3秒ルール




 ピンチの時こそ不貞不貞しく笑え、と教わり。
 一所懸命、それを実践してきたけれど。
 流石に今は、笑う余裕なんてない。
「や、やめて下さいっ!」
 2回りも成歩堂より体格のいい男に壁に押し付けられ、両腕を一纏めにされて男の片手で握られ、もう片方でシャツのボタンを次々と外されている状況では。



 いつものように全力を尽くして無罪を勝ち取り、真実を白日の下に晒す事ができた。
 それはとても喜ばしい事だったのだが、この案件に限っては、かなり困った事態に陥っていた。
 事件とは関わりのない所で、依頼人の兄から、一方的かつ積極的な秋波を投げ掛けられているのである。
 裁判中は案件に集中していた為に、彼の何か含んでいる視線には気が付かず。
 裁判が終わってから何度か食事に誘われても、身内として感謝の念を伝えたいのだとばかり思っていた。
 けれど、正規の弁護士料以外には基本的に金品を受け取らないようにしている成歩堂が善意でやんわり辞退し続けていると。
 男の行為は、だんだんエスカレートし始めた。
 成歩堂がアプローチに気付いていないと悟ったのか、馴れ馴れしく身体を触ってきたり、あからさまな言葉で口説いてくる。
 男の真意が分かってからも、依頼者の兄という立場故に、毅然とした態度で拒絶できず曖昧に流していた成歩堂にも多少の責任はあるのだろう。
 だからといって、実力行使に出ていい理由にはなるまい。
 しかも就業時間を過ぎた事務所に、アポイントメントもなくやってきた挙げ句。
 ネクタイを解いて寛げた襟元の奥――鎖骨に情事の痕を見付けた途端、『やっぱアンタ、男もいけるんだろ?』といやらしく笑いながら迫るなんて、言語道断だ。
 たとえ成歩堂にそういう嗜好があったとしても、それが無理矢理事に及ぶ免罪符にはなり得ないのに。
 男は成歩堂の説得にも拒否にも耳を貸さず、トライアスロンの選手だという筋肉質な身体を存分に活用し、成歩堂を拘束した。
「損はさせないから、さ。暴れるなよ」
 既に臨戦態勢に入っているモノを、荒げた息と共に押し付けられて、成歩堂の全身が嫌悪にザァッと粟立った。
 このままでは、最悪の結末を迎えてしまうと本能的に察知した成歩堂は。
「ゴドーさんっ!!」
 声を限りに、叫んでいた。
 成歩堂の希求は虚しく響いて終わるだけだと、半ば覚悟していたのに。
「――呼んだかい?コネコちゃん」
 成歩堂をメロメロにさせる渋い声が返ってきたかと思うと、のし掛かっていた男の身体がふっと消えた。
 ガタンッ!
 バシャッッ!
「あちぃっっ!!」
 男が床に叩き付けられ。
 その頭へ煮えたぎった闇のアロマが奢られ。
 奢られた男の悲鳴が、事務所を劈く。
 絶体絶命のピンチから一転して、僅か3秒間でついた決着に成歩堂はただただ呆然として、見事な逆三角形の背中を見上げていた。
「まるほどうと違って、俺は依頼人の関係者だからって遠慮はしないぜ…?」
 後ろ姿だったから、成歩堂には今ゴドーがどんな表情をしているかは分からない。
 けれど、地を低く這うような、極限まで感情を抹消した声音と。
 ビリビリと皮膚を刺激する、黒く暗く激しく噴き上がる憤怒の波動とが、ゴドーの心情を雄弁に物語っていて。
 男の顔が見る見る内に蒼白になっていくのも、当然だろう。
「今回だけは、まるほどうの顔をたてて見逃してやる」
 ズイ、と一歩前に出ると、その分男は尻で後退る。
「だが、次にそのツラを見せたら――」
 空のマグを男の頭上に突き出し、ゴドーは力任せに、決して薄くはないその陶器を握り潰した。
「アンタは、このカップと同じ運命を辿ると思いな」
 パラパラ…と細かく砕けた白い欠片が、男に降り注ぐ。
 次の瞬間、男が脱兎の勢いで事務所を去ったのは、言うまでもない。



「もう大丈夫だ、コネコちゃん」
 振り向いて成歩堂の前に跪いたゴドーは、男に向けていた殺気まみれの凄まじい威圧感が嘘のように、優しく慈しみに溢れた仕草でそっと頭を撫でてくれた。
「あ…ありがとう、ございます。…そうだ!手、怪我してませんか?」
 たどたどしく礼を言ってから、先程の光景を思い出したのか、慌ててゴドーの手を取る。
 幸いにも深い傷はなかったが、何カ所か赤い線がついてしまっている。
「すみません、僕の所為で…」
「クッ…アンタが反省しなくちゃならないのは、その無防備で無警戒なトコだぜ!」
 それとなくゴドーから警告されていたのだが、成歩堂は『考えすぎですよ』と笑って助言を真剣に受け止めなかったのだ。その結果がこれでは、言い訳もできない。
「こんな色っぽい姿、俺以外に見せるんじゃねぇ」
 大きくVの字に開かれたシャツの縁を辿るように指を這わしていき、朱よりも濃い紫の痕を見付けてクイ、と擦る。
「アイツに限らず、血迷っちまうからな」
 まるで成歩堂が、誰彼構わず誘いをかけているかのようにも聞こえ、これには自省中の成歩堂も突っ込まずにはいられない。
「この件に関してだけは、ゴドーさんも悪いんですからね。痕、つけないで下さいって言ったのに」
 『朱い』痕は識別できないのに、やたらとキスマークを刻みたがるゴドーに苦言を呈したが。
「いくらコネコちゃんの頼みでも、そいつは聞けねぇな。…俺はいつだって、アンタに『俺』を残しておきたくて仕方ないのさ」
 至極真面目な口調で、そう告げられては。
 それ以上咎める事も叶わず、成歩堂は赤く染まり始めた顔を隠すように、自らゴドーの腕の中に収まった。


                                          


弊サイト1割増(少なっ)の、格好いいゴドさんを目指してみました。話の都合上、オリキャラを出してしまったんですが、許していただけますでしょうか…?
そして都合上、ゴドさんを怪力に(笑) ウチのゴドさんは、面の皮同様、手の皮も厚いようです。