せつないふたりに50のお題 ver.2



43. 5センチ -2010こどもの日に-

週末の午後、館で遅めの昼食を済ませた後のことだった。穏やかで非の打ち所のない完璧な休日、のはずであったのに、ジュリアスの様子がどことなく不機嫌そうに見えた。なぜだ?
食事に問題はなかった。ジュリアスの好まぬ食材は使われておらず、料理人の腕はいつも通りの冴えで、食事中の会話も不穏なものではなかった。遡って昨夜からのことを思い返してみても、不機嫌の理由に思い当たる節はない。
「…どうした?」
「何だ、唐突に」
表情や声からは何の感情もうかがえず、そっけないことこの上ない。普段どおりの首座の顔だ。しかし…二人きりの私的な昼食の場で、私に対してそういう態度を取るほうがおかしいのだとは思わないのか? 何も悟らせるものかと身構えるその不自然さ自体が、何かあると言っているようなものだ。器用なようでいてそんな不器用さを露呈してしまうお前が愛しくて、口元が緩みそうになるのをこらえた。
こういうときには決して笑ったりしてはならない。うっかり言葉の端にでも笑いをにじませたりしたら、後々やっかいなことになる。今は単なる不機嫌だが、対応を誤ると嵐を呼ぶ。そこで極力真面目な表情を装って、もう一度言葉を変えて尋ねた。
「何か…気に入らぬことでも?」
「いや別に」
再度のそっけない応えと同時に青い瞳は私から逸らされた。
「含むところのある顔をしている」
「そうか?」
本気で隠すつもりならば、恐らくもっとうまくやることだろう。ジュリアスはそれができる男だ。
だというのに不用意に不機嫌を悟らせてしまうのはつまり、意識してのことではなくとも、吐き出してしまいたいと思っているのではないか。
何かは知らぬが言ってしまえ。その方が楽になる。
「あるだろう、何か」
少し間を置いて、相変わらず目をそらしたまま、
「今更だからな」
と答えが返った。
「だから、何が」
ジュリアスはふっとため息をついて、私の目を見た。
「そなたの方が……背が高い」
こぼれ落ちた言葉は予測を遙かに超えてばかばかしく、冗談のつもりかと一瞬疑った。真剣な瞳を見ればそうでないことはわかる。だがまさかジュリアスの口からそのような言葉が飛び出すとは思いもしなかったので、笑ってはならぬとわかっていても思わず小さな笑いが洩れた。それがさらにジュリアスの神経を逆なでした。だから今更だと言ったであろうが、と今度は不機嫌を隠しもせず言った。その表情が、不満そうに口をとがらせている子どものようでかわいい。だが今それを口に出したりしたら確実に嵐、いやブリザードだ。
「すまぬ、お前があまりに突拍子もないことを言うから、つい」

聖地に来て数年の間、私達はずっと身長、体重共にちょうど同じくらいだった。年上の守護聖や女官ら周囲の者から、体の大きさはまるで双子のようだと言われていたものだ。年に数回測っていたが、二人の数値が大きく違うことはなく、私達はずっとこのまま共に、同じように成長するものだと思っていた。二人きりの同い年の子どもだ。数年それが続けば、それ以外の可能性を考えることなどできなかった。ところが十代に入った頃、私の方が先に背が伸び始めた。ふと気づくとジュリアスの目を下に見て話をするようになっていた。気づいた時、私は単純に思ったことを口にした。
「お前、背が低くなったな」
ほんの軽口のつもりの言い方がよほど気に食わなかったと見えて、ジュリアスはかんしゃくを爆発させた。
「背が低くなるわけがなかろう! そなたが伸びたのだ!」
身長差には私よりも先に気がついていたらしい。わずかとは言え、私に見下ろされることを気にしていたのかもしれぬ。逆鱗に触れたことをようやく悟ったが遅かった。
「怒るな。お前もすぐ同じくらいになる」
「私の方が早く生まれたのに。それに、そなたは食が細くて私ほど食べぬではないか。それなのにそなたばかりが大きくなるとはどういうことだ!」
「無理を言うな…」
「無理ではない。ものの順というものがあろう。そなたの方こそ道理を通せ」
体の大きさに関して道理がどうのと文句を言われても、何ともしてやりようがない。冗談めかして、
「何でもお前のほうができる。身長くらい、私に勝たせてくれても」
と言ってみたが、ジュリアスは納得しなかった。
私の言ったことはいきり立つジュリアスをなだめるための出任せの言葉ではなく、客観的な事実だった。二人が同時に始めた剣技や格闘技の類の技量は、体格と同じく常に互角だったが、勉学に関してはその限りではなかった。だいぶ差が縮まってきたとはいっても、この頃もなお格差は依然として存在していた。ジュリアスは常にできる側で、私は後を追う側だったのだ。二人ともにそれに慣れきっていて、私はそのことに関して卑屈になる必要さえなかった。スタート地点があまりにも違っていたのでその状態が当たり前だったからだ。だというのに、思いがけぬ部分で追い越されたのがよほど悔しかったのだろう。
学力は努力で伸ばすことができる。しかし成長期がいつ来るかは己の意志で決められることではない。私がジュリアスを負かしてやろうと思ったわけではなく、抜かれつつあったことに気づいたジュリアスが自分で何とかできるものでもなく。何とも手の打ちようがない、それはジュリアスにとっては歯がゆく、無力感に苛まれるできごとであったに違いない。執拗に私に絡み続け、しまいには「身長を測る!」と言い出した。
「何?」
「医務室に行って、身長を測る! そなたとどれだけ違うのか確かめるのだ!」

ジュリアスに引っ張られて医務室に連れて行かれて、身長計でかわるがわる測った。そのときの差が5センチ。
「大して違わないではないか」
つぶやいた私に、ジュリアスは目を怒らせた。
「私が小さくなったと言ったのは誰だ! そなたなど追い抜いてやる!」
あまりの怒りようにあっけにとられていた私は、
「悪かった…そんなに怒るな…」
となだめようとしたが、にらみつけられた。そのまま怒りが収まらない様子でジュリアスは行ってしまった。

おそらく身長差はその頃が一番大きかったと思う。せいぜい5〜6センチ程度のことで、あからさまに見下ろすほど差が開いたことはない。その後すぐにジュリアスも急速に背が伸び始めた。ただし…私も伸び続けた。その後ジュリアスの身長が私を超えることはなく、そして2センチの差を残したままに現在に至る。
それにしても…あの時以降、ジュリアスが身長に関しての文句を口にすることはなかったというのに、なぜ今? …口に出さぬまま、ずっと心の中では不満に思っていたのか。優秀すぎる人間は傲慢だ。大人になった今でも、何事においても自分が優っていて当然という心がどこかに残っているのかもしれぬ、特に私に対しては。ジュリアス自身、身長へのこだわりはくだらぬこととわかっているに違いない。だが心がそれを認めようとしない。男のプライドならぬ、子どものこだわり、か。

「まだ根に持っていたとはな。負けず嫌いめ」
それでもジュリアスは、何年もの間言えずにいたことを私にぶつけたせいか、さばさばとした表情をしていた。本来くだらぬことを根に持つ質ではない。このことに関しても、ほんの一言を口にしただけでそんなふっきれた顔ができるのなら、さっさと言ってしまえばよかったものを。…簡単にはそれができぬほどに重かったということなのかもしれぬが。
「……ふん、何とでも言え。大きい者にはわからぬのだろうからな」
ジュリアスの言いように、ふとゼフェルを思った。これを聞いたら何と言うか。
「おめー、なにゼータク言ってんだよ! 山みてーにでけーくせに!」
と真っ赤になってわめきたてる鋼の守護聖の顔が目に浮かんで、おかしくなってまた小さく笑ったのを聞きとがめたジュリアスは、あからさまに嫌な顔をした。
「笑わずともよかろう!」
少年の日を思い起こさせるそんな反応がかわいいと思ったことは、言わぬに限る。ことさらに真面目な表情を作って、
「気に触ったのならすまなかったが…お前のことを笑ったわけではない…」
今の想像を話してやるべきかどうか考えながら、まだ少し不満そうな唇にそっと唇で触れた。桜色の唇は今しがたまで食べていた苺の香りがした。


49. 閉じこもる

新女王陛下の御許で、近頃はジュリアスとの仲も劇的に改善した。こちらの言葉に対する反応を見るに、感触は悪くない。これならば近々、機を見て打ち明けても良いか…と思っていて、少し気分が高揚していたのかもしれぬ。

昼の休憩時に、ジュリアスの執務室で共に茶を喫していた。とりとめもない話をしながら時折りからかっていたところ受け答えがあまりにもかわいかったので、つい言葉が過ぎたようだ。
どうやら本格的に怒らせたらしい。執務室奥の部屋にこもって出てこようとせぬ。さて…どうしたものか。

「光の守護聖ともあろう者が、些細なことでへそを曲げて閉じこもるのか」
しーん。
「もうすぐ休憩の時間は終わるぞ」
しーん。
「職務放棄か? 首座殿らしくない」
しーん。
「では、いつまでもそこでそうしているがいい」
「ああ、そうさせてもらう」
やっと返事が返った。しかし出てくる気はないらしい。
「ここで騒ぐぞ」
「ご自由に」
「歌うぞ」
「勝手にせよ」
「踊るぞ」
「見てみたいものだ」
「では出てくるがいい」
しーん。

騒ぐぞ歌うぞ踊るぞ作戦も功を奏さなかった。それならば。
クラヴィスは守護聖たちを光の執務室に集めた。わいわいがやがや、呼び集められた個性豊かな面々は騒がしい。
「ぼくたち、ジュリアス様の執務室に至急来るようにって言われたんですけど」
「何かあったんですか?」
「ナンだってんだよー。せっかくの休み時間だっつーのにこんなトコに呼ぶなっての」
「ジュリアス様とお二人でお過ごしだったのですか?」
「フシギな取り合わせだよね☆」
「あー、そうですねー。でも最近お二人はけっこう仲がいいようですからー」
「あ、そーなんだ?」
「あいつらの仲がどーだって、オレらにはかんけーねーじゃんよ」
「でもまあ、仲が悪いよりは良い方が望ましいですからねー」
「んなこたーどーだっていーんだよ!」
「あああ〜ゼフェル〜、そんなにカリカリしなくてもー」
「かんけーねーオレら呼び集めて、ナンだってんだよ!」
要するに昼休みの邪魔をされたのが気にくわない、と。鋼の守護聖はご立腹なのである。
「お前が文句言い続けてるから話が進まないんだろうが。少し黙ってろ。……で、クラヴィス様、ジュリアス様はどちらなんです?」
きつい目をした赤い髪の男に問われて、クラヴィスはフッと笑った。
「少々へそを曲げてな…そこに閉じこもっている」
と、控えの間へと続く扉を指した。

「へそを曲げて、って。どうせまたあなたが何かジュリアス様のお気にさわるようなことをおっしゃったんでしょう!」
「いや、茶を飲みながら歓談していただけだ」
「その『歓談』ってのが曲者だと思うんですがね」
オスカーは追及の手を緩めない。
「別に…いつも通りだったが…」
「あなたとジュリアス様のいつも通りの会話ってのがどういうものだったかくらい、想像がつきます!」
お前ごときに私とジュリアスの普段の会話が想像できるはずがなかろう。
良い機会だ、そろそろわからせてやるとするか。

うるさく言ってくる男には答えず、扉に向かって声をかけた。
「ジュリアス」
しーん。
相変わらずの沈黙が返るばかりだが、扉のすぐ向こうに気配を感じる。急に騒がしくなったこちらの様子をうかがっているのは確かだ。
「ジュリアス…愛している」
あろうことかなかろうことか闇の守護聖、守護聖全員を証人にして首座に愛の告白。みんな一様に「ナニが起こったのか理解できない」って顔で固まっているなか、バタンと音を立てて扉が開いた。
赤い顔をしたジュリアスが目の前に立っているクラヴィスをねめつけて、うなるように言った。
「何を言う」
「愛している、と」
「言ったことを繰り返せという意味ではない! いったい何の戯言だ!」
「ざれごと…? それは心外だ」
手を取って引き寄せる。青い瞳をこぼれそうなほどに大きく見開いて、ジュリアスは間近に迫った男の顔を見つめた。
クラヴィスは愛しい相手を抱きしめて、そのまま唇を重ねた。

背後で何やら騒がしく「わーっ」とか「ぎゃー」とか「おい何してんだよーっ」とか叫んでいるようだが…知るものか…。





■BLUE ROSE■