小説書きさんに100のお題
31. 去年 -学生時代10-
聖地を出てから初めての冬が過ぎて、日差しが春めいてきた。
主星の首都で大学生活を送っている元筆頭守護聖たちは、自宅マンションからほど近い場所にある公園をよく訪れる。
人出の少ない冬のさなかも、二人はかなりの頻度で散歩に出かけていた。ところがこれが、晴れている日はいいのだが、曇天下に冬枯れの公園を二人きりで歩いているとどこかもの寂しい気分になる。互いがいれば十分に満足な二人ではあるが、かといって人の姿を見かけない広い公園というものは、気候のせいもあって寒々としていて、出かけてはみたものの結局早々に引き上げて近所のカフェに寄ってコーヒーで体を温めることも多かった。おかげでカフェのマスターともすっかり顔なじみとなっていた。
そんな日々が続いてふと気がつけばこのところめっきり暖かくなって、穏やかな日差しの下、公園には春の花が目に鮮やかだ。人出も増えている。ジャングルジムや簡易フィールドアスレチックのような大型遊具がある場所は、休日には子ども連れの家族でにぎわう。暖かくなったせいか年配の人々が談笑しながら散歩する姿も多く見受けられるようになった。季節の変化というものを目の当たりにして、聖地との差を思う。女王が交代して、聖地の気候も以前よりは季節を感じられるようになっていたが、それでも本物の冬を越した後の春の光がいかにありがたいか、二人とも本当にはわかっていなかったのだ。
思えば去年の今頃はまだ二人は聖地にいた。ベンチに並んで腰掛けて歓声を上げて走り回る子どもたちを眺めながら、クラヴィスが言った。
「啓蟄、とルヴァが言っていたか…」
「聖地でははっきりとした四季というものがなかったゆえ、地の守護聖殿のありがたい話もそんなものかと聞き流していたものだが」
「こうして人が多くなるのを見ると、暖かさに誘われて活動的になるのは虫に限ったことではないと思い知らされるな」
ジュリアスは微笑して、
「まったくだ」
と答え、少し怪訝そうにクラヴィスを見た。クラヴィスが聖地でのことを自分から言い出すのは珍しい。それはひとえに聖地に対する複雑な感情のせいかとジュリアスは思っていた。
「そなたは聖地が性に合わぬと嫌っていたのではなかったか」
クラヴィスは愛する伴侶の顔をしみじみと眺めた。
「そうだな。だが少し時が過ぎてみれば、思いも変わるものらしい。今となってはなつかしい気持ちが強い。それに、お前にとって大切なふるさとであるのなら、私にも大切なものだ」
クラヴィスがそんなことを思っていたとは、ジュリアスには予想外だった。何か、クラヴィスがくれた言葉にふさわしい言葉を返したい。だが胸がいっぱいになって言葉が出てこない。
クラヴィスがフッと笑って、
「語り出すと止まらないルヴァの長い話が恋しくなる時が来ようとは」
などと茶化すようなことを言った。軽い調子でそんなことを言われて、ジュリアスもようやく声を出すことができた。
「もう皆と会うことはないのだな」
同じ宇宙に生きながら、なつかしい人々と再び会えることはないだろう。だが。
「お前はここにいてくれる」
ジュリアスさえ傍らにいてくれれば、他の誰もいらない。かつて知っていた人々にもそれなりの思い入れはある。けれども、他の知り人すべてとひきかえにしてでも、ジュリアスにここにいてほしい。
「お前がいてくれてよかった」
唇をかすめるだけのキスをして微笑んだクラヴィスに、
「ここは公園だぞ。人目もあるというのにこのようなところで」
と、その行為をとがめたジュリアスだったが、心の奥底にある思いは同じ。
そなたが、ここにいてくれてよかった。
32. 夢なのか?
昼休み、人気のない宮殿の中庭で寝ころがっている銀の髪の少年が一人。
そこは気持ちのよい風が吹き抜ける木陰で、彼のお気に入りの場所だった。居心地よさもさることながら、何より人目につきにくいのがいい。誰とも顔を合わせたくない気分のときには、たいがいそこで寝転がっている。
なんかかったりー。書類にはうんざりだぜ。
こっちはこれでカンペキと思って出しても、ジュリアスがもっとテーネーに書けとかうるさかったりするしよ。
読めりゃいーじゃねーか。文句あんだったらテメーで書きなおしたらどーよ。
あーもー、今日は帰りてー。
けど勝手に帰って金髪がみがみオヤジからセッキョーくらうコトになんのもうぜーしな。
自主的に昼休み長めに取るだけでガマンしてやっか……。
……にしてもジュリアスのヤロー、でけーよなー。
見下ろされるだけでムカつくっつーの。
だいたいが守護聖ってでけーヤツ多すぎ。
チャラチャラしたオリヴィエとか女顔のリュミエールだって180こえてんだぜ!
オスカーなんかはまー、軍人だったって話だし、カラダ鍛えてるっぽいからでかくても仕方ねーかって思うけどよ。
クラヴィスなんざアレだぜ、ずーっと部屋にこもりっきりすわりっぱなしのクセしてムダにでけーよなー。
ジュリアスとおんなじくれーあるよなー。
並んで前に立たれたりなんかしたら、カベだぜカベ。
ソーゾーするだけでうっとーしすぎ。
あいつらってたしか二十年がとこ聖地にいるんだっけ?
げー。こんなタイクツなとこで二十年って、すごくねー?
そりゃーストレスたまってガミガミ言いたくもなるってもんだ。
なんてちょっと同情してくすっと笑い、ふと真面目な表情を浮かべた。
あいつらがでけーのって、もしかしてここに長くいるからだったりして。
だったら聖地暮らしも悪くねーかも。
オレだってあと二十年いたらあのくれーにでかくなれっかもしんねー!
これってすっげー発見じゃねーの? オレ、天才!?
こんなことを考えて悦に入ってるとは、どうやら鋼の守護聖、昼食後の満腹感も手伝って大分眠くなって、頭の中身が暴走し始めている。
うつらうつらしかかった少年の耳に、かすかに声が届いた。
「……あ、こら。クラヴィス、このようなところで……んっ……」
がみがみオヤジの声のトーンがなんかいつもと違うと思って、すっかりくっつきかけたまぶたを無理やりに押し開けて、声のしたほうを眺めてみた。
今しがた脳裏に思い浮かべていたばかりの金髪と黒髪が、何だか密着して……る?
あー? 何やってんだ、あいつら?
彼のぼやけた目に映っているのは、あろうことか筆頭守護聖たちのキスシーン。
おいおいマジかよ。おめーらこんなとこでキスしてんじゃねーよ。
オレに見せつけてーワケ?
へへーんだ、男とキスしてるとこなんか見せられたってうらやましくも何ともねーぞ。
じゃなくて!! なんかオレ……すげーもん見てねーか!?
うっわ、いつまでやってんだよ! ジョーネツ的なのはいーけど、いーかげん離れろよ。
おめーら、なげーことキスしすぎだっての。唇ふやけちまうんじゃねー?
ってゆーか、だれかほかのヤツに見られててもしんねーからな!!
…………あっれー? あの二人って……仲わりーハズだよな。
やっぱオレ……夢見てんのかな――。
33. 拒絶
※「060. これだ」の後の一騒動。
執務室に現れたジュリアスは見るからに不機嫌だった。眉間にしわを寄せて、
「こちらへ」
と私を奥の部屋へと引っ張る。執務に関する小言ならば執務室でいつものように述べ立てることだろう。別室へ行こうとするのは、万が一にも他人に聞かれたくない話ということになる。ジュリアスの表情を見るに、良い話である可能性はまずない。人に聞かれぬ場所で罵倒の限りを尽くそうとでもいうのだろうか。試しに、
「積極的だな」
と茶化してみたら、無言でにらまれた。私はどんな不興を被ったのか。中に入って扉を閉めて、向き直って私を見た瞳が怒りに燃えている。そこまで怒る理由に思い当たらない。
「…何だというのだ…」
「そなたのせいで嘘をつく羽目になった」
「ほう…お前が嘘を、な」
「そうだ」
「どのような?」
「ゼフェルに尋ねられたのだ……」
鋼の守護聖の名が出たことで、そのことかとようやく得心が行った。あの程度のハプニングは、クラヴィスの中では大したことではない。けれどもジュリアスにとっては一大事件であっただろうことは想像がついた。それにしても首座殿にもわざわざ尋ねたというゼフェルには恐れ入る、と思って微笑が浮かんだ。
「笑っている場合ではない!」
すごまれても、クラヴィスは微笑を消すことはなかった。だって、そんなささいなことで(←クラヴィス基準)これだけの大騒ぎをするジュリアスは……かわいいではないか。
「お前のところにも尋ねに行ったのだな? 私と…くちづけをしたのかと」
「その通りだ! ゼフェルにそのようなことを訊かれて私がどれほど驚いたか、そなたには想像できまい」
驚きはしたろうが、お前のことだ。うまく切り抜けたに違いない。
「見られたのは…たまたま間が悪かったというだけのことであろう。私からは、夢でも見たのだろうと言っておいた」
「それで納得したのか」
「大方あちらも人目につかぬ場所を探し出して昼寝でもしていたのだろうから…そう思ってくれたのではないか」
「いい加減な」
「お前と私がくちづけをしていたというよりは受け入れやすい説明だと思うが」
「そうあってほしいものだ」
「嘘をついたと言うからには、お前も否定したのだな」
「当たり前ではないか。そのようなことに肯定の返事などできるはずがなかろう!」
キスなんかしてないと否定したと言うよりは、その事自体には触れずごまかしたと言うか。だから本当のところ積極的な嘘はついていない。けれどもそれはジュリアスにとって非常に心にひっかかるできごとではあった。尋ねられて、きちんと釈明できないことを自分がしたなんて。
面白そうな顔をしているクラヴィスを一にらみして、ジュリアスは冷たく言った。
「今後一切、宮殿で私に触れるな」
「…それは困る」
「困ることなど何もなかろう」
「いや…私よりも…お前が困ることになるぞ」
「私が!? どう困ることになるというのだ。今以上に困るようなことにはなるまい!」
「ひとつ確かめたいのだが…『宮殿では禁ずる』というのだから、私と別れるつもりはないのだな」
虚をつかれたような表情になったジュリアスは、一瞬の間の後にうなずいた。
「……うむ」
「つまり、私の行動に腹を立てているが、私のことは好きだと、そういうことだな」
少し悔しそうにジュリアスは唇をかんで、またうなずいた。
「……うむ」
「だというのに私を拒むと言うのなら…」
言いながらジュリアスを引き寄せて、逃れようとするのを抱きしめて、正面から見つめた。
「人目を避けることなどせず、どこででもやりたいようにさせてもらう」
「……どういう意味だ?」
「お前の意向を容れてこれまでは人目のない場所でしかしなかったことを、好きなときに好きな場所でする」
「なぜそうなる!?」
「これまでは信頼関係に基づいて一定のラインを設けてそれを遵守してきたが、お前が一方的に私を拒絶するというのなら…信頼関係は崩れたと見て、こちらも勝手にするまでの話だ」
「詭弁だ!」
「何とでも言うがよい。お前は己の意志を通せ。私は私の好きにする」
「……クラヴィス」
と呼ぶ声音ににじむのは怒りではなく、当惑。クラヴィスは激してはいない。むしろ甘い笑みでそれを言った。ジュリアスをからかったり、怒らせたりする意図は全くないように見える。それほどに優しい顔だった。でありながら、突き放すような言い方。表情と言葉の懸隔に戸惑うジュリアスに、さらに追い打ちがかけられた。
「秘密にしようとするからこういうことも起きる。いっそ公にしてしまえば、誰に見られようが問題ない」
いやそれはちょっと。問題あると思う。
とんでもない言い分に目を見開いたジュリアスの唇に触れんばかりに唇を寄せて、告げた。
「それが嫌なら現状維持で我慢することだな。お前は私を好いているのだろう…? 私もだ」
この石頭をどれほど愛していることか。お前には到底想像もできぬだろう――。
「だから……触れたい」
優しい表情のままで切々と訴えられて、ジュリアスの矛先も鈍った。
「だが」
「…人に見られぬよう、これまで以上に気をつけることは約束する」
そんな懐柔策で、なおも抗おうとするジュリアスをなだめ、それ以上反論する気力を奪っておいて、ついでに唇も奪う。抱きしめた体から力が抜けた。
お前は…私を拒むことなどできまい?
いったん離れた唇が愛しい恋人に「愛している」と告げて、もう一度やわらかく重なった。
40. どきどき
日の曜日の早朝。隣で眠る男の顔に見入って、今更ながらその造形の整いぶりに感嘆のため息が洩れる。
今はまぶたに隠されている瞳。
黒曜石と見えて、間近で見れば深い紫のアメジストだと知れる。
眉、高く通った鼻梁、唇。
白い肌に映える艶やかな黒髪。
どこを取っても好みでない部分はなく、こんな奇跡のように美しい存在が自分に寄り添ってくれているのが信じられない心地がする。
ときに意地の悪いことを言うその憎らしい唇が、限りなく優しいキスをくれたりもする。
かと思えば、激しく奪うようなキスも。
だが……私の方からクラヴィスにくちづけをしたことがあっただろうか。
ふとそんな疑問が心をよぎって、これまでの経験を思い返してみた。
――いつもされるばかりだったような、そんな気がする。
どんなふうにキスを始めたらいいのかすらわからないことに気がついたジュリアスは、男としてそれはちょっと、いや人としても問題があるかもしれないと突然の悩みにとらわれた。
クラヴィス以外の人間とキスをするつもりはないが、男の自分は本来なら女性とキスをするのが自然の性というもので、その場合ジュリアスとしてはリードする立場でなければならないという気持ちがある。男として、それが自然なことと思える。それなのに、どうしたらいいかわからないなんて!
ここはひとつ、練習が必要だろう。
と、真面目なジュリアス様は真面目に考えて、キスの練習をする相手は誰でもいいというわけにはいかないので、目の前で眠る恋人を実験台にすることにしたのだった。
眠っているのを幸い、そっと顔を近づけて唇を合わせようとして。
どきどきどき。
される側であるのも十分にドキドキものだけど、いざ自分からしようとすると、それはそれでまた違ったときめきがある。
唇が触れ合う寸前でぴたりと動きを止めたジュリアスは、気持ちを落ち着けようと大きく深呼吸をした。そうして改めて唇を合わせようとしたその瞬間、クラヴィスが目を開いた。
どっきーーーーーーーーん!!
「…何をしている」
何って。いやそれはその。くちづけを――。
ジュリアス、真っ赤。
「お前はすぐ赤くなる」
くすっと笑ったクラヴィスに言われて、冷静沈着を旨とするジュリアスは今度はむかっとして、ムカついた、という顔になった。
「それに感情がすぐ顔に出る」
それはない! 私は常に冷静だ!
顔に出るとしたら恋人であるそなたに対してだけのことで!
と、心の中でだけ抗弁を試みた。何しろ後半部分は口にするのは恥ずかしすぎる。
「お前のほうからくちづけをしてくれるのかと楽しみに待っていたのに…」
では最初から知っていたのか、そなたは!
寝たふりなどして!!!!
怒りと恥ずかしさで爆発しそうなジュリアスの背に両腕を回して、クラヴィスは抱きしめて囁く。
「くちづけをされるのを待つのも…なかなか乙なものだ。どきどきする」
言いながら、耳の後ろに唇を当てて、それを下へとすべらせた。
「…おかげでまたお前が欲しくなった…」
朝からそのような、というジュリアスの抗議の声は、キスの波に飲まれてどこかへ消えた。