意地っ張りなあなたが抱く、七つの思い



01. そんな恥かしいこと言えるか!

ジュリアスは光の守護聖だ。首座だ。守護聖歴20年に及ぶ超ベテランでもある。そんな彼は、ひそかに恋をしていた。

「なぜそなたはいつも遅刻するのだ!」
「会議室で寝るな!」
「たまにはまっとうな提案の一つも出してみたらどうだ!」
「仮にも筆頭守護聖なのだから、もっとしっかりせよ!」

そんな風にいつも会議の席で人目もはばからず叱責している人物がその相手だ。会議の席でだけではない。執務室に乗り込んで延々説教することも多々ある。
好きなんだけど。職務怠慢を正すのは別の話だ。そうやって長い年月を過ごしてきて、今更すぎて「好き」だなんて、自分にはとても言えそうにない。

好きと言えようが言えまいが、そもそも同性なのだから、どだい無理な話なのだ。

と、はなっから諦めの境地である。むしろなぜ自分がこの男に恋をしているのか、それが不思議でならない。だけど恋ってそんなもの。なぜか、なんてことは恋する当人にだってわからない。

理由はどうあれクラヴィスが好き。
長年悩んできてそのことだけははっきりと自覚できたので、これはいわゆる恋というものであろうと結論してから既に何年経っただろうか。
自覚したての頃には、若さの情熱に任せて告白なんてことも考えてみたが、どう考えてみても無理。不可能。
そんな恥ずかしいことが言えるわけがない。
そうしたわけで、今日も元気にクラヴィスを叱る首座なのである。


02. 後悔はしたくない

ジュリアスは執務はもちろん、若かりし頃には(今も十分に若いよというツッコミはなしでお願いします)学問にも武芸にも全力投球で臨んだ。そのおかげで今の自分があると自負している。無論のこと今だって常に努力を怠らず、新しい情報を仕入れたり自分を向上させることに余念がない。星や民への対応で、後になってああすればよかった、こうもできたと思うことなどなかったと言えば、それは嘘になる。しかしその時々でできる最善を尽くしたことだけは確かだ。
やればできたのにそれをしなかった、という後悔とは無縁の生活をジュリアスはしてきたのである。ただひとつのことを除けば。

その唯一の例外が、恋だ。何しろ相手が悪い。自分は男、相手も男、これでは恋するだけ無駄だと幾度思ったことか。だからと言って恋心というものはそう簡単に消え去るものではなく、仕方なくクラヴィスのことが好きだという自覚と共に何年もを過ごした。
ところが、今になってふと思ったのだ。
このまま何も告げずに守護聖を辞める時が来たら、その後の長い人生で自分はきっと後悔するだろう。思い切って打ち明けたところで、拒否されて、やはり言わなければ良かったと後悔することになるのかもしれない。けれども何も言わずに永遠に会えなくなってしまったら、恋に破れた以上の大きな後悔となりはしないか。
やればできるのに、それをしない。
それはジュリアスにとってほとんど罪と思えた。

あれに、きちんと告げなくては。

それを言ってその後どうなるかは、今の彼にとって問題ではなかった。好きだと告げること、それこそが大切なのだ!
突然の決意が芽生えたのは、うららかな日の曜日の午後のことだった。


03. 上手く伝わったかはわからないけれど。

告白する決意をした週の金の曜日、終業直後にジュリアスは闇の執務室を訪れた。幸いクラヴィスはまだそこにいたが、いかにも面倒くさそうに「今頃何だ」と低い声で尋ねた。機嫌は悪そうに見える。
大方、さっさと宮殿なんかから出ようとしていたところに首座が現れたので、また何か文句をつけにきたのかとうんざりしたといったところが正解だろう。
「そなたに少し話がある」
クラヴィスの表情がやや険しくなった。すると珍しいことに首座が一瞬ひるんだ様子を見せた。事が事だけに、不機嫌な対応を受けて日頃強気なジュリアスも気力が萎えそうになったのである。だが目的を果たすまではこの場を立ち去ることはできない。
「その話とやらをさっさと始めぬか」
促されて、ようやくジュリアスは口を開いた。
「明日は土の曜日だな」
クラヴィスは鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった。
今日は金の曜日。明日は土の曜日に決まっている。そんなわかりきったことをわざわざ言葉にして何の意味があるのか。
「それがどうした」
「明日は暇か?」
鳩は新たな豆鉄砲をくらって、目を見張った。
「…特に予定はない」
思いがけない質問に驚いてつい正直に答えたものの、「もしかしたらわざわざ休みの日を選んで、延々文句を言われ続けるのだろうか」という嫌な予感がクラヴィスの脳裏をかすめた。
「では明日の午後、ティータイムに招きたいと思うのだがどうだろうか」
ジュリアスとしては、個人的な話をするのに宮殿はふさわしくないと考えて私邸を選んだのだった。精一杯好意的な態度で申し出たジュリアスだったが、クラヴィスは目をそらしてまたもため息をついた。
「わかった…」
とりあえず承諾の言葉を口にした。ここで押し問答になるのも面倒だとそれを避ける意味で、ジュリアスを満足させる答えを返したのである。しかしその実、これはいよいよジュリアスが休日の午後いっぱいを使って説教三昧をしようと決めたに違いないとクラヴィスは思い込んでいた。
それに反して首座はと言えば晴れやかな笑顔を見せた。何と言ってもきちんと会う約束はできたのである。一歩前進だ。
全ては明日。
ジュリアスは心の中で小さくガッツポーズを作り、「ではまた明日」と執務室を出て行った。


04. 耳まで真っ赤。

あっという間に日付は変わり、土の曜日となった。
ジュリアスは執事に本日の来客予定を告げると、午前中はいつも通りに王立研究院に顔を出した。さしたる問題も起こっておらず、平和であることの幸せをかみしめながら館に戻る道すがら、午後の予定に思いを馳せた。
先週の日の曜日に決意して以来一週間。今日こそ、ここ何年も心の奥底に秘めてきた想いを告げるのだと思うと、武者震いが出た。いやもしかしたら、怖かったのかもしれない。まあ理由はどうあれ、少し震えたりしているジュリアスなのである。
そんな彼が館に帰って軽い昼食を済ませて今や遅しと待ち構えていた頃。

深夜から明け方まで森をうろついて、自邸に戻ったはいいがそのままベッドに倒れ込み、午前中いっぱいを寝て過ごした闇の守護聖、日も高くなってからようやく起き出した。
寝ぼけ眼で考える。
ジュリアスと…何やら約束したような…?
ああそうだ、あれの館に行かねばならぬのだった。…面倒な。

前日夕刻のやりとりを思い出して、クラヴィスは顔をしかめた。
のこのこと叱られに行く馬鹿がどこにいる。

そんな予定などなかったことにしてベルを鳴らして側仕えを呼び、軽い食事を持てと命じた。
首座との約束なんかどこ吹く風と、のんびり朝昼兼用の食事を摂り、私室でだらだらと過ごし、その後湯でも使ってさっぱりしようかと思いついて浴室に入った頃には、午後3時をとうに回っていた。

そしてこちらはジュリアス。2時半を回っても、3時を過ぎても現れないクラヴィスに業を煮やして、自ら闇の館に乗り込むことにした。はっきりと時刻の指定までしたわけではなかったが、午後のティータイムなのだから3時前後には現れるだろうという心積もりでいた。
それなのに。何を考えているのだ、あれは!
会議でも遅刻やらすっぽかしやらは日常茶飯事のクラヴィスなのだから、気が向かなければ来ないのも当然かとようやく思い至り、これは自分の方から行くしかあるまいと心を決めた。もともと自分の都合で招いたのだから、こちらから出向くにやぶさかでない。っていうか、これ以上待たされるとおかしくなりそうだったから。とにかく行動あるのみ。

珍客に驚く闇の館の執事に向かって、「クラヴィスと午後に私の館で会う約束をしていたのだが一向に姿を見せぬので、出向いた」と説明して半ば強引に私室へと案内させたのである。その時には約束を反故にされたことにかなり怒っていて、頬を紅潮させ目つきも険しく部屋に乗り込んだ。
「午後に私の館に来る約束はどうなったのだ!」
ドアを開けるなり大声で糾弾し始めたジュリアスに、部屋の主は流し目をくれて、言った。
「騒々しいことだ…。そら、そのように私を叱るつもりで呼んだのであろう? 休みの日に日がな一日怒鳴られ続けるのは願い下げだからな…」
なんとクラヴィス、入浴後の実に気楽な格好で首座を出迎えた。腰にはバスタオル、長い髪をタオルで拭きながらの登場である。
想い人のセミヌード。
衝撃の展開に、ジュリアスは今度は怒りとは違う理由で顔を真赤に染め上げたのだった。


05. 最後まで、伝えられなかったこと

口をつぐみ、耳まで赤く染まったジュリアスの顔を見て驚いたのはクラヴィスだった。部屋に入ってきたときには怒っていたはずだったが、今はどう見てもそうは見えない。むしろ……狼狽している?
「…急に静かになったな」
と言われても、ジュリアスは声を出せずにいた。
名工の手になる大理石像のような見事な体、見た瞬間に目を奪われた白い肌。押し倒したいとかいうことではないけれど、日頃見たことのないクラヴィスの裸体がひどく魅力的で舐めるように見てしまいそうだ。しかし光の守護聖たる者、そんなはしたない真似ができようか。釘付けになっていた視線を何とか引きはがして、ジュリアスは言った。
「……その格好は……」
「ああ、今まで浴室にいたのでな。お前が急に訪ねてくるから、服を着る暇がなかった」
「せめてバスローブなり羽織ったらどうだ」
「あれは暑い。第一ここは私の館だ。お前に指図されるいわれなどない」
「何だと!? 元はといえば、約束したにもかかわらず私の館に来なかったそなたが悪いのであろうがっ!!」
「だから…そのように怒るお前と顔を突き合わせるのは願い下げだと、そう言っているではないか…」
髪を拭きながらそんなことを言うクラヴィスに、ジュリアスはまたも大きな声を出した。
「怒鳴るために招いたのではない!」
「では…何だというのだ…」
手を止めると、クラヴィスは尋ねた。
深紫の瞳にまともに見られて、ジュリアスはどっきり。何しろクラヴィスの視線を正面から受け止めるなんてことはめったにない。いつも目を逸らされているからだ。それを思い出して、にわかに怖くなった。
ろくに口も利かない、まともに目も合わせないような相手が、自分の気持ちを受け入れてくれるわけがない。
好きだと言った後の展開は問題ではない、告げることが大切だと決意して出かけてきたはずだったのに、この期に及んでその大切な一言がどうしても言えずに、何やら曖昧に呟いた。
「……いや……実はその、何だな……」
珍しく視線を泳がせながら歯切れ悪く口ごもるジュリアスを、クラヴィスは今日初めてしっかりと観察した。

いったい何なのだ…。勢い良く怒鳴りこんできたかと思えば、肝心のことを言おうとしないとは。
そう言えば態度もおかしい。同性の裸など、見て赤くなるようなものでもあるまいに。
……ジュリアスならばそれもあり得るのかもしれぬが。

そう思うと何やら面白くなってきて、からかう気満々。
「どうした? 男の裸が珍しいか? …子どもの頃は二人まとめて風呂に入れられたこともあったというのに…」
ジュリアスは、赤い顔のままさらに顔を背けてうーとかあーとか唸っている。
「話があるのなら、きちんと人の目を見て話せ。お前がいつも私に言っていることであろう?」
タオル一枚着用の想い人に思いっきり接近され、至近距離から目をのぞき込むようにして言われて、ジュリアスは気が遠くなった。当然顔は真っ赤。
「……日を改めよう。今日は失礼する」
このままでは頭に血が上って倒れるかもしれない。そんなみっともない事態に陥るなど、光の守護聖のプライドが許さない。相手の顔もろくに見ないまま何とか辞去の言葉をひねり出すと、くるりとクラヴィスに背を向けた。


06. ほら、こんなに簡単。

「帰るのか…?」
背後から問いかけられて、ジュリアスが「そうだ」と答えたところ、手をつかまれた。

どっきーーーーん!

触れられたことで動揺した心を何とか鎮めて、平静を装った声でジュリアスは尋ねた。
「まだ何かあるのか?」
クラヴィスはくすくすと笑った。
「ずいぶんな言い草ではないか。話があったのはお前の方であろう?」
「今日はもう帰ると言っている!」
「わざわざ来たのだ、用事は済ませていけ」
そんなこと言われたって、セミヌードのクラヴィスに面と向かって好きだと告白、なんて想定外過ぎてムリ。

きちんと服を着てくれてさえいれば!
おそらく今頃は目的の話を済ませて、きれいさっぱり振られている頃だろう。
ああそうであればどんなに良いか!

待て。それは何かちょっと違う。決して振られたいわけではない。けれどもそうなればなったで、ひとつの決着と言える。今日こそは結論が出ると思っていたのに、宙ぶらりんの状態がこれ以上続くのか? もう耐えられない。

ジュリアスは顔を赤くしたまま、くるりと振り返った。
「私は……そなたのことが……」
どきどきどきどきどきどきどきどきっ! 好きだと言いかけた途端に心臓乱れ打ち。あ、倒れそうと思いながら、何とか踏みこたえた。
クラヴィスは手を放さず正面から見つめて、先を促した。
「私のことが?」

いやーんそんな瞳で見つめないでぇっ!

なんていう乙女的台詞を口に出しはしないが、それこそまさにジュリアスの偽らざる気持ちだ。続く言葉が言えずに赤い顔で唸っていると。クラヴィスが謎めいた微笑を浮かべて、口を開いた。
「好きだ」
……え?
目を大きく見開いたジュリアスに、クラヴィスはもう一度言った。
「お前のことが好きだ」

ええええええーーーーーーーーーっ!?

意味はわかったけど何でそんなことを言われるのかがわからない。呆然と見返していると、クラヴィスがもう一言付け加えた。
「…と、私に言いたかったのでは?」

いやああああん、何でわかっちゃったのぉっ!? 自分で言いたかったのに!!
バカバカっ、クラヴィスのバカああああっ!!
勘が良すぎるところがキライっ!!

などとは決して口に出しはしないが、言葉にすればまさにそんな感じ、これがジュリアスの偽らざる気持ちである。
「そのような言い方をするとは、そなたはよくよく意地が悪い」
ジュリアスは目を伏せた。答えは聞くまでもない。こうしてからかっておいて、「だが私は違うな」などと言うに決まっている。
これで終わりだ、ともう一度クラヴィスに背を向けて部屋を出ようとしたが、クラヴィスはつかんだ手を放そうとしなかった。
「待たぬか」
待ってどうなるというのか。
「私もだ」

……………………?

何を言われたのかわからずに、思わずまた振り返ってクラヴィスを見てしまった。目が合って赤面。あわてて視線を下に落とすと、まぶしい素肌が目を射てさらに赤面。またも顔に視線を戻す。さっきから赤くなりっぱなしで顔色が元に戻るヒマもない。赤くなりながら特大疑問符を貼りつけたジュリアスの顔を見て、クラヴィスは今度は優しい微笑と共にいとも簡単に言ってのけた。
「奇遇だな。私も、お前のことが好きだ」
……マジで?
本当なら嬉しいけれど、それはどういう意味?
自分がクラヴィスを好きだというのと同じ意味で好きだってこと?
疑問の嵐に見舞われて、ジュリアスは深紫の瞳を見つめながらそこに立ち尽くしていた。


07. 好きって、言ってしまえば。

双方しばし無言で見つめ合い、先に沈黙に耐え切れなくなったのはジュリアスのほうだった。
「そなたは……ずるい」
「ずるい? …なぜ?」
「好きだなどと涼しい顔で言って」
「言っては…いけなかったか?」

私には言えないのに!
告白しに来た私をさしおいて勝手にそんな言葉を!

……などということは言えず、赤くなってまた黙りこむジュリアスである。クラヴィスは、つかんでいた手を引いてジュリアスの体を引き寄せた。素肌のクラヴィスと密着したジュリアス、ゆでタコ。思わずきつい声で「放せ!」と言った。

ああっ、こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
せっかく好きだって言ってくれたのに嫌われたかもしれない!

この程度で嫌うくらいなら、クラヴィスはとうの昔にジュリアスを大嫌いになっていることだろう。当然のことながら一向に動ぜず、「嫌だ」といっそう強く抱きしめた。
それなのにまた。性懲りもなく、
「放さぬか!」
と言ってしまって、ジュリアスは内心泣きたい思いでいっぱいになった。クラヴィスは小さく嘆息すると、
「なぜそのように私を拒む? お前のことが好きだと言ったのがそれほど気に触ったか…?」
と言った。

いえいえとんでもない。その言葉自体は非常に嬉しいですけど。
まだ自分から言えていないし、それにその格好!
玉の肌をさらしたままっての、やめてもらえませんか!

だんまりのまま、必死の勢いでもがいてクラヴィスの腕から抜け出そうとするジュリアスの耳に、小さな声が届いた。
「…それほどまでに拒むのは…やはり私のことが嫌いだから、なのか…?」
心許なさそうな、切なげな響きに、ジュリアスはついに叫んだ。
「嫌いだなどと! そのようなことは断じてない! そなたのことが好きだ! ずっと前から!」

クラヴィスの力がふっと緩んだ。真っ赤な顔で息を弾ませているジュリアスを正面から見つめて、微笑む。
「やっと、言ってくれたな」
「何を」
「私が好きだと」
「それはっ……」
「今更『嘘だった』などという戯言は聞かぬ」
「……嘘ではない」
「ではもう一度、聞かせてくれ…」
「何を?」
「私のことが好きだと…聞かせてほしい。叫ぶのではなく、できればもっと…しっとりと、色っぽく」
いきなり高難度の技を要求されて、ジュリアスは困った。
「な……な……何をッ……言うのだ! いろっ……いろっ……」
色っぽい、という単語を口にすることができずに詰まっているジュリアスを、クラヴィスは面白そうに眺めた。
「お前、本当に飽きない奴だな」
くっくっくっとこらえ切れない笑いを洩らして、ジュリアスの耳朶にくちづけながら言った。
「好きだ」
いきなり受けた耳へのキスといろっぽい囁き攻撃に、ジュリアスは足にまったく力が入らなくなって、思わずクラヴィスにすがりついていた。
「…フッ…いつもそのように素直であればよいものを…」
ジュリアスとしては、ここで何か言い返したい。が、何と言っていいかわからず、口をつぐんでしがみついたままだった。
「…可愛いな」
これにはさすがに反論が出た。
「誰が可愛いというのだ」
ここはひとつ威勢よく言いたいところだったが、それは自信のなさそうな小さな呟きでしかなかった。
「誰が可愛いかなど…ここには私とお前しかいない。わかりきったことであろう…?」

ああもう……その声やめて。
耳に唇が触れるか触れないか、吐息がかかる距離から囁きかけるの、やめて。

ふるっと震えたジュリアスの耳にまたやわらかく唇が触れて、「お前も言ってくれ」と言われた。

何を? 可愛いと言えということか?
この可愛げのない大男を?

確かに直前に言われたのは「可愛い」だったが、それはクラヴィスの思惑とは全然関係ない。「好きだ」と言わせたいに決まっているのに、頭に血が上ったあまり冷静な判断ができず、思いっきりずれたことを考えている。
「今日は何のために来たのだ? もう一度言ってみろ」
「そなたのことが……す……すきだ、と……言いに」
たどたどしく、ジュリアスの唇からこぼれ落ちた言葉に、クラヴィスは満足げな笑顔になった。
「よく言えたな」
ついでに頭まで撫でられて、何かバカにされているような気がするジュリアスである。
「愚弄するな! 私を何だと思っている!」
思わずまた文句垂れちゃったり。それだけでは済まなくて、立て板に水と文句を連ね始めた。この調子でいつまで言い続けるか、わかったものではない。

そういうところも可愛いのだが…。
これでは一向に先に進まぬ。

「少し黙れ」
黙れとさえぎられ、その言葉に驚いたようにジュリアスの声が途絶えた。さらにクラヴィスの唇で口を塞がれて、これ以上文句を言おうにも言えなくなって、ジュリアスは必死でクラヴィスを押しやろうとした。それが何とか功を奏して少し体が離れたところで、これ以上ないというタイミングでのハプニング。

はらり。

腰のバスタオル、落下。ジュリアスは全裸のクラヴィスを目の当たりにすることとなった。
「うわああああああ〜〜〜〜〜っ! すまぬ、このようなつもりでは!!」
ジュリアス、目を覆っての大騒ぎである。
「まったく、騒がしいことだ…」
ため息をついてタオルを拾い上げながら、クラヴィスは思っていた。

この調子では、いつになったら夜を共にできるのやら…。

好きだと告白し合ったからには、このまま一気に愛を深めたいところだ。日頃は強心臓のくせに恋愛に関してとことん奥手なジュリアスをどう育てるかは、恋人の手腕次第。これまで地道な努力ということをあまりしたことのないクラヴィスにも、いよいよ正念場が訪れたようである。


本編完結




* * 追加3題 * *

08. 甘える方法が、わからなかっただけ

クラヴィスはいつも、ちょっぴり困ったように、どこか寂しそうに、ジュリアスを抱き寄せてはキスをする。
お前のこの鎧はいつ外れるのだろうな、と囁く声はジュリアスの耳に染み透り、まるで毒でも飲まされたように体の自由がきかなくなり、あとはされるがまま。

+ + +

好きだと告白してから互いの館を訪ね合うようになり、私室での親密な語らいと泊まることがセットになって早くも数週間が過ぎた。二人で過ごす夜は、嬉しさと期待とトキメキと狼狽とその他もろもろいろんな感情がごった煮になって、一言で言えばいまだに「舞い上がっている」状態に陥るジュリアスだ。
一夜が過ぎてみれば、何を話したのかもよく覚えていない。ただひたすらにクラヴィスといるのが嬉しくて、朝を共に迎えるのがこれまた嬉しくて、寝起きの悪いクラヴィスに起きるよう声をかけて寝乱れた髪を整えてやっているといきなり抱きすくめられて「おはよう」とキスをされるのがこれまた嬉し恥ずかし、これはいわゆるラブラブ、とか呼ばれる状態なのかと思うと顔が赤くなったりする。執務室にいるときにそんなことを思い出そうものなら、「きゃあああっ♪」と叫びたくなるほどに恥ずかしいっていうか嬉しいっていうか。完全無欠の首座の顔の下でそんなことを思っているなんて、誰にも知られてはならぬとことさらに表情を厳しくするのが常だった。

クラヴィスは、客観的に見て人好きのするタイプではない。彼自身も親しく人と交わりたいなどとは思っていない節があるし、むしろ敬遠されるタイプと言えるだろう。せいぜい好意的にみて、美しいから遠巻きに見ているのが精一杯、とか。
守護聖であることを差し引いても、クラヴィスのイメージはそんなところだ。

ところが、ジュリアスとふたりきりの時のクラヴィスときたら、そんなイメージとは程遠い。
何しろ優しい。
それはもう、とろけるように。
包み込まれ、呑み込まれるように。
溺れそうに。
優しい。

これは危険だと思わされるほどに優しい。
そんな状態に慣れきってしまうと、自分が自分でなくなりそうで怖い。

だから自分から積極的に甘えるようなことはしない。と言うよりも、もともと甘え方を知らない。
親にすら甘えた記憶のないジュリアスには、人に甘えるというのがどういうことなのか、よくわからないのだ。

けれども、どうやらそれがクラヴィスの言う「鎧」であるらしいと思い当たってから、ジュリアスは困っていた。だって、これが自分だから。
何やら悩んでいるようだとクラヴィスに気づかれて、
「どうしたのだ?」
と声をかけられて、答えようがなくて唇をかむ。出てくる言葉はひとつだけ。
「何でもない」
「そんな言い訳が通用すると思うのか…?」
少し、笑われた。
「理由はわからぬが、お前が何か考えごとをしているのはすぐわかる」
頭をなでられた。
「またそのようなことを。私は子どもではない!」
「よいではないか、別に。目くじらをたてるほどのことでもなかろう?」
抱きしめられて、触れるだけの優しいキスをされた。

これだから、自分から甘える暇も隙もない。
ここまで大切にされて、これ以上どう甘えろというのだろう? そもそもなぜ自分はこんなことをされて心地よいなどと思っているのか。他人と必要以上に触れ合うことをひそかに忌避してきたジュリアスにとってみれば、クラヴィス関して言えば彼が鎧と呼ぶものはとうの昔に外れてしまっている。

これが今の自分にできる精一杯の甘え方。
どうかそれをわかってほしい。


09. ここで言わなきゃ

ジュリアスに土の曜日の午後に来いと言われて承諾の返事はしたものの、気が進まずに自室にいたのは、どうせまたうるさくあれこれ言われるのが関の山だと思ったからだった。
本人にも、他の誰にも明かしたことはないが、あれのことは好きだ。しかし小言には食傷している。ジュリアスには私に小言を言う以外の楽しみはないのか。こちらもジュリアスをからかうことを気晴らしとしているのだから、お互い様なのかもしれぬが。
私の態度があれを好いているようには到底見えぬことはわかっているし、できれば穏やかに二人で過ごせないものかとも思うのだが、常に守護聖たらんとするジュリアスにとって、そのような時間は不要のものであるらしい。危機に直面していた頃はそれも仕方のないことと思っていたが、そこを脱した今となっても生き方を改める気などないことは明らかだ。あれは相変わらず完璧に光の守護聖としてのみ生きていて、相変わらず私のやることなすこと気に入らぬようだ。…まあ、今回のことひとつ取ってみても私の方が勝手に約束を破ったということになるのであろうし、あれの性格を考えれば怒りはもっともなことか。

あの朴念仁に好きだと告げたところで意味を解するとは思えぬし、そもそもジュリアスにとっては、私のことを好きか嫌いかいうことは問題ではないのだ。守護聖として選ばれし者は守護聖として完全無欠の存在であらねばならぬ。それも、あれの理想とする姿に合致していなくてはならぬ。そのようなことは無理に決まっているというのに。誰もがジュリアスのように生きられるわけがない。
けれども幼い頃には、健気にもジュリアスの理想を私も共に実現しなければならないのだと思い込んでいた。あの頃のジュリアスは唯一の身近な手本であり、常に正しい者であり、何より私があれのことを好きだったからだ。ジュリアスの意に沿うようあれの言葉にうなずき、必死について行こうとした。今思えば笑止千万、理想など人それぞれだというのに。
いくら好きであっても、守護聖としてジュリアスと同じように生きるのは無理だった。あれの求めるものを与えてやることは、私にはできなかった。目指すものの違いは明らかで、それを思春期以前に悟った。だから距離を置いた。

それでも私はずっとジュリアスが好きだったが、幼い頃からあれにとっては私は気に入らぬことだらけだったのだろう。どれほど私が努力をしたところで、あれの理想には程遠かったはず。思えば気の毒なことだ。対となる闇の守護聖がオスカーのような者であったなら、あれはさぞかし充実した歳月を過ごせたろうに。長い年月を小言に費やすこともなかったろうに。この二十年というもの、小言の種類は変わったが常に私に対して不満があることは変わらぬ。それを口にすることも止めぬ。だから離れているほうが互いにとって良い。距離を置いて眺めているだけ、時にからかうことで気を紛らわせながら。

あの日、約束の時間に行かなかった私をジュリアスは追及しに訪れた。部屋に怒鳴りこまれて、やはり小言三昧となるのかとうんざりしたのだが。どうも様子がおかしい。いつものように揶揄する言葉をかけながら見ていて、わかった。
どうやらジュリアスは私のことが好きらしい。
青天の霹靂とはこのことだった。まさかジュリアスがそういう意味で私を好きになるなどとは思ってもみなかったので、気がついたときには喜びよりも戸惑いが大きかった。
一体いつから? そして、何故?
……そのようなことにこだわっている場合ではないな。
ここで言わずにどうする。ジュリアスに私の気持ちを告げるのは、今を措いてない。

「好きだ」
と告げた時にあっけに取られた顔を見て、ついまたいつもの癖でからかった。からかった時の反応が可愛すぎて、この悪癖はなかなか収まりそうにない。
お前は「涼しい顔をして」と憤慨していたが、あの時の私がどれほどの歓喜に震えていたことか。これまでのような態度でいてそれを信じさせるのは難しいかもしれぬが、いつかきちんと伝えたい。
お前のことが、本当に、心から大切だ。愛している。




■BLUE ROSE■