三つ巴の遁走曲






「あの男は危険なのだ!」
そう言い放つと、御剣はぐいと成歩堂の腕を取った。
そのまま引き寄せられて 椅子から立ち上がらせられ、所長室の外まで引き摺られそうになる。

「ちょっと待てよ、御剣!」
「さっきから何の話だかさっぱり判らないんだけど!!」
成歩堂は腹立たしげに叫ぶと、掴まれていた腕をもぎ放した。

「いきなり研修先から帰ってきたと思ったら」
「『貴様を此処に置いておく訳にはいかん』って」
「そりゃ一体どんな冗談だよ!?」
人差し指を突きつける見慣れたポーズに御剣が少しばかり愁眉を開く。

「例の仮面の元検事を」
「キミのところで雇ったと言っていたろう?」 低い声で話し始める御剣。

「ああ、ゴドーさんね」
「確かに今 事務所を手伝ってもらってるけど」
「『危険な男』って、まさかゴドーさんのことなのか?」
意外な展開に元から丸い成歩堂の瞳が更に大きく丸くなる。

「その通りだ」
仏頂面の親友に厳かに頷かれて、成歩堂は一転 険悪な表情になった。

「おまえが」
「あのヒトをそんな風に言うとは思わなかった」
「見損なったぞ、御剣」
握った拳がふるふると震えている。

「確かにあのヒトは執行猶予中の身の上だけど」
「もともと本人が好きこのんで犯罪に手を染めたわけじゃない」
「自分の身も顧みず真宵ちゃんを助けてくれたんだ」
「‥‥‥‥それを、そんな風に言うなんて!」

「ちょっと待て、成歩堂」
「私が彼を危険だと言ったのはそういう意味ではない」
憤懣やるかたなしといった調子で矢継ぎ早に批難されて、御剣が慌てて釈明する。

「じゃあ、どういう意味なんだよ?」
胸元に人差し指を突きつけられて、低い姿勢から見上げられて
一瞬、言葉に詰まる御剣だが、ひとつ咳払いをしてからクチを開く。

「この写真を見たまえ」
御剣が懐から数葉の写真を取り出した。
「これも! これも! これもこれもこれも!!!」
「奴の視線の先には常に貴様がいるのだぞ! 成歩堂!!」
「コレが『危険な男』でなくて何だと言うのだ!?」
力説されて青い弁護士がため息をつく。

「こんなもんいつの間に撮ったんだよ;」
差し出された写真は、事務所内のゴドーを隠し撮りしたものだった。

指摘の通り、映っている姿はどれも 確かに成歩堂の方を盗み見ているように見える。
コーヒーを飲むゴドー、書類を捲るゴドー、新聞を読むゴドー、パソコンを操作するゴドー。
大きなマスク越しで判りづらいが、みな不自然に成歩堂の様子をうかがっている。
そんなゴドーの写真を一度に何枚も突きつけられると、確かに奇妙な光景に見えなくもない。



が。
成歩堂はゴドーの雇い主なのだ。
ボスの動向に助手が注意を払うのは当然といえば当然だ。
常識の範囲を逸脱しているとは言えない。

という事は
この際、問題とすべきポイントは其処ではない。




「おまえ」
「僕の事務所を監視してたのかよ!?」

手渡された写真を腹立たしげに叩き返すと
カモメ眉を吊り上げて睨みつけてくる親友に 一瞬怯む赤い検事。

「恋人の職場に新しい男が入ると聞いて、平静でいられる男がいるものか!」
一転開き直ると、元から分厚い胸を張りヒラヒラを誇示する相手に成歩堂も反駁する。
「『新しい男』って、誤解を生むような表現をやめろ///!!!!!」
どこかしら的が外れているが。




「それに」
「言っとくけど」
「僕はおまえの恋人なんかじゃないぞ」
子どもっぽく口を尖らせて、否定する恋人(あくまでも御剣視点)。

「あのときは」
「なんだかんだで一方的に押し切られたけど」
「別におまえに恋してる訳じゃないし」
「僕はちゃんと女の子が好きなんだからな!」
赤くなってぷいとそっぽを向く恋人(あくまでも御剣視点)が可愛らしくて
御剣は内心でれんと鼻の下を伸ばし、抱きしめたい衝動に駆られる。




「往生際の悪い」
「まだそんなことを言っているのか」
基本的にSの御剣としては必死になる顔が見たくて
意地っ張りな恋人(あくまでも御剣視点)を追い詰めてやりたくなる。

「いくらキミが」

「非力で、格闘技の心得もない軟弱者だからと言っても」
「私と遜色ない体格をした大のオトナではないか」
「私がキライなら本気で抵抗すれば良い」
「そのくらいのことは可能だろう」

図星を指されたように、成歩堂の眉が曇る。
聞き捨てならない酷評にツッコミの一つも入れて来ない。




「ソレをしないのは」
御剣が自信に満ちた笑みを湛えて言い募った。


「キミが」
「私を好いているからだ。」
成歩堂との70cmの距離を一息で詰め、耳元で囁く。




ふくれ面の成歩堂は顔をそむけたまま
御剣のアゴを捕えると片腕のリーチを目一杯使って元の場所へと押しやった。

「そんなこと判ってるさ」
御剣の目をまっすぐ覗き込んで答える。
思いがけぬ告白に赤い検事の胸は大きく高鳴ったが

「僕がおまえを好きなことくらい」
「小学4年のあの夏から判りきってるだろ」
相手の言う『好き』は、御剣の思う『好き』とは似て非なるものだ。


「でも」

「だからって」
「おまえと恋人同士になりたいかって訊かれたら」
成歩堂の瞳が揺らいで、ふいと逸らされた。
「YESとは答えられない」
消え入りそうな語尾。



言い終えてキュッと結ばれた唇に
吸い付いて思うさま貪りたい、そんな衝動と戦いながら
どうやって言質を取ってやろうか…と御剣が考えをめぐらせたとき。




「それならまだ」
「俺にもチャンスはあるって事だな」
扉の向こう側から『第三の男』の声が響いた。

「誰だッ!?」

鋭い誰何の声と共に
控え室へと繋がるドアを勢い良く開けたのは
事務所の主である成歩堂ではなく、客であるはずの御剣だ。



「俺さ‥‥もちろん」

ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま
ニヤリと笑って 答えたのは、案の定と言うべきか
先ほどの話題の主・仮面の元検事ゴドーこと、神乃木荘龍その人。

「‥‥この展開で」
「満を持して登場するキャラクターと言えば」
「この俺以外考えられねぇだろ」
そんなことを嘯きながら、涼しい顔で 灯りの中へと歩み入って来る。



「‥‥やっぱり」
成歩堂は深いため息をつくと、掌で目許を覆った。


「この」
「ヒラヒラの坊ちゃんが」
ゴドーはつかつかと御剣に歩み寄ると
彼の胸ポケットから盗撮写真を勝手に抜き出した。

「俺を見張らせてたのには」
「とうに気づいてたさ」
言いながら、写真を重ねたままビリビリと破り捨ててしまう。


「あっ、あっ、あっ」
床に舞い散る紙ふぶきに
焦った顔をしたのは成歩堂の側で、当の御剣は澄ましたものだ。

「おまけに」
「こんなモンまで」

ゴドーが
棚に置かれた寒暖計のパネルを開くと
中から怪しげな黒いユニットが転がり出た。
そいつをひょいと胸元に放られて、成歩堂が目を白黒させる。


「お蔭でよ〜く聞こえたぜ」
仮面の男が取り出したのは
一見すると只のトランジスタラジオだが。

「コレ、何なんですか?」
手の中の不思議なパーツを検めながら問うと
成歩堂の声が、ゴドーの示したラジオからも聞こえてくる。



「まさか、コレって…」
ゴドーに問いながら、御剣を横目で見遣る成歩堂。

「そのまさかさ」
「いわゆる盗聴器ってヤツだ」
涼しい声でいらえが返る。




「おまえってヤツは…」
怒りに肩を震わせながら、成歩堂が御剣を睨みつける。
「検事のクセに何処までもサイテーだな!!!!!」
「ヒトを押し倒して好き勝手した上、盗撮はする、盗聴はする…」
「いったい、僕の人権をなんだと思ってるんだ!?」

盗聴器のユニットを床に投げつけてニジニジと踏み躙る成歩堂。
さすがの御剣も肩を落として、神妙な表情を浮かべている。

「私はキミが好きなのだ」
「そのキミの職場にこんな間男が入り込んで」
「大切なキミにどんな無体を働くか知れぬと思うと」
「‥‥居ても立ってもいられなかったのだ」
いつもは居丈高な赤い検事らしくもない、悄気きった声だ。


「だからって」
成歩堂が言い返そうとしたとき、不意にゴドーが割って入った。
「あんた 今、間男って言ったかい? ヒラヒラの坊ちゃん」

長い前髪の下から凄まじい敵意が向けられるが
もちろん、この仮面の男に対しては何のプレッシャーにもならない。

「知ってると思うが、俺はこの事務所の正式な従業員なんだぜ」
「…だよな? 所長さんよ」
ゴドーが成歩堂にアゴをしゃくる。


「あ、はい!」
「そうですね」

突然のご指名に泡を食って
生放送番組の観覧客のような調子ハズレな応えを返す成歩堂だが
仮面の元検事は特に気に止める様子もなく更に言い募る。



「要するに」
「まるほどうと俺とは」
「正式な契りを交わした間柄だって事だ」

「ソレに対して」

「あんたはこの事務所に所属してもいない単なる他所者で」
「しかもウチの所長と俺の職場に数々の不法行為を働いた破廉恥漢だ」
「間男と呼ぶにふさわしいのはあんたの方だろうぜ」


「此処までで何か異議があるかい?」
ビシッと人差し指を突きつけられて御剣が白目を剥く。

(正式な契りって何なんだよ!?との成歩堂のツッコミは)
(二人ともから華麗にスルーされてしまった)




うぐぐぐぐと歯噛みしながら
噛み締めた歯の間から怨めしげな声を絞り出す御剣。

「成歩堂と私は幼馴染で親友だ」
「貴様などよりはるかに親しい関係なのだ」

「さらに成歩堂が指摘した三つの行為についてだが」
「想定される罪状ではいずれも親告罪に当たると考えられ」
「成歩堂自身の告発なしに罪に問われるとは考えにくい」

「いずれにしろ」
「成歩堂と私の間の問題だ」
「彼が私の気持ちを受け容れてくれさえすれば、万事解決なのだ」
「貴様がしゃしゃり出てくる必要など何処にもないのだよ、神乃木荘龍」

ぬけぬけと言い張るのに
呆れかえって絶句する成歩堂と鼻で笑うゴドー。



「はるかに親しいと思ってるのは」
「ホントはあんた一人かもしれないぜ」
「実際、ウチの所長はずい分迷惑そうだしな」

「愛想をつかされて訴えられる前に」
「研修先とやらに逃げ帰った方が良いんじゃねえのかい?」
ニヤニヤ笑いながら冷やかされて、御剣の顔色が変わる。




「それは本当か? 成歩堂!」
「私のことなど何とも思っていないのか?」

日ごろ高飛車なこの友人に
取り縋るような調子で問われ、哀れっぽい目で見つめられると
気の好い成歩堂としては肯定も否定も出来ず、つい目を逸らしてしまう。

「それについては」
「もう さっき、答えた」
視線を合わさずにボソッと呟けば。

一連の遣り取りを反芻しなおした御剣が
該当部分を脳内で再生したらしく、やや落ち着きを取り戻す。



「キミが私を好きなことくらい」
「幼い頃から判りきっているだろう、と」
「そうキミの口から聞かせてもらっただけでも、ずい分な前進だ」

珍しく凹んだ後だからか
あの御剣が照れたように満足げな表情を浮かべている。
が、次の瞬間。

それはすぐさま意地悪そうな表情に取って代わられて。
ゴドーのほうへと向けられた。




「そういう貴様はどうなのだ? 神乃木荘龍」
「成歩堂と貴様の間にどのように確かな信頼関係があるのか」
「詳しく教えてもらおうか」 すっかりいつもの御剣、復活だ。

(あの〜、僕もう帰ってもいいかな?との)
(成歩堂からの問いはまたしても華麗にスルーされた)




「くっ」
「俺はこの事務所の従業員なんだぜ」
「しかもこのコネコちゃんに直々に請われて雇われた身だ」
「これ以上確かな間柄があるって言うのかい?」

「俺がこのコネコを逆恨みしてた事は否定しねえ」
「その頃の自分を恥じ入る気持ちも 詫びてえ気持ちもあるさ」

「だがな」

「まるほどうは」
「そんな俺を丸ごと受け容れて、此処に誘ってくれた」
「途方もなく懐の広い信頼できるボスだぜ」
「信頼を通り越して『愛してる』って叫んでやりてえくらいさ」
「あんたと同じでな」

(コネコっていったい誰のことですか!?とか)
(ちょっと今の部分、聞き捨てならないんですが!といった)
(成歩堂の突っ込みは例によって例のごとく華麗にスルーされた)

「それに」
「俺はコネコの師匠の先輩だ」
「弁護の経験にかけちゃ、雇い主より豊富なモンがある」

「簡単に放り出すには勿体ねえ逸材だろ?」

「そもそも」
「海外で研修中のあんたと此処に勤める俺とじゃ」
「どっちが近しいかなんざ今さら考えるまでもねぇよな」
「だからこそ、こそこそと小賢しい悪あがきをしてたんだろ?」
「‥‥‥‥ヒラヒラの検事さんよ」


「コネコの事なら」
「メシの種からシモの世話まで俺がきっちりメンドウ見てやるから」
「あんたは安心して何年でも修行に励んで来な」

皮肉な笑みを浮かべて、嬉々として恋敵をやり込めるゴドー。
何の実績もないのに「最強の検事」を名乗った自信家だけのことはある。
一方、旗色悪しと悟った御剣も最後の反撃に出る。


「ナニを言うか」
「後から来た貴様になど渡すものか!」
「成歩堂は既に私のものなのだ!!!」
「その証拠に、」
その瞬間。御剣の脳天に、必殺・六法全書クラッシュが炸裂した。
床にずるずるとへたり込み、やがて崩れ落ちる赤い検事。


その背後に
真っ黒なオーラを漲らせて佇むコネコが
にっこり笑ってゴドーを見つめた。



「ゴドーさんは」
「角と背とどっちが好きですか?」
花が咲き零れるような微笑と共にそう尋ねられ
「どっちも勘弁してくれ」と、辛うじて返事を搾り出すと

「じゃあ、僕帰りますから」
「コレ、始末しておいてくださいね」
人事不省の赤い検事を無慈悲にも靴の先で示して
甘えるような声音で『お願い』する背後に飛び交う蝶が見えるような気がする。




くるりと回れ右をして去ってゆく青い背中を見届けると
胸いっぱいに溜まっていた息を吐き出して、赤い塊の傍らに蹲る。
ぽっかり空いたブラックホールのような問答無用の暗黒に打ちのめされたばかりの膝が
かたかたと震えて止まらず、『未知との遭遇』の衝撃の大きさを物語っている。





あの女の弟子だからなのか
それともあっちの女に影響されてるのか
御しやすいコネコだと見くびっていたら「実は恐ろしい化け猫でした」ってか?
不吉な予感にぶるぶるっと身震いをして、ゴドーは煙草に火をつけた。




(あんたと俺は)
(可愛いコネコを争ってたんじゃなくて)
(実際はとんでもない化け猫に)
(魅入られ、執り憑かれちまったのかもしれねえぜ)

白目を剥いたままの御剣にちらりと目を遣ったゴドーは
膝の上に頬杖を突いた姿勢で深く深く紫煙を吸い込んでから、長々と口から煙を吐き出した。






どこかで女神が笑っている気がした。






うおぉぉ〜、ツボすぎます! 黒ナルと、ヘタレ変態Sミツと、とんびゴドさん。この三点が揃ったら、後は悶えるしかない…。前作にあたる暴走ミツのお話と、続きになる口説きモードゴドさんのお話が、さるのすけさまの素敵サイトに掲載されていますので、今すぐ行きましょう!