二十年目の春


16. もう我慢なりません

二人がひそかに結婚式を挙げてから数週間、何かおかしいと周囲に思われながら何とか真相は隠し通してきた。しかしリュミエールの我慢は限界を突破しようとしていた。
式の日から二ヶ月ほどが過ぎたとある晩のこと、ついに意を決したリュミエールはクラヴィスの館を訪れた。予告なく闇の館を訪問した彼は常になく強引に、と言っても物腰はあくまでも柔らかく、しかし誰の声にも耳を貸さずに、勝手知ったる闇の館の中をクラヴィスの私室まで突き進んだ。そしてそこに光の守護聖を見い出して、愕然。いきなりやってきたリュミエールにジュリアスも驚愕の表情になったが、リュミエールも負けず劣らず驚いている。
「これは……どういうことでしょうか、クラヴィス様?」
震える声で問うリュミエールを胡乱な目つきで見たのは館の主だった。
「…ジュリアスのことか。私達がどうしていようと、お前に断りを入れる必要はないと思うのだが、違うか。それよりも、お前の今の行動の方が問題であろう。ここは私の館だ。部屋で寛いでいるところに入って良いなどと誰が許した」
「申し訳ございません、お館の皆様に落ち度はありません。止められたにもかかわらず私が勝手にここまで参りました」
今日のリュミエールは、一歩も引く気はないらしい。楚々とした外見や物柔らかな普段の態度からは想像もつかないような彼の頑固さを知っているクラヴィスは、少々扱いを誤ったか、と心の中で嘆息した。親密であっただけにもう少し情報を与えて納得させておくべきだとは思っていた。しかしジュリアスの気持ちを考えると、式に立ち会った者以外、誰にも何も明かすことができなかったのである。愛する伴侶の意に反することは極力避けたかった。
こうなるのも仕方あるまい、来るべきときが来たと、クラヴィスは諦めたような笑みを浮かべた。
「似合わぬ真似をする…。何をそのように熱くなっているのだ?」
「私に対するクラヴィス様の態度が、以前とはすっかり違っておしまいになったのが気がかりで」
「気になるからといってお前はそうやってどこにでも押し入るのか」
言われて、リュミエールは身を縮めた。
「本当に申し訳ありません。このようなことをしたことについては、幾重にもお詫び申し上げます。……ですが。せめて訳をお聞かせ願えませんか。ご不快に思っていらっしゃるのはよくわかります。けれども、こうせざるを得なかった私の気持ちも、どうかお汲み取りください」
切々と訴えるリュミエールに、
「言い分はよくわかった、とにかく落ち着け」
とクラヴィスは言って、座らせた。
ジュリアスと結婚する前は、リュミエールは折りにふれて闇の館を訪れていたのだ。二人で静かな宵を共有するのは長年の習慣だった。それが急に門前払いを食らわされるようになって、何が起こったのかと不審に思ってもリュミエールを責めることはできまい。何しろクラヴィス本人から何の説明もされずに、いきなりそういう扱いを受けるようになったのだ。
さらにリュミエールを混乱させているのは、館では門前払い、しかし昼間の宮殿では以前と変わりなく接してくれることだった。人の目のあるところでは以前通りと見せかけていながら、私的な付き合いを避けられるようになったのはなぜなのか。気づかずにしてしまった自分の失態のせいならば、せめてそれを教えてもらいたい。そう切実に願っても不思議はない。
「親しくしてきたお前に何の説明もせず遠ざけるようなことをしたのは…少なくともそう見えるようなことをしたのは…悪かったと思う。お前が気に病むであろうことをもっと考えるべきであった」
「お教えください。私は何をしたのですか」
「お前が悪いわけではないのだ…」
「では、なぜ」
「ジュリアスと結婚した」
その瞬間ジュリアスに腕を強くつかまれたが、軽く目顔で制しておいてリュミエールに目を戻した。
一瞬の沈黙があり、リュミエールは首をかしげて尋ね返した。
「……はい?」
リュミエールは意味を理解できずにいる。
「陛下の御前で、私達は正式に結婚をしたのだ」
「クラヴィス様と……ジュリアス様が?」
結婚?
「そうだ。ジュリアスが公表を嫌がったので言えなかった…」
黙って成り行きを見ていたジュリアスが口をはさんだ。
「嫌がるなどと、私はそのようなことは!」
「人に知られるのは困る、と…思わなかったとは言わせぬ」
「……そなたと暮らすことを嫌だと思っているわけではない」
「わかっている。そのような弁解は不要だ。私の言葉ひとつをいちいち気にせずともよい」
クラヴィスがジュリアスを見る瞳があり得ないくらい優しいのを目の当たりにして、リュミエールはようやく理解した。
「クラヴィス様、つまりはお二人は新婚でいらっしゃると、そういうことですか」
夫婦、というのも何だか変な気がして、新婚と表現した。が、自分で言ったにもかかわらず新婚さんという言葉の持つ雰囲気と目の前の二人がどうにも頭の中で結びつかなくて、リュミエールは納得の行かない面持ちで尋ねた。
「そうだ。となればお前を館に入れなくなった理由は明白であろう。夜は他人のために時間を割きたくない。愛する者と二人で過ごしたいというだけの話だ。お前が訪ねてきたときに私が光の館にいたために、不在だと執事が断りを言ったこともあったろう。それがすべてだ。きちんと説明しなかったのは明かすわけにはいかなかったからであって、私の機嫌を損ねたのではないかなどとお前が気に病むには及ばぬ」
「よく……わかりました」
筆頭守護聖たちがなんで結婚してしまったのか、そのあたりの事情は全然わからないけど、少なくとも門前払いの理由は飲み込めた。自分がクラヴィスの不興を買ったわけではないことも。
「わかってくれたか」
「クラヴィス様……お寛ぎのところをお騒がせして本当に申し訳ございませんでした……。ですが、ひとつだけおわかりいただきたいのは、私は秘密を暴き立てようなどというつもりでお伺いしたのではないということです。あなたのご様子が気になって……それだけなのです」
「ああ、お前は何も悪くない。こちらこそ済まなかった」
と答えたクラヴィスに再度謝罪の言葉を繰り返して、戸惑い気味な様子でジュリアスにも目礼してリュミエールが立ち去った後、ジュリアスはほうっとため息をついた。
「何と言うか……前妻に乱入されて怯える若妻の気分を味わわされた……」
男の自分が、こんな状況に陥った後妻の気持ちなど知りたくなかった。
自分で言ったその言葉にジュリアスは苦笑し、聞いたクラヴィスはくすりと笑った。
「私も前妻に怒鳴り込まれた気分だ」
その時まで考えもしなかった疑念がふと、ジュリアスの脳裏をかすめた。
「……リュミエールとそういう関係だったのか?」
「いや、まさか。それはない。あの男との親しさはそういう類のものではない」
あわてる様子もなく、淡々とクラヴィスは答えた。最初から妙に物慣れていたのは、少なくともリュミエールとの経験のせいではないと知って、何となくほっとした反面新たな疑問に囚われた。
今まで考えてみたこともなかったが、クラヴィスはいったいどこで男との房事を知ったのか。

「お前、何を考えている」
「いや……大したことでは」
「つまらぬことを気にするな。私にはお前だけだ。それにお前こそどうなのだ、オスカーと…?」
「ばかな。オスカーと色恋沙汰などあるわけがない」
「…だろう? 同じことだ」
「リュミエールのことではない、私が今思ったのは」
「では何だ」

これまでに誰と寝た?
なんて。いくら気になっていても、そういうことに関して非常に慎み深い質であるジュリアスが、そんなことをあからさまに尋ねられるわけがなかった。第一これは尋ねるほうも気まずいが、尋ねられたほうは恐らくもっと気まずいに違いない。
そこをあえて尋ねてよしんば答えが返ったところで、どう対処したらいいのか。過去が気に入らないからといって今になって修正するわけにはいかないのだ。「こういう場所でこんな相手と初めての性体験をして、その後の遍歴はああでこうで」などと答えてくれたとして、どんな顔をすればいいのか。そもそもそれを知ってどうなるというのか。不信だの嫉妬だの、余計な負の感情を抱え込むだけに終わるような気がする。

過去がまったく気にならぬと言えば嘘になるが、たぶん世の中には知らなくて良いこともある。
私は今のクラヴィスを信じていればよい。
お前だけだと言ってくれるクラヴィスの言葉を信じればよいではないか。
「本当に、大したことではない」

優しく抱きしめられて、突然のリュミエールの訪問にこわばっていた体と心が解れるのを感じた。もう何年も寄り添ってきたかのように自然にこうしていられるのがとても不思議だった。
クラヴィスがどこでどうしてきたのか、誰とどのような付き合いをしていたのか、本当のところは何も知らない。そのくらいに疎遠でいた時間のほうが長かった。けれどもクラヴィス本人が伴侶に知っておいてもらいたいことであれば、ふさわしい時に自ら話してくれることだろう。
それと同様に、リュミエールに知られたのもその時が来たからなのだろう。知られて困ることではないのだ。ただ、少々気まずいというだけのことで。

今こうして幸せでいられるのなら、いらぬ気を回して過ぎたことをあれこれ探ったり、結婚した事実を知られるのを過剰に恐れる必要はない。自然に任せれば良いことだ。


17. くれぐれも内密に

リュミエールは闇の館で仰天情報を聞かされた翌日、朝からルヴァの執務室を訪れていた。
「ルヴァ様、あなたはご存知だったのですね」
いきなりの断定口調である。
「落ち着いてくださいリュミエール、私が何を知っていたと言うんですかー?」
青ざめて、まるで幽鬼のような様子で現れたリュミエールに、ルヴァはあわてていた。
「クラヴィス様とジュリアス様のことです」
今度はルヴァが青ざめた。こちらも一瞬のうちにすっかり幽鬼である。
「ななななななななな何の話ですかーっ!」
声がひっくり返っている。
「お二人が結婚なさったと」
「どこで聞いたんですかー!」
「昨夜クラヴィス様のお館にお伺いして、あの方の口からお聞きしました」
「ああ、そうなんですか」
少しだけ、ほっとした表情である。立ち会った自分や他の誰かから話が洩れたとかいうことになると責任を感じるが、直接の接触で結婚した本人自らばらしちゃったんなら、それはルヴァのせいではない。
「なぜ? なぜそのようなことに!?」
幽鬼はいきなり生気を取り戻して、胸倉をひっつかむ勢いでルヴァに詰め寄った。
「あああ〜リュミエール〜、落ち着いてくださいねー」
「これが落ち着いていられましょうか。そんなご様子などまったくありませんでしたのに。なぜあのお二人が」
それは私も思いましたけどね。だからって、そこまで取り乱さなくてもいいじゃありませんかー。
「とにかく座りましょう。お茶、いかがですかー。あったかいお茶をおなかに入れたら、少しは落ち着くんじゃないですか」
「はい……いただきます……」
ルヴァに詰め寄ったのが精一杯だったのか、椅子に腰かけたとたんに、リュミエールは糸の切れた操り人形のように力なくうなだれた。いつものように手伝おうという気配も見せず、ルヴァが茶の仕度をしている間も無言で座ったきり動かない。
どうしましょうねー。リュミエール、相当にショックを受けているようですねー。
でも慰めると言っても、別にリュミエールはクラヴィスの恋人だったっていうわけでもありませんしねー。
はあ〜、参っちゃいます……。

こぽこぽこぽこぽ。
何をどう話したものかと思案しながらルヴァがお茶を注いでいると、執務室の扉が開いた。
「おっはよー! 何かシャッキリしなくってさ。悪いんだけどお茶もらえないー? 濃いーの一杯お願い! ……って、リュミエールも来てたの」
「……おはようございます、オリヴィエ……」
うつろな目を上げて、リュミエールが言った。
「どーかした? あんためーっちゃ顔色悪いよ」
二人の様子をためつすがめつし、ルヴァはため息をついた。
オリヴィエまで来てしまって、ますます話がややこしくなってきましたねー。本当にどうしましょうねー。

そして。このタイミングで来合わせたという致し方ない事情から、オリヴィエにも筆頭守護聖たちの秘密を知られることとなった。もっともオリヴィエは「ふぅーん、やっぱ、そーゆーことかァ」とさして驚いた様子も見せなかったのには、むしろルヴァの方が拍子抜けしてしまった。結局のところリュミエール一人が相手であるよりも、ルヴァにとっては気が楽な展開になったかもしれなかった。
「そりゃー私だって、あの二人がいきなり結婚しちゃったってのには驚いたよ。でも最近の様子からしたら、すっごくナットク」
「はあ〜オリヴィエ、気がついてたんですかー」
「あり得ない組み合わせだってみんな思ってるからばれずに済んでるだけで、その気になって観察すればピンと来るもんがあるんだってば。うまく隠してるとは思うけど、恋する者の輝きまでは隠せない、ってね」
最初から事情を知っているルヴァには、オリヴィエが挙げるような微妙な変化を感じ取ることはできない。
「そんなもんですかねー。人って奥が深いものですねー」
「だから人間って面白いんだよ。私はもともと、ケンカするほど仲がいいってことだよなあの二人はって思ってたんだけど」
「とにかくですね、この件についてはジュリアスが公表を渋りまして。ですからくれぐれも内密に願いますよ〜。女王陛下は盛大にお祝いを、っていうお考えのようですが……でもまあ、ジュリアスの気持ちもわからないでもありませんし〜」
「だよね。あんだけ仲悪いような様子だったのがイキナリ結婚って、きまり悪くって言えなくてトーゼンじゃない? 特に、あの頭ガチガチのジュリアスだしさ」
「……あの、お二人とも。私にはまだよくわからないことがあるのですが……男性同士で結婚できるのですか?」
昨夜クラヴィスの館ではそんなことまで気が回らなかったが、考えてみれば男同士で結婚ってアリなのか、と今更のように疑問がわいたのである。
「ええ、外界の時間にしてここ数十年のことだと思いますが、主星を含めた一部の惑星で同性婚というのが認められるようになりつつあるのですよ〜。聖地内でもその法は適用されてます」
「あ、そーなの? 二人が結婚って単なる言葉のアヤじゃなくて、法的にも認められる、ちゃんとした結婚ってコト?」
「そうなんですよー、オリヴィエ。聖地で結婚しようって人は少ないですし、同性で結婚しようって人はもっと少ないでしょうから、同性婚は聖地ではジュリアスとクラヴィスが初めてのケースかもしれませんねー」
「ふぅ〜ん、ジュリアスとクラヴィスは先駆者か。ジュリアスにしたらずいぶん思い切ったコトやったもんだねェ」
感慨深げにオリヴィエは呟いた。
「まったくです〜。女王陛下の後押しもあってっていうことだったようですけど、私もびっくりしました〜」
「十中八九、クラヴィスが押し切ったってトコだろーけど。あいつって、たまーにとっぴょーしもないコトやらかすから」
「まあ何にせよ非常に特殊なことですので、ジュリアスが公表したくないと言って陛下もお認めになったので内々で処理したんです。ですからこのことはなるべく内緒のままにしておきたいんですよー。これで、ご当人たち以外でこのことを知っているのはひい、ふう、みい……五人になりましたか。あー、あとは二人の館で働く人たちも知ってるかもしれませんね」
「ねえルヴァ、あんたの言う五人って、陛下でしょ。ロザリアでしょ。あとリュミエール、私、あんた、だよね?」
「ええそうなりますねー」
「お子様たちはともかくとして、こうなるとオスカーだけカヤの外ってカワイソーなんじゃない? 何か、ジュリアスが冷たいって悩んでるみたいだったしさ。あいつだけにはこっそり耳打ちしてやってもいいかな?」
「えーと……そうですねー、私に決定権があるわけじゃありませんからねー……うーん」
ルヴァは困っている。
「だって結果的に私に教えたの、あんたってことになるよ。あと一人増えたっていいじゃん」
「私には決められませんから、あなたの判断にお任せしますよー。ってことじゃ、いけませんか?」
といった話がなされて、その後オリヴィエがオスカーにこそっと真相を教えたのだった。
オスカーの反応はどうだったかといえば、最終的には「意気消沈」。オリヴィエの言葉が信じられず、ルヴァの執務室に突撃して尋ねて「どこで聞いた話かは知りませんけど、それは事実ですよ〜」と断言され、その場に居合わせたリュミエールからくすっと笑われていたく傷ついたことを付け加えておく。
リュミエールのその笑いは同病相哀れむという心境から来たものであって、決してオスカーを嘲ってのものではなかったということも、水の守護聖の名誉のために付記しておく。


18. Happily ever after

噂というものは広がるものだ。知る者はごく少数であったはずのことが、いつの間にか誰もが知っている、ということになる。
ジュリアスとクラヴィスの結婚という秘密もその道をたどった。鉄壁の守りを誇る守護聖の館の使用人たちに罪はない。中堅以上の守護聖たちも自分たちだけの胸に納めた。それではその噂の大元はどこであったのか。二人のことが気になって仕方がない女王陛下が非公式にぽろっと洩らした、というのが出所であることはほぼ確実だった。
出所がどこであれこんな超弩級の面白い話が広まらないはずがない。年少の守護聖を含め、信じる信じないはともかく聖地中の誰もが一度はその噂を耳にしたことがあるというほどに広まってしまった。
いわゆる公然の秘密というやつである。今や聖地中が知っている。けれども表向きその件を口にする者はない。

こうしてクラヴィスとジュリアスは正式に婚姻関係にあるカップルとなり、女王陛下を始めとして聖地中に公認、というか黙認され、新婚生活を楽しんでいる。
ちなみに、誰とは言わないがどちらが夫でどちらが妻かを尋ねたオモシロ大好きな守護聖の誰やらに、クラヴィスは「本当に…知りたいのか…?」と流し目で答え、「この件でジュリアスを悩ませるようなことがあれば…わかっているな」と脅迫めいたことまで言って黙らせたのだとか。「つまんないこと聞いてゴメン」とあっさり引き下がった某守護聖だったが、このやりとりがあった直後に、なぜかはいていた靴のヒールが突然折れて転倒し、美しく彩色した爪が欠けるという災難に見舞われた。

闇の守護聖が特殊な能力を持っていると言っても念によってものを壊せるわけではない。このタイミングでヒールが折れたのは、本当に単なる偶然に過ぎなかった。が、この件もまた野火のように広まって「筆頭守護聖の結婚の件でうかつなことを言ったりしたりすると闇の守護聖に呪われる」というまことしやかな伝説となって聖地に根づいた。この伝説にはその他にもいろいろ尾ひれがついて、もともと根も葉もない噂であるはずの「闇の守護聖の呪い」は不動のものとなった。
伝説の存在があってのことか、それとは関係なく執務室で忙しく仕事をする首座に下世話な話を振る勇気のある者がなかっただけなのか、とにかくジュリアスの周囲は平穏そのものである。新女王陛下のおかげで平和を享受する日々だが、なんと言っても宇宙は広い。首座の仕事量は減りはしたものの毎日そこそこといった程度には忙しかった。「クラヴィスとの結婚が人に知られたらどのような騒ぎが起こるかと心配したが、何とか隠しおおせているのか変化はないようだ」と首座は胸をなでおろし、仕事も私生活も充実して幸せいっぱいの新生活を送っていた。彼の知らないところでは二人に関するさまざまな噂が蔓延していたが、知らぬが仏。聞こえなければそんな話はないのと同じだ。
実際の話、ジュリアスが聞いたら卒倒するかどこかに雲隠れするは必至というような、家庭における二人の役割分担に関する憶測なんかもそちこちでされている。普段の仕事ぶりやら言動からして、ジュリアスが夫でクラヴィスが妻であるに違いないというのが大方の見方だった。そんな噂は、幸いなことに彼の耳には届かない。
そしてそういう憶測が乱れ飛ぶのをどこからともなく聞き知って、暗い執務室の中でほくそ笑む男が一人。

成り行きに任せた部分も多かったとは言え、結果的にすべては私の思い描いた通りに運んだ。いやそれ以上と言えようか…。
首座としてのジュリアスはほぼ完璧と言えるが、それ以外の面で問題がないわけではない。足りぬところもある。有体に言っていささか世間知に欠ける。
日頃の生活は自邸と宮殿を往復するのみ、外出と言えば研究院、図書館、美術館、休日には乗馬を楽しむ、そんな繰り返しをしていれば、妙な女と係わり合いになる可能性は低い。だからと言って安心はできぬ。何しろジュリアスは美しい。どこの女に色目を使われるかと気が気ではなかった。それがとんでもない悪女であっても、押されたらその相手のなすがままになるのではないかと心配だった。お前だけをずっと見てきた私の目の前で誰かと恋に落ちる様を見せつけられるのは耐え難い。そんな事態を見ることなく結婚できたのは幸いだった。こうなってしまえば、足りぬ部分さえも私にとって好ましい以外の何物でもない。本当に天の御使いなのではないかと疑いたくなるほどの純な心を目の当たりにして、日毎お前への愛は深まる。

公表はしないままだが既婚だという噂が広がって、他の誰かに手を出されるのではないかという懸念も格段に減った。ついでに闇の守護聖の呪いなどという妙なおまけまでついたおかげで、ジュリアスに余計なことを言う者も皆無だ。私邸で私と過ごす時間が増えたことを除けば、ジュリアスの行動範囲内では何も変化はない。お前はくだらぬ噂などに煩わされることなく、これまで通り首座の務めを果たせ。ただし仕事は早く切り上げてもらわねば困るが…。
私が皆からどう思われているかなど、どうでもよいことだ。ジュリアスが「男」で私が「女」なのだと思いたい奴は勝手にそう思え。一向に気にならぬ。むしろそう思われている方がありがたいくらいだ。…フッ…せいぜい私の喘ぎ声でも想像しているがいい。これが逆であれば、私の腕の中でジュリアスがどれほど艶っぽい表情を見せるのかなどと想像されるは必定、そう思うだけで何やら腹が立つからな。皆、ジュリアスが私のものであるとだけ知っておればよいのだ。
たとえ閨での関係がどうあれジュリアスはジュリアスだ。果断にして冷静沈着な守護聖の長だ。他の連中に拝ませてやるのはその顔だけでよい。その他のすべては私だけのものだ。
あれがどれほど素晴らしい伴侶であるかは、私が一番良く知っている。





■BLUE ROSE■