前編:どきどきトキメキ
クラヴィスから突然に愛を告白されて、どさくさまぎれに恋人になったらしいあの晩から三日ほどが過ぎようとしている。その間、ジュリアスは表向き完璧に職務をこなしながらも心中は穏やかではなかった。光の守護聖ジュリアス様にあるまじきことながら、初恋に舞い上がっていたのである。
クラヴィスは言いたいことだけ言って、したいことだけすると(注:キスだけ。その先はまだですよ〜)、さっさと帰ってしまった。
突然に奪われて、直後に放り出されて、満ち足りたような物足りないような、なんとも言えない宙ぶらりんな気分でジュリアスは寝台に入った。一人きりになって体を横たえてからあれこれと思い返してみるが、なんでこんなことになったのか、よくわからない。第一、頭の芯がぼうっとして、明晰にものを考えることも覚束ない。
「クラヴィスが訪ねてきた。愛の告白をされた。そのうえくちづけまで…」って、そこまでを思っただけでカーッと全身が熱くなって頭の中もオーバーヒートして、そればっかりを繰り返し考えて先に進めなくなってしまうからだ。超高性能スーパーコンピューター並みのジュリアス様の頭の中身は、未知の情報の処理に手間取ったあげく、どうやら熱暴走なるものを起こしているらしい。
執務の最中であっても、いつクラヴィスが姿を現すかもしれぬと思うとそれだけでそわそわと落ち着かない。考えをまとめることができなくなる。
書類の文字を追っていてもすんなりと意味を理解できない。
何度も何度も同じ行を読み直し、そのうちに心は別の方向へとさまよいだす。
抱き寄せられた時の感触、唇が触れ合ったときの甘い衝撃、そして耳元で囁く声。
想うのはクラヴィスのことばかり。
自分はこんなにクラヴィスのことが好きだったのか? このような気持ちになるなど、これまでになかったことだ。知らなかった…これが…恋……というもの、なのか…。
恋、なんていう言葉を思い浮かべて頬がまっかっかっかっか〜になる。
この私が……同性に恋……!?
その自覚に愕然とし、そして頭を抱えてしまう。
なぜこんなことになぜこんなことになぜこんなことに……?<エンドレス
こんな具合で悩み続けて、ジュリアスは集中できぬ昼、眠れぬ夜を過ごしていた。このままではいけない。そう思ったジュリアスは思い悩んだ末、せめてもう少し落ち着くまでの間、クラヴィスに短期絶縁宣言をすることにした。
「これ以降、私の前に顔を出さないでほしい」
恋人になったばかりのジュリアスから執務室に来るようにと呼び出しを受け、急にそんなことを言われたクラヴィス、内心真っ青。
がーーーーーーーーーん。もしかして私は嫌われたのか?(おろおろおろおろ)
ものに動じない質であるクラヴィスをここまでうろたえさせるとは、恋の魔力恐るべし。それでも「待てしばし、あわてるのはまだ早い」と何とか無表情を保ったまま「なぜ?」と問い返した。
「…そなたを見ると、私はおかしくなるのだ…」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、赤くなりながらジュリアスは言った。これは心配したような理由ではないらしいとやや安堵しながら、もう少しはっきり答えてほしいとさらに言葉を促した。
「ほう…? どのように?」
「胸がどきどきして、頭に血が上って何も考えられなくなる」
初恋におぼれている心理状態をあまりにもストレートに打ち明けられて、クラヴィスの理性はどこかへ飛んで行きそうになった。
もともと正直で嘘がつけない質であるからか、恋に慣れないせいか、単に舞い上がってわけがわからなくなって取り繕う術すらも忘れたか、こんなことをありのままに言っちゃうあたり、ジュリアス様ってば現在進行形で頭に血が上っているご様子。確かにご自分でおっしゃるとおり、何も考えられなくなっているに相違ない。
少し目を泳がせていた彼は、クラヴィスの表情が動いたのにも気づかずに言葉を継いだ。
「執務のときにこのような状態では困る。だからしばらく顔を出すのは控えてくれ」
言いながら、目をそむけるジュリアス。
桜色に染まった頬がかわいい。
愛しい。
今すぐ抱きしめてあんなことやこんなことがしたい。
だが、お空の彼方へ飛んでいきかけていた理性を根性で引き戻して、クラヴィスここは忍の一字。
「…よくわかった。では私は当分の間お前の目には触れぬように気をつけるとしよう…」
あっさりとジュリアスの頼みを受け入れ、うっすらと笑ってクラヴィスは光の執務室を出て行った。後に残されたジュリアスは、なんだか呆然。もっとしつっこくねちっこく根掘り葉掘り執拗なまでに理由を訊かれると思っていたのに。
訊かれても困るとは思っていたが、こんなに簡単に解放されてしまうと、それはそれでかえって物足りないし、不安にもなる。
あの夜の告白は何だったのか。会わぬと言われても顔色ひとつ変えぬ。……そう言えばあれの顔をよく見ることができなかったゆえ、顔色を変えなかったかどうか定かではないが、おそらくはそうであったはずだ。私一人がこれほどに思い悩んで眠れぬ夜を過ごして、意を決してクラヴィスに顔を見せるなと頼んだのに。いや頼んだのは自分だし、頼みを聞いてくれたクラヴィスには感謝をすべきであって、不実をなじるなどとんでもないことだ。いやいや、不実などということはない。クラヴィスは私を愛していてくれるから、私の頼みを聞き入れてくれた、それだけだ……。
何だかしっちゃかめっちゃかな方向に思考が分裂かつ暴走してしまう首座様。結局クラヴィスが顔を見せても見せなくても、ジュリアスの頭が使い物にならなくなるのは変わらないようだ。
その週いっぱい、クラヴィスは出仕はしていたが決してジュリアスの前に姿を現そうとはしなかった。書類は完璧に仕上げて期日までに間違いなく提出してくるし、何も文句のつけようがなく、おかげでジュリアスのほうから説教に出向く必要もない。ジュリアスは望みどおりにクラヴィスと顔を合わせることなく毎日の執務を滞りなく行っていた。
確かに。望みどおりではあったのだ。仕事に集中できている間は何も問題ない。全ては滞りなく順調に進み、何でもてきぱきとこなせる。だが、一区切りついたときなどにうっかり「これで何日と何時間何分顔を合わせていないだろうか」などと指折り数え始めるともうだめだ。落ち着かなくなる。自分から頼んだことなのに、全く顔を合わせることなく二日、三日と過ぎていくと、不安も頭をもたげてくる。
愛を告白されたのも、くちづけをしたのも、全ては夢であったのかもしれぬ…。
ジュリアスが、厳しい首座顔の陰では初恋におののいて胸もつぶれんばかりの思いをしているなんて。そんなところにダメ押しの一撃でオスカーが「最近クラヴィス様は精勤でいらっしゃる」なんて言い出した日には、我にもあらず赤くなって、「どうかなさいましたか?」とオスカーを心配させる始末。
この私としたことが。クラヴィスの名を耳にするだけで平静を保てぬとは…。
しかもクラヴィスの名ばかりが色つき太字では飽き足らずフォントサイズ特大で聞こえてしまうとは…。
恋する男・ジュリアスの耳には、恋しい相手の名は特別によく聞こえてしまう模様。動悸を誘うその名は、今の彼には禁忌だ。だからといってまさかオスカーに「私の前でクラヴィスの名を出すな」と命じるわけにもいかない。「そんなことをおっしゃるとは、お二人はそこまで仲が悪いのか」とさらに心配をかけることになってしまう。
実はその反対っていうか、好きで好きで名前を聞くだけでどうにかなりそうだから心を乱さないでほしいのだ、なんてことは口が裂けても言えないし。
恋人の名前を出されたせいで動悸を早めた心臓はしばらくおさまらず顔は火照りっぱなし、オスカーを納得させるような適当な言い訳も思いつかず、ジュリアスの苦悩は深まるのだった。
後編:どきどきの次に来るものは
クラヴィスと顔を合わせても合わせなくても結局はいろいろと思い惑いながら、そんなことはおくびにも出さずに完璧に仕事を片付けて、初恋のどきどきという、これまでに経験のない精神的重圧からよれよれになりながらジュリアスが迎えた週末。「晩餐を共にしないか」とクラヴィスの私邸に招かれた。
執務を終えた後で私的な場なのだ、いくらどっきんどっきん激しく動悸がしたって、赤面したって、何も考えられなくなったって、特に問題はないではないか。(拳握りっ)
そして……ちょうどよい機会でもある。会話の途中、できれば私もあれのことを愛している、と…告げたい。いや、きちんと言うのだ。今宵は必ずあれに私の胸のうちを告げるのだ!
どきどきの果ての決意を胸に、ジュリアスは闇の館を訪れた。
クラヴィスのほうもまた、かつてない胸の高鳴りに少々戸惑いつつ、馬車から降り立った恋人を出迎える。
何と言うかこう…どきどき…する。
何しろジュリアス本人は殺し文句だなんて自覚は皆無だったものの、「そなたを見るとおかしくなる」とか「胸がどきどきして何も考えられなくなる」とか、魂が抜けそうになるようなことを言われてから初めて二人で過ごす夜。期待に胸がふくらんでも仕方あるまい。
だがもう少し我慢我慢…。
「よく来てくれた」
微笑と共にジュリアスの手を取り、軽くくちづけるとジュリアスは少しむっとした顔をした。上目遣いにそんな恋人を見て、さらに含み笑う。
「何が気に入らぬのだ…?」
「私は女性ではない」
「どうでもよいではないか、そのようなことは。お前に触れたかったのだ」
何だかどっきりして、あわてて手を引くジュリアス。
だってこちらからはまだ何も言っていない。
好きだ、とも。愛している、とも。それなのに、愛の行為に及べるわけがないではないか。
◆註◆ ジュリアス様的解釈によれば、こういう場で女性ではない自分に対して手に儀礼的なキスはおかしい。よって、クラヴィスのしたのは「愛の行為」である、ってこと。決してベッドでどうこうとかってことを考えているわけではありません。 |