silenzio

(今年も、あと少しで終わりか)

書類を片づける手を止め、成歩堂は感慨に耽る。
一見、散らかしているように見えるが。これでも成歩堂なりの片づけ方なのだ。
一度、全部の書類を棚から出し整理してから戻す。
なんとも、非効率的な手法なのだが。それを止めるものは此処にはいない。

(ゴドーさんに手伝って貰おうと、思ってたんだけど)

トントン、と書類を揃え溜め息を吐く。
初めてからまだ30分も経っていないというのに、成歩堂の集中力は既に切れ掛けていた。
隙あらば休もうと、脳は指令を出している。後は、それに従うだけなのだが―――。

『ちょいと用事があって出てくるが、その間にさぼっていたらペナルティを食らわすぜ?』

そう素敵な笑顔と共に、ゴドーが言い残していったのだ。
これで帰ってきた時、ソファで惰眠を貪っていたらどんな目に遭わされるか。
考えただけでも、顔色がビリジアンになる。
ぶるりと、己の想像に震え作業を再開した。

師走に入り、何かと慌ただしい成歩堂法律事務所なのだが。
それ以上に忙しいのは、二つの事務所を掛け持ちしているゴドーで。
よくあれで倒れないものだと、感心するほどの過密スケジュール。
『こちらは大丈夫ですから、星影先生の方に専念して下さい』一度ならずそう頼んだのだが。
その度に『オレが好きでやってるんだ、アンタが気にすることはねえよ』と言われ。
仕舞には『それとも何かい?オレがいたら迷惑だとでも、言いたいのか』と逆ギレされる始末。
『そんなつもりで言ったんじゃないです。唯、ゴドーさんの身体が心配で・・・』
慌てて言葉を重ね、なんとか許して貰ったというおまけつき。
多分、ゴドーは分かって言っているのだ。
その証拠に口ではそういいながらも顔は怒っていない。
むしろニヤニヤと、面白がっている風に見える。

(揶揄って遊んでるんだ―――僕で)

最近分かったことだが、どうやらゴドーは悪戯好きらしい。
事あるごとに、何か仕掛けてきて。こちらの驚く顔を観て、悦に入っている。

(悪趣味だよな)

一度、ゴドーの驚く顔を見てみたいのだが。
何しろ隠し事の出来ない体質、すぐにバレてしまう。
それにゴドーを驚かすような、いいネタもない。

「仕方ない、真面目に片付けをするか」
「何が"仕方ない"んだい?コネコちゃん」
「ゴ、ゴドーさんっ」
「クッ、何か悪巧みでも考えてたな?」
「違います!いえ、何も考えてませんから」

独り言のつもりが、返事があって。
それも今、考えていた人物――ゴドーだった事に、成歩堂は心臓が飛び出そうなほど驚いた。
思わず声が裏返ってしまったのだが、それは些細な事。
それより、なんだか質の悪い笑みを浮かべている相手を、どうやって躱すかが問題だ。

「お疲れさまでした、ゴドーさん。今、珈琲淹れますから座って待ってて下さい」

そう言って、そそくさと給湯室へ逃げ込む算段をしたのだが。
やはりゴドーの方が一枚上手だった。

「クッ、そう急ぐ必要はねえよ。向こうでたっぷり飲んできたからな」
ここでは、所長さんの話を聞くことに時間を充てるさ。
「いや、僕の淹れた珈琲も是非!飲んで下さい」
「座れ」
「――――はい」

どうやってもゴドーには抗えないのか。たった一言で動きを止められてしまった。
細胞に何か組み込まれているかのように、効果は覿面だ。
ゴドーの横に腰を下ろし、少しばかり縮こまって言葉を待つ。
尋問される犯人のようで、居心地はあまりよくないのだが、こちらから問うことはしない。
藪蛇になること間違いなしだからだ。しかし、待てど暮らせどゴドーからは何の動きもなく。
とうとう痺れを切らした成歩堂が口を開こうと、息を吸い込んだとき。
それを狙ったかのようにゴドーの声がした。

「まるほどう」
「は、はい」
「クッ、何も取って食おうってんじゃねえ。そんなに緊張するな」

思わず直立不動になりかけたのだが、寸でのところでくい止める。
吸い込んだままだった息を吐き、身体の力を抜く。
チラリと視線を向ければ、丁度こちらを見ていたゴドーとバッチリ目が合った。

「さて、オレに内緒で何を企んでいたのか――話して貰おうか」
「ですからね、企んでなんか・・・・」
「言い方を変えるぜ。仕事の手を止めてまで、何を考えていたのか―――聞かせな」
「え、まさか」
「少し前さ、帰って来たのはな。声を掛けようとしたら真剣な顔で何か考え込んでるじゃねえか。それを気にするな、と言う方が無理だろう?」

口角を上げ、逃れられぬ証拠を突きつけるゴドーは。もしかしなくとも、意地が悪いらしい。
いや、成歩堂にだけ本性を現しているのかもしれないが。
それが成歩堂にとって歓迎出来るモノか否かは、分からない。
今も冷や汗を垂らしながら、どう返答したものかと頭を悩ませている。
正直に言うのが一番なのだが、そう言ったら言ったでゴドーの反応が怖い。
うんうんと(心の中で)唸り、ビリジアンを通り越して紙のように白くなる成歩堂がいるのだった。

そんな緊迫した雰囲気の中、不意に。
何か苦しげな――ハッキリ言うと、笑いを堪えているのだが――ゴドーの呻く声が聞こえた。
「ゴドーさん?」
具合でも悪くなったのかと慌てて覗き込めば、微妙に視線を逸らされて。
口元を押さえる手が、震えている。ますます心配になった成歩堂が、ゴドーの肩に手を置くと。
我慢の限界だったらしい。盛大に噴き出し、成歩堂を唖然とさせた。
「・・ッ、具合が悪いのはアンタの方じゃねえのかい」
顔色がビリジアンだったぜ?いや、最後は雪のように白くなってたか。
くつくつと失礼にも、笑いながらゴドーが言う。
「雪のようにとは――綺麗な表現、ありがとうございます」
硬い声で成歩堂が答えた。ニコリと弧を描く口元を裏切るように、目が笑っていない。
「そうだろう?我ながら詩人だな、そう思うぜ」
まるで堪えた様子もなく、ゴドーの口からはそんな台詞が聞かれた。
怒鳴ろうとした成歩堂を手を上げる事で制し、クイと窓を指差した。
怒ったまま、それでも視線だけを窓に向けるとそこには――白が。
「え」
思わず動きを止めた成歩堂に被せるように、ゴドーが言った。
「来る途中から降り出してな。アンタにも教えてやろうと、最初は思ってたんだが・・」
中に入ったらアンタが固まってじゃねえか。ここはひとつ遊んでから・・・っと。
話を聞いてからでも遅くないだろうと、思い返してな。
ゴホン。ひとつ咳払いの後、種明かしをしてみせる。
「―――結局は揶揄ったんですね?」
「心外だな、オレがそんな性悪に見えるかい?」
「・・・・・・・・」
無言で肯定する成歩堂に嘆いてみせながら、ゴドーは「ところで」と、話を変えた。
「ところで、まるほどう。事務所の片付けは終わったのかい?」
見たところ前より散らかってるようにしか、思えないんだが・・。
辺りを見回し、成歩堂に尋ねた。
「えー、っと。後少しです、はい」
痛いところを突かれ頭を掻きながら、とてもそうとは思えない答えを返した。
それを聞いたゴドーは、ニヤリと笑い
「ほォ?そうかい。なら、手伝いは――」
要らないな――そう続けようとしたところで
「要りますっ!!」
恥も外聞も、醜聞も艶分も――後の二つは関係ないが――かなぐり捨てて成歩堂が、ゴドーに縋り付いた。
あまりの慌て具合に、笑うより先に驚きが立ったらしい。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、腕を掴む成歩堂を見た。
必死の形相でゴドーを見上げる成歩堂と、唖然としたまま成歩堂を見下ろすゴドー。
どちらも言葉を発しないまま、暫しの時が過ぎた。

クッ。
ぷっ。

噴き出したのは同時。
そして、笑い止んだのも同時で。
散らかった事務所の中、そこだけが唯一の安息地。
ソファに腰を下ろし、息を整える。

「さて。サッサと終わらせて、雪見と洒落込むか」
「いいですね。今年初めての雪だから、堪能しないと」
「クッ、雪だるまでも作るかい?」
「や、それは遠慮します。出来たら雪見酒の方が」
「そうだな」

窓から見える、少しばかり勢いを増した雪に目をやり。
ホゥ。
溜め息を吐いた。
気が付かないうちに、室内の温度も下がっていたらしい。
吐いた息が、薄く色を持って目に映った。

「この分だと"白"に覆われちゃいますね」
「ああ」
「珍しい、こんなたくさんの雪」
「いつもなら、ちらちらとしか降らないからな」
「音まで吸収されて」
「聞こえるのは自分の足音だけ、ってな」
「電車はまだ、動いてますかね?」
「さあてな。もし動いてないとしても」
「"歩いて帰れる距離だぜ"ですか」
「クッ、正解だ」
「なら。家までの長いような、短い時間を帰りますか――二人で」
「異議なし、と言いたいところだが」
「何かありました?」
よもやゴドーからの異議申し立てがあるとは。
思いもよらなかった成歩堂は、首を傾げてゴドーを見た。
すっかり帰る事と、降る雪に気を取られて。
どうやら、肝心な事を失念してしまったらしい成歩堂に。

「書類」

一言、ゴドーが告げた。
ハッとした後―――
ガクリと、肩を落とす成歩堂を。
可笑しそうに笑うゴドー。
そんな二人の、いつも通りのやり取り。



その間にも、雪は降り積もり。
木を、草を、大地を白く染めていく。
しんしんと。
喧騒を吸い取って、落ちてくる。
見上げれば『灰色』の欠片が。
下に着くまでに『白』を纏い。
消えては積もり、積もっては消えていく。

二人が帰る頃には、止んでいるかもしれない。
降り続いているかも、しれない。
だが積もった白だけは、そのままに。
さくさくと。
踏み締める靴音が、離れる事無く重なり合って。
遠くに消えた時―――

残されるのは『静寂』という名の、闇。


end。

silenzio=静寂





『 White Fang 』のnaoさまから、7万hitのフリー小説をいただいてきました。
しっとり切ないですが・・ゴナのラブラブっぷりで寒さも吹き飛びますvv