスが幼児をあやす。とてもミスマッチな感があるのは否めない。だが、連日添い寝をしてやっているうちに何となく慣れたというのか、特に構えずに子どもの相手ができるようになっていた。何事もまず理論から入ろうとするジュリアスは、何の知識も持たない状態での初の接近遭遇では幼児へのアプローチの仕方がわからずに、困りきっていた。が、習うより慣れろとはよく言ったもので、自分以外に誰も相手をしてやる者がない状況に放り込まれ、ああしようとかこうしようとか考える余地がない状態に追い込まれたのが幸いした。何を話したらいいかと黙り込むことはなくなった。
幼い子どもにもわかりそうだとジュリアスが思うことを話すだけだが、クラヴィスは理解できない部分は適当に聞き流してわかるところだけを聞いている。相変わらず何もしゃべらない相手だが、仕草や目の色から気持ちを察することはできる。そんな風にして何となくコミュニケーションが成り立っていた。一番初めに顔を合わせたときのように自分のことを怖がってはいないことも、と言うよりはむしろ慕ってくれていることも、ジュリアスを見つけて転げるようにして駆けてくる姿を見れば一目瞭然だ。そんな幼子をかわいいと思わないほうがどうかしている。
かわいいと思えば自然と声も接し方も優しくなった。いつの間にか、あれほど苦手だと思った幼児の相手が苦痛ではなくなっていた。未知の生き物は、まるで我が子のように愛すべき存在へと変貌を遂げていた。
とは言え、具合のよくない子どもの付き添いは大変さが違う。様子が気になっていつも以上に眠りが浅くなり、寝たのか寝ていないのかわからないような状態で朝を迎えた。
クラヴィスは、朝になって目覚めたときには熱も下がってすっかり元気になっていた。そしてジュリアスは、すっかり疲労困憊していた。

この日はオリヴィエが当番の日である。夢の執務室に連れてこられたクラヴィスは、目の前にしゃがみこんだオリヴィエに「ハァイ、おっはよー子猫ちゃん」と声をかけられて、鼻がむずむず。
はーっくしょん。くしょん。くしょん。
続けざまにクシャミをして、鼻水が飛んで出た。それだけではなく、夢の守護聖のきらびやかな衣装にまで飛んだ。オリヴィエの笑顔が引きつる。
「ちょっとクラヴィスちゃーん☆ ずいぶんなコトしてくれちゃって。この服はね、とーってもお気に入りなの。いくらかわいいあんたのだって、鼻水はいただけないね」
びしっ。クラヴィスの鼻先に、美しいネイルアートに彩られた指が突きつけられた。
「いいかいクラヴィス。クシャミをするときは、人のいないほう向いておし! 守れるかい?」
オリヴィエにーさんの勢いに押されて、こくこくこく、真剣なまなざしで見つめながら何度もうなずくクラヴィス。見ればまだ鼻の下に何やらひっつけたままである。オリヴィエはため息をついて、「なんで美を司るこの私がこんなことしてやんなきゃならないんだか……あそっか。美を司るからこそ、キレイにしてやらなきゃいけないんだな」なんぞとぼやきながらも、かいがいしくティッシュを取ってきれいに拭いてやっている。ところが、きれいになったそばからまたクシャミ。
様子を見にきていたリュミエールが横から声をかけた。
「あの、オリヴィエ。あなたはクラヴィス様から少し離れていたほうがよいのでは? どうやら香水か化粧品の匂いが鼻を刺激するようですから」
言いながら、リュミエールがクラヴィスを自分のほうへ引き寄せた。
「オリヴィエに近づくとくしゃみが出るようですから、私のところにいらっしゃい」
こくんとうなずいてクラヴィスはリュミエールにしがみつく。抱き上げられて、しげしげとオリヴィエを観察した。衣装の汚れをふき取ろうとしていたオリヴィエは、視線に気づいてクラヴィスに向かってにっと笑った。オリヴィエは怖くはない。だが幼いクラヴィスにとってはまわりで見かける人々の中で一番の謎だった。彼の認識は以下の通り(カッコ内、書き手よりの謝罪)。

へーかはおねーちゃん。ロザリアもおねーちゃん。
ゼヘルとランデーはおにーちゃん。マルセルもたぶんおにーちゃん。
ルバはおじちゃん。(ルヴァ様だったら笑って許してくださいますよね?)
オスカーもおじちゃん。(ごめんなさいオスカー様)
ルミエールはおねーちゃん。(これも、ごめんなさいリュミエール様)
オリビエは…おばちゃん? でもこえはおじちゃんみたい。おどり子のおねーちゃんみたいな、いろんな色のふく着てるから、もしかしておねーちゃん?(ごめんなさいっ! オリヴィエ様)

と、いろいろ考えてしまうのである。
ところで、上記の中に含まれていない人が一人。光の守護聖ジュリアスである。考えてみればこの人だってお子様クラヴィス視点からすれば、髪は長いし普通の男物の服は着ていないし、おにーちゃんなんだかおじちゃんなんだか、はたまたおねーちゃんなんだか、よくわからない人物であるはずだ。けれどもクラヴィスは、ジュリアスに関しては「あれはジュリアスなんだ」と何となく納得している。おにーちゃんだとかおじちゃんだとか、そういう分類は関係なく、クラヴィスにとって「ジュリアスはジュリアス」であるらしい。

クラヴィスは自邸に働く者たちは言うに及ばず、宮殿の女官たち、守護聖のみんなに適度にかまわれ、かわいがられながら、幼い子どもらしく早寝早起き、三度の食事に二度のおやつ、お昼寝タイムはぐっすりねんね。という具合に、今の状況に慣れて幸せそうに毎日遊びまわっていた。週に一回程度の割合で行う闇のサクリア供給のあとに熱を出す以外は、いたって元気に楽しく暮らしているように見えていたのである。

クラヴィスはすっかり幼児化しているにもかかわらずサクリアだけはきちんと扱えることもあって、そのままの状態でも周囲のフォローで大勢に影響はなく、気がつけば二ヶ月が経とうとしていた。


8. 待つひと

「ゼーにーちゃん」
宮殿の中庭で遊んでいたクラヴィスがゼフェルを呼んだ。
「おう、何だ?」
思わず顔をほころばせて、ゼフェルがクラヴィスを抱き上げる。
「あれ」
空を見上げて幼児が指差す先には鳥が飛んでいた。
「何だよ、またメカチュピが見てーっての? おめーってメカ好きだなー。あとで飛ばして見せてやるよ」
うっ、しまった。自分でメカチュピ呼ばわりしちまったぜ。あれにはちゃーんと立派な名前があるってのによ……。
一人で勝手に落ち込みかけたゼフェルだったが、クラヴィスに満面の笑顔を向けられて即浮上。
まいっか。こいつが喜んでんだし。

ごくごく少ない語彙ながら、クラヴィスはなぜかゼフェルとだけは口をきくようになっていた。どの守護聖もクラヴィスをかわいがったし、ランディやマルセルは当番の日以外も、昼休みだけでなく仕事の合間を縫ってよく小さなクラヴィスと遊んでやっていた。守護聖の中でも年少で、しかも子ども好きな彼らが幼子の相手をしていても何となく納得できる。だがゼフェルの予想外のかわいがりようには、最初誰もが目を疑った。
ランディやマルセルに「ゼフェルって意外と面倒見いいんだね」と感心されて、普段だったら「けっ、なーに言ってんだよ」と悪態の一つもつきそうな彼が、「誰でもってわけじゃねーよ。ただ、こいつがかわいいからな」と、そっぽを向きながらも正直に口にするのに、ランディやマルセルは二度びっくりさせられた。とにかくかわいくて仕方がないといった様子なのである。

ゼフェルがクラヴィスに素直に愛情を注ぐことができたのは、相手が幼児だからというのが大きかったのかもしれない。明らかに人の助けを必要とする存在に手を差し伸べることに、照れやためらいはなかった。自分のその気持ちを認めることにも、そう口にすることにも。
女王試験や新女王の即位といったことを経験して彼なりに思うところがあったものか、ゼフェルはかなり落ち着いてきてはいた。が、小さなクラヴィスのために時間を割くようになってから、ぐっと落ち着きを増したと周囲はひそかに喜んでいる。
あからさまにそれを言ったらゼフェルがまたヘソを曲げてしまうのではないかと大人たちは誰も口には出さなかったのだが。

その日、クラヴィス当番はルヴァだった。ゼフェルはかなりの時間を地の執務室でクラヴィスの相手をしながら過ごしていた。クラヴィスが昼寝に入った頃、「ゼフェル、お疲れ様ですね〜。ちょっとお茶にしましょうか」とルヴァがお茶菓子などを用意し始めた。
「オレはこれがあるから、茶はいらねー。あめーもんもパス」
ペットボトルを振って見せると、ふたを取って水をラッパ飲みしながら眠っているクラヴィスをちらりと見て、ゼフェルは声を落として話し始めた。
「なールヴァ。クラヴィスのヤツさあ、オレにすごくなついてんじゃん」
「そうですねー。クラヴィスに名前を呼んでもらえるのはあなただけですからねー」
「なのに夜はぜってーオレんとこくるって言わねーんだ。ジュリアスがいーんだとよ」
「寂しいんですか?」
「……バーカ。そんなことねー」
「多分クラヴィスはジュリアスを一番頼りにしているんだと思いますよー。すっかり子どもに戻っているようですけど、サクリアは最初からちゃんと制御できたでしょう? きっとあの小さな体のどこかでは、ずっと一緒に育ったジュリアスのことも覚えているんじゃないでしょうかねー」
「そーゆーことだったらオレはジュリアスにはかなわねーよな……」
やっぱり寂しいんですかねえ、とルヴァは思ったが当たり障りなく「クラヴィスがあなたになついているのは、あなたがとてもかわいがってくれるのがわかるからでしょうね」と返した。
「弟みてーでほんとにかわいーんだよ」
ぽつり、ゼフェルがつぶやくように言った。オレだけじゃねーぜ、ランディやマルセルもそー言ってるしな、とあわてたように付け加えて、唐突に「じゃーな」とルヴァの執務室から出て行った。
あの子も今回のことでずいぶんと大人びたような気がしますねー。最近は問題を起こすこともなくなってみんなとの間も和やかだし、小さなクラヴィス効果はばかにできませんねー。

地の執務室を出たその足で、ゼフェルはジュリアスの執務室へと向かった。
「ゼフェルか。めずらしいな。何用だ?」
「なあジュリアス、あいつさあ……」
「クラヴィスか」
「ああ、そーだよ。あいつ、昼寝んときにかーちゃんって寝言言って泣いてたぜ」
「かあちゃん?」
「母親がこいしーんだろーよ。なんせたったの2歳なんだからな。……オレさ、あいつのこと弟みたいにかわいーんだけどよ、やっぱあのまんまじゃかわいそーだよな。どんなに会いたくたってかーちゃんにはぜってー会えねーんだし」
目からうろことはこのことだった。思ってもみなかったことをゼフェルに教えられた気がした。
「なるほどな。あれが何を思っているのか全くしゃべらぬゆえわからなかったが、そなたのおかげで大切なことを知ることができた。聞かせてくれて助かった」
ありがとうと頭を下げられて、ゼフェルは少し驚いたような顔になった。
「あいつ、はえーとこ元に戻るといいな。じゃオレ、部屋に戻るから」
そそくさと執務室を出て行くゼフェルを見送りながら、ジュリアスはクラヴィスの心に思いを馳せていた。

母親、か。あれの母親がもうおらぬのは我々には自明のことなので考えもしなかった。何とうかつであったことか。6歳のクラヴィスもとても母を慕っていた。もっと幼い今のクラヴィスが母親を恋しがるのは当然だ。幼くなってからこのふた月近くもの長い間ずっと、母親に会いたいと思い続けていたのか。そんな当たり前のことに気づいてやれなかった。
ゼフェルと話すようになったので、まったく口がきけないわけではないことはわかっている。何を思ってかは知らぬがゼフェルとしか話さず、そのゼフェルにさえもずっと心のうちを明かさずにただ黙って我慢して、母親に会える日を待ち続けていたとは。

黙って待つその姿が、何となく大人のクラヴィスと重なった。

一度は思い出にしたものを、幼子に戻ってまた母を求め続けるのはあれにとっても辛かろう……。


9. 思い出せ

ゼフェルから話を聞いた日、ジュリアスはクラヴィスを寝かしつけながら話をすることにした。母に会いたがっていると知った上は、何も教えずに放置してはおけぬと思ったからだ。最初の頃はクラヴィスの館に出向いて夜を過ごすことが多かったが、この状態が長引いてくると仕事の段取りなどに支障が出ることもあって、自邸に連れて戻ることが増えていた。クラヴィスは、ジュリアスさえいれば寝る場所がどこであれ気にしなかった。

スプリングのきいた大きなベッドが大好きなクラヴィスは、ひょこひょことその上を歩き回って、時に飛び跳ねたりしている。床とは違う弾むような感触が面白いらしく、ジュリアスが寝台の上で遊ぶのはやめよといくら言っても一向に言うことを聞かない。それならばいっそ時間を決めて好きなようにやらせておくかと寝る前のひとときは自由に遊ばせることにしていた。ジュリアスはベッドのヘッドボードにもたれてじっとそんな姿を見つめていたが、ついに重い口を開いた。
「そなたは母に……かあちゃんに会いたいのか?」
クラヴィスは立ち止まってジュリアスを振り返り、頬を紅潮させて勢いよくうなずいた。やっとかあちゃんのこと言ってくれた。すぐあえるかな。そういう期待でいっぱいだということが、わかりすぎるほどにわかって、ため息が出た。大きな瞳の無垢な輝きに、胸が痛んだ。
この幼い子に、母はもういないと教えなければならぬというのか。
残酷なことだと思った。クラヴィスが母のことを言い出さぬのなら今あえて告げる必要はないのではないか、無闇に衝撃を与えることはない、時と共に忘れるのを待ったほうがいいのではないかと、改めて思った。
だがゼフェルの話を聞いた後に、それも考慮して、やはり真実を告げたほうがいいと決めたのだ。
おいでとクラヴィスを呼んで膝の上に抱き上げ、「いい子だ」と頭をなでてやって、ゆっくりと話し始める。
「かわいそうだが、そなたはもう母に会うことはできぬ」
ぴくんとクラヴィスの体が揺れた。ジュリアスを見上げた瞳が見る間に涙でいっぱいになる。このところ泣くことはあまりなかっただけに、その涙は圧倒的な切なさで胸に迫った。大声で泣かれることを覚悟したが、クラヴィスは声は上げなかった。ジュリアスを見上げたままの瞳に静かに涙の粒が盛り上がり、あふれて、ほろほろ、ほろほろと頬を伝い落ちていく。それを見て目の奥がじわりと熱くなった。先程からの胸の痛みはひどくなった。
そんなふうに泣いてくれるな。胸が痛い……。
思わず小さな体を抱きしめて、その体の儚いほどに頼りない手ごたえにいっそうの胸の痛みを覚えた。黒髪にそっと唇を落としながら、祈るように囁きかける。
「クラヴィス、思い出せ。そなたにはわかっているはずだ。母はもういない。母のところへ帰ることはできぬ。ここが今のそなたの生きる場所だ。守護聖のそなたは、私たちの仲間だ。私たちには父も母ももうない。皆同じだ。思い出してくれ。そして戻ってきてくれ。そなたが元に戻るのを皆が待ちわびている」
「……ジュリアス」
子どもに戻ってからクラヴィスは初めて彼の名を口にした。驚いて、すっぽりと抱きこんでいた小さな体から手を放すと、クラヴィスはジュリアスを見上げて数回瞬きをした。と同時にクラヴィスの体が淡く発光し始めて、だんだんに成長を始めた。しばらく呆然として少しずつ幼児が大きくなっていくのを眺めていたジュリアスだったが、膝から下ろすとあわてて夜着を脱がせにかかった。2歳児用のパジャマのままで大人の体に戻って、途中で窒息でもされてはことだ。

すっかり大人に戻ったクラヴィスは、フッと笑いかけるとあろうことか幼児であったときの習慣通りにジュリアスの首に両腕を回すと、頬にキスをした。
「やめぬかクラヴィス! もうすっかり元に戻っているのだろう!」
かわいそうに思って油断した私が間違っていたとあわてて身を引こうとするジュリアスの耳元に、「ありがとう」とクラヴィスの声が小さく届いた。
「もうよい。わかったから、放せ。そして何か着てくれ!」
何しろ相手は裸の男だ。男の裸体を見て喜ぶ趣味はないし、ましてや触れたりしたくない。抱きつかれているなんて、論外だ。クラヴィスを突き放すとあせりながらベッドを出て、クローゼットから自分の着替えを適当につかむと視線をそらしたまま投げてよこした。
ジュリアスのあわてぶりを面白そうに見ていたクラヴィスが、
「何をそれほどに焦ることがある…?」
などと言う。
「そのような姿をいつまでもさらすな」
「お前が脱がせたくせに…」
「人聞きの悪いことを言うな!」
「誰も聞いてはおらぬ」
「そういう意味で言っているのではない!」
からかわれているとわかっていながら、いちいち反応してしまうジュリアスである。
「本気で怒らずともよいではないか。私が女であったならともかく、男同士で何をそのように」
「頼むから、早く何か着てくれ」
過剰反応とも言える態度がよほどおかしかったものか、クラヴィスはくすくす笑いながら、ジュリアスの部屋着をありがたく借用したのだった。

最前のやり取りから、どうやらクラヴィスは幼児化していた間の記憶もしっかりと持っているらしいとジュリアスは思った。
それにしても……やはり夜の添い寝の係から女王陛下や補佐官を外したのは正解であったな……。
結局はそのローテーション自体機能しなかったことでもあり、この際もうどうでもいいことを考えつつ、ジュリアスは律儀にクラヴィスに背を向けたままで「もう着たか?」と確認を怠らない。ああ、という答えに、ようやく向き合って、改めてクラヴィスを見た。かわいかった子どもは、すっかりふてぶてしいいつもの闇の守護聖に成り果てていた。そのふてぶてしい男は、なにやら不満げな言葉を洩らした。
「少し窮屈だな…」
「何がだ」
「お前の服」
「体格にはそう差はないではないか!」
「怒っても仕方なかろう。事実だ」
「人のものを借りておいて、先に感謝の言葉を述べるべきだとは思わぬのか」
「感謝ならばもう済ませた。もうよいと言ったのはお前だろう」
口の減らない男だ、とジュリアスはますます腹を立てた。そのとき、脱がせてやったばかりの夜着に目が行った。小さなクラヴィスのお気に入りだった、飛行機のプリントの青いパジャマ。
つい今しがたまであれほどに小さくてかわいくていじらしかったのに、いきなりこれだ。
しかし……元に戻らぬよりはよい。
「何にせよ、元に戻れてよかった。私もそのほうが助かる」
くす、笑いがこみ上げた。クラヴィスも、また。
二人目を見交わし、しばし笑い合った。が、服を借りたことに対するクラヴィスからの礼の言葉はついになかった。


10. 世はすべてこともなし

「酒がほしい」
ついさっきまで愛らしい幼子だった男は、そう言ってジュリアスを見た。
「大人に戻った途端に酒の要求か」
ジュリアスは笑い、
「だが確かにまだ寝るには早い。少し飲むか。たまにはよかろう」
と言った。
「案外話のわかる男だ」
しれっとそんなことを言われて、おかしいやらどことなく腹立たしいやらで、どんな顔をしたらいいのかわからない。

では酒など出せぬと言ったら何と返したのだろうか、この男は。
知りたいような、それもまた腹の立つ返答のような予感がして聞きたくないような。しかしいきなり酒とは……よほどアルコールに飢えていたのだろうか。2歳児に戻っていたのだから、まさかな。
そんなことを思いながらクラヴィスの飲みっぷりを肴に、ジュリアスもグラスを傾けた。勝手気ままな振る舞いが腹立たしくもどこか懐かしく、何となく落ち着かぬ妙な気分のままに杯を重ねて夜は更けた。

結局そのままずっと飲んでいて、どちらからともなく寝落ち。ジュリアスの寝室で一夜を明かした筆頭守護聖たちは、翌朝一番に女王への謁見を願い出た。もちろん「闇の守護聖、無事に大人に戻りました」報告のためである。女王陛下はことのほかお喜びで、上機嫌で二人の謁見を許した。
「クラヴィス、元に戻ったのね。おめでとう! でも、とーってもかわいかったから、もう少しあのままでいてくれてもよかったんだけどな」
「陛下、あまりそのようなことはお思いになりませんように。またクラヴィスに子どもになられては困ります」
首座の抗議に、女王はうふっと笑って首をすくめた。
「わかってるわよ。かなり楽しませてもらったし、満足してるから。それでね。ものは相談なんだけど。あとはちっちゃいジュリアスが見られたら、私もっともっとずーっと満足なんだけどなー♪」
との陛下のお言葉に、ジュリアスはあわてて答えた。
「では後ほど写真を届けさせます」
「そうこなくっちゃ! ホントは実物が見たいけど、それは困るって言うんでしょ。写真見せるくらいで済むならそのほうがいいって思ってるんでしょ」
ジュリアスは無言で頭を下げた。その隣ではクラヴィスが笑いを堪えていた。

謁見後に二人並んで回廊を歩きながらクラヴィスを横目で見たジュリアス、見慣れているはずの長身痩躯と無表情に思わず「かわいげのない……」とつぶやく。
「悪いがこれが本来の私だ。かわいげのないのは仕方あるまい」
憎まれ口をたたきながら、それでもジュリアスがかわいがってくれたのは覚えていて、ちらりとジュリアスを見た目元が笑っている。その笑みの中に小さなクラヴィスの面影を見て、ジュリアスも微笑を返した。
すっかり変わってしまったと思っていたが、この男は実のところちっとも変わっておらぬのだな。外見はかくも変わったが……。どうやら人間の本質というものはそう易々とは変わらぬものらしい。
「前言は撤回させてもらおう。かわいげはなくもない」
その言葉を聞いて、クラヴィスは意外そうに片方の眉を上げ、問いかけるようなまなざしになった。
ジュリアスは笑ったまま答えない。
いつでも何でもわかったような顔をしているそなただ。私が教えてやる必要などなかろう?
しばらくとはいえ、親代わりをしたせいであろうか。成長した姿を見ても、どこかかわいいと思ってしまうのは。そして、あの小さなクラヴィスを抱いてやることはもうできぬことに、一抹の寂しさを感じてしまうのは。
結局のところ私は楽しんでいたのか。あの、クラヴィスとの日々を。

ゼフェルの後をついて回ってはメカチュピを飛ばして見せろとせがんでいたクラヴィスの姿が目に浮かぶ。オリヴィエやリュミエールの楽器をさわらせてもらったり、オスカーに馬に乗せてもらってはしゃいでいた。ルヴァのターバンをひっぱってあわてさせたり、マルセルの花壇のすみで種をまく手伝いをしたり、ランディの犬と仲良くなって一緒に昼寝をしていたり、いろいろなことがあった。茶会のときに陛下お手製のマドレーヌをとても気に入って、いくつも食べて陛下を喜ばせたこともあった。その後食べすぎで腹痛を起こして泣いて、心配させられたものだ。
振り返ればどれも楽しい思い出であったな――。

ジュリアス以外の守護聖たちも、多かれ少なかれ似たような感慨を抱いたものらしい。
大人に戻ったクラヴィスは以前通りの無表情で、適当に執務をさぼってはジュリアスの小言を聞き流しながら生きている。そんな彼の姿を皆が気にするともなく気にかけて、ああそうか、今の闇の守護聖はもうあの小さな子ではないのだと苦笑いしながら、それぞれがそれぞれの職務に励んでいた。小さいクラヴィスを核として強まった連帯感は、あの幼子の姿が消えても確かに残っていた。何とはなしに守護聖たちの仲が以前より親密さを増し、聖地の日々は穏やかに過ぎていく。

昼の休憩時間にロザリアと二人でのんびりとお茶を飲みながら、アンジェリークは満足そうに笑った。
「何か良いことでもありまして?」
「ふふっ。この世の中に無駄なことはないのねって思ったの」
「何のことでしょう」
「大したことじゃないから気にしないで。それよりさ、このケーキおいしいよね。今度焼き方教えてもらおうかな」
「そのときはわたくしもご一緒に」
「上手に焼けたら、みんなを呼んで臨時にお茶会するっていうのもいいかもねー」
「楽しそうですわね」
「クラヴィス、喜んでくれるかなあ」
「さあそれは……どうでしょうかしら」
うららかな陽射しの中でのティータイム。
アンジェリークの焼いたマドレーヌが盛られたバスケットを抱え込んで芝生の上に座り込み、両手にひとつずつ菓子を持って幸せそうにぱくついていた小さなクラヴィスと、眉間にしわを寄せて行儀の悪いまねはやめよと幼児相手に説教していた首座の姿を少女たちは同時に思い出し、顔を見合わせて笑み崩れた。






◇おまけ◇
ゼフェルとクラヴィスのある日の会話

「なークラヴィス、今日はオレんとこに泊まんねー?」
ふるふる、首を振る幼児。
「オレのこと好きだろ?」
「しゅき!」
満面の笑み。
「じゃあ何でイヤなんだよ?」
無言でまた首を振る。
「ランディやマルセルは? 好きか?」
「しゅきー!」
「オスカーは? オリヴィエは? ルヴァは?」
クラヴィス、両手を上げて万歳状態で、ニコニコしながら言った。
「みんなしゅき!」
「リュミエールは?」
「しゅき! しゅき!」
「……ジュリアスは?」
これまでで最高のいい笑顔で、
「だーーーいしゅき!!」
と言うのを見て、ゼフェルがっくり。
くっそ、ジュリアスだけ大好きかよ。だからアイツんとこしか泊まんねーってか。
これはアイツにはぜーーーってー教えてやんねー!

言い知れぬ妬ましさと羨ましさでいっぱいのゼフェル、心の叫びであった。