恋に、酔う




「コネコちゃん。ミルクばっかり飲んでないで、たまには魅惑のネクタルを味わってみないかい?」
「コネコじゃないので、牛乳は朝しか飲んでません」

 殆ど条件反射的に返してから、成歩堂は目の前に突き付けられたグラスを受け取った。
 小さいチューリップのような形をしたグラスの底に、1p程注がれていたのは、琥珀より幾分輝きの強い黄金色の液体。
 顔を近付けてみると、まず最初に感じたのはフルーティなチェリーの香り。
 成歩堂の知っている、甘ったるい桃味の『果肉飲料』とは、色も匂いも違う。

「何ですか?これ。ネクターには見えませんけど」

 不思議そうにゴドーを窺うと、ゴドーはこれ見よがしに嘆息した。

「ネクターの語源は、確かに『 nectar 』だがな…。やっぱりコネコちゃんはコネコ味覚だぜ」
「いやいやいや、ネコはネクターを飲まないと思いますよ。………ブランデー、かな?」

 ゴドーの口振りから己の勘違いを悟り、照れ隠しに突っ込んだ後、もう一度嗅いでみる。
 グラスが揺れて空気に撹拌された為か、二度目に香り立ったのはチェリーというより熟した柑橘類に近く、芳香だけで頭の芯を眩ますような濃厚さからアルコールだと判断する。

「似て非なるもの――ウイスキーさ。ストレートだから、一度に呷るんじゃねぇぜ」

 クイ、と顎で促され、成歩堂の晩酌は大抵ビールと焼酎なので、怖々と口をつけてみる。
 液体が唇を通過した途端、口腔にぱぁっと広がったのはクリーミーな香り付きの、柔らかい甘さ。
 喉を滑り落ちる時こそ、度数の高いアルコール独特の強烈な刺激があったが。最後に、吐息と共に戻ってきたのは仄かな甘味だった。

「うわ……キツイけど、美味しいですね」

 素直に称賛する。慣れない味でやっぱり成歩堂には強かったが、決して嫌いではなかった。
 成歩堂がそう告げると、ゴドーは楽しげに喉を鳴らした。成歩堂の位置からは見えない所に置いてあった瓶を取り上げ、成歩堂に渡す。

「アンタの突っ込みもキツイしな。こいつは、お似合いだろうよ」
「……意味が分かりません」

 750mlの瓶には、ホライズンブルーのラベルが貼ってあり。
 ミッドナイトブルーのロゴで年代と、何かのナンバリング。
 そして、『 distance 』と書かれている。
 『青』のオンパレードと、表示された西暦が成歩堂の生まれた年だったりしたものだから。
 普段鈍い鈍いと揶揄される成歩堂も、何となく予想がついてしまった。
 が、自分で言うのは恥ずかしいから、気が付かない振りをする。
 まぁ、実際『 distance(道程)』の示唆する所までは分からなかったので、とりあえず嘘はついていない。

「惚けるコネコちゃん、嫌いじゃないぜ!」

 うっすら紅潮した顔が視認できなくても、ゴドーにはお見通しらしい。ニヤニヤと笑いながら成歩堂の腰を抱き、片手一本で引き寄せる。

「アンタの歩んできた26年はどうしたって、俺のモンにはならねぇが」

 『今』と『これから』は全て俺のモンだと、以前断言した時の傲岸さそのままに。

「こうして、一緒に味わう事はできるんだぜ?」

 過去すらも、共有したいと口説いてくる。
 何とも気障で、けれど想いを偽る事をしないゴドーに、成歩堂が太刀打ちできる筈もない。
 面映ゆくてもぞもぞしながらも、感謝を伝える。

「大切に呑みます。ありがとうございます」
「いや、ガンガン呑んで構わねぇ。――あと259本あるからな」
「そんな大量に!? っていうか、そこまで拘りますか!?」

 259プラス1は260。つまり、『26』で。徹底しているというのか、細かいというのか、やっぱり気障なのか…。

「オーナーズカスクは、樽買いだからな。瓶詰めすりゃ200〜300本になるのさ」

 『オーナーズカスク』とはウイスキー会社が行っている販売方法で、モルト(ウイスキー)が詰められた樽をそっくり購入できるのだ。一樽毎での販売だから、樽の中のモルトはたとえ製造元のウイスキー会社でも所有する事ができず、そのプレミア性が評判を呼んでいる。
 しかし値段もそれなりに高く、下は50万から。上は1000万を越える樽もある。
 ゴドーが値段を言う訳はないが、安くない事だけはウイスキーを知らない成歩堂にだって分かる。
 成歩堂がコメントに詰まっている間に、ゴドーは器用に片手でキャップを開け、タンブラーの半分までを満たした。
 53度の原酒を無造作に呷るその仕草は、濃い『雄』の匂いがして。
 近付いて来た唇から漂うアルコールと、ゴドー自身が醸す色香と、どちらが成歩堂を酔わす原因になるのだろうか。

「年代と、ジャストの本数になる容量を、まず選択の基準にしたんだがな」

 最初に香るのは、シェリー。

「こいつはシェリーバットといって、シェリー酒を作る際に使用した樽へモルトを詰めて熟成させたんだ。シェリーの香りがするのは、その所為さ」

 赤みがかった黄金色の液体をたっぷり含んだゴドーの舌が、成歩堂の唇へと滑り込む。

「味は、柔らかいのを選んだ。…アンタのコレみたいなのを、な」
「っ、ぁ…」

 いつの間にかゴドーの口腔に引き込まれた舌へ、弾力を確かめるかのように歯が立てられる。

「余韻――戻りともフィニッシュとも言われるヤツは、仄かな甘さが長く続くぜ」

 『戻り』は、喉奥から舌先へ向かって感じられるもの。
 噛み合わせを深め、舌で『戻り』の軌跡を辿る。

「…あ……ゴ、ド…さ…」

 皮膚を、粘膜を摺り合わせたまま、成歩堂が切ない声でゴドーを呼ぶ。
 急速に込み上げる甘い酩酊感と、長く続く官能の波に突き動かされて。
 中途半端に途切れる接吻は、逆に成歩堂を煽ってやまない。
 無意識に縋り付いて強請るコネコを知らぬげに、ゴドーがタンブラーを取り上げ、成歩堂の唇ではなくガラスの縁を銜えると。
 ペロ、とガラス越しに寄せられる、紅く熟成しきった舌。
 ゴドーにとっても、稀少価値のあるモルトより魅了されるものは決まっているから。すぐにタンブラーはテーブルへ置かれ、先程以上に熱い口付けが交わされる。

「…加水すると、モルトは味も香りも変わる」

 どちらのものともつかぬ唾液がクチュ、とモルトと混ざり、ゴドーの言う通り変化していった。

「甘みが増すだろう…?」
「…っ……ん、ん…」

 甘いのは、モルトなのか接吻なのか。
 お互いが貪る故にモルトはたちまち飲み干され、3度ゴドーがタンブラーに手を伸ばそうとする。

「ん……そんなに飲んだら、酔っぱらっちゃいますよ…」

 既にかなり酔っている成歩堂が、トロンとした目付きで制止すると。

「俺はいつでも、アンタに酔ってるぜ」

 バードキスとフレンチキスを繰り返す合間に、臆面もなくゴドーが宣ったので。

「――ホント、気障ですね…」

 ますます耳朶といい首筋といい頬といい、そこかしこを羞恥と――嬉しさで赤らめた成歩堂であった。


                                          


一方的に、捧げさせていただきます…(泣) 星沢さまのお好きなようにして下さいませ。格好いいゴドさんではなく、気障なゴドさんになってしまいましたし。
ちなみに、参考にしたシングルカスク(樽)のお値段は450万円也。ナルの26年分だと換算したら、ゴドさんには安い…のかしら?