1. 夜はまだ長い
夜明けのコーヒーを共に、という誘いを受けて、初めてクラヴィスのところに泊まることになったジュリアス、やや緊張気味に闇の館を訪れた。恋人と過ごす初めての夜に期待と不安がいっぱい。よく来たな、と迎え入れるクラヴィスはいつになくにこやかな気がして、ちょっとどきどきしてしまう。
まず食事をしよう、お前の好みのものを揃えさせたとダイニングルームに通された。美しくセッティングされたテーブル、極上のワイン、シェフが腕を振るった料理、と来ればあとは会話を楽しむだけだ。ところが無口なクラヴィスは食事の最中ほとんど何も言わない。沈黙のうちにディナーは終わりに近づく。期待が大きかっただけに失望もまた大きい。恋人との会話を楽しみにしていたジュリアスとしては、食事はおいしくても別の意味で少々期待はずれだった。
人を招いておいてこの態度は何だ！ もう少し客を楽しませる工夫をしたらどうだ？
本当のところ、クラヴィスと二人で食事をできるだけで充分に嬉しいのだが、恋人になったばかりの相手を前にただ食べるだけというのも芸がないし、向かい合わせに座っていて会話がないというのはどこか気詰まりだし、胸の動悸も持て余すし、で、少々八つ当たり気味にむかっ腹を立てながら、だがやはり適当な話題も思いつかず、ひたすら食べ続けるジュリアス。
あくまでも優雅な姿勢は崩さないが、料理の皿をにらみつけるようにしてどことなくやけくそ気味に次々に胃におさめていく彼を見て、デザートをつついていたクラヴィスがちらりと目を上げて、くす、と笑った。当然ながらその笑いはジュリアスの逆鱗に触れた。誇り高い彼が、笑われっぱなしでいられるわけがない。1時間あまりの食事の間にたまりにたまった不満が爆発した。
「何がおかしい！？ だいたいそなたは何も言わずに黙り込んで！」
「…いや…食べる姿が……」
「食べ方がどうだというのだ！？」むかっ。
からかって怒らせるのは楽しいが、今夜はあまり怒らせてしまっては後のお楽しみがフイになってしまう。適当なところでなだめておいた方がよかろうと思って、クラヴィスはおもむろに口を開いた。
「…それ以上怒らぬと約束するか？」
「それはそなたが何を言うかによる」
「約束しないのなら言わぬ。せっかくの夜に喧嘩はごめんだ」
ジュリアスだって喧嘩したいわけではない。
「……わかった、そなたの言うことに怒ったりはせぬと約束しよう」
と、確約を得て、クラヴィスが言った。
「かわいい」
物心ついて以来、かわいいなんて言われた覚えのないジュリアス、硬直。
かわいい……？ それは普通、大の男に対して言う台詞ではないのではないか？
かわいいもの、と言えば、たとえば……。＜「かわいい」ものにはあまり馴染みがないらしい
うーーーーーーーーむ、と真剣に考えはじめたジュリアスにクラヴィスはまた笑った。
「笑うな！」むかむかっ。
「怒らぬと約束したではないか。約束を破るのか？」
「笑っても怒らぬと約束した覚えはない」むすっ。
「…悪かった。だがお前が真剣に食べる姿が…かわいかったのだから仕方あるまい？」
「それと笑いがどう結びつくのか説明してもらいたい」
クラヴィス、ため息。
「お前、何もかも杓子定規に考えるその癖はもう少し何とかしたらどうだ？
お前がここにいてくれることが私には喜びだ。全ての時間を有意義に過ごしたいというお前には理解できぬのかもしれぬが…。たとえ会話がなくとも、この時間が有意義でないとは私は思わぬ。これほどの幸福感に満ちて食事はしたことがないと言っていい。
…愛する者の姿を見て嬉しくなって笑いがこぼれたのに対していちいち目くじらを立てられたり説明を求められたりしても、な…」
恋に不慣れな彼の愛しい相手には、教えなくてはならないことがたくさんあるらしい。
「そんなものなのか……？」
「お前は私と共にいるのが嫌か？」
「そのようなことはない」
「楽しくはないか？」
「……わからぬ」
どきどきする。クラヴィスのことが気になって仕方がない。目が合えば心臓に衝撃。楽しい、という形容は合わないと思う。どちらかと言えば、苦しい。今までに経験したことのない自分の状態に戸惑う。
クラヴィスは手にしていたデザート用のスプーンを置いた。そのまま手を伸ばして、ジュリアスの白い指にそっと触れる。
ジュリアスは思わず目を閉じた。ずきん、胸に痛み。
「…これは？」
囁くような声で言われてぞくりと背筋を駆け上がるものがあった。少しひんやりしたクラヴィスの手が心地よかった。
「……心地よい」
目を開く。今までに見たこともないような表情のクラヴィスがいた。少しだけ、怖かった。真剣な表情だが愛していると告げられたときの顔とはどこか違う。いつも無気力に伏せられている瞳がまっすぐに見つめてくる。その熱さに全身がかっと燃え上がるような気がした。
「それが恋だ。お前は私のもの、私はお前のもの。触れあえば心地よい。他に何が必要だ？」
いつの間にか席を立ったクラヴィスがそばに来ていた。ほてった頬をひやりとした手で包まれ、ゆっくりと唇が重なった。
「夜はまだ長い。…来い」
2. 深まる夜に逸る心
至近距離から深紫の瞳に見つめられて、唇が触れ合う状態で言われた言葉に、もともと高鳴っていた心臓がさらに鼓動を早めた。これ以上早くなったら心筋が過労で壊死しそう。「まだデザートが…」と言いかけた言葉はクラヴィスの唇に封じられて、そのまま彼の私室に場所を移すことになった。
だって、開きかけた唇をまた柔らかく塞がれて、肩に落ちかかる髪をしなやかな指にかき上げられて、優しい口づけに酔っていたらいつの間にか唇がこめかみから耳へと移動していて、「私の部屋へ」なんて腰に響くような囁きで言われてはとても抗えなかった。せっかくのシェフの心づくしを、と申し訳なく思いながらも魔法にかかったように体はクラヴィスについてきてしまった。
私はどうしてしまったのだ？
ひとりバルコニーに出てほうっと大きく息をつく。クラヴィスが「飲み物でも…」と側仕えを呼ぶために少し離れたすきに出てみたのだ。夜風に当たりたかった。
恋人の私室に二人きり。しかも夜。どういう顔をしていたらいいのかよくわからなくて、何だかどぎまぎ、どきどきして胸が苦しくて、気分は酸欠の金魚。新鮮な空気を求めて外に出たくもなろうというものである。
当たり前のようにいつもクラヴィスに付き従うリュミエールがずっと羨ましかった。あのように自然にそば近くにいられたらどんなにかいいだろうと思っていた。ところがいざ自分がそうすることを許される立場になってみると（しかも単なる同僚ではなくいきなり恋人に格上げ）、どうしたらいいのかわからないのだ。とてもリュミエールのように「自然な態度で」クラヴィスのそばにいることなんてできそうにない。
自分のすることに常に明確な目的や意味を見出してきたジュリアスは、恋というものの目的のなさに途方に暮れていた。そもそも恋に具体的な目的とか目標とか目当てとかを見出そうとするのが間違っていると思うけど、真面目にして謹厳実直、道徳的かつ勤勉な光の守護聖様は、こんな風に過ごす夜にすべきことの実体はおろか、輪郭さえつかめていないのだった。
これが恋だとクラヴィスも言うのだし、恋であるのだろうと思う。けれども………。
物思いに沈みつつ何度か深呼吸をしてようやく人心地ついたところ、突然背後に人の気配を感じて、ジュリアスは身を固くした。低く「ジュリアス」と呼ぶ恋人の声に安堵し、同時に胸をどきつかせるというアクロバティックな状態に陥って、振り向く暇もないうちに近づいてきたクラヴィスに後ろから抱きしめられた。物思いにふけっていたため、クラヴィスがバルコニーに出てきたのに気づくのが遅れたようだ。
「探したぞ。このような場所で何をしている。…帰りたくなったか？」
ジュリアスはクラヴィスの腕の中で小さく首を振る。
帰りたいなんて、とんでもない。少しでも長くクラヴィスのそばにいたい。もっとはっきり言えば、片時も離れたくなかった。長い長い時を、クラヴィスを想いながら過ごしてきた。好きな相手に近づきたい、話をしたい、触れたい。それが今やっと叶ったのだ、帰りたいはずがない。
でもその先は？ 何が目的なのだ、一体？
「そばにいたい」これまではそれが目的と言えば言えた。ところがそれが達成されてしまったらその後はどうしたらいいのか。この期に及んで目的探しに忙しいジュリアス、とことん色恋のセンスのない男かもしれない。
とりあえず幸せな気持ちではあるのだし、この訪問の目的は「夜明けのコーヒー」なのだからな。考えすぎることもなかろう…。
ささやかながら目的を見つけ出すことで、少しほっとしているジュリアスであった。
恋人の温かな腕の中、耳元で愛の言葉を囁かれるのはとても嬉しくて、それでいてものすごーーーーーく気恥ずかしくて、思わず足をじたばたさせそうだ。育ちの良い光の守護聖様は決してそんなことはしないけれど。
恥ずかしいから、逃げられるものならこの甘い縛めから逃げたい。でもこのまま心地よい抱擁に身をゆだねていたい。
ジュリアスは超弩級の台風並みの葛藤に見舞われていた。クラヴィスに誘われたのは昼間の執務室だったので、そこで抱擁だのキスなどということにはならなかった。いや、今夜だってジュリアスはそんなこと考えもしていなかったのである。
長年の片恋の相手と実は思いが通じ合っていたと知っただけでうれしくて、それ以上何を求めるでもなく、ただ共にいられるのが幸せだった。それだけでやたらにどきどきしてしまうほどに。「ムネがドキドキ」と言おうとして「ドキがムネムネ」って言っちゃいそうなほどに。ただでさえそんなに舞い上がっているのに、追い討ちをかけるように食事のときいきなりキス。クラヴィスは人払いをしていたから誰に見られるというわけでもなかったが、正餐の場でキスなんてジュリアスの予想を全く覆す展開だった。思いがけないときに思いがけない行為を仕掛けられて、それ以来心臓は早鐘を打ちっ放しなのだ。
今だって背中にぴったりと張りつかれて、その早鐘を悟られるんじゃないかと気が気ではない。
この私が、たかだかこの程度のことでこれほどまで動揺していることを知られるなど……きゃっ、そんなの恥ずかしい！ みたいな、乙女のような恥じらい方をしている彼は、御年25歳の光の守護聖様だったりするところがかわいいって言うか、それともおい大丈夫なのかって言うべきなのか。
夜の闇に包まれて抱きしめられてみてにわかに現実感を帯びてきた、恋人と初めて共に過ごす夜。未知のできごとが待っているのだから、どきどきしてしまうのも当たり前かもしれない。この緊張感を和らげるためにも何か言わなきゃとあせっても気の利いた台詞なんか出てこない。
だがこのままでは気まずすぎる。話題話題、何か適当な話題を探さねば…。
ジュリアス的には今回のお泊まりの一番の目的である「夜明けのコーヒー」について話すのがまあ妥当な線だろうと思い、どこでコーヒーを喫するのが一番良いかを考え、やはり朝日を見ながらこのバルコニーでというのが理想的であろうと結論づけた。
「明日の朝はここでコーヒーだな」とつぶやくジュリアスに、クラヴィスは耳元で囁き返す。
「そうだな」
たったそれだけの言葉だが、耳たぶに唇が触れるか触れないかという微妙な位置で言われて、体の中をぞくりと電流が走り抜けた。
今のは悪寒か？ そう言えば先ほどから何度も似たような感じがしたが…病気にでもなったのだろうか。
確かに恋は熱病のようなものかもしれない。だがその認識はあまりにも恋人に気の毒というものだろう。クラヴィスに今の心の声が聞こえていたら、がっくりと首うなだれるに違いない。そしてジュリアスはうなじにキスを続ける恋人を唖然とさせるような言葉を発したのだった。
「ところで……私はどの部屋で休めばよいのだ？」
は？ 今、何と？
「どの部屋で…とは？」
「決まっているではないか。寝室だ。寝台のある部屋だ。それとも何か、そなた、私にそのあたりの床の上で寝ろとでも言うつもりか？
夜明けまでにはまだ間がある。明日の執務のためにも睡眠はきちんと取るべきであろう」
光の守護聖のあまりにも彼らしい発言。そりゃ、翌日も執務のある平日に誘ったのはクラヴィスのミスだったかもしれない。けれども彼はもう一分一秒たりとも待ちたくなかったのだ。だから誘いをかけたその日のうちに私邸に連絡を取り、とっとと準備を進めたのだった。怠惰の権化と異名を取る彼だが、やるときはやる。それなのにその彼のやる気は空回りの様相を呈し始めた。
ちゃんとわかっていると思って評価は二重まるにしたのに。
だというのにジュリアスときたら。全然、まったく、ちっとも、かけらも。…わかってない。
詐欺だ！ あの二重まるを返せ！！
（クラヴィス様…お気持ちはわかりますけど、それは無理。第一、返してもらったって一文の得にもなりゃしません）
潔癖に過ぎる（ニブすぎる？）恋人を持った男の悲劇を地で行く闇の守護聖に明日はあるのか？ ←「明日」よりも、当面の問題は「今夜」
3. 朝はまだ遠い
やはりお前には教えなくてはならぬことが山ほどあるようだ。とりあえず、どこまで知っているのかをはっきりさせるべきであろうな…。
クラヴィスは恋人の体に回していた手を解くと、両肩をつかんでぐいと自分の方に向き直らせた。ジュリアス、急に態度が変わったクラヴィスに目を白黒。疑問符いっぱいの顔で相手を見た。
「…お前もしかして、夜明けのコーヒーの意味がわかっていないのではないか？」
「夜明けに共にコーヒーを飲むのであろう？」にっこり。
だから、そうではなくてーーーーーーーーっ！
内心の絶叫を無表情の仮面の下に押し込めつつ、クラヴィスは辛抱強く教える体制に入った。
急がば回れ。
急いてはことをし損じる。
「それだけではない」
「他に何をするというのだ？」
心底不思議そうに尋ね返された。ジュリアスとしては、あれほどに探し求めた「目的」が明らかにされるのだから願ったり叶ったりといったところで、興味津々、疑問解消を目前にお目々きらきらだ。
…やはり、何もわかっていない…。
どよどよどよ〜〜〜〜〜ん。
だがここでどよどよしていては前進は望めない。それに何と言っても今日の彼はやる気に満ちている。背後のオドロ線をしっしっと追い払って素早く立ち直ると、クラヴィスは心の中でだけ深いため息をつきつつ搦め手から攻めることにした。
「……私はお前の恋人だろう？」
ジュリアス、一気に赤面。ストレートに「恋人」なんて言葉を口にされると、何だか居たたまれないほど恥ずかしくなってしまう。
「う…いやその……あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あいして……いるのだから……そなたの言う通りだ」
「…であろう？ ならば同じ部屋で、同じ寝台で休むものだぞ」にんまり。
「え？ そういうことになっているのか？」
ますます赤面。
同じ部屋？ 同じ寝台ッ？
あせりまくってしまって、「夜明けのコーヒーとは夜明けにコーヒーを飲むだけではない」という点についての疑問も忘れた。ジュリアス様にして目的の追求を失念してしまうとは、相当に動揺しているらしい。
「だが…だが私は他の人間と臥所を共にしたことなどないし…」
「私はお前の恋人だぞ。他の人間と同列に扱うつもりか？」
「いやそのようなことは……そなたは特別だ」
「ならば愛し合うもの同士がするように共に休もうではないか」
と、丸め込まれたジュリアス、なんだか落ち着かないままに先にシャワーを浴び、バスローブを借り、部屋の中をうろうろ。常の彼になく落ち着きを欠いた様子で歩き回り続けていた。
どうにもこうにもじっとしていられない。居ても立ってもいられないとはまさにこのことだった。本当にどうしたらいいんだか分からないのである。頭が良くて有能で何でもできちゃう光の守護聖ジュリアスがこんな事態に直面するなんて未だかつてないことで、クラヴィスがシャワーを浴びに行っている今、一人で何をするでもなく、意味もなくただうろうろしていたのだった。
そう言えば、この先何があるのか、目的は何なのか、結局クラヴィスははっきりとは言わなかった。
「共に休む」とは聞いたが…。だからといって、先に一人で寝台に入って寝てしまうのもどうかと思われる。
なにしろあれはクラヴィスの寝台だ。やはり勝手に入るのは礼儀に反するであろう。
それに……バスローブのままではな……夜着を借りて着替えてからのほうが良いだろう。
ひたすら歩き回るのも何なのでソファに腰掛けてはみたものの、背筋ピン！ と姿勢を正して座っているというのも何か違う気がしてどうにも落ち着かない。結局また立ち上がってあてどなくうろうろと歩きながら時間つぶしを考えてみるものの、良い考えなど思い浮かばない。
夜明けのコーヒーとは…こういう意味なのか？ まだ夜明けには程遠いのだが…。
手持ちぶさたなこの時間をどうしたらよいのだ。こんなことならば懸案事項のファイルの2、3冊も持ってくるのだった…。
そう、彼は仕事さえあればとりあえず落ち着きを保っていられる。それはつまり仕事を取り上げると途端に困惑するという意味でもあった。そしてジュリアスは今まさにその状態にあった。
別々の部屋で清く正しくしっかりたっぷり睡眠を取った後、清々しい早朝の空気の中、バルコニーで愛する人と二人で昇る朝日を眺めながらロマンチックにコーヒーを飲むなんてことをジュリアスは考えていたというのに、クラヴィスはそうではないと言う。
ではいったい何をするというのだ？？？
コーヒーはいわば付け足しで、夜明けまで一緒に過ごすのがポイントだというのに、そんなことにも気づかない恋愛に疎いジュリアス様なのだった。
「先ほどから何をしている？」
ぐるぐる部屋の中を歩き回っていたジュリアス、シャワー室から出てきたクラヴィスに声をかけられてびっく〜〜〜〜ん。
「いやなに、何でもないのだ」
フッ、と笑ったクラヴィスの顔が、いつもと違うような気がした。小ばかにされているのかと疑うようないつもの笑いとは違って、妙に惹きつけられる。なんつーか、フェロモン全開？ 男同士でそういう類のフェロモンが効果を発揮するかどうかは知らないけど。
どきどきしていたら、寝台へ、とクラヴィスに手を取られた。どこがどうとは言えないがなんとな〜く隠微なムードを感じ取ってますます硬くなるジュリアス。部屋の主はさっさとベッドインして恋人を待っているというのに、寝台を前にして突っ立ったきりになってしまった。
「…私はまだバスローブのままなのだが…夜着を貸してもらえぬか」
「フッ…そのようなものが必要か？」
必要だってば！ と抗議したかったが、下から見上げられて「私が…怖いのか？」とたたみかけられ、「そのようなことはないっ！！」とついムキになって赤くなりながらでんと寝台に腰をかけた。お上品な光の守護聖様らしくない乱暴な仕草は照れ隠し。クラヴィスに背を向けて背筋ビシィッ！ と伸ばして座っていたら、手を引かれてバランスを崩して寝台に倒れ込んだ。
「いきなり何をするっ！」
「いつまでも座っていては休めないではないか…」
それもそうなのだ。寝台は横になって休む場所、ずっと腰をかけたままの自分のほうがおかしいことはジュリアスだって気づいている。バスローブのままなのは不本意だったが、「中に入れ」と言われて、おずおずと上掛けの中に潜り込むとそのままクラヴィスの腕の中へ引き込まれて抱きしめられた。優しく髪を梳かれ、撫でられて、抱き込まれた体が硬直状態だったのが、徐々に力が抜けてきた。頃合はよしとクラヴィスはジュリアスの顔を上向かせた。
やられた。
幸せそうに寝息を立てている恋人に、クラヴィスは盛大なため息をついた。
早寝早起き、よいこのジュリアス。
そういう奴だということは知っていたはずではないか…。
フッ…所詮ジュリアスだ、夜明けのコーヒーの真の意味がわかっていると早とちりした私が愚かだったと言うだけのこと…。
ほんのり上気した頬に影を落とす長い睫毛。口元はほのかな微笑を湛えている。それを見ていると、なんとも言えない敗北感のようなものとあと少しだったのにという悔しさがこみ上げると同時に、天使の寝顔に口元が緩む。
…なんか、これはこれで幸せ…かも。
こんなはずではなかった。寝顔を見ていてほんわか幸せになっちゃうなんて。予定では、大人な恋人ともっとアダルトな一夜を過ごすはずだった。それなのにアダルトは全然関係なしのまま、ほのぼのとした幸福感に包まれてしまって、どうも自分はジュリアスに弱い、とクラヴィスは自嘲気味に笑った。
口づけを嫌がってはいなかった。抱き寄せても抵抗しなかった。触れると心地よいと言っていた…。
ならばさっさと説明して強引に出てしまえば何とかならぬものでもなかったろうに。
眠ってしまわれては仕方がない。今夜は諦める、が…。
側仕えに用意させた飲み物は手をつけられないままに空しくワゴンの上。
ジュリアスからそっと体を離すと、クラヴィスはグラスをひとつ手に取り一息に呷った。自分の寝台ですうすうと眠っているジュリアスを眺める。ほのぼのに押されてどっかへ行っていたアダルトな気分が再燃して、収まりがつかなくなりそうだった。自分も早く眠ってしまうに限るともう一度ジュリアスの隣りに滑り込み、次はこれで済むと思うな、と額にキスをして目を閉じる。こんな状態で果たして寝られるかどうか、はなはだ疑問ではあったが。
手に入るあてもないというのに気が遠くなるほど待って待って待ち続けて、絶対に無理と思っていたのを奇跡的に腕に抱くことのできた最愛の恋人だが、完全に自分のものにするにはもう少し時間がかかりそうだ。