切情の行末


「ふー…」
 弁護人控室で成歩堂龍一は息を吐いた。
 「まずまずの結果だな」

 神乃木荘龍の判決が下ったのは、事件の起きた頃のように寒い日だった。


 最後の最後でわかりあえたゴドーを、このままにしておけなくて。
 半ば強引に弁護を申し出た。

 自分の人生においての役目は終わったのだと、うそぶくゴドーを説得し続けて、今日の執行猶予付きの判決をもぎ取るまでに至った。



 自分で決めた人生の幕引きを思わぬ人物に阻止された事にゴドーは最初こそ戸惑ったが、弁護士としての経歴に傷が付く事を承知で必死に弁護してくれた成歩堂に全幅の信頼を寄せるようになるのに、そう時間はかからなかった。

 そしてその信頼がやがて違う感情へと移ろっていったのもごくごく当たり前の事だったのかも知れないと、ゴドーにはそう思えた。


*****


 「…今、何て云いました?」
 成歩堂法律事務所の所長室にて。
 成歩堂は思わず聞き返した。
 勿論、言葉が聞き取れなかった訳ではない。
 云われた台詞が信じられなかったからだ。

 「クッ…!オレはアンタが好きだと云ったんだぜ?」
 ゴドーは何でもない事のようにさらりと同じ台詞をもう一度云った。

 「…えーと、あのー」
 冷や汗を流しながら成歩堂はそれでも職業柄、冷静に物事を把握しようと試みる。

 「云っておくが『Like』ではなく『Love』の方だぜ?」
 「…はあ、そうですか…」

 当初は自分の事を憎んでさえいたゴドーからの突然の告白であったが、これが嘘や冗談ではない事が成歩堂には判った。

 (…本気…だよな)
 「本気に決まってるだろう?伊達や酔狂で男を口説く程、オレだって暇じゃあない」
 「心を読まないでくださいよ!…って、え?口説く?」
 掛け合い漫才のような言葉の応酬の中に、物凄く違和感のある単語に気付いて成歩堂は繰り返す。

 「惚れた相手には誠心誠意を尽くして口説く!…それがオレのルールだぜ!」
 「いやいやいや!ぼくの気持ちは無視ですか!?」
 好意を寄せられるのは男からでも女からでも単純に嬉しいが、あまりにも唐突すぎる。


 「絶対に振り向かせてみせるぜ、コネコちゃん?」

 ゴドーは妖艶に笑うと成歩堂の頬にちゅっ、と派手な音をたてて、くちづけを落とした。

 「な!?」
 咄嗟に成歩堂はくちづけされた頬をおさえる。
 「クッ…!また来るぜ?」

 初な反応をゴドーは唇の端で小さく笑うと、そのまま所長室を出ていってしまう。


 「…なんなんだよ…」

 所長室の主は頬をおさえたまま、脱力してその場に座り込んでしまった。


*****


 「ふー、ただいまー」
 「お帰りなさい、なるほどくん」
 審議を終えて事務所に戻ってきた成歩堂の耳に可愛いらしい声が響く。
 「あ、真宵ちゃん。ただい!?」
 ただいま、と云いかけて開いた口は驚きのあまり「い」の形で止まってしまった。

 そこに居たのは真宵ではなくゴドーだったからだ。
 「…久しぶりに聞きましたよ、その声帯模写」
 成歩堂は先刻より三割増し程疲れた顔で云った。
 「クッ…!嬢ちゃんならオレがかわりに留守番すると云ったら喜々として帰ったぜ?」
 「…あなただってそんなに暇な訳じゃないでしょう?」
 少し呆れた口調になってしまうのは仕方のない事だろう。

 何せゴドーは初めて想いを口にした時からこっち、度々事務所を訪れては愛を囁いているのだ。

 「最初に云った筈だぜ?誠心誠意を尽くして口説く、と」
 「…ええ」
 距離を縮められて成歩堂は思わず後ずさる。
 「クッ…!そんなに怯えないでくれよ」
 「お、怯えてなんか…!」
 その声があまりにも切なくきこえたので成歩堂は戸惑う。
 実際怯えている訳ではない。
 まして嫌な訳でもないのだ。

 そう思い至って成歩堂は、はっとする。
 (嫌じゃ…ない?)

 自分の本当の気持ちは、決して嫌がっている訳ではない。理性だとか世間体が気になっているだけであって、そもそもゴドーの事を憎からず思っているからこそあれだけ必死に弁護したのではないか?

 そこまでを一気に考えてしまうのと同時に、成歩堂の頬も一気に朱く染まった。

 (う、うわあ!どうしよう)  取り敢えずゴドーの眼が赤を認識しない事に心から感謝してしまった。
 人の不幸を喜ぶ訳では勿論ないけれど、今の頬が真っ赤な状態をゴドーにみられてしまっては確実につけこまれてなし崩しにされてしまう。

 それが勿体ないと思ってしまった時点で、もうゴドーの手中に堕ちてしまったも同然だと成歩堂は思った。


 (…久し振りの感覚、だな)

 成歩堂も、もはや気が付いてしまったのだ。
 自分もゴドーに惹かれている事に。

 けれど、すぐに認めてしまうのが惜しいと思った。
 折角、『恋をしている』と自覚したのだ。焦らすつもりなどはないが、どうせならば堪能したい。

 だがしかし。

 そんな心情の変化に、ゴドーが気付かない筈もなく。
 自信ありげにニヤリと笑うとおもむろに成歩堂の腕を掴んで引き寄せた。

 「なっ!?」
 バランスを崩した成歩堂は、そのままゴドーの胸に倒れ込む。

 ほのかに薫る品の良いコロンがコーヒーと混ざり、成歩堂の思考回路を麻痺させる。

 少し身を離したゴドーが親指で成歩堂の唇を軽くなぞる。

 予感はした。

 けれど成歩堂が逃げる事はなかった。

 ゆっくりと近付いてくるゴドーの端正な顔。
 それにあわせるように成歩堂もゆっくりと瞳を閉じる。

 啄むような甘いくちづけ。
 唇に頬に顎に繰り返し優しくくちづけられて、成歩堂はうっとりとした顔で息を吐いた。

 途端。

 「ふっ…!」

 背中がしなる程きつく抱きしめて、ひらいた成歩堂の唇にゴドーは己の舌を捩込む。

 歯列を割って侵入してきた熱い舌が我が物顔で口腔を蹂躙する。
 上顎を舌先でつつかれて往復される微妙な感覚に成歩堂は甘い吐息を漏らした。

 口の端から零れる滴をくちゅくちゅと吸う淫猥な水音に成歩堂はクラクラしてしまう。

 こんな濃厚なくちづけを交わしたのは生まれて初めてだった。

 「クッ!ネンネなコネコちゃん。…これが大人のキスってモンさ」
 恍惚とした表情の成歩堂にゴドーは余裕の笑みを浮かべる。

 まだ荒い息を吐いている成歩堂の耳元でゴドーは呪文をかけるように甘く囁く。

 「オレの事が好きだろう?」
 認めてしまえ、とニヤニヤ笑うゴドーに成歩堂は潤んだ眼差しを向けて小さく呟く。

 「…好き…です…」
 
 簡単に云ってしまうのがなんだか悔しくて、もう少しだけ焦らしていたかったけど。
 ゴドーの云う通り、認めてしまえばそれは甘い痺れとなって成歩堂の心を優しく苛む。

 「一生、大事にするぜ?」
 聞いた事のない程に真面目な声で告げられて。
 霞む意識の中で成歩堂は『本当に誠実に口説いてきたな』と、ゴドーの言葉を思い出して小さく笑う。
 だが、次の瞬間、成歩堂は前言撤回するはめになった。
 所長室のソファーに問答無用で押し倒されたからだ。

 「わあっ!ゴドーさんっ!イキナリですか!?」
 不埒な指が、あっという間に成歩堂のネクタイを解いてくつろげた首筋を撫で上げる。

 「折角、両想いになれたんだぜ?魅惑のアロマを堪能させてくれ」
 持って回った云い方をしながらゴドーは成歩堂の下肢をスラックスの上から円を描くようになぞる。

 「はっ…!だからっ、て…っ!こんなっ…」
 もどかしい刺激に成歩堂の腰が無意識に揺らめく。
 
 性急すぎる求めかたや場所に対しては抗議したい気持ちはあるらしいが、肝心の行為自体を嫌がっている訳ではない事にゴドーは気付いた。

 「……手順を踏めばいいのかい、コネコちゃん?」
 からかうように云われて成歩堂の頬が朱く染まる。
 女の子じゃあるまいし、そんな事を望んでいるのではない。

 ただ、急すぎる展開についていけていないだけなのだ。

 正直にゴドーにそれを告げるとゴドーは微笑んで、これ以上ないくらい優しく成歩堂を抱きしめた。

 「ご、ゴドーさん?」
 「…すまねぇ。オレとした事が急ぎすぎた」
 見た目より柔らかい成歩堂の髪を撫でながらゴドーは苦笑する。

 「アンタもオレに好意を持ってくれるようになったんだと思ったら、今度は失いたくない気持ちが膨らんだ」

 なんとしてでも繋ぎ留めておきたい。
 自分だけしかみえなくなればいい。

 そんな想いが渦巻いてしまい正直、焦ったのだ。

 「…好きだと…もう一度云ってください…」
 そんな本音をきかせてくれたゴドーに、成歩堂は柔らかく微笑んで可愛くねだる。
 「好きだ」
 請われるままにゴドーは囁く。
 「もっと」
 「好きだ」
 
 「…ひとつだけ訊いてもいいですか?」

 唐突に成歩堂は口をひらいた。 

 「なんだい?」
 じゃれあうような、ゴッコのような告白をしていた甘い雰囲気を破るような、真剣な声にゴドーは背筋を正す。


 「ゴドーさんはなんで『ぼく』を選んだんですか?たまたま傍に居たから?」
 
 通常の恋愛なら、訊いてはいけない質問なのかも知れない。むしろ訊く必要などないものなのだろう。
 けれど自分達は通常が適用しない。男同士だしまして憎まれてさえいたのだ。


 「…あの頃のオレに救いの手を差し延べてくれたアンタに特別な感情を抱いたのは事実だ。だがだからといってそれだけで野郎を好きになんかならないぜ?」
 言葉を濁す事なく語るゴドー。
 「じゃあ、何故?」
 成歩堂は、はっきりさせたかった。自分の中に面影を探されるのも嫌だし、他の感情を愛情と混合されるのも嫌だったからだ。

 ゴドーの返答いかんでは成歩堂とてゴドーとの関係を考え直さなければならない。
 勘違いしたままの『好き』ではいつか傷つく日が来てしまうから。


 「――オレはアンタを倖せにする事はできねぇかも知れねぇ。だがアンタと一緒にいられればオレは倖せになれると思ったんだ」

 思ってもみなかったゴドーの言葉に成歩堂は思わず笑ってしまった。

 「ゴドーさんらしいですね」

 これが、『オレがアンタを倖せにしてやる』なんて偽善めいた嘘くさい台詞を云われていたら成歩堂もゴドーの告白を信じなかったかも知れない。

 だけどゴドーは自分が倖せになる為に成歩堂を選んだのだ。

 「…参りました、ゴドーさん」

 ずいぶん高く評価されたものだな、と成歩堂は嬉しそうに微笑んでゴドーに抱き着く。

 「コネコちゃん?」
 「…倖せになりましょう?…一緒に」

 ふてぶてしく笑う成歩堂にゴドーは極上の笑みを浮かべてくちづける。

 「期待してるぜ、コネコちゃん」

 深くなるくちづけに成歩堂はゴドーの背中に、きゅっと指をたてる。
 それが合図だというようにゴドーは再び成歩堂の躯をまさぐりはじめた。

 首筋にゴドーの唇を感じて成歩堂は小さく震える。
 肌の匂いを嗅ぐように肩口に顔をうずめるゴドーの頭を柔らかく抱きしめると噛み付く勢いでくちづけられて。
 「ふっ…!」
 甘い声が零れた。

 「いい声だ、成歩堂…」
 きちんと名前を呼ぶゴドーの誠実さに成歩堂は身を任せる。
 互いに失ったモノがあるからこそ、今自分達はこうして想いを重ねあっているのだと成歩堂は思ったから。


 「…愛してる、なんて恰好よくて陳腐な台詞はオレには云えねぇ」

 素肌をも重ね合わせた時、ゴドーはふいに呟いた。

 「そんな言葉なんざなんの意味もねぇ。だから成歩堂…」
 「んっ…はい…?」
 刺し貫かれた状態でゴドーが寂しげに笑う。

 「…オレが事切れるその刻まで…ただ傍に居てくれ…」
 「んっ…!あぁっ…!」
 まるで返事をさせないかのようにゴドーは成歩堂の躯を激しく揺さ振る。

 白濁を迸らせ、意識を手放す瞬間。
 成歩堂は鮮やかに微笑んだ。

 統べてを包み込むような慈悲深いその微笑みにゴドーは。
 
 静かに涙を流した―――




ストーカー第三……キリがないので、もうやめます(汗)。『奇蹟』さまのアンソロジー企画に参加したくて、慌ててサイトをでっち上げた管理人です。