3. 愛の大混乱
その日のジュリアスは珍しく執務時間が終わると同時に聖殿を出た。私邸に戻ると平服に着替え、なんだかやたらとどぎまぎしながら細い金のリボンで飾られた小さな赤い包みを携えてクラヴィスの館へ向かう。今夜は愛の告白がメインイベントだと思うとものすごく恥ずかしくなってきて、館の者に馬車の支度をさせることができず、徒歩である。このところクラヴィスの館へ行くことも増えていつもは馬車で行っているんだから、平気な顔をして馬車に乗ったら?と外野は思うのだが。何も使用人に「クラヴィスに愛の告白をしに行くから馬車の支度を頼む」なんてばらしちゃうわけでもないのに、ジュリアス様、妙なところで恥ずかしがり屋さんである。
闇の館まではかなりな道のりがあるから、その間に気持ちを落ち着けようと歩くことにしたのだった。なぜ馬で行かないかって? そんなことしたら、ただでさえどきどきしているのに、息が弾んで余計どきどきしてしまうではないか。
長いはずの道のりもやたらにどきどきしながら歩くうち、あっという間にクラヴィスの館に着いた。
「…早いな」
とクラヴィスは言って出迎えたが、夕食にちょうどいい頃合といったところだ。「あっという間」はジュリアスの主観に過ぎず、実際にはかなりの時間が経っている。恋人の、気のなさそうなぼそっとした呟きに、どことなくピンク色だったジュリアスの気分は一気に灰色になった。
愛の告白なんて無謀なことはやめておけばよかったと後悔がこみ上げてくる。なんだか愛されてないって気がしたのである。
いまだに自分がクラヴィスに求められているという自覚が乏しい彼は、「早いな」という一言を脳内で「こんなに早くこなくてもいいのに」と変換して、迷惑だと言われたように感じてしまったのだ。そう言えば今日は自分から行ってもいいかなんて言ったんだっけということも思い出す。
クラヴィスには他に予定があって、私の急な訪問は迷惑だったのかもしれぬ……。(どんより)
それはジュリアスの単なる杞憂で、本当はクラヴィスだって「今日行ってもよいか?」と言われて、ジュリアスが来るのを心待ちにしていた。そのはやる気持ちを抑えた発言が、ぶっきらぼうな「早いな」という一言だった。
何年も想い続けてやっとのことでキスまでこぎつけた大事な恋人だ(初日以来全然キスを許してもらえないけど)。少しでも嫌がることをして逃げられるようなことになってはたまらない。何しろ蠍座A型、執着心も嫉妬心も人一倍持ち合わせている。が、内心にあれこれ葛藤があろうが、ポーカーフェイスで通すことには慣れてもいる。
本音を言えば、ジュリアスがオスカーと親密なのだって気に入らないのだ。たとえ仕事上必要だからとは言え、連日オスカーがジュリアスのもとを訪れて定時報告をする、ただそれだけのことも気に食わない。
オスカーが回廊を闊歩する足音は闇の執務室の中にいてもわかるから、今ジュリアスの執務室に入っていった、ということまでわかるので、余計にいらいらする。
はっきり言えば、やきもちを焼いているのだ。でもその嫉妬や執着をあらわにしたらジュリアスに怖がられて逃げられそうだという気がしてわざと抑えた態度に徹し、キス以上に進むこともできずにいたのだった。
どうもジュリアスはキスをしたその先に控えているものがあることを知らないように思えたし、そもそも潔癖な彼がそのような行為を受け入れるかどうか、はなはだ疑問の持たれるところでもあった。「その先」を求めてジュリアスに愛の告白をしたというのに、ずっと足踏み状態が続いている。というか、付き合ってみて、どうも最初に考えていたよりもジュリアスを手に入れるのは難しそうだと気づいてためらっていると言うべきだろうか。こんなことなら、からかって楽しんでいる方が気楽でよかったのかもって思わないでもない。「恋人」になったとたん、以前はあまり気にならなかったオスカーの存在が急に気になりはじめたのである。
ジュリアスは持参のチョコレートをいつ渡そうか、タイミングをつかめずにどことなく落ち着かない様子だ。クラヴィスはクラヴィスで、なぜジュリアスがウィークデーに館に来たいと言い出したのかわからず、相手の出方をうかがっていた。二人はそれぞれ思うところがあったわけだが、言葉もあまり交わさないままに夕食を共にし、クラヴィスはジュリアスを伴って私室へ向かった。
「ジュリアス、今宵は何か私に言いたいことでもあったのではないか? 週末でもないのにお前のほうから館を訪ねたいと言うなど、珍しいではないか」
「…うむ。それが…」
ジュリアスは目を伏せて言いにくそうにもじもじしている。(←らしくない(笑))
いつも前を見据えているジュリアスが、それほどに言いにくいこととは?
クラヴィスは急に不安に駆られた。
もしかして…もしかして、ジュリアスは別れ話を切り出すつもりなのではないか? なにしろ私はジュリアスに何の楽しみも歓びも与えていなかった……かも知れぬ…。
クラヴィスの気分はいきなり奈落の底である。休日を共に過ごしても、ジュリアスの嫌がりそうなことはしなかったが、かと言って喜びそうなこともしてこなかったことがにわかに彼の中でクローズアップされて、不安感を増幅させたのである。
オスカーだったら。
ここで「オスカー」を思い浮かべてしまうのも悔しいが、オスカーだったらジュリアスはもっと楽しく休みを過ごすことができるに違いない。…いや絶対にそうなのだ。ジュリアスは私などよりもオスカーの方が良いのだ…。
ようやく対極にある二人の間の距離が少しだけ縮まった矢先に、別れようと相手の方から言われるなんて、耐えられそうにない。
と、失意のあまり短絡的に考えたクラヴィスはいきなり「…何も言うな」と言い出した。まだ何も言わないうちから何も言うなとさえぎられて、ジュリアスは目を上げた。
「どういうことだ?」
「お前の言いたいことはわかった。それ以上言うな。…館へ戻るがよい。私とのことはなかったことにしてくれ」
ええええええええ〜〜〜〜〜〜っっっ!!!
なんで!?
なんで!? なんで!? なんで!? なんで!?(頭の中でエコー(笑))
ジュリアスは硬直した。意を決して愛の告白をしに来たのに、いきなり……ふられたらしい。
やはり…言いに来るのが遅すぎたのか…。クラヴィスは私に愛想を尽かしたのだ。きっとそうなのだ。
私のような者などを恋人にしてみても、ちっとも面白くなかったに違いない。
どうしてもっと早くに自分もクラヴィスが好きだと素直に告げなかったのであろうか。
それとも…そうとは考えたくないが…やはりからかわれていただけだったのかも知れぬ。
そう考えて絶望を怒りに転化しようとしてみても、どうしても悲しみが込み上げてくる。それも半端な悲しみではない。ものすごーーーく悲しい。もう再起不能って気がするくらいに悲しい。怒涛のように押し寄せる後悔におぼれそうだ。
戸惑っていた時間が惜しい。ためらわずに愛していると告げていれば、このような事態にはならなかったのかもしれない…。
だがそこは腐っても鯛、ふられても光の守護聖である。プライドだけは売るほど持っている。どんなに悲しくても相手にすがりつくことなどできはしない。それでも、かけがえのないものを失ってしまったという思いに涙がにじんできそうになって、あわてて顔をそむけた。
これ以上みっともない真似ができるか! この私が。
「わかった。では帰るとしよう。だが…これだけは受け取ってくれ」
必死の思いで手渡した赤い包み。
クラヴィスは心底驚いた顔をした。
「いったい何のつもりだ?」
そのような恥ずかしいことが言えるものか! しかも決定的な別れを告げられたあとで。
4. 愛を告げたら
とにかく渡すべきものは渡したのだし、これで不思議に居心地が良かった温かな場所から永遠に立ち去らなければならないのだと思うと、今度こそ涙がこぼれた。泣き顔なんか絶対に見せられないと顔を背け気味にしていたにもかかわらず、クラヴィスには悟られたようだった。
ためらいがちに「…なぜ泣くのだ…?」と問われたが、ジュリアスは強情に「泣いてなどおらぬ!」と言い張った。
「別れたいのはお前の方だろう? だと言うのに、なぜ?」
……クラヴィスは何と言った?
「誰が別れたいなどと申した!?」
「別れ話のために来たのであろう?」
誤解だッ!! 私はそなたを愛していると告げるために来たのだ! と大声で言いたいところだが、この期に及んでまだ羞恥心が邪魔をしていた。だってだって恥ずかしいではないか。そんなことをあからさまに口にするなんて。だがここで言わねばクラヴィスを失うことになる。ジレンマの果て、ジュリアスは口を開いた。
「…違う」
短くそっけない応えにクラヴィスはため息をついて、質問を変えた。
「今宵、私の館に来ると言い出したのはなぜだ?」
バレンタインデーという絶好のチャンスを逃したと知って、残念に思ったから。
クラヴィスのことが好きで、どうしてもそれをきちんと伝えたかったから。
好きだと告白するのを来年まで待つなんて悠長なことはできそうになかったから。
そのうちの一つでも口にしたら、クラヴィスが泣いて喜ぶんじゃないかというような言葉がジュリアスの頭の中をかけめぐった。
でもやっぱりそんなこと、言えない。
「その箱……開けてみてはくれぬか」←とりあえず、直接的な返答は避けてみた
言われてクラヴィスはリボンをほどき、包みを開き、チョコレートを取り出した。
「…チョコレート…………まさかとは思うが………ひょっとして、バレンタイン…か?」
わかってくれた、という安堵が歓喜に変わるまではほんの一瞬だった。
嬉しい。今度はやたらに嬉しい。先ほどまでの絶望のどん底で真っ黒だった気分が今度は歓喜の極みに押し上げられ、一気にピンク色。嬉しいのにまた涙が出そうになるのはどうしたことか、と不思議に思いながらジュリアスは潤んだ瞳でクラヴィスを見た。
やばっ。押し倒しそうだ…。
とクラヴィスが思ったかどうかはともかく。
「その…私もそなたのことが…好き…だと言っていなかったのでな。ルヴァからバレンタインデーのことを聞いて、来年まで待てぬと思ったのだ。飛空都市で買い求めた」
ようやく、ジュリアスは当初の目的を見事に果たすことができたのである。クラヴィスの顔がほころんだことは言うまでもない。
律儀でまじめなジュリアス。告白はバレンタインでなければならないということなどないのに。
だが彼がバレンタインデーという後押しを必要とした気持ちは痛いほどにわかった。
あのジュリアスがこれほどまでに私を想ってくれていたのか。
こちらも失意のどん底にあったのが、ジュリアスの口から好きだと言ってもらえた喜びに頬がゆるんでしまう。
それにしても、自分でチョコレートを買いに行っただと? ジュリアスが? いったいどうやって買ったのだ…。
安堵すると同時に心に余裕が出てきたクラヴィスは、店の前で光の守護聖の正装をまとったジュリアスがうろうろする姿を想像して、低く笑った。とたんにジュリアスが爆発する。
「クラヴィスっ! 私がこれほど必死だというのにそなたは笑うのかっ!!」
悪かったと言いながらクラヴィスはジュリアスの手を取り、引き寄せた。
「嬉しかったのだ。…お前が私のためにわざわざ買いに行ってくれたと聞いて、本当に嬉しかったのだ。…愛している」
「私もだ」
しっとりと重なり合う唇。
「ところで」とクラヴィスは唇を離しながら言う。
「バレンタインデーにチョコレートを贈って愛を告白するのは、女性の側だったな」
え? ええええ? ええええええーーーーーーーっ!?
そのようなこと、聞いておらぬ! ルヴァめ、肝心のところが抜けている!!
と、まっかになって焦りまくっているジュリアスの耳元で、さらにクラヴィスが囁く。
「ということは、つまり、お前が女役だということだな」
はあ? 何のこと?
といった表情で見返すジュリアスに、クラヴィスは、やはりこの男は何も知らないのだとため息を洩らした。
「わからねば、よい。とにかく…今宵はここに泊まって行け」
ジュリアスは頷いた。
「たまにはそれもよかろう。だが明日も仕事がある。朝は早めに起こしてくれ」と言い放つ生真面目な恋人にクラヴィスはくちづけの雨を降らせた。
「フッ…執務のことなど…忘れさせてやろう…」
こうしてようやく迎えた二人の夜。良い夢が見られますように。