「゛神乃木荘龍゛サン?」
突然現れた男に名を呼ばれ、つ―と視線を向ける。
そこに居たのは、黒猫。
――いや、全身黒ずくめの男が一人。
第一印象が人間ではなかったのが、不思議と言えば不思議なのだが。
しなやかな身のこなしと、独特の雰囲気がそう思わせたのかも…知れない。
マジマジと見ていたら、その男が突然笑い出した。
「あっはっは!やっぱり面白いな゛神乃木゛サンは…」
得体の知れないヤツを前に、その危機感の無さ。驚きもしないその余裕綽々な態度。
イイねー。
………誉められてんのか?
思わず憮然とした顔になったろう自分を見、一段と笑いを募らせる。
身を折り曲げ、いわゆる爆笑というヤツだ。
遠慮も会釈もないその態度に、だが怒りが込み上げて来ないのはどうしたことか。
暫く、笑い続ける男を黙って見ていたが止む気配がない。
だいたい何をしに来たんだ、コイツは…。
「………おい」
掛けた声に、漸く笑いを納め真直ぐこちらを見た。
下がった眉尻に、笑いの残滓を残しその瞳も悪戯っぽい光を湛えている。
驚いた事に、目の前の黒猫の瞳は゛蒼゛
思わず吸い込まれそうな程、透き通った深い色。
゛氷゛のように冷たい輝き。
ふと。彩が変わった。
氷のよう、そう称した蒼が溶ける。溶けて暖みを帯びたそれは、静かな湖になる。
「ボディガード、要らない?」今なら、お買い得だよ。
…………は…………?
どうにも調子が狂う。
突拍子がないと言うか、脈絡がなさ過ぎると言うか。
噛み合わないのだ、会話が。
「僕は成歩堂龍一、歳は…内緒でもイイかな」
あ、そうそう貴方の事は良く知ってるよ、神乃木サン。
「……マイペースだと言われるだろう、アンタ」
「おや。良くご存じで」
判らいでか。
成歩堂龍一と名乗った男は、有ろう事か゛ボディガード゛希望と言う。
言っちゃなんだが、力仕事に向いてるとは思えない。
自分より低い背丈、軽いであろう体重。こちらが守ってやらなくては…そう思わせるような造りだ。
「あー…そんな目で見ないで欲しいなあ。これでも、ヤる時はヤる男だよ?」
フ。
と、空気が動いたと思ったら背後に姿が移っていた。
獲物を持っていたら、命はなかったろう。いや、素手でも危ないかもしれない。
込められた殺気に背筋が凍り付く。口だけじゃない、ってことか。
「ねv」
弛んだ空気に、肩の力も抜ける。見掛けと違いすぎだ。
フゥ………。
「…お買い得ってのは、どのくらいを指してるんだ」
「お!決断も早いねv」
「いいから言ってみな、聞いてやる」
「うーん、そうだなあ。神乃木サンのトコロに置いてくれる?三食昼寝付きでイイよ」
「……格安だな」
「そうでしょ♪」
(嫌味、だったんだがな)
それが押しかけボディガードから、居候へと化した瞬間だった。
「ヨロシクね、神乃木荘龍サン」
「クッ、拾っちまったモンは仕方ねえ。面倒みてやるさ、なあ?コネコちゃん」
「…あんまり嬉しくないな、ソレ」
渋い顔をしているが、知ったこっちゃねえ。このくらいはイイだろう?こちらは翻弄され続けたんだからな。
ニヤリと、初めて優位に立った気分を満喫する。
まだブツブツ言ってるが、聞こえねえな。
とりあえずはこちらが雇主。主導権は握らせて貰う。
「先ずは会社に行ってみるかい?それとも、お家がいいか」どうする?コネコちゃん
「だから……あーしょうがないな、もう」
今度は、相手がため息を吐く番だったらしい。
「お家で留守番してるよ、大人しくね」
「そうかい。じゃあ、ついて来な」
「あ、知ってるから」
「知ってる?」
「アレ?言わなかった?僕の特技」
「聞いてねえな」
「future recognizer―どう?カッコいいでしょv」
「未来を認識するモノ、か」
「そう。だからそれに附随して、色々判るワケ」
や、流石に神乃木サンのスリーサイズまでは判らないよ?
(…ふざけてる、のか?)
「いやいや真面目な好青年だってば――あっはっは!」
……捨てて帰るか――――
「おっと、短気は良くないな。心は広く持たなくちゃ」
……何で会話が成り立つんだ。もしかして――
「読んでないって、心なんて。結構、顔に出やすいタイプでだよ?神乃木サン」
「顔に―――だと?」
「出てる出てる。バッチリ、しっかり♪」
有り得ねえ。
ポーカーフェイスは、得意だ。初対面のヤツに読まれる程、ヤワな造りじゃない。………と思うんだが……
コイツが相手だと自信が持てない。
「まあまあ、嘆かなくてもイイと思うよ?僕が特異体質なだけで」
「傍から見たら、独り言言ってるみたいだぜ?」
「それが難点かな」
(やっぱり嫌味が通じねえ)
「じゃ、お仕事頑張ってv」
「……散らかすなよ」
「大丈夫。寝てるだけだから!あ、カギ頂戴♪」
「(コイツは……)ほらよ」
「そうそう。大事なコト、言い忘れる所だった」
神乃木サンの会社の役員で、えーと、名前なんだったかなー。あ、髭面の人!!
゛株操作゛してるから。気を付けて…って、ぶっちゃけ過ぎたかなー。
「…そんな事まで、判るのかい?」
「素敵な体質、だよね」
「――何でオレの所に来たか、聞いてもいいか」
「コワい顔しないで欲しいな。小心モノなんで、僕」
「成歩堂」
「うーん。気に入ったから、じゃダメ?」
「ダメだな」
「………神乃木サンの人生があまりも波瀾万丈なんで、面白そうだなぁ…って」
怒る?
悪い事をした子供のように、こちらの出方を伺っている。まるで叱られるのが前提のようなその態度に、怒ろうにも怒れない。
「…そんなに波瀾万丈だってのかい」
「ええ!そりゃあ、もう!」
って、あ………………。
クッ、コネコちゃんは耳がぺタリとなっちまったか。
笑いが込み上げて来て、抑えるのに苦労する。
「アンタが守ってくれるんだろう?」
その波瀾万丈な人生から。
その為に来た、ってヤツに文句なんぞ言う訳ねえさ。違うかい?
「……敵わないなー」
苦笑いする顔は、どこか幼さを感じさせて。
もしかしたら今見ているこの姿が、素の成歩堂龍一なのかもしれない。
それを見れただけでも、収穫だろう。
「改めて。ヨロシク頼むぜ、コネコちゃん?」
「…………こちらこそ」
クッ!
クスッ。
「あー、こんな未来は予測出来なかったな」
黒猫の呟きは――風に乗って、消えた。
end。
黒猫の呟き――再び
神乃木荘龍。
僕の、このツマラナイ生に彩をくれた男性(ひと)
生きることに、飽き飽きしていた頃。ふと、街で見掛けた一人の男。それが゛彼゛
入り込んでくる――今までの事、そしてこれからの事。
遮断を振り切って流れ込む、情報の奔流。
いつもなら、意識を集中しない限りそんな事は起きないのだが。
視線を向けた途端とは、いったいどうしてなのか――
それからだ、彼に興味を抱いたのは。
(今までは)有り難くもなかったこの能力のおかげで、色々と知る事が出来た。
いつしか守りたいと、助けたいと思いはした…だが…
まさか、自分から売り込みに行く、なんて暴挙に出るとは――――
しかし会ってみて、益々興味が湧いた。ホント、面白い。
彼と一緒なら、生きるのも楽しいかもしれないと感じた。
彼の為に生きてもイイかな、なんて思ったり。
ハハ、神乃木マジックってヤツ?
『こちらこそ』
ヨロシク頼むよ。
神乃木荘龍サン。
--------
「アンタ、そんな事考えてたのかい………」
「まあね。でも今はとりあえず、楽しいかな」
「おいおい、とりあえずってのは…ねえだろう?」
「アッハッハ、じゃ言い直そうか」
神乃木荘龍サン?アナタがいてくれて、良かった。
これからも一緒にいさせて欲しい――どうかな?
「クッ!熱烈なプロポーズ、照れちまうぜ///」
「………あのね」
「――なあ、あの時の約束、覚えてるかい?」
「゛オレの為に生きろ!゛って殺し文句のコト?」
「そうだ」
「……アレは決定事項、って言うんじゃ……」
「あン時は、ああ言わないとアンタには効き目が無さそうだったからな」
「あー………そんなこと、ナイ、よ?…多分」
「だいたい返事だって、なおざりだったじゃねえか」
「……………………」
「『あー、ハイハイ』そう言ったんだぜ?」
「良く覚えてるね……」
「ムカっ腹が立ったからな、゛自分の命はどうでもイイ゛――ってアンタに、な」
「えー、とね?」
「――今も、そう思ってる。ってんじゃないよなァ?」
あン?
「相変わらず、コワいなあ。アッハッハ」
「龍一」
「ハァ……思ってないよ。誰かサンにぶっとい釘をさされたから、ね」
それに僕だって考えてたじゃない゛神乃木サンの為に生きてもイイかな゛って、さ。
「クッ!アンタの言う事は、アテにならねえからなァ」
「ヒドイなー」
「だがまあ信じてやるさ゛とりあえず゛は、な」
「………根に持つタイプだったんだ」
「おいおい゛竹を割った゛ようにサッパリとした性格だぜ?オレは」
「それなら僕は――――」
「アンタは゛オレのコネコちゃん゛で間違いないだろうぜ」
end。
オマケ――
(さて。拾ったコネコちゃんは、何をしているやら…)
どこか楽しい気分になっている自分に気付き、苦笑する。
昼間、不意に現れた゛黒猫゛未来を認識する――そんな特殊な能力を持っているらしい。まあ、あってもなくても別に構わないが。
ボディガード希望の優男。
見た目に油断していると、痛い目に合わされるだろう。
そして優しげな外見の奥に感じた、冷酷な匂い。
……それが、オレに向けられることがないように、祈りたいもんだ。
(万が一にも、ありませんよ)
玄関を抜け、リビングに足を向ける。灯を付けようと、スイッチに手を伸ばしかけて……止めた。
中央に据えられたソファの上に、黒い塊を見つけたからだ。身を丸めるようにして眠るその姿。
(子供みたいだな)
いや、ココはあえてベタだが゛コネコちゃん゛と言うべきか。
そんな愚にもつかない感想を抱きつつ、そっと近付く。
閉じられた瞳の中に隠された゛蒼゛
夜の闇の中では、どんな彩を見せるのか。
―――と。
突然開いた瞳に、ドキリと心臓が跳ねる。
「そんなに見詰められると、照れるなあ」
口調とは裏腹な態度で、そんな事を言う。
ゆっくりと身を起こし、ニヤリとした笑みをこちらに向けた。
「お帰りなさい、神乃木サン。イイコにしてたでしょ?」
「ああ、ただいま。――まあ、散らかっては、いないようだな」
「あっはっは!言ったでしょう?゛寝てるだけ゛って」
「クッ!本当に寝てるとは、思わなかったぜ」
「だって僕は゛コネコちゃん゛ですし?寝るのが仕事みたいなモノですよ」
「おいおい、アンタの仕事は゛ボディガード゛じゃなかったのかい」
「あー……そうそう」
「………大丈夫なんだろうな、アンタ」
「大丈夫ですよ。ヤる時はヤる、それがオレのルールだぜ!!」
(拾ったのは…………失敗だったか?)
仕事の疲れがドッと押し寄せてきた、神乃木荘龍(33)の呟き。
―――聞くモノは、誰もいなかった。
end。
ストーカー第二弾。しょっちゅう押し掛けているのに、いつも暖かいお言葉で歓迎して下さる、お優しい方です…。