good night, sleep tight


4. 孤高の裏側

私は恋をするわけにはいかぬ。その資格がない。

最後に言おうとした言葉はのど元で止まった。
ずっと好きだったのは自分も同じ。こんなふうにいつも優しい笑みが傍らにあってくれるのならば、それに勝る喜びはない。けれどもそうした人並みの喜びや幸福など求めてはならないのだ…。
口を閉ざして自分を見つめるジュリアスの表情から身を引こうとしていることを感じて、クラヴィスは内心の焦りを隠しながら言葉を探した。
もどかしい。ジュリアスも私のことを想っているはずだ。なぜ受け入れようとしない? 何がジュリアスをためらわせる?
決定的な何かを言われる前に何とかしなければ、ようやくつかめると思ったものはこの手からすり抜けてしまう。
「まあ待て。結論を急ぐことはなかろう。お前の言う好きと私の好きには隔たりがあるように思うのだが、どうだ? 私はお前に触れたい。それがどういう意味か、お前にはわかるか」
思わず首をかしげたジュリアスの手を取って胸元に引き寄せ、さらに口元まで持っていき、軽く唇を当てた。ジュリアスは熱いものに触れでもしたように手を引っ込める。クラヴィスの手から取り戻した右手を胸元で握り締めて、視線を泳がせるジュリアスを見てクラヴィスは心を決めた。今宵は帰さぬ。
「何だというのだ」
「わからぬようだから、教えてやろう…」
「何を」
「私はお前が愛しい。お前がほしい。つまりは、褥を共にしたいと思っているということだ」
まさか、というような目でジュリアスは見た。
「それは普通…男性と女性が褥を共にする、といった意味あいでか?」
言葉の意味はおぼろげにわかった。だがそれが実際に何を意味するのか、理解を超えている。というよりは理解したくなかった。頼むから違うと言ってくれ……。
しかしクラヴィスの返答はジュリアスの期待を裏切るものだった。
「よくわかったな」
「共に眠ることはできようが…そのようなことは不可能ではないのか」
「私はお前を愛している。愛しい者に触れたいと思うのに、男も女も関係ない」
恋。そして愛。
「…私には許されぬことだ。私に人並みな幸福など…許されるはずがない」
苦しげに吐き出された言葉を受けてクラヴィスは問う。
「誰が許さぬなどと言うのだ?」
「誰も」
「ではなぜ?」
「私が……人でなしだから、だ」
力のない声で、無理やりに押し出すように、ため息のように落とされた言葉は重かった。
「お前が?」
問い返そうとして、その瞬間に理解した。ジュリアスがどんな思いで生きてきたのかを。
人でなし。
ジュリアスは自らをそう規定して、孤高を保ってきたのだ。彼の心の奥深くに落とし込まれた言葉の重さに、クラヴィスは息が止まるかと思った。
…そういうことか…。首座としてやらなければならなかったことは、そこまでジュリアスを追い詰めていたのか。 今さらながら自分が責を分かち合ってこなかったことを悔いた。
わかっていて、ジュリアスに任せきりにしていた。やろうと思えばできぬことではなかったものを。私は自らの思いばかりに気を取られて、ジュリアスのことを考えていなかったのだ。
たった一人で。そんな思いを抱いて、ジュリアスはそれでも前へ進もうとしていた……。
それなのにどうだ。私はジュリアスにすべて押しつけて、自分だけを哀れんでいた。こんな身勝手な私をジュリアスは見捨てることなく気にかけて、その気持ちを大切に心に秘めて生きてきたのか。
こみ上げる愛しさ。目の前のひとがただひたすらに大切で、愛しくて、そんな寂しい心を抱きしめずにはいられなかった。両腕を伸ばして抱き寄せる。抱きしめる。
「ならぬ!」
「なぜ」
鋭い静止の声にひるむことなく力をこめた。
「やめてくれ…」
そんなことをされたら。ひとたびこの心地よさを知ってしまったら一人では立てなくなる。
ついには涙声になって抗うジュリアスを、ますます強く腕の中に閉じ込める。
「誰がお前を人でなしだなどと思う。心あるものならば、お前に感謝することはあっても、人でなしなどとののしるはずがない」
そう耳元に囁きかけながら、クラヴィスは知っていた。ジュリアスを誤解する者が多いのもまた事実だ。
冷酷な支配者。そう見る者がいる。ジュリアスの持つ威厳や態度はまさに王者のそれで、かといって彼は王でも支配者でもなく、ましてそのようなものでありたいなどとは露ほども思っていない。実際には支配などとは程遠い、宇宙に奉仕する僕でしかない者を、堂々たる外見に惑わされて人は誤解する。

そう見るだけでなく、それを言葉にし、ジュリアスを非難する者たちは確かに存在する。たとえ面と向かって言われたのではなくても、ジュリアスがそのことを知らぬわけがなかった。そうした誤解を受けても言い訳一つせず自分が正しいと信じる道を進む彼を、まぶしく、時に苛立ちをもって見つめてきた。
「たとえ誰が何と言ってお前をそしろうとも、そのような戯言を聞く耳は持たぬ。それがお前自身の言葉であっても、だ。お前は人でなしなどではない。人でなしだなどとそんな悲しいことを言わないでほしい。
私はお前なしでは生きられぬ。私がお前に愛されることはないと絶望して、全ての望みを捨てた。だから一度は肉体も捨てた。
人でなしと呼ばれるにふさわしいのはむしろ私だ。そんな風にお前が思いつめるまでに放り出していた私のほうこそが……人でなしだ」
クラヴィスの抱擁から抜け出ようともがいていたジュリアスの体から力が抜けた。クラヴィスの胸に顔を埋め、声の響きを感じながら、こみ上げてくる嗚咽を抑えることができない。
ただ一つの彼の願い、決して成就することはないと諦め、人に知られてはならぬと封印してきた願いは、望んだ以上の形で叶った。
クラヴィスの穏やかな声も、優しい言葉も、自分を抱きしめるあたたかい腕も、現実だった。クラヴィスがこういう話し方をするなど知らなかった。嘲りかからかいか揶揄か、そっけない、冷たい応えしかされたことはなかった。そのクラヴィスが自分を理解し、愛し、求めてくれるなどということが現実となったことをまだ信じることができず、あふれる涙を止めることができない。
物心ついて以来これほど泣いたことなど一度もない。
私は女性でも子どもでもないというのに。いったいどうしてしまったのか。
「……泣くな」
限りない優しさをこめたその声はまるで泣けと命じるかのようで、新たな涙が流れ出して止めようがない。
「どうした、お前らしくない」
そなたがあまりにも優しいから。だから私もどうかしてしまったのだ。
あり得ないことが起これば私だっておかしくなる。
嗚咽にまぎれて、切れ切れにそんなことを訴えると、クラヴィスは低く笑った。
「それは悪かった。すべては私のせいだ。それでよい。そう思っておけばよいのだ、首座殿は」
たまには自分を甘やかしてみることだな、言われて、また涙があふれた。



5. おやすみ、良い夢を

声を立てずに泣くジュリアスを、ずっと抱きしめていた。
次第に嗚咽はおさまり、ジュリアスのくぐもった声が聞こえた。
「クラヴィス、私たちはどこかおかしいのではないか? …その…男同士でこのような…」
今さら何を言うかと思えば。
「それはまあ、男と女というのが圧倒的多数の組み合わせであろうが……人が人を慕うのに性別が関係あるか?」
「よくわからぬ…恋だと言われてそうかと思いはしたが、やはりそれはおかしくないか…?」
胸に埋めていた顔を上向かせて青い瞳を見つめる。
「少なくとも私は気にしない。ほしいと思ったのはお前だけ、そのお前がたまたま自分と性を同じくする者であったからと言って、たやすくうち捨てられる思いでもなかった」
ジュリアスは、熱い視線に頬が火照った。体も熱くなる。急に羞恥を覚えてクラヴィスから離れようと動きかけた体を、背中から押さえられ、柔らかく抱きしめられた。
「ずっと、こうしたかった…」
お前を愛している。
男だろうが女だろうがそんなことは関係ない。
お前は?

耳に吹き込まれる囁きが熱い。自分が熱いのかクラヴィスが熱いのかわからない。
何も考えられなくなりそうだった。

私もだ。
なぜかはわからないが、そなただけを想ってきた。
他の誰でもなく、そなただけを。
……だが。

どうしても忘れられないことがある。
それを明らかにするまではこれ以上先へは進めない。
「そなたは、私以外の者にも目を向けたことがあるではないか」
昔の、傷。
ジュリアスによって断ち切られた想い。
「……気にしていたのか?」
「ああ、ずっと」
その声の響きに、あのときに傷ついたのは自分だけではなかったのだと改めて知った。
私の望みを絶つ使者の役目を果たしたジュリアスもまた、ひどく傷ついていたのだ。
「では…お前へは謝罪とそして…改めて求愛を。私の話を聞いてほしい…」


かつて金の髪の女王候補とは確かに親しくしていた。
彼女の持つ輝きに惹かれていた。…好きだった。
力強く私を導いてくれる光だと思った。愛している、そう思っていた。
だがお前も知るとおり、彼女は私一人のための光とはならなかった。
あの日。彼女の代わりにお前が森の湖に姿を現したとき、私は目を疑った。
お前の言葉に目の前が暗くなる思いだった。
しかしお前の言ったことこそが正しかった。
彼女が宿している力はこの宇宙全体に注がれるにふさわしかったのだ。

あのひとは女王候補の頃から聡かったろう?
おそらく…知っていたのだと思う。私が真に欲しているものが何であるのか…。
そして彼女はあるべき場所におさまり、私は……自分のあるべき場所がわからずに迷い続けた。
女性には敵わないと思うのはそういうところだ。女は直感ですべてを悟る。
いつのときも、お前こそが私の唯一の、真の光。
それを彼女は知っていたに違いない。私にもそれがわかったのは…あれからずいぶんと経ってからだった。
お前との仲はすでに修復不可能だと思い、絶望した。もともと嫌われていると思っていた上に、私に関わるなとこちらからもお前の干渉を拒否したからな。
私に残された道は…この地から解放されるときを待つこと、それだけだった……。


ジュリアスは黙って聞いていた。だが話を終えて黄金の髪に口づけると、腕の中の体が緊張を解いたのを感じた。しばらく沈黙があって、小さな声で、今度はジュリアスが話し始める。
「ときどき、思うのだ。私がしてきたことは間違っていたのではないか。
そなたに対して言った言葉も。星が崩壊の危機に瀕しているときに下した判断も。もし別の方法を選んでいれば……そう思う夜がある……」
「後悔し、思い悩むことに何の意味がある? そのときに戻ってやり直すことなどできはしないものを。
お前はそうせざるを得なかった。お前の立場ではそうとしかできなかった。その中でお前は最善を尽くした。他の誰が認めなくとも、私はそれを知っている」
「……そうだろうか」
「もう一度やり直すことができたとしても、お前は何度でも同じ判断を下すだろう。もしも別の判断をする人間であったなら、それはお前ではない。これまで採った道とは異なる道を歩んだなら、お前であってお前ではない人間となったことだろう。私は今のお前が好きだ。今のお前でなければならない。お前が自身を人でなしと思おうが、それは私には関係ない。私には今のお前が大切なのだ」
どんな困難にも果敢に立ち向かい、皆のためによかれと働く、その姿こそがジュリアスそのものであり、それを痛ましくも忌々しくも思っていた。だが、それこそがジュリアスをジュリアスたらしめているもので、そんなジュリアスがずっと好きだった。
「お前の心も体も。すべて預けてときには憩え。お前の強さも弱さも、悩みも苦しみも、何もかもを……愛している。私には、お前しかいない。理由は知らぬ。だがお前でなければならない」
それはジュリアス自身も同じだった。
なぜかは知らぬが、クラヴィスでなければならない。
それは、昔からずっと胸に抱き続けてきた確信だったではないか。
「私もだ。私も……ずっと前からそなたでなければならぬと思い決めてきた。互いに言葉を荒らげることなく過ごすことができれば、どれほどうれしいだろうと思い続けてきた。そなたが目覚めてからの毎日は思い描いたとおりの穏やかな日々で、私は幸福だった。これからも…その幸福が続くと思ってよいのか?」
「今さら私から離れようなどと考えるな。私にはお前が必要だ」
「では…そなたの許で私を憩わせてくれ…」
ジュリアスが唇を重ねてくる。相手からの口づけを、少し驚いたようにクラヴィスは受けて、たちまちそれは深いものへと変わった。長い時の果てにようやく互いの傍らに居場所を見つけた二人は、くちづけを繰り返した。
触れては離れ、離れては触れるくちづけの合間に囁くのは愛の言葉。二人の心が重なって、愛していると囁けば愛していると木霊する。どちらの口から出たものであるのかもわからないほどに。

吐息とくちづけと愛の言葉に埋め尽くされた夜は、静かに更けていった。





■BLUE ROSE■