プレイボーイの恋人


聖地は現在、闇の守護聖に関する新しい噂で持ちきりだ。クラヴィスがジュリアスと共に執務室奥の部屋で一時間ほどを過ごしたあの運命の日以来のことである。

プレイボーイとして勇名を馳せたクラヴィス様が、とうとう一人に的を絞った。
日替わりで女を誘っていた闇の守護聖が、今はその相手に夢中で他の女に目もくれない。
常に無表情、けだるげな様子だった彼が何だか元気になった。
恋人の影響なのか、執務にもまじめに取り組むようになった。
クラヴィス様は毎晩恋人のところに通っているらしい。
その「恋人」というのが何と! あの光の守護聖だというではないか。
犬猿の仲だったはずなのに、どうした風の吹き回しなんだ?
って言うか、稀代の女好きがなぜ急に男に宗旨替えしたんだ?
等々、誰もが目を疑うカップリング成立のせいでネタが途切れることはなく、噂は拡大の一途をたどっている。

以前はぼーっとしながら適当に職務をこなしていて女漁りだけに熱心だった闇の守護聖が、真実の恋を見つけてからというもの執務にも積極的になったという評判だ。それとは裏腹に、噂のもう一方の当事者であるところの、クラヴィスの恋人と目されている光の守護聖、顔色は冴えない。何しろある日突然、幼なじみにして同僚であったクラヴィスの抱き枕にされたのである。なぜこんなことになってしまったのか、未だに得心が行かない。
クラヴィスが光の館に通い始めてすでに二ヶ月ほどが経つ。もちろん、ジュリアスと寝るためである。
ジュリアスがどれほど口をすっぱくして「自分の館へ帰れ」と言っても、「お前も共に来てくれるのなら帰る」と言い、決してそばを離れようとしないのだ。
「毎晩来るのは面倒ではないのか」
と別方向から攻めてみたが、
「お前と寝るためならこのくらいのことは何でもない」
なんて平然と言い放ち、にこやかなものだ。

それを聞かされる館の使用人たちもたまったものではない。なにしろプレイボーイなクラヴィスの噂は聖地中で、ということは守護聖の館の使用人たちの間でも有名だったのだ。筆頭守護聖の館とて例外ではない。そのプレイボーイがあろうことか、自分たちが仕える誇り高き主に熱を上げて他の女性に見向きもしなくなったなんて噂も、当然耳に届いている。そしてその噂は真実であると証明するかのごとくに、クラヴィスは毎晩光の館を訪れるのである。訪れるだけではない。彼らの尊敬すべき主と寝室を共にするのである。厳格な主とその恋人が夜毎の痴話喧嘩(に聞こえる会話)をしているところにたまたま居合わせてしまった使用人は、闇の守護聖の「お前と寝るためなら」発言を聞いてどんな顔をしたらいいのかわからないといった風情で、ひたすら見なかったふり聞かなかったふりに徹していた。
大の大人が単に睡眠を取るためだけに他の人間とベッドを共にするなんて、普通に考えればあり得ないとしか言いようがない。誰かが添い寝してくれないと闇の守護聖は眠れないなんて、どんな想像力豊かな人間であっても想像できなくて当然だ。クラヴィスの「寝る」というのは単に「眠る」という意味に過ぎないのだが、周囲はアノ行為の婉曲表現であろうと思ってしまうのも仕方のないことであった。
最近光の館では主の恋人のための夕食も用意している。クラヴィスは館の主と一緒の食事が済むと、いつも通りの顔を保ったまま私室へ向かおうとするジュリアスに嬉しげについていく。今夜も寝る気満々だ。ジュリアスさえいてくれれば、至福の眠りは約束されている。今夜も楽しい睡眠ライフが待っていると思うと、自然とるんるんしてしまうのだ。そんな闇の守護聖の表情を伺い見るにつけ、光の館の者たちは「よほどジュリアス様のことを愛していらっしゃるに違いない」「プレイボーイだっただけに、夜はさぞかし……」というあらぬ誤解を深めていくのだった。


+ + +


実際のところジュリアスの寝室のベッドは大きいので、大柄な男ふたりが横になっても狭すぎて困るということはない。クラヴィスは寝入る時こそ大切な抱き枕をしっかり抱きしめているが、眠ってしまえば抱き枕のほうでも多少の自由はきくようになる。人の体温を感じていないと眠れないとかいうワガママな体質のクラヴィスだが、背中合わせであれ何であれ、とにかく体のどこかが密着していれば満足であるらしいので、それに慣れてしまえば大した不都合もない。のだが。

いつまでもこれが続くのは……困る……。

その気持ちが表情に出ていたものらしい。クラヴィスに尋ねられた。
「…どうした? 何か気になることでも?」
「別に……何でもない」
「何でもないということはなかろう。お前がそれほど憂わしげな顔をしているのは珍しい」
「そうだろうか」
「よければ…話してくれないか…?」
なんて、とても親身に言われて、ありがたすぎて涙が出そうだ。困っているのはこの男のせいだ。その当人に「どうした?」なんて言われたって、困るばかりなのである。ジュリアスはうつむいて、ため息をつきながら言った。
「私を困らせないでくれ……」
「私が…お前を困らせているのか…?」
クラヴィスも困惑した表情になった。
「そなたのせいとばかりも言えないのだが……」
ジュリアスにしては珍しく歯切れが悪い。
「私が何をした」
「こうして、私と寝ると言って通ってくる」
クラヴィスが一緒に寝るなどと言い出さなければ、そしてそれを強行しさえしなければ、このような困った事態にはならなかったものを。
「寝てはいけないのか?」
「いやそうではなく……寝るのが悪いというわけではなくて……」
口ごもるジュリアスに、クラヴィスは言った。
「そこまで言っておいて言葉を濁されると、逆に気になる」
「では言う。驚かずに聞いてくれ」
ついにジュリアスは意を決して口を開いた。いつまでもこの状況でいるのは耐え難い。言ってしまえば何らかの打開策も見つかるかもしれない。
「……そなたのことが……好きになった」
いったいどんな驚くべきことを言われるのかと固唾を飲んで待っていたクラヴィス、破顔一笑。
「それは嬉しいことだ。それでなぜ困る? 私は昔からお前のことが好きだったが、お前のほうでは私を嫌っているようだったからな。好きになってくれたとは…何と言ってよいかわからぬほど嬉しい」
という喜びの言葉とともに、ジュリアスをぎゅむっと抱きしめた。
どきどきどきっ。
それが困るというのだ!!
「クラヴィス」
名前を呼ばれて嬉しかったのか、さらにぎゅむむっと抱きしめて、
「何だ?」
と尋ねるクラヴィスの声が弾んでいる。ジュリアス、ため息。
「それはやめてくれぬか」
「…それ、とは?」
「私に抱きつくのをやめよ」
え? スキだって言ってくれたのに、何で?
体を離したクラヴィス、びっくり目でジュリアスを見た。
その顔を眺めて、整った顔立ちのくせにこんな表情をすると可愛いではないか、とか思って胸がキュンとして、ますますジュリアスは困っていた。

相手の方から毎夜熱心に通ってきて寝室を共にしながらその実抱き枕にされているだけというのは、何と言うか、寂しい。せっかくこうしてプライベートな時間に顔を合わせているのだから本当はもっとゆっくり語り合ったりしたいのに、相手は嬉しそうにベッドに入って「お前も早く来い」なんて言って、さっさと寝てしまうだけだなんて。情けなさ過ぎて誰に相談もできない。では何を語り合いたいかと言えば自分でもはっきりしなくて、もやもやしたものが胸の中にわだかまっているばかりだというのが、状況を悪化させている一因だった。理論派ジュリアス、クラヴィスが好きだと自覚したことで何に困っているのかをうまく説明できないのがもどかしいのである。
具体的に話すべきことがあれば、それを口にすれば問題解決だ。しかし自分が何を語り合いたいのかがわからない。だから困っているのはクラヴィスのせいというよりは自分のせいなのだ。もやもやを抱えたまま、自分を抱きしめたクラヴィスが幸せそうに寝入るのをただ眺めているだけになる。

こうなってから気づいたのだが、自分はどうやら昔からクラヴィスのことが好きだったらしい。もっと親しくしたいと願い続けてきたらしい。だからこれは親しく語り合う絶好のチャンスだ。だというのに、クラヴィスにはまったくその気がない。仕事一筋の光の守護聖様は、これまで特定の誰かと親しくなりたいと思ったことなんてなかった。これが初めてだ。つまりクラヴィスは、特別。彼が自分にとって特別な存在であったのだということを初めて自覚するきっかけとなったのがこの件だった。
こうなって以来クラヴィスは、お前でなくては眠れない、お前は特別だ、としょっちゅう言っては幸せそうに微笑む。その言葉をいつもほろ苦い思いで聞く。
要するに、クラヴィスは眠れれば満足。自分は単なる抱き枕でしかない。特別な抱き枕ではあるのかもしれないが、所詮は抱き枕だ。それが何ともせつなく、寂しい。

私は……抱き枕ではなく、クラヴィスの友でありたい。

最近のクラヴィスは睡眠が足りているせいか仕事の面でかなり積極的になり、書類の処理なども手早く済ませるようになった。ずっと悩んできた闇の守護聖の怠慢が劇的に改善されたのだ。これに関しては喜ばしいことだと思う。
多少口数が増えて表情も以前より豊かになったように思えるし、寝ないかと女を誘う以外の交流などほとんどなかった男が、最近は他の守護聖との交流も多少持つようになった。少なくともルヴァなどからそう聞いている。そしてそれはクラヴィスのためにも良いことだと思っている。
しかしこの喜ばしい事態に付随して新たな悩みができてしまった。
プレイボーイの恋人(内実は抱き枕)の新たな悩みが解消される日は来るのだろうか。





■BLUE ROSE■