決戦の七夕



 「笹の葉〜さ〜らさら〜♪」

 7月7日午後4時45分
 成歩堂法律事務所。

 「…ああ、今日は七夕か」
 真宵と春美が歌いながら笹に飾りをつけているのを見て、成歩堂は呟いた。

 「そおだよ〜。なるほどくんも短冊書く?」
 鼻歌まじりに真宵がペンと短冊を成歩堂に手渡す。

 「え〜。ぼくはいいよ」
 「んもう!なるほどくんは"ろまん"がないよっ」
 心底興味ないといった風で応える所長に、自称副所長は呆れ顔で文句を云った。

 「そうですわっ!なるほどくん。七夕と云えば恋人の日!真宵様はなるほどくんと甘い時間を共に過ごしたくてお誘いしているのですわっ」
 頬に手をあててうっとりとした眼差しで云う春美に、成歩堂と真宵は引き攣った笑いを漏らす。

 「それはさておき。七夕って好きじゃないんだよね」
 云いながら成歩堂は手渡された短冊を弄んでいる。
 どうやら願い事を書く気は、まったくないらしい。

 「なるほどくんって七夕にかかわらず行事に興味はなさそうだけどさ」
 真宵は折り紙で作ったわっかを笹に飾り付け終わると成歩堂に向き直る。

 「好きじゃない、とは云わないよね。いつもは」

 確かに真宵の云う通り、成歩堂は行事やイベントに関心が薄い。
 けれど年端のいかない真宵や春美が楽しく準備している様子をいつもは温かく見守ってくれているし、手伝ってもくれる。

 そんな成歩堂なのに七夕に関しては「好きじゃない」とまで云い切ったのだ。

 「昔なんかあったとか?」
 「そうじゃないけどさ」
 冗談半分できいてくる真宵に成歩堂は面白くなさそうに右手をひらひらさせる。

 「なんか納得がいかないんだよね」
 「は?何に?七夕に?」
 「うん。もともとは中国の裁縫の上達を祈る『乞巧奠』という行事と星祭りが結び付いたものでさ、織姫が裁縫が上手だった事と二人が天の川に隔てられた事から、そのふたつがくっついて『七夕』になったんだ……それはまあ、いいよ」

 七夕に関する講釈を真宵と春美は関心してきいていた。が。

 「じゃあ何が納得いかないの?」
 もっともな真宵の問いに成歩堂の眉間に皺がよる。

 「いや、だってさ。もともとは仕事もしないでデートばかりしていたのが悪いんじゃないか。なのに一年に一度しか逢えない罰をロマンチックと云われても、ねぇ」

 仕事もせずに恋にうつつを抜かしていた織姫と彦星。
 成歩堂にはそれが判らないのだ。

 「恋というものはきっと周りがみえなくなってしまうものなのですわ」
 わたくしは織姫様と彦星様の気持ちがわかりましてよ、ええ。

 指を組んで呟く春美は夢心地といった風で。
 こんなに小さくても"女"なのだな、と成歩堂は改めて思ったのだった。


 「あ、もう5時過ぎてる。なるほどくん、あがっていい?」
 壁に掛かった時計は5時15分を指している。
 もともと仕事が早目に一段落ついたから七夕の飾り付けをしていたのであって、従って急ぎの仕事がある訳ではない。
 真宵と春美は手際よく後片付けを終えると笑顔で事務所を後にした。

 「気がかわったら書いてよ」

 帰り際、真宵は五色の短冊を成歩堂に握らせたが。
 願い事を書く事はないだろうな、と思いながらも成歩堂は曖昧に返事をしてそれを受け取った。


 「…何を書いたんだろう」
 小さな助手達が作った七夕飾りはそれなりに立派で、開け放した窓から入る風に童謡よろしくさらさらと揺れている。

 風に舞う色とりどりの短冊に彼女達が何を祈ったのか単純に興味がわいて。
 成歩堂は何気なくその中の一枚に視線を落とした。

 『トノサマンカードをコンプリートできますように』

 「真宵ちゃんらしい願い事だな」

 人には散々ロマンがないなどと云ってはいるが、自分こそロマンも色気の欠片もない。

 残りの短冊もみてみたが、どれも似たり寄ったりなささやかな願い事がかかれていた。


 「…真宵ちゃん達は欲がないなあ」
 「本当に叶えたい願い事は人の眼に晒したりはしないモンさ」

 いつの間に来たのかゴドーは成歩堂の耳元で囁いた。

 「あ、ゴドーさん。いらっしゃい」
 頭一個分見上げて成歩堂はやわらかく微笑む。
 「お邪魔するぜ、コネコちゃん」
 大きい掌が優しく髪を梳くと仔猫さながらに成歩堂は頭を擦り寄せてきた。

 (クッ…!これが天然なんだからなぁ…まいるぜ)

 普段は人一倍警戒心の強い成歩堂だが、一度信じた相手には驚く程、気を許す。
 それで痛い眼に遭おうが生まれ持った性分なのか成歩堂は人を信じる事を止めはしない。

 そんな純真無垢な成歩堂がゴドーは好きだった。

 遥か昔に持っていた青臭い正義感だとか、若さゆえの残酷さだとか、それら統べてがゴドーには眩しく映る。


 「…じゃあ願い事は書きません?」
 「ああ。本当に叶えたい事は自分の力でなんとかするものさ。コネコちゃんも書かなかったのかい?」
 真宵達の書いた短冊を成歩堂と列んでみていたゴドーだったが、その中に成歩堂のものと思しきものがなかった気がして訊いた。

 「ぼくもゴドーさんと同意見です。神頼みではなく自分でなんとかしますよ。…それにぼく七夕って好きじゃないんですよ。仕事を忘れる程の大恋愛なんて理解できないし」
 「コネコちゃんはネンネだからな」
 からかいながらしかしゴドーは内心安堵していた。察するに現在成歩堂には恋人はいないみたいだからだ。
 しかしそれは同時に自分も対象ではないという事でもあるのだ。
 だが次の瞬間。

 「…仕事を忘れる事はありませんが…寝ても醒めてもあなたの事しか考えられないのは……恋、ですか?」
 「!?」
 何気なくを装って呟かれた言葉にゴドーは思わず成歩堂を凝視した。
 視線を受けて成歩堂は真っ直ぐにゴドーをみつめる。

 「まるほどう…?」
 「ぼく、あなたが好きです」

 まるい瞳がひたむきに自分へと向けられて。
 形の良い唇が自分への愛を囁く。

 「…本気、か?」
 掠れた訊いかけに成歩堂はコクリと頷く。

 愚問だった。

 訊いた本人が誰より本気なのだという事を理解していた。
 冗談でそんな事を云う人間ではないのだ、彼は。


 「なんでまた急に…」
 「…願い事は自分で何とかするって云ったじゃないですか、ぼく。いいタイミングだと思って」

 「クッ…!負けず嫌いの弁護士サン、この恋が成就すれば織姫と彦星に頼らなくても願いは叶うと証明できちまうなぁ」
 ゴドーが喉の奥で愉し気に笑う。

 「あ、解っちゃいましたか。さすがゴドーさんだな。けれどそれは偶然ですよ?…まあ、少しは意識しましたけど」

 だが、そもそも今夜逢う約束はしていなかったのだ。話の流れとタイミングの良さに後押しされて成歩堂は告白したに過ぎない。

 「それを云うならゴドーさんは何故わざわざ恋人の日にぼくに逢いにきてくれたんですか?」

 たちまち法廷でのやりとりのように追い詰められたゴドーは、小さくかぶりを振って敗けを認めた。

 「降参だぜ、センセイ。オレは案外ロマンチストなんでな。七夕デートに誘いにきたのさ」
 ニヤリと笑うゴドーに成歩堂も微笑を返す。

 「それは脈ありという事ですか?」
 「云わなくても解ってるんだろう、コネコちゃん?」

 ゴドーの節ばった指が成歩堂の顎を優雅な仕草で持ち上げる。

 ゆっくり近付いてくるゴドーの顔を、だがしかし成歩堂は押し戻した。
 不満げな表情を浮かべるゴドーをくすりと笑うと。
 「きちんと応えてください」
 と不遜な態度で云った。

 「まったく食えないコネコちゃんだぜ」

 耳を柔らかくはみ、ゴドーは必要以上に空気を含ませて囁く。

 「愛してるぜ、龍一」
 「!?」

 再び近付いてくる端正な顔を認めて、拒む理由のない成歩堂はゆるく眼を閉じる。

 啄むような甘いくちづけが次第に濃厚なものに変わり、成歩堂はたまらずゴドーの広い背中に縋り付く。

 「寝ても覚めても、仕事中もオレの事しか考えられないようにしてやるぜ?」

 自信満々に云うゴドーに腕の中の成歩堂が。

 倖せそうに笑った。


end20080707 





4万hit記念のフリー小説との事で、『 奇蹟 』の池之神聖士朗さまから貰ってきました。
時には強気に攻めるナルが、素敵です。(何でもOKらしい)