小説書きさんに100のお題



55. 戦い

想いを通わせて、週末に互いの館を訪ねあうようになって数週間。
私は急ぐつもりはない。

恋しい思いを知って、物足りなさを覚えて、もっとほしいと思うまで、
気持ちが十分に熟すまで
丹精した花がほころぶのを待つように、私は待とう。
お前の惑う姿は艶めいて美しい。


ようやく「嫌だ」という言葉がジュリアスの口から出るようになった。

触れると体を硬くするくせに。
顔を寄せるとそむけようとするくせに。
怖いのだろう? わかっている。

けれども拒絶の意思を言葉にすることはなかった。
それが歯がゆくて、声を上げずにいられなくなるまで追い詰めた。

「嫌だ」
「やめてくれ」
と、言葉にするまで。

そしていざ私が「そうか」と身を引くそぶりを見せると、今度はためらいがちに追ってくる。
嫌だと口にして初めて自分の望むものを知ったのだろう。

拒否すれば私は引く。
しかしジュリアス自身が、そのまま行かせることを望んでいない。
そのことに気づいて戸惑っているのがわかる。

真に望むものが何か、自分で気づくまでその惑いの中に放置しておこう。
なかなか素直になれぬお前がいつ落ちてくるのか、それを楽しみに待つとしよう。


57. 反発 -学生時代12-

午後からの講義に出席するために、クラヴィスは電車に乗った。ほんの数駅なので、車内がガラガラでもあまり座ろうとは思わない。何しろ、座ってしまうと外の景色を見るのに臨場感に欠ける。なるべく透明なガラスの近くから外を見る方が楽しい。と、ジュリアスにそう言ったら、含みのある笑い方をされた。 「何だ?」と聞いてみたら、「まるっきり子どもだな」と言われて少々気分を害した。だが、そう言われるのも無理はないと電車に乗り合わせた子どもたちの様子を見ていて納得した。座席に座った子どもは後ろ向きになって窓に張り付くようにして外を見ている。ドア近くの子どもも同様だ。そこまであからさまに張り付きはしないものの、自分もやっていることは一緒なのだと得心できた。

この日電車の中はいつになく騒がしかった。声高に話し続ける男子高校生の一団がいるからだ。隣のドア周辺にたむろしてあまりに傍若無人に大声を出したりバカ笑いをしたりしている彼らのほうに、つい目が行った。
ごく普通の高校生。特にぐれているとか悪ぶっているというわけでもないようだ。昼のこんな時間に電車に乗っているのは、試験期間だからだろうか。外を眺めていた視線が、いつのまにかその高校生たちを注視していた。と、中の一人がクラヴィスに目を留めた。
「何だよお前」
「いや、別に…」
つかつかと近寄って来た彼を、「おい、やめとけ」と別の高校生が小声で止めたが、クラヴィスに声をかけた高校生は退く気配がない。並んで立てば身長の違いは明らかで、下からにらみながら、
「何見てんだよ」
と言われても今一つ迫力がない。
「女三人寄れば姦しいなどと言うが、男でも姦しいものだ」
淡々とクラヴィスが答えたら、そばに座っていた若い女がくすっと笑った。その人ははっとして口を押さえてうかがうように目を上げたところ、運悪く高校生と目が合ってしまった。途端にこの女性が高校生の標的に切り替わった。
「笑ってんじゃねーよ!」
虫の居所でも悪いのか、高校生は女性相手に言い募った。クラヴィスはため息をつく。女性が攻撃対象になったのは、元はと言えば自分が高校生を刺激したからだ。言わなくてもいいことを言ってしまう悪癖は、ジュリアス限定にしておけばよかったと少し後悔した。突っかかって来たのは相手の方だが、火に油を注ぐ真似をしたのは自分だ。矛先が自分に向いている限りは適当にあしらえばよいが、他人に火の粉が降りかかることになるのは本意ではない。
「関係のない人に言いがかりをつけるのはやめぬか」
「何だよさっきから! うっせーんだよおっさん!」
その反発の仕方が聖地での知り合いに少し似ている、と内心微笑ましく思いながら、クラヴィスは言った。
「見れば先ほどからずっと騒いでいる。迷惑だ。もう少し大人しくすることだな」
「何だと!」
と振り上げた手は、手首をつかまれて返されて、高校生は一瞬で手をひねりあげられて「いてーよコラやめろよ」と情けない声を上げた。
「まったく。まだ子どもだと思って大目に見ていたが、口だけならともかく手を出すのはよくない。小学生でももっと行儀よく電車に乗っているぞ。大人への反抗もほどほどにな」
解放された手をさすりながら、なおもにらみ上げてくる高校生に苦笑が洩れた。似ているのは言葉づかいだけか、ゼフェルはもっと節度があった、と銀の髪の少年のことを思う。高校生の一団は、すっかりおとなしくなっていた。中の一人が、
「すみませんこいつ、ちょっと血の気が多くて」
と謝りながら彼を車両の隅に引きずって行った。
ドアのそばの座席に座っていて高校生に突っかかられた若い女は、ほっと安堵の吐息を洩らした。目の前の狭い空間で乱闘騒ぎになんかなったら恐ろしすぎる。
「すまぬ、迷惑をかけた」
とクラヴィスは謝った。当然ながらその女の目はハート。
「いっ……いいえっ!! 迷惑なんて全然! こちらこそ、ありがとうございました!」

この若い女はジュリアスやクラヴィスが通う大学の学生だった。クラヴィスの方では知らなくても、相手さんはクラヴィスのことをよーーーーく知っている。この後あっという間に、盛大な尾ひれのついた黒髪のプリンスの武勇伝が大学で広まったのは言うまでもない。


58. シーズン -学生時代6-

休日に二人で買い物に出かけた。土日は通いのハウスキーパーの女性も休みなので、食事は自分たちで何とかしなければならない。簡単なものなら作れるし、冷凍庫には彼女が気を利かせて作り置きしてくれているものもあったはずだ。けれどもその日は何となく、デパートのデリで済ませようかという話になって出かけたのである。二人の住むマンションはデパートも徒歩圏内にあるので、散歩がてらの買い物だ。
地下の食品売り場に通じる入口までくると、外に簡易の売り場があるのが目に留まった。何人かの女性が細長いテーブルに果物らしきものを山と積んで売っている。収穫風景がプリントされた垂れ幕が背後の壁にかかっていて、宝石のような赤い実がたわわに実った木や作業する人の姿が写っている。そばに立てた幟には「今が旬! さくらんぼ」とあった。クラヴィスが興味を引かれたようにそちらへと足を踏み出した。
「いらっしゃいませ〜! ご試食もできますよ!」
と、女性が差し出してくる皿から一つを取って、クラヴィスは口に入れた。
「そちらの方もいかがですか?」
後ろにいたジュリアスも声をかけられて、一つを口に含んでみる。軽くかんでつるりとした果皮が破れると、甘酸っぱい味が広がった。さわやかで、優しい味わい。
「美味いな」
ジュリアスの口からは素直な賞賛の言葉が出た。
女性は嬉しそうににっこりと笑みを浮かべた。
「お気に召しましたか。当地の名産です」
「一箱もらおう」
クラヴィスはすっかり買う気になってしまったようだ。
パッケージの大きさがいろいろあって、値段にはずいぶんと開きがある。クラヴィスは中でも大きめの箱を選んだ。
「これを」
「待て、それはいくら何でも多過ぎはしないか」
二人なのにという言外の抗議を受けて、クラヴィスはフッと笑った。
「大丈夫だ。お前には多過ぎても、私が食べる」
「デザートだけで腹を満たすわけにもいくまい?」
呆れたような声を出したジュリアスに、クラヴィスは向き直った。
「たまにはそれも良い」
「こちらでの販売は今日までなんです。旬のものですから、次は一年先になりますよ」
大箱を買ってくれそうな客を相手に、販売員はここぞとばかりにプッシュ。
「そら見ろ。果物はそのシーズンを逃すと手に入らない。悔いのないように大きい箱で買う」
何をどう言おうとクラヴィスは買う気だ。仕方がない、とジュリアスも諦めた。値段はかなり高いが、幸か不幸か二人にはその程度の贅沢ができるくらいの余裕は十分にある。それに、どこか遠いところから輸入されたものなのか、これまで口にしたことがなかったさくらんぼは本当においしかった。

大きな箱を入れた袋をぶら下げているクラヴィスは一見いつも通りの顔だが、よく見れば何やら妙に嬉しそうだ。
よほど気に入ったのだな、とジュリアスはそんなクラヴィスを微笑ましく眺めていた。だが微笑ましく思っていられたのもそこまでだった。
「あとは何か少しつまみになるようなものとワインと…そんなところか」
ジュリアスはあからさまにため息をついた。
「きちんと食べようという気はないのか」
「今日はそういう気分ではない」
「気分はどうあれ、その内容はひどすぎる。酒とオードブルと果実だけなど、食事としては論外だ。出来合いのものを買うのであっても、栄養面には配慮せねば」
「ではそういうことはお前に任せることにして、私は好きなものを適当に買う」
クラヴィスの気分屋ぶりと偏食にはほとほと呆れるという気持ちが、
「何を食べてそこまで育ったのだか……」
という言葉となった。
「確かにな。よく食べるお前よりも私のほうが大きい」
人の悪い笑みと共にクラヴィスはうそぶいた。
「たかだか2センチ程度の差で、そこまで偉そうに言うこともなかろう」
「ひがむな。お前は世間一般からすれば十分に大きく育っている」
「……もう良い。買い物を済ませて帰るぞ。そなたはそなたで、好きなものを買ってくるがいい」

結局その日クラヴィスが買ったのは例のさくらんぼ一箱の他は、さくらんぼと同じ産地の地酒、酒の売り場でよく合う肴になると勧められた食品だけだった。パッケージから取り出したものをそのまま食べられるという説明に、即断で購入したものだ。そういう事態になることを見越していたジュリアスは、適当に二人分の惣菜類やサラダを選び、パンとチーズ、ワインなどを買い込んでいた。
落ち合った場所で、クラヴィスの戦利品を見たジュリアスは嘆息した。
「そなたの買ってきたそれは?」
「魚のすり身でできているとか言っていた。試食させてくれたが、旨かったぞ」
「旨いかもしれぬが、オードブルにしかならないのでは?」
「私は旨ければ文句はない」
そういう男だと知ってはいたが、これでは絶対に一人暮らしなどされらぬな、とジュリアスはまたも嘆息した。
「ところで、やはりそれは多すぎたのではないか?」
クラヴィスが持っている大きな箱入りのさくらんぼに目をやってジュリアスが言った。
「今宵も食べるが、残りは明日の朝食にする」
嬉々として言う伴侶に、本日何度目になるかわからないため息。
「またそのようなことを言う。もう少し体のことを考えよ」
「私が考えずとも、お前がいてくれるから健康管理は万全だ」
「人に頼るな!」
「では私のことなど放っておけばよい」
ジュリアスにそんなことはできないのを承知で、クラヴィスは笑いながら言った。
「もうよいではないか、明日の朝のことなど。それよりも、買ってきたこの酒を呑むのが楽しみだ。お前も多分気に入ると思う」
「酒の試飲もしたのか?」
「ああ」
「そうか。それは楽しみだ」
ジュリアスの好みを心得ているクラヴィスが選んでくる酒はいつも口に合うので、自然と顔がほころぶ。
そんな言葉を交わしながら、宝石のような実が詰まった大きな箱にもう一度目をやって、クラヴィスの好物をふと思い浮かべた。

ライチ、苺、そしてこのさくらんぼ。
クラヴィスは小さくて赤い色をした実が好きなのだろうか。
何だか幼い子どものようだな。

思わぬ発見をした気分になってくすくすと笑い出したジュリアスを、クラヴィスが気味悪そうに見た。
「いきなりどうした」
「いや、そなたが幼子のようだと思ってな」
「何だそれは…」
不満そうなクラヴィスは、ますます頬をふくらませた子どものようだと思ってジュリアスはまた笑った。

口論とも言えないような言い合い、他愛のない会話。
何が起こるわけでもない、思いがけないことといえば旬の果物にたまたま巡りあったというだけの、平凡な休日。
そんな、どうということもない日常を幸せだとジュリアスは思った。


60. これだ
※「032. 夢なのか?」の後日談。

ある日の午後、宮殿にて。
「なークラヴィスー」
回廊で声をかけられたクラヴィスは視線をそちらに向けると、目だけで問いかける。何だ?と雄弁に語る瞳に、
「おめーってホントしゃべらねーのな」
と少年は言った。
「こないだよー、オレ見ちまったんだけど……おめーとジュリアスって仲いーのか?」
「見た、とは?」
「すっげジョーネツ的に……キス、してた」
ぼそっと小さな声で言われた言葉に、クラヴィスはフッと笑って、「大方夢でも見たのであろう。宮殿での昼寝はやめることだな」とだけ言って行き過ぎた。
昼寝はやめろだと? おめーに言われたくねーんだよ!

くさくさした気分で王立研究院に出かけたゼフェル、そこでジュリアスと偶然顔を合わせて、こちらにも尋ねてみることにした。クラヴィスはともかく、ジュリアスに「キスしたか?」なんて尋ねるのはゼフェルにして相当の勇気を必要としたが、何とかアレをはっきりさせないことには小骨がつっかえたようで気分が悪い。半ばやけくそである。
「なージュリアスー」
「もう少し年長の者に対する言葉遣いを考えて話せ」
「かてーこと言いっこなしだぜ、首座サマ」
「だからその言葉遣いを何とかせよと言っているのだ!」
ジュリアスの注意を聞いていたのかいないのか、声を落として、ゼフェルは言った。
「おめーさ、クラヴィスとキスとか、した?」
「一体何の話だ」
顔の筋一つ動かさない、みごとな無反応。
「覚えねーっての?」
「私の言ったことを聞いていたか? もう少し礼儀を心得た言動を心がけよ。しかもわざわざ呼びとめておいて、そのような愚にもつかぬことを。下らぬことを言っている暇があったら、書類のひとつも仕上げてくることだな」
「へいへい、わかりました」
「はいと言わぬか、はいと!」

――ったくもー、これだ。クラヴィスといいジュリアスといい、ぜーんぜん動じねーでやんの。特にジュリアス、おめーこーゆーことばっか言ってっから、冷たいって思われんだよ。
人のコトバづかいどーのこーの言う前に、もーちっと人間らしい受け答えっての考えたらどーよ?
てゆーか、おめーの場合、相手がたとえオトコだって恋人いるほーがよくねーか? あん時のジュリアス、声もなんかやさしかったし……いろっぽかったよな。別に男がいろっぽくなくてもいーけどよ、もー少しやーらかいフンイキっての? そーゆーののほーがガチガチ石頭すぎよりか、ずっといーよーな気がすんだけどな。

あのとき見たものを思い出して、少し赤面。

……にしても、やっぱ夢だったのか、アレ? あん時オレ、だいぶ眠かったもんなー。
だとすると、そーとーヤバくね? キスシーン夢に見るって、どこまでヨッキューフマンなんだよ!?
しかも、よりによってあいつらがキスしてる夢だぜ。信じらんねー!!
どーせ見るならかわいー女の子とキスする夢とか、いろっぺーねーちゃんのハダカとか、青少年が見る正しい夢っつーモンがもっといろいろあるじゃねーか。
はー、なんてゆーか、ちょっと……落ち込む……。





■BLUE ROSE■