世はすべてこともなし 番外


センタ君の悲劇

光の守護聖の衣装全般に関する責任者は、先日来「なぜジュリアス様のパンツ着用率が100%になったのか」という問題に悩まされていた。
だがこの日、そんなことなんかメじゃないほどの大問題を突きつけられることとなったのである。

ことの発端は、主からの呼び出し。執事から、夜の10時に主人の私室に行ってもらいたいと告げられた。かつてない事態に、これはジュリアス様からじきじきにお叱りを受けることになるのだろうか、自分はいったいどんな失策をしでかしたかと彼、洗濯ってかクリーニングなんかが主な業務である彼を仮にセンタ君と呼ぶことにするが、センタ君はいささかおびえながら主人の私室のドアを叩いたのであった。
「ジュリアス様、私に御用がおありとのことで伺いました」
「まあ楽にしてくれ」
と、これから叱責を受けるであろうことにびくついている相手に、ジュリアスは穏やかに声をかけた。
「私がきちんとした服装で出仕できるのは、そなたのおかげだ。いつも良い仕事をしてくれている」
センタ君はほーーーーーっと安堵の息を吐き出して、
「恐れ入ります」
と頭を下げた。
緊張のあまり何だかよくわからなかったけど、どうやらほめられているらしい。叱責を受けるというのは自分の思い違いだったのか。
だけど待てよ。たったこれだけのためにわざわざ呼び出されたのだろうか。
「そこで折り入って頼みたいことがある」
そら来た。
「はい、何なりと」
そう答える以外、センタ君に何ができたろうか。
「私について来てくれ」
「はい」

ジュリアスが向かった先は寝室、天蓋付き巨大ベッドでは、2歳児がちんまりと丸まって眠っていた。今の彼にとってはおそらく命の次に大事な、白いクマのぬいぐるみを抱きかかえて。

「これを見てもらいたい」
上掛けをそっとめくってジュリアスが指さしたのはそのぬいぐるみだった。つい2行ほど前に「白い」と形容したクマだが、今は全然白くない。全体的に薄いグレー、ところどころにシミ、引きずられている足だとかおしりのあたりは濃い目のグレー。
「クラヴィスが毎日持ち歩くためにこのように汚れてしまった。きれいにしてやりたいと思っているのだが、手放そうとしないので何とか夜間眠っている間に済ますことはできぬものかと考えてな」
「ぬいぐるみのクリーニングを一晩で、ですか……?」
これはまた無理難題を!!
それは無茶ですジュリアス様!!
とセンタ君は目で訴えたが、主人は言った。
「そなたの仕事ぶりを執事にも尋ねてみたが、衣類に関する専門家で、礼服なども安心して任せることができるとのことだった」

普通の衣類ならそうかもしれません。
でも、ぬいぐるみのクリーニングは守備範囲外です!
かといってジュリアス様の信頼を裏切りたくない。
けど、そこそこ大きさのあるぬいぐるみのクリーニングを一晩のうちに、というのはやっぱりムリですうううううっ。

センタ君は顔で笑って心で泣いて、答えた。
「少々難しいかと思いますが、何とか方法を考えてみますのでしばらく猶予をください」
「そうか。急な話で悪いな。だがクラヴィスのためになるべく早く何とかしてやってほしい。そなたの手腕に期待している」
そう言うと、ジュリアスはまたそっと上掛けをかけてやり、愛しそうに幼児の黒い頭を撫でてやって、
「今宵はもう下がってよい。遅い時間にわざわざ呼び立てて、すまなかった」
とセンタ君をねぎらった。
「とんでもないことでございます。それでは、おやすみなさいませ」
泣きたい思いを押し隠し、何とか平静を保ってセンタ君は退室していった。

何としても一晩でぬいぐるみをクリーニングして幼児の手に戻す。
これはジュリアスの中では決定事項らしい。
考えてみると言って時間をもらった挙句に「やはりそれはムリです、すみません」が通る相手ではなさそうだ。
できないなんて言ったら、解雇の憂き目にあうかもしれない。
さあ困った。どうするセンタ君。

(たぶん続く)


執事氏の嘆息

昨夜、主人の私室へと呼び出しを受けて、ぬいぐるみクリーニングの依頼を受けたセンタ君。
夜も寝ずに考えた。
どうやったら一晩のうちにぬいぐるみをきれいにしてふんわりと乾かして、主人が面倒を見ている(っていうか溺愛している)幼児に気づかれないうちに戻せるのか。

朝まで考えて、念のために他のクリーニング要員とも意見を交換して、とある結論に達した。
その結論とは。

ぬいぐるみのクリーニングのノウハウは、光の館にはない。
問題となっているぬいぐるみが闇の守護聖の持ち物であることから、闇の館にも問い合わせてみた。だが無論のこと大人の闇の守護聖はぬいぐるみをかわいがる趣味などなく、ここのクリーニング要員もぬいぐるみのクリーニング、それも一晩のうちに済ませるべしという条件には二の足を踏んだ。
となれば、これは専門家に任せるしかない。
つまりは外界の、ぬいぐるみのクリーニングも取り扱っているクリーニング店に依頼するのが最善だろう。
外界のほうが時の流れが早いから、おそらくこちらの時間で一晩のうちに無事にクリーニングを済ませてくれるのではないか。

だがしかし。
ずっと聖地で暮らすセンタ君には外界とのパイプがなく、困り果てた彼は光の館の執事に泣きつくこととなった。

かくかくしかじか、こういう事情で、クラヴィス様のクマのぬいぐるみのクリーニングを外界に発注したい、と。
センタ君の必死の訴えを聞いた執事氏は、嘆息した。

しばらく前にジュリアス様から当家の衣装担当者についてお尋ねを受けたが、まさかこのようなことだったとは。
先走って直接当人に依頼する前に、私にご相談くださればよかったものを……。
普段からジュリアス様と接する立場の者ならばともかく、ろくに言葉を交わしたこともない主人からのいきなりの依頼。気の毒に、この男は昨夜から生きた心地もしなかったのではないか。

執事氏はセンタ君を安心させるように微笑した。
「大丈夫、私に任せておきなさい。私も外界のことに詳しくはないが、依頼できる人の心当たりはある。ジュリアス様には私からよく申し上げておく」
センタ君は安堵のあまり泣きそうになりながら「ありがとうございます!」と頭を下げた。

ジュリアス様は、お育ちのわりには常識的な方でいらっしゃるが、ことがクラヴィス様に関わるとなると、どうやら周囲のことが見えなくおなりらしい。
それにしてもあの可愛がりよう、もしも実のお子様がおできになったら、さぞや良いお父上におなりだろうに。
何としても、この目でそれを見るまではジュリアス様のお側を離れるわけにはいかない。

ジュリアスが聖地入りした頃はまだ若かった執事氏、最初は幼い光の守護聖の守役として常に側にいて世話をしてきた。前任の執事に仕事ぶりを見こまれて後継はぜひ彼にと名指しで、守役を務めながら執事としての職能を身につけた、光の館の執事たるべく生きてきた男である。光の館のというよりもむしろ、ジュリアス個人の執事、と言った方がいいかもしれない。
主に対する忠誠心は筋金入り、それに親心めいたものが加わって、ジュリアス大事、ジュリアス一筋、一生ジュリアス様について行きます!なのだ。
立派に育った今の彼を見て、執事氏は夢想する。

ジュリアス様はきっとすばらしい奥方と幸せな結婚生活を送り、可愛らしいお子様方に恵まれることだろう。

しかしその光景が実現するのはいつの日か。
仕事に忙殺されるジュリアスの生活を思い、執事氏はまた大きなため息をついたのだった。

(もうちょっと続く? かな?)


One and Only

センタ君に泣きつかれた執事氏が「任せておきなさい」と請け合ったその晩、ジュリアスの私室を訪れたのは。
執事に入室の許可を求められて許したところ、背後から続いて入ってきた人物にジュリアスは驚きの目を見張った。高級スーツに身を包んだダンディな紳士には見覚えがあった。その”紳士”は開口一番、
「おこんばんは〜。こちらの執事さんに呼ばれましてん」
とその姿形に何とも似合わない言葉を発した。この言葉遣いは皆様ご存知、ウォン財閥の総帥である。
女王試験当時より明らかに年齢を重ねており、スーツの効果もあって落ち着いて見えるが、口を開けば印象はあの頃とまったく変わらない。財界の重鎮のくせして、かつて女王候補相手の商売に来ていた時のような軽やかな雰囲気で首座に挨拶をした。思わず微笑を誘われたジュリアスは、
「そなた、変わらぬな」
と言った。
「なぜ執事がそなたと連絡を取る必要があったのだ?」
「ジュリアス様もお変わりなく〜。いやぁ相変わらずキレイな顔してはりますなあ。けどクラヴィス様にはお変わりがあったようで」
チャーリーはにっと笑った。
「執事さんが、クラヴィス様のぬいぐるみをクリーニングに出したいとか言いはって」
「どういうことだ。私が頼んだのは当家の衣装担当者だったのだが」
「ジュリアス様、あんた頭ええお人やけど、ぬいぐるみのクリーニングにどんくらい時間かかるか知らんやろ。一晩で何とかせいって言うたらしいけど、そりゃ無茶っちゅーもんや」
「そう……なのか?」
どうやら自分が無理な要求をしたらしいと知って、ジュリアス動揺。執事が話を引き取った。
「ジュリアス様の依頼を受けた者が一晩考えた策にございます。クリーニングを外界の業者に頼めば、聖地との時間差で朝にはクラヴィス様のお手元に戻すことができるのではと私に相談がございました。良い考えだと思いましたが、クラヴィス様の大切なぬいぐるみでございます。滅多な者の手には任せられぬと考えて、この方をお呼びいたしました。お忙しい中かけつけてくださったチャーリーさんには、ジュリアス様からもお礼申し上げて下さい」
「軽く考えていたのだが、本当にすまなかったな。わざわざ出向いてくれて、心から感謝する」
「ええねんええねん。子ども返りしたクラヴィス様拝ませてもろたら、それでチャラや。そのぬいぐるみ、いっつもクラヴィス様が抱えて寝てはるんやろ?」
「そうなのだ。こちらへ」
とチャーリーを寝室に伴ったジュリアスは、クラヴィスの眠っているベッドを指し示した。
「先ほど眠りについた。熟睡しているうちにことを済ませたい」
起こさないよう細心の注意を払いながらジュリアスがそっと上掛けをめくると、ぬいぐるみと一緒に丸まって眠っている小さな姿があった。チャーリーは脇から顔をのぞき込んで、
「へぇ、ほんまにこれクラヴィス様かいな。えっらい可愛らしなりはって。ほっぺたプニプニやん。……なあ、つついてみてもええ?」
とひそひそ声で言った。
「それはならぬ」
こちらも囁き返す。
「やっぱアカン? 光の守護聖様の寝室に入れてもろただけでも、一般人にはあり得へんことやしな。この上守護聖様のほっぺたつつかしてぇなっていうんは贅沢すぎやな」
一人納得しながら、チャーリーはそーーーーーっとクラヴィスの手の間からぬいぐるみを引っぱり出した。それと同時にジュリアスが優しい手つきで上掛けをかけ直してやっているのを見て、チャーリーは目を細めている。
執事はん、ジュリアス様がクラヴィス様のことえらい可愛がりようでっちゅーようなこと言うてはったけど、ほんまやったんや。

二人は物音を立てないように気をつけながら寝室を出た。
「ほな、これは確かにお預かりしました。うちの系列のクリーニング会社が責任持ってぴっかぴかにして返しますさかいに。お届けに上がるのは別の者になるかもしれんけど、それは堪忍な」
「いやこちらの方こそ、済まなかった。まさかそなたの手をわずらわせるような事態になるとは思ってもみなかった」
「そらそやろな。まあ、これを機会にすこーし普通の暮らしのことなんかも勉強しはったらええんとちゃう?」
「心がけよう」
大いに反省しているジュリアス、素直にそう答えた。
「ま、さっきの様子見てたら、ええお父ちゃんにはなれそうやけど。それにはまずカノジョからやな。さっさとエエ人見つけや!」
「な……何を言っているのだ!」
「うわ、珍し。光の守護聖様があせってる顔って初めて見たわ。エエもん見さしてもろた。ほなこれで帰りますわ」
「あ、ああ。よろしく頼む」
財界重鎮であるところのダンディな紳士チャーリーさん、クラヴィスの大事なぬいぐるみをクリーニング店の袋に収めてしっかり抱えて、帰っていった。

その後執事から、
「ジュリアス様のようなお立場の方は、庶民の生活を知らなくても恥ずかしいことではありません。ただ、お一人だけで問題を解決しようとせず、まずは相談し意見を聞く、という姿勢が大切かと。今回のことも、一晩のうちにクリーニングを済ませるという方針をお一人でお決めになるのではなく、担当者にまず尋ねてみる、もしくは私から話を通すようにする、というのが筋でございましょう」
と進言を受けた。
「まったく、そなたの言う通りだ。日頃の仕事ではそう心がけているというのに、家の中のことだからと簡単に考えすぎていた。やはりその職務を担う者の話をまず聞くべきであったな。これからは気をつける。衣装担当のあの者には、良い策を考えてくれて感謝していると伝えてもらいたい」
「承知いたしました」

こうしてセンタ君は一晩寝ずに考えた甲斐あって職を失うようなことにならずにすんだ。それどころか、ジュリアスから感謝の言葉をもらうことができて、かえって面目をほどこしたほどである。こうして今日もジュリアス様の衣装を整えるのに余念のないセンタ君。そんな姿をそっとうかがい見て、執事氏もほっと胸をなでおろしたのだった。

一夜明けた次の朝。
ぬいぐるみはジュリアスの目から見ても満足行くほどにきれいになって、クラヴィスの手に戻されていた。目をこすりながら起き上がったクラヴィスは隣に転がっている大事なぬいぐるみを引き寄せて抱きしめて、不審そうな顔になった。
密着していたクマを少し離して、しげしげと見る。その表情がみるみる情けないものに変わって、ジュリアスを見上げた。
「どうしたのだ?」
むーと押し黙ったまま、クラヴィスはぼふぼふとクマを叩いて、床に向かって投げつけた。
「なぜそのようなことをする。そなたの大事なものではないのか」
ジュリアスは床に落ちたぬいぐるみを拾い上げた。
「そのような乱暴をしてはクマがかわいそうだ。痛いと言って泣くかもしれぬぞ」
ぬいぐるみが痛がるとか泣くとか、以前のジュリアスだったら決してそのようなことは言わなかっただろう。幼児との接し方も堂に入ってきたものだ。

ところで何がクラヴィスの気に入らなかったのか。同一規格で大量生産され、出荷された時にはほとんどどれも同じで見分けがつかないぬいぐるみであっても、持ち主の扱いによって状態が変わる。汚れもシミもクマの一部で他のクマとは違う、クラヴィスだけのワンアンドオンリー。それもジュリアスがくれたこの世でたったひとつの大事なぬいぐるみ。毎日肌身離さず持ち歩いた歴史がしっかりと刻み込まれた、唯一無二のクマだったのだ。

なのにこれは匂いが違う、手触りが違う。←クリーニングしてふんわりとした元の風合いを取り戻したから
あそことここにあったはずの薄茶色の模様がない。←シミが取れているから
これはぼくのじゃない!
ぼくのクマ、どこ行っちゃったの!?

それをうまく伝えられなくて、クラヴィスはかんしゃくを起こしてクマを叩いたり投げたりしたのだった。そしてジュリアス、さすが対と言うべきか、接する時間が長いだけに物言わぬ幼児の心の動きに敏感になったのか、何となく事情を察してベッドに腰かけた。むくれているクラヴィスを膝の上に抱き上げてぬいぐるみを渡してやりながら、
「寝る前とはクマの様子が違っているから、怒っているのか?」
静かに問いかけた。クラヴィスはふくれて下を向いたまま、こっくりとうなずいた。
「そうか。そなたの気持ちはわかった。だがこれはそなたのクマだぞ」
ほんとに?と見上げる瞳に向かって、
「そなたも寝る前に風呂に入って体を洗うだろう? このクマはな、昨日の夜風呂に入ったのだ。だからきれいになっている」
と教えた。
「これは間違いなくそなたのクマだ。大切にしてやってくれ」
ジュリアスの言葉に、クラヴィスは手の中に戻ったクマをもう一度じっと見つめて納得したのか、叩いて悪かったとばかりにナデナデして、しっかりと抱きしめた。

ぬいぐるみクリーニング騒動、これにて一件落着。

【memo】
センタ君三部作、blogでプチ連載状態になってそこそこの長さになってしまったこともあり、加筆修正してこちらに転載しました。



こどものかんがえること


「かあちゃん、しゅき」
「かあさんもクラヴィスが大好きよ」
「ずっといっしょ」
「そうねえ。でも、大人になったらかあさんじゃない人とずっと一緒にいたくなるかも」
絶対にそんなことないという意志を込めて首を振ったクラヴィスに、母親は優しく笑った。
「今はそうだけど、いつかそういう日が来るの」
そう言って額にキスしてくれた。
「そのときはね、その人にお嫁さんになってもらうのよ。そしたらずっと一緒にいられるから」


+ + +

それは日の曜日、女王陛下主催のピクニックでのできごと。
森の湖の近くで女王以下補佐官守護聖全員参加のピクニックで、はしゃぎ回った果てにサンドイッチやお菓子をたらふく詰め込んで、クラヴィスはお昼寝タイムとなった。爆睡中のクラヴィスにそーっと毛布をかけてやったゼフェルが、他のみんながワイワイ言っているところに戻ってきて、ジュリアスの顔を見るなり吹き出した。
「何なのだ?」
眉をひそめるジュリアスに、ゼフェルが謝った。
「わりぃ。おめーがどーこーってワケじゃねーけど、クラヴィスがとっぴょーしもねーこと言うから」
言いながら、こらえきれずにまたも大笑いを始めたゼフェルに、皆の視線が集まった。
「何なのさ。そんなに笑うほどおかしなこと言ったの? あのおチビちゃんは」
「一人で受けてないで、俺たちにも教えてくれよ!」
「そうだよ。ズルいよゼフェルばっかりクラヴィス様とお話しできて」
マルセルは口をとがらせて言った。
「そうよー! 私だってクラヴィスと遊びたかったのに、ゼフェルったらひとりじめ!」
女王陛下もふくれっ面になっている。
そう、談笑する他の連中からは離れたところで、ゼフェルはクラヴィスと二人、ないしょ話をしていたのである。
ゼフェルはへへっと笑って鼻の下をこすると、皆の顔をぐるりと見渡した。
「聞いて驚くなよ。クラヴィスはさー、ジュリアスをヨメにしたいんだとよ!」

一瞬の静寂。

……の後、皆が一斉に何やら言い始めて、あたりは一転して喧騒に包まれた。

「皆、黙れ」
首座の一喝に、騒いでいた面々がバツが悪そうな顔で口をつぐみ、そちらを見たのだった。「あ、やべ。面白がって騒いでまずかった?」と言わんばかりの周囲の態度にジュリアスはため息をつくと、言った。
「別に怒っているわけではない。ただ、あまり騒ぐとクラヴィスが目を覚ますかもしれぬからな。もう少し静かにしてやってくれ」
「ああ、そうですね〜。配慮が足りませんでしたね〜。でもあんまりびっくりしたものだから。ねえ、皆さん?」
ルヴァの言葉に全員がうなずいた。
「何でまたクラヴィスはこんな食えない男をヨメにしたいなんて思ったわけ?」
オリヴィエの発言に、またもみんなしてうんうんと頷く。
2歳児が25歳の成人男性を嫁にしたいなんて、あまりにも不釣合いな取り合わせだ。せめて陛下とかロザリアなら、まだわからないでもないのだが。
「クラヴィス、言葉数すくねーからよー、イマイチはっきりしねーんだけど」
とゼフェルが説明を始めた。
「結婚したらずっといっしょにいられるって母親に教わったらしーんだな」
「ふつー、2歳の子にそんなこと言う?」
オリヴィエが呈した疑問にルヴァが答えた。
「まあそこは人それぞれでしょうしねー。お母さんと話をしていて何かのはずみでそういう流れになって、言われたことをクラヴィスが覚えていたってことですかねー」
「クラヴィスはジュリアスが大のお気に入りだもんね。なるほどー、ずっと一緒にいたいくらいに好きだってコトか☆」
かわいいじゃないの、とオリヴィエはくすくす笑った。なるほどそういうこともあるかもねと一同何となく納得はした。のだが。

「でも何でジュリアス様が『お嫁さん』なの?」
マルセルの疑問にオスカーがかぶせて言った。
「まったくだ。ジュリアス様を何だと思っている」
幼児の発言にかなり真剣に憤慨している。彼だってクラヴィスのことは可愛がっているのだが、この発言は許容範囲外らしかった。
「まあまあオスカー、そう怒らないであげてください。クラヴィス様はまだお小さいのですから」
「男はヨメになれねーって知らねーんじゃねーの、クラヴィスのヤツ」
「えー?」
ランディが声を上げ、オリヴィエが眉をひそめた。
「だとしたら、誰かキチンと教えてやんないとマズくない?」
「いやぁ〜、クラヴィスがずっと幼児のままとは思えませんし〜。万が一このままで、また成長し直すのだとしても、お嫁さんが必要な頃にはちゃんとわかっているでしょうから、問題ありませんよ〜」
とルヴァがその話題を終わらせた。


その夜クラヴィスを寝かしつけながら昼間のそんな騒ぎを思い出したジュリアスは、微笑した。
この小さな頭の中で、いったい何を考えているものやら。

幼児の考えは、大人の想像の遠く及ぶところではない。ジュリアスにとっては謎だらけのエネルギーのカタマリ。そもそも何を知っていて何を知らないのか、それすらもジュリアスにはよくわからない。とにかく教えなければならないことが多すぎる、とジュリアスはいささか頭痛を覚えてこめかみを押さえた。

とりあえずは、何かとんでもない勘違いをしていることに気がついたら、その都度教えるしかなかろうな。
……やはり『嫁』は女性がなるものだということを教えておいたほうが良いだろうか。
私はそなたの嫁にはなれぬぞ、クラヴィス。せいぜいが父代わりだ。

眠りに落ちたクラヴィスのあどけない顔を見ながらそんなことを思って、今度は苦笑が口の端に浮かんだ。
女王陛下に「パパ代わりになってあげたらどう?」なんてことを言われて、とんでもないと思ったのに。いつの間にかそうなってしまっている。そして驚いたことに、自分はこの幼児がとてもかわいくて、愛しい。元に戻らないのならこのまま手元に置いて育てても一向に差し支えないと思えるくらいに、ただただかわいい。 ジュリアスがふっくらした頬をそっと指先で撫でると、クラヴィスはもぞもぞと身じろいでその指をつかみ、何やら口の中で寝言のようなことを言った。

夢でも見ているのか。

どんな夢かはわからなくても、寝顔は観察できる。幸せそうな笑みに、きっと良い夢を見ているのだろうとジュリアスは思い、そっとクラヴィスの傍らから離れてベッドを出た。


+ + +

母親がクラヴィスにそんな話をして聞かせた当時は、クラヴィスが大人になるのはまだまだずっと先。だからお嫁さんになってもらうのは女の子だなんてことは、その時が来る頃には自然とわかっているはずのことだった。
自分の言葉が後にこんな波紋を投げかけるなどということをクラヴィスの母親に予見できなかったからといって、それを責めるわけにはいくまい。





■BLUE ROSE■