Catch-up
暑い日が長く続いた後の、涼しさ。久々の心地よさに、気も緩むというもの。季節の変わり目で気を付けていたつもりだったが、予防措置に不足があったようだ。
「変ハ長調のフレーズばかり浮かぶ・・まだ熱は下がりそうにないね」
アーティストらしく個性的なインテリアの中、幾ら響也が長身だからといって一人住まいには少々不釣り合いな程大きなベッドで。すっぽり首元まで掛け布団を被った響也は、虚ろな瞳を宙へ向け、ボソボソ呟いた。
潤んだ双眸といい、火照った顔といい、掠れ気味の声といい、明らかに風邪をひいている。
副業で喉を酷使しているからか、体質なのかは定かではないけれど、響也は扁桃腺が人より繊細。風邪=熱で、喉が痛いと自覚した数時間後には一気に熱が上がる。
その反面、遅くとも翌日にはケロリと治ってしまう。他の症状は滅多に現れない、良いのか悪いのか微妙な罹患仕様だった。
響也自身はパターンがはっきりしている分、対処に困る事もないのでポジティブに捉えている。早期に手を打てば、喉へ負担をかける事もない。今回も咽頭の違和と悪寒を感じるや否や、速やかに帰宅した。
半日レコーディングをキャンセルしてしまったが、運良く明日はオフだから復帰後、今日の分も頑張れば十分遅れは取り戻せるし、そんな響也の性格(と体質)を熟知しているスタッフ達も協力して迅速に送り出してくれた。
途中で薬と食料と必要なものを買い込んできたから、後は栄養を採って休養するだけ。何の問題も不安もない。
しかし。
「・・はぁ・・・」
響也の顔色は、頗る優れない。それは具合が悪い所為とは、少々違う。
「成歩堂さん・・・会いたかったなぁ・・」
溜息は、愁いを帯びていた。部屋の静寂を際立たせるような、淋しさを纏っていた。
―――本当なら。今夜、成歩堂がマンションへ来てくれる筈だったのだ。泊まり付きの逢瀬は、実に何ヶ月振りの事か。仕事だって、本業副業共に張り切り万が一にも休日が潰れないよう、それこそ数ヶ月かけて準備してきたのに。
「泣ける詩ができちゃうよ・・」
成歩堂へアポを取り付けるのは難しい為、デートの約束はどんなトラブルがあっても守ってきた。響也からキャンセルを申し出たのなんて、勿論初めての事態。
諦めるしか、ない。
もし、響也の風邪が成歩堂に移ったら。そこ止まりなら成歩堂も、スーパースターアイドルを馬車馬のごとく扱き使い、財布を薄っぺらにする位で許してくれるだろう。けれど、万が一、成歩堂経由で愛娘のみぬきがウィルス感染したら。
どんな氷点下の仕打ちが待っているか、怖くて想像すらしたくない。
実際、以前風邪を引き始めた響也に気付いた成歩堂は。『明日、みぬきはステージだから』と気怠い笑み1つを残して去っていってしまったのである。
成歩堂が、実の娘以上にみぬきを可愛がっている事は、殊更言及するまでもなく。優先されるのは常にみぬきであり、パパとしての成歩堂。嫉妬を覚えないと言えば嘘になるものの、今ではみぬきと響也では向ける感情の根源が異なるのだ、と己の中で割り切るようにしている。
故に。メールで、約束の撤回を申し出た。
直接電話で謝罪しなかった理由は。喉が痛いから、は建前で。本音は、成歩堂の声を聞いてしまったら我が儘や愚痴や懇願などが抑えきれず漏れそうだったから。
「次は、いつ会えるかな。今回の分も泊まってほしいよ・・」
凹みかけた思考を引き戻すべく、前向きなプランを練ってみる。只でさえ、病気の時は弱気になりがち。ストップをかけないと、底なし沼状態になるに違いない。
「・・成歩堂さん・・」
連れなくも愛しい人を思い浮かべて重い瞼を閉じた響也は―――。
「うん?」
「ええっ!? な、成歩堂さ――ゲホゴホッ!」
聞こえる筈のない声が聞こえた為、思わず飛び起き。それから自分の状態を忘れて叫び、案の定激しく咳き込んだ。
「あっはっはっ、だいぶ熱でやられてるね」
惨状にも動じず、のんびり笑ってベッドの端へ腰掛ける成歩堂。スプリングが撓み、身体が少し沈んでも。響也は、まだ現実だと認識しきれていなかった。
だって―――断った。
どうして―――来る訳が。
いつだって―――1番は、響也以外。
「みぬきは修学旅行中だし。ボルハチに行く日じゃないし。極秘任務もないし。暇だったから来てあげたよ」
「・・・・・」
ツンと見せかけてデレな台詞が羅列されても、響也は口を開けて成歩堂を見っぱなし。それでもイケメン度が大して下がらないのは、アイドルクオリティ。茫然自失の響也を布団へ戻し、成歩堂は持ってきたらしいビニル袋をゴソゴソ探った。
「食事と薬はすんでるみたいだね。じゃ、後は寝なよ」
取り出した冷却シートを響也の額へ張り、髪を後ろに撫でつけ、肩まで布団で包み。優しく、暖かく、手慣れた動作は『家族』の面倒を見る間に備わったものだろう。これが王泥喜や、親友の御剣でも同じ看病を施せるに違いない。
成歩堂が言ったように、みぬきが不在で移す危険がないから、今回は偶々来てくれたのだ。いつもの、気まぐれ。
「ありがとう、成歩堂さん・・来てくれて嬉しいよ」
それでも。響也にとっては、今ここに成歩堂が居て。成歩堂の内に、自分が在ると再確認できただけで十分。
そんな無欲とも言える―――響也にしてみれば、無限にある願望の第一段階に過ぎないのだが―――心根に、さしもの成歩堂も絆されたのか。はたまた、神様のご褒美なのか。
成歩堂は、快復するまで甲斐甲斐しく看病し。甘やかし。デレを全開にし。
実質的には1日と少しの短期間なのに、ラヴバラードが2桁近くできる程、響也には愛のメモリーが刻まれたのである。
粗品すぎて謝罪の言葉も浮かびません(泣) 兎に角、おめでとうございますvv
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