昔話じゃんけん



既に業務の終わった成歩堂法律事務所は、いつもよりも若干温度と湿度が高かった。なぜなら、成歩堂の座っている応接ソファの向かいにぎゅうぎゅうに詰まった男たちが座っているから。彼らのにやついた視線に、成歩堂は暑さだけでは無い汗が止まらない状態だ。

「・・・昔話じゃんけん?」

先ほど言われた単語を成歩堂が鸚鵡返しすると、男たちはうんうんと大きく頷いてみせる。今すぐここから逃げ出したいのだが、それは扉の前で腕を組んでいる罪門によって叶わない。テンガロンを深々と被っているため全ての表情は窺えないが、楽しそうな雰囲気だけは成歩堂にまで伝わってくる。

「簡単な事だ。俺たちが仕入れた『アンタの昔話』を、正しいかそうでないか判断するってだけさ。」

その上で、一番レアな情報を持っているものを勝者とするらしい。皆が勝ち誇った様子なので、恐らく各々が抱えている茶封筒には、アレやコレやの資料が山ほど詰まっている事だろう。美味しい話には裏があるとか、タダより高いものは無いとか。成歩堂が弁護士となってから依頼人に切々と説いていた言葉が、己に跳ね返ってきているかに思えた。

・・・目の前にそびえ立つ『ホテルバンドーインペリアル』。成歩堂も滅多に食べられない、最上階スイートでの豪華ディナーにご招待。これが『昔話じゃんけん』に付き合った暁の報酬として提示されていたのだ。この苦痛の時間が過ぎれば、後は腹いっぱい・・・いや喉いっぱいになるまで食べてやる。成歩堂は聞いたことしかない超高級酒の名前も合わせて、脳裏に沢山あげ連ねていった。自棄になっているといえば、そうとしか言えない訳だが。

ゴドー、御剣、そして厳徒。寄りにも寄ってこのお三方がこのじゃんけんの参加者である。先に話し合いでもしてあったのか、まずはゴドーが悠然と足を組み直してから茶封筒の封を開いた。写真が数点のほかに、何やら小さな機械が転がりだす。

「昔話とはいえ、俺だってまるほどうを知ったのはここ数年だ。そういう意味でも他の二人に比べてハンデはある。・・・が、俺は俺なりに『捜査』した結果を、ここで報告してやるぜ。」

一体何が飛び出すのか。成歩堂は知らずごくりと喉を鳴らしていた。すっすっとゴドーの長い指が写真をきちんと並べ直して、その途中にことんと機械を置く。・・・成歩堂は顔から火が出そうという言葉を実地で体験させられる羽目に陥っていた。一番最初の写真は見るのも痛々しい『ピンクの手編みセーターを着こんでマスクをしている成歩堂』。その次はもう青いスーツを着た弁護士スタイルの成歩堂となっていた。一枚一枚は同じように感じるが、それを一年ずつ並べてみればその成長具合と言うか、変化が良く分かる。

「捨てたと思ってたんですけど・・・。何処から持って来たんですか。」

にやにや顔のゴドーはソレには返答せず、写真の合間に置いていた機械のスイッチを入れた。少しばかり雑音が混ざっているようだが、ぼそぼそと何か人の声が聞こえてくる。

『ねえ真宵ちゃん、今日もラーメン?』
『あったり前だよ!やたぶきやは毎日食べたくなる魔法のラーメンなんだから!』

『・・・まるほどうは、これで1週間連続のラーメンの模様。』

『なるほどくん、あれはないよー。声高に何宣言してるのさ。僕にだって着られるって、ぶふっ!!』
『言うなって。・・・ちょっと勢い余っただけなんだから。』

『・・・有言実行って言葉を、これでもかと味あわせてやるか。泣いて詫びを入れても遅いぜ!』

「とまあ、こんな感じか。思い出せたかい、まるほどう。」
「これ、と、盗聴・・・?!」
「いや、そこは訂正させてもらうぜ。俺がマイクを仕込んで、逐一アンタを調査してたのさ。その証拠に俺の一言メモもばっちり録音されていただろ?」

リアルストーキング。あの当時は暗い執念で成歩堂を追っていたとはいえ、和解した今になってもこんなものを大事に取っておくとは。思わず異議ありと叫んでしまうのも無理はない話だ。しかし成歩堂は分かっていない。その『異議あり』こそが、これが真実だと証明しているという事を。

「ほほう。このような裏話というか、バックヤードの会話と言うのは中々レアだと言える。」
「このリアル感がいいよねー。ちょっと欲しいなあ、それ。」

残りの男たちの耳が大きくなった辺りで、ゴドーはこの機械のスイッチをオフにした。アイテムはじゃんけん勝者の総取りなので、どうやらここまでがサンプルのつもりらしい。この機械は俗に言うMP3プレイヤー。端っこに『8G』と表記されているので、まだまだこのような会話が録音されているようだ。

「では、次は私か。」

こほんと咳払いをしてから、今度は御剣がプレゼンを行う番となった。成歩堂はダメージから未だ回復に至っていないが、その辺は綺麗にスルーされた。幼馴染の御剣の事だ。どうせ出てくるのはと予想していた成歩堂だったが、珍しくその予想はぴたりと当たる。

「『僕のゆめ 4年×組なるほどうりゅういち 僕のゆめは、ミラクル仮面になることです。なぜなら、かっこいいからです。悪のそしきをひとりでどんどんたおしていくのが、僕はすごいと思います。・・・。』」
「うわああああ!!み、御剣、待ったあああっっ!」

表紙は色上質紙、中身はわら半紙の冊子。随分色あせてはいるが、成歩堂にも見おぼえがある。この学年途中で転校していった御剣だったが、どうやら担任教師が気を利かせてわざわざ御剣に文集を送っていたようだ。この他は、アルバムから剥がしてきたようなスナップ写真各種と、行事毎に撮影したクラス写真。そこには見間違う筈も無いとんがり頭の男の子がもれなく写っていた。

「フッ・・・。どうした、成歩堂。顔があり得ない位緑色だぞ?」
「おま、お前っ!それ、わざわざ・・・っ?!」
「・・・なるほどちゃん、全然変わってないんだー。お目目がくりっくりなトコとか。」
「クッ・・。流石の俺もソイツまでは手に入らなかったな。色々な所を漁ったんだが。」
「ゴドーさん、『漁った』って・・・何処をです?」
「聞いたら卒倒するだろうぜ。」
「じゃあいいです。」

手段を選ばないゴドーの事。先ほどのリアルストーキングの前科があるのだから、それは犯罪すれすれのはずだ。卒倒すると言われる事をわざわざ聞き出すほど、成歩堂だって愚かでは無い。もやもやしたものを抱えていると、最後の厳徒がにっこりと笑った。

「君たちのも良いと思うけどさ。僕のはちょっとお目にかかれない逸品だよ?」

厳徒の封筒からは、同じような封筒が取り出された。そこに大きく『秘』マークが入っていることから、何やら外へ持ち出すにはアレなものの模様。警察局長・厳徒の社外秘なものといえば、やはり証拠品辺りかと思われたが。しっかりと糊づけしてある蓋を懐から取り出したペーパーナイフでぴりりと破いていくと。

「・・・?」

何処かで見たことがあるような、堅苦しい書類が数枚。思わず成歩堂がそれを取ってじっくり眺めていると・・・緑色だった顔色が、今度は真っ青に変わっていった。

『第◎回 司法試験第1次試験 回答用紙』

「これっ!こ、これってまさか・・・っ!!」
「当然、なるほどちゃんは知ってるよね。・・・自分が受けた試験なんだから、さ。」

司法試験は2部構成。最初はマークシートだが、次は論述問題だ。ここで提出されたのは色気もそっけもないマークシートの回答用紙。封筒の中には未だちらりと紙が見えているので、論述の回答用紙もきっちり用意されているのはもう火を見るより明らかだ。

鉛筆でマークされたその回答用紙は、一部に消しゴムで消した跡まで残っている。過去問ならば幾らでも手に入るので、成歩堂が迷った問題を参照するのは実に容易い。御剣、ゴドーとは試験を受験した時期が異なっているので、それは厳徒の言うとおり実に興味深い品であった。

「ちなみに、この時答案をチェックした人物による一言コメントもおまけにつけてあるから。幾ら弁護士資格を取ったからといって、復習しないのは良くないからね。これをみて初心に帰るのも良いと思うんだ、ボクは。」

「名前の所・・・。君は少々緊張していたのかね?筆圧が高過ぎて、芯が折れた痕跡が残されているようだが。」
「この答案、やたら『2番目のマーク』が多いな。アンタ、迷ったら『2番目』とか考えてたんだろ。」

にやにやと笑みを深める二人は、好き勝手な事を言いながら成歩堂の答案用紙を見ている。ぐしゃりと潰してやりたかったが、残念な事にこれは精巧なコピー。・・・厳徒がこのような場で『原本』を出す訳がないのだから。

ストーキングの証拠と恥ずかしい過去と、やたらリアルな答案用紙。

どれもこれも、成歩堂の唸り声を上げるには相応しいものだった。全ての証言・証拠品が出そろった事で、さあ『勝者』をという皆の視線がこれでもかと突き刺さる。今ここで『放火』事件が起こっても、もしかしたら無罪になるんじゃないかなんて少々物騒な事まで考えるほど、成歩堂はぎりぎりまで追いつめられていった。

時計の針の音が明確に聞こえてくる程の緊張感の中。成歩堂はがっくりと俯いて、ある品物を指さした。該当の人物はさも当然と言いたげにクッと笑い声を喉で殺し、ローテーブルに並べられている全ての品をかき集める。とんとんと綺麗に整えられた品々は、良く使い込まれている鞄の中に仕舞われた。

御剣は事件やら研修やらで飛び回っている事が多いし、厳徒は厳徒で一介の弁護士がそうやすやすと局長室に行くなんて許されない。これは何とも後ろ向きな消去法だった。日頃成歩堂の事務所にいるゴドーだったら、何とかこれらを回収するチャンスがあるだろうと。

ずっと扉の前にいた罪門がぽんと成歩堂の肩を叩いた。とんがりまでへたらせる程疲れ切った成歩堂は、軽くそちらに顔を向けるだけ。テンガロンをきゅっと被りなおした罪門は、やけににやりと嫌味に笑って。

「じゃ、次は俺と狼と、矢張の番だからな。楽しい『昔話じゃんけん』は、まだまだ続くぜ!」

死刑宣告にも等しいこの台詞。・・・ここから成歩堂がとった行動は。

約束通り至高のディナーと極上の酒を浴びるように飲んで、理性をアルコールでふっ飛ばして。・・・『昔話じゃんけん』を止める代わりという無理やり引き出した割には訳のわからない交換条件として、一人一人が提示してきた『行為』を時間をかけつつも何とかクリアしていくのだった。


きっとだるまいとさまなら、76の日を祝って下さると思いましたv