小説書きさんに100のお題



71. 幸福 -2012こどもの日記念♪-

「あのねジュリアス、ぼくジュリアスのことが大好きだよ」
クラヴィスが耳元に口を寄せてささやき声で言った。大切な秘密を誰かに聞かれまいとするかのような、小さな声だった。ジュリアスは思わず顔をほころばせて、
「私もだ」
とクラヴィスの耳にささやき返す。クラヴィスは目を見開いて、
「そうなの? ほんとに?」
と聞き返した。
「もちろんだ」
とのジュリアスの力強い肯定に、クラヴィスは幸せそうに笑った。そしてもう一度ジュリアスの耳にないしょの告白。
「でもきっと…ぼくのほうがジュリアスのこといっぱい好きだと思う」
ジュリアスは心外だと言わんばかりの顔で、真剣なまなざしで言い返した。
「そのようなことはない。私のほうがそなたを好きだ」
「ぼくだもん!」
「私だ!」
ないしょの話だったはずが、いつしか声は高くなりお互いに好きだ好きだと言い合って、しまいにはにらみ合って、「フンッ!」とそっぽを向いて、右と左に別れてそれぞれの執務室に入った。その一幕は宮殿のど真ん中、守護聖の執務室が並ぶ一画で繰り広げられていた。

自分のほうが、相手のことを好き。
相手が好きだって言ってくれる「好き」よりも、自分のほうがもっともっとずっと好き。

何とも子どもらしい意地の張り合い、高い声での微笑ましい言い争い。当人たちは真剣なのだろうが、その様を目にすれば自然と頬がゆるむ。日頃は大人顔負けな落ち着いた態度のジュリアスも、クラヴィスという相手がいれば年相応な顔を垣間見せるようになった。痛々しいほどに大人な子どもであるジュリアスであっても、やはりそこは子ども。幼い者たちの存在が醸しだすあたたかな空気の名残に、居合わせた事務官や女官は目を見合わせて、ひそかに笑みを交わした。


72. クッキーの崩れる音 -学生時代8-

クラヴィスが不在の間にジュリアスと夕食を共にした学生たちが、新たなコンパを企画している。その約束が成ったのは少人数での食事で、「また一緒に食事を」というものだったが、実質的にはジュリアスを囲んでのコンパ第二弾ということになった。そしてこの企画はセッティングする男子学生たちを水面下で悩ませていた。何しろ今回はあの謎の黒髪の男、クラヴィスも来ることになっている。参加が確定しているわけではないが、ジュリアスにそう話を通してあるので一応は来るものと考えておかなくてはならない。
ジュリアスが来るとあって参加予定者の間で熾烈な席の争奪戦があり、前回と同様公平にくじ引きで席決めということになった。ここまではまだ良かったのだが、クラヴィスの扱いをどうするか、これが難問だった。最初はやはり知っている者がそばにいたほうが周囲もクラヴィス自身もいいだろうということで、ジュリアスの隣に入ってもらうというところに落ち着きかけた。けれどもそうすると今回のコンパの目玉商品が一点集中してしまって、離れた席の者からブーイングが出るのは必至と思われた。特に、女子グループの不満顔は目に見えている。こうした点を鑑みた結果、クラヴィスはしょっぱなから女子に取り囲まれることになった。最初のくじではバラバラの席に座ることになっていたクラスの女子5人をひとつのテーブルに集めて、そこにクラヴィスが入る。この際、「俺たちだって女子と混ざりたいぜ」という他の男子の意向は無視だ。クラヴィスさんと話すチャンスを作ってあげることをせずに、女の子たち全員からの恨みを買いたいか? とにかく最初は女子の要求を満たしておくほうが無難だという言葉に、最終的には男子学生全員が納得した。
これで学生側は何とか収まった。だがクラヴィスがどう感じるかは未知数だ。
「……なあ、クラヴィスさん、席のことで何か文句言うかなあ」
「さあ……?」
「女子に囲まれるのを喜ぶ人かどうかわかんねーもんなー」
「男なら嬉しいんじゃねーの?」
「お前、その立場になったとして嬉しいか?」
嬉しいんじゃないのかと発言した学生はむーと唸った。一人で女子に囲まれるのは嬉しいような、ちょっと怖いような。
「そら見ろ、嬉しいって断言できねーだろ?」
「ジュリアスさんに訊いてみたら?」
「えー? お前、あのジュリアスさんにそんなこと訊ける? おれ、無理」
「そういう話ってしにくいんだよね、あの人とは」
「食べ物の好き嫌いは? とか、もっと固い、勉強に関する話だったらできるけどさ」
「クラヴィスさんて無口だとか言ってなかったっけ?」
「うん、確かそう聞いた」
「おしゃべりは女子に任しとけばいいんじゃね?」
「クラヴィスさん呼ぶのだって、女子の要望だしなあ」
「どっちにしろ、途中からあっちこっち席移動するだろうから」
「最初だけですって女子テーブルに行ってもらえばいいんだよ」
「……誰がそれあの人に言うんだよ?」
猫の首に鈴をつけるネズミの心境である。男子学生たち、一様に押し黙った。
あの威圧感のある男に言いに行く?
自分がその役目を引き受けるのはごめんだ。

そうこうするうちコンパ当日はやってきて、コンパ会場にそろって姿を現した元筆頭守護聖たち。幹事がジュリアスに耳打ちし、頷いたジュリアスは苦笑いでクラヴィスに告げた。
「そなたはあちらの席と決まっているらしい」
そちら方面からは、女の子たちの期待に満ちた視線が返ってきた。
「なぜ私が女たちの中に入るのだ?」
クラヴィスには不快そうな様子もなく単に疑問を口にしただけだったが、幹事はひやひやしていた。
「そなたを呼ぶのはもともと女子学生たちの要望だ。少し話でもすれば満足してくれるのではないか」
「そういうことであれば別に構わぬが…私の方から話すことなどないぞ」
「前のコンパもそうだったが、途中から自席を離れて別のテーブルの者たちと話したりする。女子に囲まれるのは最初のうちだけだ」
と思う、とジュリアスは心の中でつぶやいた。前回は、離れた席にいたのにいつの間にか女の子たちに取り囲まれて質問攻めにあった。クラヴィスは最初からその洗礼を受けることになる。受け答えによっては解放してもらえないかもしれない。問題はそれだけではない。場の空気が気に入らなければ、クラヴィスはコンパ会場からこっそり抜けだしてしまうかもしれない。渋ったクラヴィスを何とか説得して連れてはきたものの、そうした不安材料にジュリアスの眉がくもった。そんな表情を見てクラヴィスは微笑すると、ジュリアスの耳にささやきかけた。
「そう心配するな。お前の顔を立ててきたのだし、よろしくお付き合いしてくる。お前を置いて一人で帰るようなこともしない。くだけた雰囲気の集まりなのだろう? 惑星の視察に赴くことを思えば気楽なものだ」
憧れのプリンス二人の内緒話らしき仕草に、女子テーブルが「ちょっとー、今の見たー!?」などと騒がしくなった。

皿に盛られた料理をつまみながら、そちこちで会話が盛り上がり始めていた。クラヴィスのいる女子テーブルでも。
「あのー……好きな女の子のタイプは?」
ちらりとクラヴィスに見られたその女子学生は、真っ赤になった。
「…元気なのがいい」
ぼそりと落とされたつぶやきに近い一言に、周囲はざわめいた。
「じゃあ、この中では!?」
「誰が一番タイプですかっ!?」
皆元気がいいといえばいい。ということはつまり、全員好みのタイプと言えなくもない。けれどもこれまでの短い会話からも、それを口にするとひと騒ぎ起きるであろうことは予想がついた。クラヴィスは苦笑しながら言った。
「…と昔は思っていたものだが」
「え?」
クラヴィスの話には続きがあるのだろうか。女の子たち、先を促すように待っている。
「今はな…女性は遠くから眺めるだけで十分だと思っている」
「えーーーー!? それって誰か好きな女の子いるってことですか!?」
「もったいないーーー! その子がうらやましいッ!」
「いや…そうではなく…」
少々頭痛を覚えながら、クラヴィスは言った。
「元気の良いのは見ていて楽しいのだが、共に長い時間を過ごすとなると…相手によっては疲れる」
「そういう経験アリなんですか」
元気の良い女王陛下の顔を思い浮かべて、クラヴィスは微かに笑った。
「私が知っていたのは…どちらかと言えば癒し系、とでも言うのか、そういう人だった」
そしてその先代もまた、溌剌としていた。自ら選んだ道を歩む気概のある、自立した女性だった。……と回想に陥りかけたところに、元気な声での質問。
「付き合ってたんですか、その人と!!」
何人もが詰め寄らんばかりの勢いで異口同音に尋ねてくる。こんな場では昔のことを懐かしんでいる暇などない。クラヴィスは今度は苦笑した。
「そういう関係ではなかった」
「えーと、それじゃ今までに付き合った人は? 何人くらい?」
女子集団は強い。もじもじしていたのは最初だけ、ひとことに対して倍以上の質問が返ってくる。
「お前たちの言うような意味で付き合ったことは…おそらく、ない」
周りの女子が全員、うっそおおおおっ!!と声を上げた。
「寝る相手ならばいたが」
この発言に、さらなる阿鼻叫喚。プリンスへの憧れ、女子学生たちの甘い夢が打ち砕かれた瞬間だった。
「それほど騒ぐようなことか? 私の年で女を知らぬという方が気持ちが悪いのではないか」
真面目な顔でそんなことを言われて、悲鳴のような、嬌声のような、女の子たちの声が上がった。あまりの騒ぎぶりにジュリアスが眉をひそめながらやってきて、
「何の騒ぎだ」
とクラヴィスに小声で尋ねた。別に大したことでは、と答えたクラヴィスに、
「店中に響くような声だったぞ。何かあったのだろう?」
と再度尋ねたジュリアスに、クラヴィスはため息をついて、かいつまんで経緯を話した。
「……そなた、もう少し気を遣って言葉を選べ。いかにくだけた席とはいえ、くだけすぎだ」
「面倒な…」
「相手は若い女性だぞ。あまり妙な話はするな」
「事実を語ったまで」
「何でも正直に話せば良いというものでもなかろう!」
ここまでの会話は小声で交わされた。周囲の女の子たちは興味津々といった様子で二人を見つめている。
「皆、すまぬな。クラヴィスがつまらぬ冗談を言ったようだ。あまり本気に取らないでもらえるとありがたい」
またしても女子学生の間から「きゃー」とか「ひゃー」などという、悲鳴とも歓声とも取れるような声が上がった。
「冗談なんですか?」
「私もよくからかわれる。真面目な顔でとんでもないことを言い出すので、話半分に聞いておいてくれ」
「ジュリアスさんをからかうって……」
この二人の普段の会話というものがいまひとつ想像できない。
「私たち、からかわれてたんですか?」
周囲の女子、憧れのプリンスたちがじゃれあっている様を想像したりなんかしてざわめいた。クラヴィスは我関せずとばかりに無言で酒を飲んでいる。そんな様子を横目で見てジュリアスは小さくため息をこぼして、言った。
「まあそんなところだろう。驚かせて悪かったな」
ジュリアスに謝られて、女子騒然。
「いえ、そんな!」
「私たち、お話しできるだけで嬉しいです」
「クラヴィスと付き合いのあった女性はいわば高嶺の花でな。恋は成就しなかった」
さらりと昔のことを話したジュリアスに女子学生の矛先が向いた。
「高嶺の花って、クラヴィスさんでもダメってどんな人だったんですか!?」
「何と言えばよいのか……事情があって、どうにも無理だったとしか……」
「一言多い。余計なことを言うから突っ込まれるのだ、ジュリアス」
それまで無言だったクラヴィスが口をはさんだ。
「そうは言うが、一言多いのはそなたであろう。元はと言えば妙なことを若い女性相手に言ったのが悪い」
「互いにいい年の大人なのだ、私のことなど放っておけ。いちいち面倒を見に来ずともよい」
「そうも行かぬ」
クラヴィスの言い様に、口論になるのかと固唾を飲んで見つめていた周囲は、ジュリアスが苦笑して答えたことにほっとした表情になった。
「皆、すまなかった。話を続けてくれ。ただしクラヴィス、これ以上妙な話はするな」
最後に釘をさして、ジュリアスは自分が元いた席に戻っていった。
「ジュリアスさんもここにいてくれてよかったのにぃ」
少し残念そうに一人が言って、同意の嵐となった。
「ジュリアスのほうが良ければ、皆で追いかけていってはどうだ?」
「あ、いえー、今日はクラヴィスさんとせっかくお話しできるチャンスですから!」
その後は普通に歓談タイム。どんな音楽が好きかとか、大学で何を学んでいるのかなどといった比較的無難な路線での話に落ち着いて、さほどの阿鼻叫喚となることもなく無事に時は過ぎたのだった。

※闇様の一言で女子たちの甘いドリームがぐずぐず崩れるイメージ、なんですけど。ちょと苦しい?


75. 見つけ出せ

『Mystic』と題された写真が、伝統ある美術団体主催の展覧会写真部門で特別賞を受賞した。美術に興味のない者でも、名前は聞いたことがあるというくらいによく知られている展覧会である。美術関係者の注目度はもちろん高い。けれどもいくら有名な展覧会だからといって、大賞ならばともかく、その他の賞に無名の写真家が一度入賞した程度でいきなり注目の的になるなどということは稀だ。だがこの写真では、その稀なことが起こった。注目を浴びたのは写真家よりもむしろ被写体の方だったが。

きっかけとなったのはテレビのワイドショーだった。情報コーナーで「公募で特別賞に入賞した写真です、モデルさんかっこいいですね」と話題にされて、展覧会の映像を見たスタジオが騒然とした。
「ほんとかっこいいーー!! 誰なのこれ!?」「ちょ、何で顔面全部写してないの!」「それでもイケメン〜♪」「何かすごい神秘のオーラ感じない?」「いやそれは、タイトルがMysticですから」などと司会者やタレントたちが興奮気味に口々に言い立てて、被写体の男性は一気に世間の注目するところとなった。

テレビ局に、入賞作を撮影したオーリ・リンデグレンとはどんな人物か、モデルの男性は誰なのかという問い合わせが相次ぎ、職員はてんてこ舞いを余儀なくされた。しかも彼らの側にもそれ以上の情報がなかったために、情報収集合戦はますます加熱した。問い合わせは展覧会を主催した美術団体へも殺到した。こちらにはテレビ局が持たない情報があるが、規約で定められたもの以外応募要項に記載されている個人情報を流すことはできないという返答に終始した。
世間で大評判となった被写体は、芸能人でもプロのモデルでもなく、素性は不明のまま。アマチュア写真家だというリンデグレン氏だが、これまでに写真コンテストで入賞はおろか応募したという実績もなかった。初めての応募であるにもかかわらず有名な展覧会で賞を得てさぞ喜んでいるかと思いきや、本人は授賞式に姿を見せることはなかった。代理人を名乗る人物が現れて賞金と盾を受け取って、賞金は慈善団体に寄付してどこへともなく去ったという。授賞式の段階ではこの作品がこれほどのインパクトを世間に与えることになるとは誰も考えておらず、代理人は特にあれこれつっこんで尋ねられることもなかった。撮影者本人による通り一遍の受賞の喜びコメントを代読して、それ以来代理人も姿を消している。この写真にまつわる一切が謎に包まれていた。隠されれば隠されるほど知りたいのが人情だ。世間もマスコミも彼の情報に飢えている。写真のタイトルにふさわしく、すべてが神秘のベールに包まれた事態に、テレビ局も雑誌社も熱狂した。

マスコミは情報を求めて東奔西走したが、新たに出てきた有力な情報はたったひとつ、関係者から出たという裏話だけだった。写真のタイトルにはもともと「Cの肖像」という言葉が入っていた。つまり被写体となった男性の名前の頭文字は「C」だと考えられる。受賞が決まって発表するにあたって、受賞者の意向でその部分は削られて『Mystic』のみに改題されたというのだ。こうした経緯から、件のモデルはMystic Cと呼ばれている。

+ + +

オリヴィエがクラヴィスの執務室を訪れて、いきなり頭を下げた。何事かと目を上げたクラヴィスに、オリヴィエは言った。
「ごめんクラヴィス、ちょっとメンドーなことに巻き込んじゃったみたい」
「…藪から棒に…何の話だ」
「この前撮った写真なんだけどね」
しばらく前にオリヴィエとした賭けでクラヴィスが負けて、メークをされカラーコンタクトまで入れさせられて、衣装をとっかえひっかえ半日がかりで写真を撮られた。そのことであるらしい。
夢の守護聖はふぅとため息をついた。
「あれ、我ながらすっごいイイできだったから、外界のフォトコンテストみたいなトコに応募してみたんだよ。あんたに無断だったのは悪かった、謝る」
フォトコンテスト。守護聖が撮った、守護聖の写真を?
「だがお前本人が応募するわけにはいかぬだろう?」
「名前は写真家としてのアーティストネーム使って、応募に関する細かいことはうちの館のヤツに頼んで、顔出しが必要なところは行ってもらったんだ」
クラヴィスはフッと笑った。
「アーティストネームとは…ご大層なことだな。お前は写真家だったのか」
「あんたの写真千枚単位で撮ったんだから、アマでも写真家」
とオリヴィエは真顔で言い切る。その自信満々な言いように口元を緩めながら、クラヴィスは考えた。
守護聖の肖像は聖地の外へは出さない建前だ。と言って私自身は写真が流出しても大して困りもせぬが、わざわざこうして伝えにきたということは相当にまずい事態になっているのか。
「それで?」
と話の先を促す。
「大賞ってわけじゃなかったけど……みごと特別賞を受賞しちゃったんだな、コレが」
ま、私の美的センスをもってすればこのくらいはトーゼンだけどね、とばかりにオリヴィエはあごを上げた。
「ということは、私の写真が広く世間に公表されたという意味か」
自信満々な態度が一変、オリヴィエは首をうなだれた。
「そーゆーこと」
「写っているのが守護聖だと明かして応募したわけでもあるまい?」
「そりゃーモチロン。闇の守護聖だなんてバラすわけないじゃん」
「では…何が問題になるのだ」
「うーーん……それだけで後くされなく終わるはずだったんだけどね。あんた美形すぎて。このモデルいいってんで外界で人気に火がついて、はては有名な写真家とかデザイナーとか、自分も撮ってみたいだのショーで使いたいだのって奴が続出で、いったい誰だ、素性を突き止めろ、何が何でも探し出せってエライお祭り騒ぎになってるらしい」
けれどもどう探したところで、一般人が守護聖にたどり着くことはできないだろう。たとえ突き止められたとしても、現実にはモデルに起用などということは不可能だ。探されていることに特に問題があるとは思えない。
「あんた、ときどき外に出てるよね」
「…ああ」
外、と言われて面倒とはそういうことかと合点した。息抜きに外界のバーに飲みに行ったりすることは時々ある。
「連日テレビで写真大写しにされて、雑誌にも掲載されて、思いっきり顔バレしちゃってるでしょ。しばらく外界行きは自粛しといてくんないかなァ。万が一あんたが例の写真のモデルってバレるとヤバそーだから。外界とは時間の流れも違うし、こっち時間でほんのしばらくの間でイイから」
クラヴィスは苦笑した。そうしょっちゅう出かけるわけではないし、さほど困ることはない。冷却期間は聖地での一ヶ月もあれば十分だろう。
「わかった。当分おとなしくしている」
「悪いね。不自由な思いさせて」
オリヴィエはもう一度拝むようにして謝った。
「…しかしそれは…そこまで顔がはっきりわかる写真なのか?」
「美形だって大人気になったくらいだからね。けど真正面から顔面フルにってんじゃなくて。4枚組の組み写真なんだけど、髪で顔半分くらい隠れてるのやら斜め横からのショットやら、あとシルエット写真とか。そんなんばっかでも美形オーラは隠せないモンらしい」
「オリヴィエ」
「何さ?」
「そのせいかも知れぬぞ」
「そのせい、って?」
「全体が見えぬからもっと見たいという人々の気持ちが、かえって異様な盛り上がりにつながったのではないか」
「あ、なるほど。そーかもね! でもさ、私としてはいちおーゲージュツ写真のつもりだし、まさかそんなミーハーっぽい騒ぎになるとは思わなかった」
ほらコレ、とオリヴィエは応募写真の一枚を大きなパネルにしたものをクラヴィスに渡した。
「とにかくあんたのおかげで受賞できて、私も写真家の端くれに加えてもらえたってワケ。これが特に人気らしいんだけど、記念にもらってやってくれないかなァ? あんたにかけたメーワクの埋め合わせは、ほとぼりが冷めた頃私のおごりで外に飲みに行くってことで」

クラヴィスが聖地でおとなしくしている間にもMystic C探しは続いていた。頭文字がCの男など、ごまんといる。それも姓なのか名なのかさえもわからないのだ。大勢がどれほど血眼で探しまわっても、何の情報も出てこなかった。彼を知っているという人間すら一人として現れず、煙のように消えた代理人についても、撮影者に関してもモデルに関しても、何一つわからないままだった。この世の人間なら誰か知り合いくらいいるはずじゃないかと喧々諤々の論争が起き、果てはモデルのあまりにも整った容姿から「実在の人間じゃなくて、CGなのでは?」と言い出す者まで出てきて、テレビ番組で検証されたりもした。そもそもの騒ぎの発端であった美術団体の展覧会担当者から、「受賞作品はCGではなく、カメラで撮影された正真正銘の写真である」という声明が出るまでその一連の騒ぎは続き、そしてそれ以上新たな情報が出ないことから、ようやく沈静化へと向かいつつある。
Mystic Cは最後まで神秘のベールに覆われたままの存在で、世間から忘れられようとしていた。

+ + +

週末に闇の館を訪れたジュリアスは、寝室の片隅に置かれた大きなパネルに目を見張った。
「これは?」
「ああ、前に…写真を撮られたことがあったろう。記念だとオリヴィエがくれた」
モノクロの写真はジュリアスが嫌がった瞳の色調も暗く沈み、クラヴィス本来の表情を捉えていた。しばらく眺めたあと、写真そのもののできには触れずにジュリアスは茶化したようなことを言った。
「これほど大きなポートレートを自室に飾っておくとは……案外とナルシストだったのだな」
「第一声はそれか。別段自分の顔の大写しなど見たいわけではないが…物置に放り込んでオリヴィエの気持ちを無にするのも悪いと考えた結果だ。人目の多い場所に置くよりはよかろう」
入賞の件はジュリアスには言わずじまいだったが、外界ではこの写真が日々どれほど人目に晒されていたのだろう。
…どのみち流行など一過性のものだ。
どう探しても消息の知れぬモデルのことなど、人々の記憶に残るまい。

まだ写真をしげしげと眺めているジュリアスの背後から、
「気に入らぬのなら、目につかぬ場所に片付けさせるが」
と声をかけると、穏やかな微笑がクラヴィスを振り返った。
「いや。その必要はない。オリヴィエの腕はなかなかのものだな」
純粋に、いい写真だと思った。ジュリアスもクラヴィスも教養教育の一環で幼い頃から絵画や彫刻などの美術品に多く接して、そうしたものを見る目は確かだ。写真に関してはさほど詳しくないが、これが単なるスナップ写真でないことは一目瞭然だった。オリヴィエの美的感覚の鋭さを思い知らされた気がした。

これは……私にはできぬ。

よくぞこの写真を撮ってくれたという気持ちと、外見の美しさ以上のものをクラヴィスの中に見い出し、切り出して印画紙に焼きつけてくれたことへの感謝と、それができる天賦の才を与えられたオリヴィエへの羨望と。――微かな痛みと。

「いい写真だ」
ジュリアスは言って、恋人の顔を引き寄せると静かに唇を重ねた。

-サイト開設6周年記念-
 「013.コンタクトレンズ」の後日談的な話でした




■BLUE ROSE■