甘い嫉妬は蜜の味



「残念ながらもう時間です、ゴドーさん」

 舌を奥まで侵入させて深いキスを楽しんでいると、成歩堂は身をよじって俺の腕からのがれた。
 口吻しながら壁にかけてある時計でも見たのだろう、見事に遅刻手前の時刻ぴったりで、見計らったソレに俺は大きくため息を吐いた。

「つれねぇコネコだぜ、時間を気にするなんざ俺のテクも落ちちゃったようだな」

 やれやれと背もたれに背中を預け、俺は小さく舌打ちしてみせる。
 乱れかけた衣服を正しながら、成歩堂はふふと小さな笑みを浮かべた。

「そうでもありませんよ。ただ、アナタの匂いを漂わせて行くと、不要な魚が釣れてしまうものでね。ポーカーどころじゃなくなっちゃいますから」

 目は笑わずに口元だけにふわりと笑みを刻む。
 そういった小技をコイツが使い出したのは、今の『ボルハチ』に勤め出してからだ。

 ピアノなんざ弾けないくせに『ピアニスト』という触れ込みで入り込み、そのくせピアノには指一本触れず一晩中ポーカーをしている。
 僕にくらいポーカーフェイスできますよとうそぶく成歩堂は、今じゃ知らない者のない無敗のプレイヤーだ。

「ポーカーフェイス、か。法廷ではあんだけ表情豊かだったアンタがねぇ」

 からかうように笑うと、成歩堂は特徴のある髪をニット帽で隠し、ひょいと眉をあげて目を細めた。

「僕も、オトナになったってことですよ」

 濃厚に漂ったフェロモンに、クッと笑って同意を示す。
 武器として使うことを覚えた色気はコドモには出せない代物だ。

「そういえば、最近おかしな客が増えてて」

「どんな客だい?」

「僕を口説くんですよ、生活の面倒は見るから店を辞めて自分のところに来ないかって」

 どうしましょうか、とそっけなく言い捨て、成歩堂は試すように俺のふとももに尻を乗せた。
 俺の上に横座りになったまま、細い指先でシャツの上から筋肉の筋をたどる。

「もしくは、金を払うから一晩だけでもって言」

 成歩堂の首の後ろへ手を回し、くだらねぇことを言いやがる唇を無理やりふさぐ。
 深く味わったあと開放してやると、不満げに鼻を鳴らして、もっと欲しいとばかりに成歩堂の方から唇を寄せてくる。

(色気のありすぎる恋人ってのも大変だぜ……)

 しっとりと口を合わせ、舌を絡めてくるじゃじゃ馬を抱きしめながら。
 どうしようもない感情に、俺は内心深くため息を吐いた。

(アンタの理由を知っているから、つまらねぇ嫉妬をするつもりはねぇがな)

 弁護士バッジを奪われた事件。未完結の殺人事件。姿を消した依頼人。いくつもの謎。
 背後にある闇を暴くために成歩堂や俺たちは秘密裏に動き、今までの性格や好悪を殺して情報収集していた。

「あのドリルにゃ気をつけるんだぜ」

 唾液の線で結ばれたまま思わず口走ると、成歩堂はチロリと赤い舌を出して濡れた唇をなめた。
 思わせぶりに笑った目に嫌な予感を覚えて、俺はまさかと眉を寄せる。

「そのまさか、ですよ。親友認定、受けちゃいました」

「オイオイ。その言葉、検事のボウヤが聞いたら怒っちゃうぜ」

 だって仕方ないでしょう、と肩をすくめ、成歩堂は甘えるように俺の胸に頬をすり寄せた。
 ちくちくと無精ひげがひっかかり、まさしくコネコのひげが当たるようでくすぐったい。

「大丈夫ですよ、エサの中に僕の身体は含まれてませんから。それだけは死守してあげますよ、誰かさんのためにね」

 うたうようにささやくと、コネコはネズミをもてあそぶ冷たい笑みを浮かべた。

「そうかい、ソイツはありがとうよ」

 どういたしまして、と鮮やかに笑い、成歩堂は両腕を伸ばしてしなやかにもたれてくる。
 抱かれることに慣れた身体は自らおさまりよく俺の腕にとらわれ、それでいて気まぐれに爪を立てる。

(昔はちょっかいを出すたびに顔を赤くしていたのにな)

 男は俺が初めてだと言い、興が冷めないかと唇を噛んで痛みをこらえ、ぼろぼろ涙をこぼして震えていたうぶなコネコの未来の姿だとは思えない。

「……その目、止めて下さいよ」

 成歩堂は唐突に冷たく言い放ち、俺の両腕を押し開いて身体を解放させると、すっとしなやかな動きで腰を上げた。

「おいおい、どうしたんだい、コネコちゃん」

 腕から抜け出た成歩堂の手首をつかみ、強引に動きを止めさせる。
 子供が嫌がるようにブンと手を振って成歩堂は逃れようとし、俺はさせまいと指にぐっと力を込める。

「離して下さい。仕事に行くんですから」

「その前にスネちゃった理由を言いな。コネコちゃんは何が不満だってんだい?」

 問いかけに成歩堂は動きを止め、唇を引き結ぶ。
 悔しげな顔でため息を吐きつつ、不本意そうに言葉をもらした。

「だって、ゴドーさん、ひどいんですもん」

 言われた言葉が心底意外で、俺は驚きに目を見開く。

「どういう意味だ、まるほどう?」

 ドリルやその他へのパフォーマンスで距離を置いたりなどはいくらかあったが、それ以外においては成歩堂の良き恋人であるよう精神的にも肉体的にも支えてきたつもりなのだ。
 ひどい、などと言われるようなことをした覚えはまるでない。

「僕の知っている人ですか?」

「……なぁ、まるほどう。カフェラテとカフェオレは違うんだぜ。どんなモンか確認してはっきりと希望を口にしなければ、似て非なるものがお手元に届いちゃうわけだ」

 成歩堂は油断していた俺の手を振り払い、キッと強いまなざしで見下ろした。

「ハイハイ、意味が分からないということですね。意味が分からないのであれば、自分の胸に手を当てて考えて下さい。僕は知りません」

 きびすを返して出て行こうとする男の腹に両腕を回し、そのままぐいと後方に体重をかけて引っ張る。
 俺の身体ごとソファに座った成歩堂はじたばたと手足を動かして抵抗していたが、少しして疲れたのかぐったりと身体を預けてきた。

「……今度あんな顔でコッチ見たら、別れますからね」

 数分前までに見せていた艶やかな色気は消え、素のままの感情をあらわにして。
 無防備に全身をゆだねるコイツがひどくいとしく思えて、俺は腹に回したままだった腕にぐっと力を込めた。

「あんな顔ってのは、アンタにめろめろになっている情けねぇ顔のことかい?」

「違いますよ。アナタさっき、僕の顔に誰かを重ねたでしょう。誰のことを、考えてたんですか?」

 小さな声で苦しげに言い、成歩堂は首を垂れた。

(誰のこと、って……俺が考えていたソイツ、は)

 背後から抱きしめながら、俺は言葉の意味を咀嚼し。
 いきなりの態度の変化のモトにぶち当たり、一瞬だけ思考が真っ白になる。

「浮気なら許します。少しばかりお仕置きしちゃいますけど。でも、本気なら」

「ちょいと待ちな、コネコちゃん。浮気がどうとか言っているが、さっきも今も、俺が脳裏に思い浮かべるのはアンタだけだぜ。浮気なんざするはずもねぇだろう」

 成歩堂は半眼で冷たくにらみ、短く嘘つきとつぶやいた。

「だっていつも僕を見るような目じゃなかったですよ、妙にエッチっぽくて、なのに優しそうで」

「それで、嫉妬しちゃって俺の手から逃げようとしたってわけかい。まるほどう、俺があの時考えていたのは、アンタとの初めての夜だぜ。初々しく震えていたコネコがずいぶんと色っぽくなっちまった、ってな」

 クツクツと喉を震わせながら言うと、成歩堂は耳たぶを真っ赤に染めて腹にある俺の手をつねった。

「だ、って、あんな顔されちゃったら、僕に誰かを重ねて見てるって思われても仕方ないじゃないですかっ。めったに見せない顔だったしっ」

「そりゃ、めったにしない顔だろうぜ。アンタが目の前にいるってのにアンタを思い浮かべるなんざ、普通はやらねぇだろうからな。しかし、ドリルやらを手玉に取っているコネコちゃんが嫉妬か」

 数分前に色気だらけのニットに俺が嫉妬したように、お互いに嫉妬の炎を燃やしちゃったわけかい、と少しばかり呆れながら。
 妬かれる身の喜びをまざまざと感じ、笑みをこぼしつつ成歩堂の肩口に顔をうずめる。

「なぁ、俺だって嫉妬しちゃってたんだぜ。アンタを取り巻く、全てにな。ドリルの目があったせいでボルハチじゃあ見守ることしかできねぇから、アンタが男どもに投げかける視線や動きの一つ一つに脳が沸騰しそうなくらい妬いてたのさ。俺の男を見るな、俺の男に手を出すなってな」

 独占欲丸出しの愚かな言葉を自嘲しながら漏らすと、成歩堂は力を抜いて俺に身を預けた。

「……ズルいですね、ゴドーさんは」

 柔らかな感情を孕んだなじる声に、かすかに笑う気配を感じる。

「僕がアナタからの告白に弱いって知ってて、嫉妬だとか俺のだとか、そういうことを言うんだから。そんな風に言われたら、もう」

「もう?」

 言葉の続きを促すと、成歩堂は強引に身体をよじって向き直り、俺の首に両腕を回してニッコリと微笑んだ。

「もうこのまま今日は仕事休んで、アナタと自堕落な一日を過ごそうかなって思っちゃうんですが、ダメですか?」

「……クッ、イケないコネコちゃんだぜ。モチロン、いいに決まっているだろう」

 快諾にニッコリと微笑んだコネコは唇を寄せ、舌を広げて俺の肌をなめ。
 自らも衣類を脱ぎ散らかしながら、俺のシャツをもはだけさせていく。

 性感帯を知り尽くした動きに、知らず熱い吐息が漏れた。
 男の味など知らなかったコイツを、こんな風に変えてしまったのはこの俺だ。

「ふ、ぅ、……ゴドーさん」

 俺を愛撫しながら自らも快楽を得ているのか、濡れた声で成歩堂は呼びかけると。
 弁護士時代を思い出させる強い目線で、俺の顔を見上げた。

「もっと、たくさん嫉妬して下さいね」

 くすくすと楽しそうに細めた目の中に、したたかな光が見え隠れし。
 まいったぜと俺は嬉しい悲鳴をあげる。

(もっと嫉妬しろってことは、もっとアンタに狂えってことかい?)

 愛しい男の可愛いワガママに小さく笑い、これ以上狂わせてどうするとばかりに反撃の愛撫をささげてやる。

「了解だぜ、コネコちゃん」

 より多く愛した方が負けだとよく聞くが、より多く嫉妬した方はどうなのだろうか。
 馬鹿な嫉妬に身を焦がした俺は、勝負はこれからだと淫らな笑みを唇に浮かべた。






ストーカーまがいで手にいれたお話、第一弾。大好きです!